韓国民の行動様式15(話し合い社会とねじれ国会1)

9月3日書いたように日本の場合行政決定段階でも各大臣が支持母体を独自に持っている関係から、内閣構成員との間で利害調整が必要なのに対して、大統領制の場合は閣僚が全員大統領から政治決定の指示を受ける配下に過ぎない(選挙で選ばれていないので、日本では長官と翻訳されています)違いがあります。
日本では政府決定が複雑なだけではなく、議会も簡単に強行採決が出来ないルールになっているので、揉みにもんで進めなければ本会議上程にこぎ着けられない・・悪く言えば決められない政治に陥り勝ちです。
2院制である結果、違った時期の選挙・・時期が違えば微妙に民意が変化しますし、選出単位が違えばこの面でも衆議院と違った票の出方をします。
2院制の場合違った選出である以上は違った民意を反映するようになるのは当然です。
2院制である限り、原理上多数派のねじれがおき易くなりますし、もしも同じ結果を期待するならば、2院制の必要がないでしょう。
ねじれ国会になるから2院制不要あるいは改正すべきだという議論は、問題のすり替えか道義反復論です。
元々違う角度からの民意吸収を期待して制度が成り立っているのですから、必要なのは意見が違った場合の優劣・妥協の着け方にあると言えます。
これに関しては「決められない政治」と揶揄することによって、マイナス面ばかりマスコミによって強調されていますが、きめ細かく丁寧に弱者の意見を吸収するためには時間軸の差・選出方法・単位の差は有効な制度です。
きめ細かな民意吸収の結果,国民間の同質性・・民族の絆を維持している効果を軽視すべきではありません。
議論すべきは、きめ細かく国民各改革層の意見を吸収してゆっくり改良して行く必要を認めるべきか否かです。
何事もアメリカやIMFの御託宣どおりに、これが良いと言われると敗者を蹴散らしての迅速実行・拙速ばかりが良いとは限りません。
仮に良いことでも、じっくり納得の上で5年10年かけて周辺準備を周到にしながらゆっくり変えて行けば良いことです。
百年単位で続いて来た社会の慣習を変えるには、多様な意見や痛みを聞きながら変えて行く時間軸が必要でしょう。
何故、そんなにマスコミや識者が急ぐのか理解出来ません。
昨日まで書いたとおり韓国での即断即決(拙速)が国民を家畜のような対象にしていてこそ出来ることであって、我が国のように国民こそ大事という国ではそんな乱暴なことは出来ません。
韓国では国民の福利を無視して来た咎めが大きく出ていることを考えれば、我が国が拙速せずにゆっくりやって来たのは恥ずかしいことではなく、やはり2千年も政権が続いて来ただけの深い智恵が我が国にあると思い直すべきです。
韓国では大統領制なので政府決定は大統領単独で可能・・閣僚は部下・相談相手でしかないので、即決出来る上に、国会は1院制ですから与党と議会多数派は同時に選挙すれば普通一致しますし、そのうえ国会手続きさえも強行採決が簡単に出来るようになっていました。
選挙で勝った方=大統領=多数派がいとも簡単に強行採決出来る・・これが常態化している社会では、ことの善悪よりは、専制君主の意見にあうかどうかが基準であった時代と思考基準が変わりません。
国家運営・・国内でのいろんな場での意思決定が、強弱・勝ち負けかあるいは白か黒かの単純基準で動いている社会では、対外主張でも勝者敗者(・・どちらが上位者・アメリカの覚えが良いか)の基準で押して来るのは、仕方がなかったと言えます。
今後議長職権による法案の本会議上程要件に絞りを掛けたので、話し合い解決が必要な場面が増えるような手続きを国会で議決したのは、(多数派・強者かどうかだけを基準にするのではなく)話し合い=善悪・合理的か否かの基準で決める社会にして行こうとする韓国の決意表明です。
話し合い解決の経験が少ないので直ぐにはうまく運用するのは無理としても、こう言う法律が出来たことで、今後韓国の思考様式が合理化して来る・・何かと無茶苦茶言って来られて困っている日本にとっても、プラスになることです。

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