象徴と総意

日本の天皇や政府・当局者は、国民を圧迫して来た人民の敵と言う対立軸で理解すべき世界中の君主や政府・当局者とは成り立ちが違っています。
西洋の絶対君主は王権神授説で国民に対する絶対支配・圧迫の根拠として権威付けしようとしましたが、日本の天皇は、超越的権威者から付与された外的権威を利用して人民を圧迫して来たことはありません。
天皇制は古代から日本列島の総意に基づくもので、王権神授説のような言い訳を必要としていません。
日本も元は他所の国のように支配被支配の対立関係であったかも知れませんが、光明皇后や聖武天皇の事績から見ても早くから民のために尽くすことを目標に掲げる政府になっています。
私の素人的思い込みでは、縄文の昔から特定の権力者がいたのではなく何となく集団世話役が発生し途中呪術的要素が加味されて卑弥呼のような呪術師が尊崇されて天皇の系譜が出来上がって行ったのではないかと思います。
実務はその下の人たちになるのでその間に実務者同士の戦争があったでしょうが、戦争で勝った実務者がトップになる社会ではなかった・・トップは飽くまで天の声を聞ける天皇家という位置づけできたのではないかと思っています。
この想像は後世の日本本社会のあり方から影響を受けているとも言えますので、はっきりしたことは分りませんが、中国のようにまず市場を取りし切るボス=武力保持者としての王から始まったものではないことは確かでしょう。
このような始まりですので、日本の天皇家は列島全体の平安を祈るばかりで具体的権力闘争から一歩引いていると言うか遊離しているのが特徴です。
ただし壬申乱のように天武天皇が自ら兵を率いて戦った例もあります。
全国各地での国分寺等の建立を意地悪く見れば、統治に利用するためだったと言えますが(私たちは歴史でそのように習った記憶です)、政治というのは当然一定の現世的効果をあわせて狙っていることがあってこそ成功するものですから、その面だけ見るのは意地悪というか片面的過ぎます。
全国への国分寺建立の詔勅は西暦で言えば741年ですから、こんなに早くから「民の平安」をはかることを(内心統治のためであろうとも)正面のテーマにした君主が諸外国にあったでしょうか?
彼や彼女(光明皇后の事績も知られてます)一人がイキナリ民の平安を願ったのではなく、その前からずっと歴代天皇あるいは大君がそうした思考方式で来たから、多くの支持があって全国を対象にした国家的大事業を始められたのでしょう。
白村江の戦いで敗れてから西洋世界に約1300年も早くから日本列島では強固な国民国家意識を育んでずっときたのですが、一般的には戦争で大きく負けて団結心が生まれることはなく・・むしろ負けると四分五裂するのが普通の国や民族集団です。
日本列島だけこんなに早くから強い団結心があった原因は、白村江の敗戦の何世紀も前から、あるいは常民の時代から集団内でお互い慈しむ生活習慣があって、権力が人民を虐げるような政治をしていなかった事によると言うべきではないでしょうか?
日本古代史では魏志倭人伝の「鬼道を良くした」卑弥呼が良く知られているように、日本は最初から被支配者を圧迫する権力者としての大君ではなく、神の心を伝えることから始まって、その内に象徴としての大君に発展したのではないかというような根拠のない理解(私は歴史専門家ではないので気楽な思いつきです)を私はしています。
日本列島では大王と言われていた時代から
「大君は 神にしませば 水鳥のすだく水沼(みぬま)を 皇都(みやこ)となしつ」
と万葉集で歌われているように、天皇は上から人民を支配圧迫する権力保持者として意味があったのではありません。
古くから、天皇家は民族の神・・精神の象徴として尊崇を受けることに価値を置いて来たし、日本列島住民の精神を象徴する存在でした。
天皇がそうであるからその下で実務を行なうべき集団・・各分野ごとに権力を担う人々「司々」は、私利私欲のためにあるのではなく、末は集落であればその集落みんなのための世話役・・イザとなれば進んで自己犠牲になる社会合意です。
佐倉宗吾郎その他、全て代表になる以上は、代表として自己犠牲を厭わない含意になっています。
降伏して城を開けるときには、城主だけが切腹するなど責任を取るのが名誉とされる社会です。
列島民全員の総意の象徴として天皇制がある以上、その下にある政治権力も古代から民族の総意を無視出来ません。
西洋のような革命の結果できた選挙制度がなくとも・・ずっと千年以上も前から総意を汲み取るのに慣れていますし、天皇や権力者は言わば国民個々人の分身であって、人民との対立概念ではありません。
「総意」と言えば、日本国憲法の条文が意味深です。

憲法
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

天皇の地位は「総意に基づく」というのですが、「総意」はどのようにして分ったのでしょうか?と言う疑問です。
西洋的思考・法律家的思考方法によれば、「アンケートをとったのか?選挙したのかとなりますが、そんなことを疑問に思うこと自体が「野暮」というのが我が国の総意であり日本教の極意です。
古代から日本列島では、総意が自然に決まって行く社会でした。
象徴とは、元々はそう言う性質のものです。
10月31日の園遊会で、参議院議員の山本太郎氏が天皇陛下にイキナリ手紙を差し出したことが政治問題化しています。
天皇の政治利用に当たるかと言うことがテーマらしいです。
私は違った観点で驚いてます。
手紙をイキナリ陛下に差し出す行為は、言わばイキナリ話しかけるようなものです。
どこの組織でも上下の関係があって、上位者から声がかかって下位のものが応答するのが礼儀であって目下の方から「やあ!」と声をかけるなどあり得ません。
昨日の段階で報道されている彼の言い分は「そんな禁止があるとは聞いていない」というものらしいですが、彼は国民の心底までしみ通っている天皇に対する国民の心を理解していないし、法律で禁止していなければ何をしても良いと考えているとした場合、国民の総意を代表するべき国会議員の資格があるの?となってきます。

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