構造変化と補助金2(過疎地2)

江戸時代のままの生産力であれば、近代的な立派な橋を架けたり舗装道路を造るには、(いくつもの信号機の設置やガードレールさえ造れないかも知れません。)地元経済の支払能力を超えるので、その差額を補助金に頼ることになります。
江戸時代並みの農業所得からでは、高度医療機器を備えたどこの田舎にもありそうな病院1つ造れないでしょう。
高額所得の医師など雇用したり開業医や小中学校の教員への給与支払が出来るのは、各種補助金の御陰であって江戸時代の小さなムラが合併を繰り返して5000人〜1万人単位になっても、農業からの税だけでは不可能です。
今や江戸時代と違って農家もかなりの所得かも知れませんが、それは生産性が仮に10倍になったから所得が10倍になったのではなく、生産性がもしかしたら2倍程度になっている場合でも、それは補助金による農機具や肥料の購入が出来ることにより収量が上がったり・・莫大な税の投入による耕地整理による合理化効果が大きい面があります。
これに加えて仮に生産量が2倍になったに過ぎないとしても、輸入規制することによる国際市場価格の何倍もの価格を国民に強制するなど農家に対する幾層にもなる各種補助で農業所得が何倍にも上がる仕組みになっています。
現在TPP参加に反対して農業がつぶれるという農業団体の主張自体が恥も外聞もなく声高に言えるのは、車のように丸腰で海外と競争出来ない・・・国民に市場価格以上の割高な農産品を買わせていることを自白しているようなものです。
政治による割高な農産品価格設定の恩恵・・・補助金によって、維新以降個人的努力によって、高度化転換出来た人と江戸時代までとにたようなことをしている人にまで同じ生活水準が補償されています。
この水増し所得を前提に農家が家を建て替えたり、昔買えなかった肉類を買って食べたり車を買ったり医療を受けたり子供が塾に通ったり進学出来たりしています。
この波及効果で、農業地帯にもいろんな商売が成り立っているのです、
農村の場合、公共工事等の直接的補助金だけが目立っていますが、実際には基礎的な生活費底上げ用の補助金こそが重要です。
市場価格以下の協力を求められる弁護士とは違い、医師や教員、警察官等は全国平均の給与をもらえるし、公共工事の場合は民間受注工事よりも割高で受注出来るのが常識ですから、(このうまみのために刑事事件になるリスクを冒してさえ、賄賂・汚職・談合が後を絶たないのです)都会での民間受注並み以上の単価で受注出来ます。
美術等のサービス受益は個々人が都会に出かければ足りますが、工事現場が都会に出かけることはないので、補助金が早くから発達し目立ちます。
出かけられないという観点からすれば小学校等の教育も地元でしか出来ないので、教育(関連の土木工事も含めて)も早くから補助金の対象になっています。
この結果、先生は全国一律的な給与水準です。

構造変化と補助金1(過疎地1)

個人レベルでは、飽くまで衰退して行く地元に残っている人の中にも農漁業に固執する人もいれば、中央からの補助金期待の土木建設業その他に転進する人もいたでしょう。
地元に残っている人は郷土愛の固まりかと誤解しがちですが、(震災報道はそう言うイメージです)中央からの地方交付金や各種補助金は、個々人に配られるのではなく地方公共団体経由ですので、この補助金に群がって(いるつもりはないでしょうが・・)地元に生き残る人も多くいました。
補助金目当てに生き残っていると言えば、土木建設業ばかり連想しますが、実際には多くの教員、保育士、医師関連職種、地方公務員、個人商店も実は同じ人たちです。
過疎地の医師は元は地元で代々医師をしていた人でしょうが、今では中央から派遣されて義務感で赴任してる人が多いので、補助金の恩恵に浴していないように見えます。
過疎地の医療保険は独立採算であればとっくに破綻している筈ですから、地元経済に限定すれば医療費支払能力が大幅に縮小している筈です。
全国の平準化した保険料と国庫負担金が中央から回って来るから、過疎地の医療財政は成り立っているし、派遣される医師も存在・高給が支給されるのです。
我々弁護士需要でも、日弁連補助金で過疎地に法律事務所を設置したり、国庫金による法テラススタッフ弁護士が、過疎地の法律需要に対応していますが、地元の支払能力のみであれば、これらの設備・事務員等の維持が出来ません。
そもそも補助金とは何かですが、地元の経済水準による支払能力が低すぎると、都市でその何倍も高額収入のある職種は寄り付きませんので、(例えば芸術家やタレントは一日1〜数万円で公演してくれと言われても応じられないでしょう)都会に出かけて行くしか近代文明の恩恵に浴せません。
教育者に来てもらったり芸能人に公演してもらったり、不採算の医療その他の専門家に来てもらうためには、何らかの補助金でその一部を負担し、(医師や教師は相場の給与で赴任するみたいですが・・)残りは弁護士等の公徳心による減額(採算割れ価格)で成り立っています。
ちなみに弁護士にとっては、過疎地の法律相談に行ってると、事務所維持費が出ないので、事務所経費負担がいらないイソ弁等若手が分担している状態です。
東北の震災被害の法律相談もそうですが、当事者がその費用負担能力がないので、日弁連が担当者に交通費の外に一日3〜4万円支給して現地相談を行っているのですが、これでは事務所家賃・事務員の給与その他経費にすらならないので、赤字で協力している関係です。
(日弁連はどこからも援助してもらってないので、弁護士から集めた会費で相談に行く人に支給しています)
土木工事の場合も地元経済水準で払える限度で土木工事をしようとする場合・・・仮に地域の産業として江戸時代同様の農漁業しかない場合を例にすると、その生産力だけでは江戸時代まであった程度の木造の橋や砂利道しか造れないし、(砂利だって買って来る資金がないでしょう)勿論村役場も木造平屋建てがやっとですし、学校も幼稚園も病院もその程度のものしか造れない筈です。

構造変化と格差4

明治維新以降の格差発生・構造転換出来た人と出来なかった人の歴史をちょっとさかのぼってみましょう。
明治維新で近代工業化に舵を切った我が国では、近代化の時流に乗れた人は何十倍もの高収入になって行く(三菱その他いくつもの財閥がうまれた)のですが、従来通りの農業をしているだけでは収入が増えませんし、新規産業従事者でも経営者になって行く人と工員や店員で終わる人の差が出てきますが、それでも新産業従事者の方がその恩恵を受けて羽振りが良くなります。
この時点で第一次の格差が開いて行きました。
生糸や木綿の輸出を学校で習うので昔からの産業のように誤解しますが、江戸時代中期までは木綿は輸入品でしたし、生糸は明治になるまで輸入品でした・・これを明治になって輸出品に仕上げたので、これの元締めには莫大な利益が転がり込みました。
北海道には鰊御殿もあるし、紡績工場があちこちに出来たこともご存知の通りです。
いろんな分野で構造転換が進んだ時代ですが、実際には江戸時代からそのままの人の方が多かったでしょう。
戦後の高度成長期では全国的に近代産業化が進んだのですが、いわゆる過疎地とは高度成長の波に乗れずその地域の産業=農漁業・・あるいは生糸のように農漁業に基礎をおく産業が廃れて行く時代・・・空洞化して来たのに、代わりになる産業・主として鉱工業が育たなかった地域の別名です。
すなわち従来型の農漁業でやって行けなくなった以上は、有機農業等高品質化に農業自体の変質を図るか、近代工業へ産業構造を転換するべきだったのですが、地域全体の構造転換に失敗した地域を一般に過疎化・過疎地と呼んでいたのです。
04/14/04「戦後の農業政策1(自作農創設特別措置法と土地改良法1)」以下で連載していますが、農業の構造改革の方向としてはアメリカ式に大規模化しても到底アメリカやオーストラリアには叶わないので、大規模化による政府農政の対応は間違っていると(高品質化しかない)いうのが私の持論です。
ましてやグローバル化で、日本の何十分の1という低賃金国との競争になれば、大規模化による僅かなコスト削減ではとても競争になりません。
高品質の牛肉・豚肉・やサクランボや果物、米等の輸出で稼ぐしかない筈です。
後に書いて行きますが、ギリシャや南欧諸国と違い日本列島各地を別の国としない・同じ国内扱いですから、人口移動が容易です。
産業構造の転換が遅れた地域にいるとそのまま一緒に江戸時代のままの低い生活水準でいるしかないので国内地域間自由競争の結果、より良い生活を求めて他地域へ逃げ出して行くので、逃げられた方が過疎化して行くのであって、元々過疎地があったのではありません。
元々人が全く住まない原生林や山地も多くありますが、そこを過疎地とは言いません。
過疎地とは明治〜太平洋戦争までは一定の産業・・農漁業とその類縁の仕事で生活出来ていた地域であったが、戦後近代工業化への構造転換の遅れた地域から人が逃げ出す状態・逃げてしまった地域を日本的に表現したものです。
構造転換に成功した地域と転換が進まなかった地域を国際的に見れば、先進国(産業革命に成功した国)と後進国の関係であり、異国間では自由に移動出来ないし、日本の過疎地のように中央からの補助金もないので一方は貧しいままに取り残されて来たことになります。

 構造改革と格差社会2

鉱工業生産の大きい社会・・グローバル化前の近代産業中心の先進国では、流れ作業に象徴されるように中間層や末端労働者の職場が多くなって、彼らの職場が確保され貧富の格差が縮小するだけではなく、ひいては庶民が大事にされる結果民主主義が成熟し、社会が安定して行きました。
民主化の進行度や格差の少ない社会が先進国の資格要件というよりは、海外輸出国・・国内需要分以上の生産が可能で底辺労働者や中間層の仕事が多くなり、底辺層が豊かになった近代工業社会化完成(超過生産・輸出で成り立っているのですから行き過ぎ?)の結果に過ぎないと言えるでしょう。
農業社会の時代には、自営農民の多い社会は安定していたと言われているのと同じです。
グローバル化の結果、賃金コストの関係で先進国では押し並べて単純労働・大量生産職場が縮小して行くので、膨大な中間層や流れ作業に象徴される末端労働者需要が減少していくしかありません。
単純作業を減らさないようにするには、新興国と同レベルまでの低賃金化しかないでしょうが、同レベルまでの賃下げが不可能であるとすれば単純作業分野の生産は新興国に移管して行くしかありません。
国内総生産や貿易収支は別の高度化産業の育成で穴埋め出来ますが、これに対応出来る高度レベルの人材は多くありません。
アップルのジョブスやマイケルジャクソンなど、同等の人材が少ないから希少価値があるのであって、いくらでもいる人材ではあり得ません。
高度化社会とは、いくらでもいる平凡な人材の労働需要が縮小して行く社会とになります。
失われた単純労働職場の受け皿・失業対策としての公共工事の拡大の外にサービス業や介護など福祉現場への転換が急がれているのですが、これらの職種でいくら働いても外貨を稼げないので、産業高度化による貿易収支の穴埋めを出来る国でない限り、内需拡大ばかり続けるといつかは財政破綻してしまいます。
何回もたとえ話として出していますが、一家で夫婦が働いていたときに奥さんが失業してヒマになった場合、別の店で働けば(職種転換)収入が一定ですが、職種転換する能力がないからと言って、家の掃除をしたりおばあちゃんを病院へ送り迎えしても失われた奥さんの給与収入が補填出来る訳ではありません。
国民が福祉や道路掃除や公園整備で忙しく働いていても、外貨収入が減った分を稼げるどころか余計お金を使うだけです。(国民が退屈しないだけでしょう)
こうした繰り返しの結果が出たのが、夕張市の破綻でありギリシャ問題です。
戦後「ゆりかごから墓場まで」という標語で有名だった(私の子供の頃にはうらやましい制度だと紹介されていた記憶です)イギリスの高福祉社会もこうした経過・・イギリスの対外競争力低下の穴埋めとして出来た制度だったのでしょう。
イギリスは、ドイツやアメリカに追い上げられたときに日本同様に技術の高度化に活路を求め、その結果ロールスロイスなどが産まれたのでしょうが、それだけでは世界の工業国だったときの多くの単純労働者を養えません。
この再編の過程で、内需に頼るしかない・・行き着くところは福祉産業しかないまま来たので、現在連載中のポンド下落の連続となってしまったのです。
アメリカも借金規模が大きくて分り難いだけであって双子の赤字(国際収支と財政赤字)が続いていることは同じですから、2008年のリーマンショックが起きたのですが、まだこの原因(借金生活)を解決出来た訳でありません。
むしろ財政出動(新たな赤字追加)で誤摩化しただけですから、いつかはその帳尻合わせが起きるであろうことは当然予想しておくべきです。
国全体の経営問題とは別にこの機会に産業構造転換と格差問題に触れておきます。
格差問題はオキュパイウオールデモに関連して少し書き始めていましたが、横にそれている状態ですので、ここで少し書いた後に近いうちに元に戻る予定です。
工場労働縮小の受け皿としてマスコミ推奨のサービス業の拡大や介護等の職場は、従来型底辺労働の変形であって、高賃金化対応の職場ではありません。
(サービス業の中でもバー、飲み屋ラーメン屋などの飲食業や美容・理容等は、どちらかと言えば昔から底辺労働者向けでしたし、洋服屋、靴屋等の店員も同じでしょう)
サービス・介護福祉等分野で正規雇用されたとしても、基本が低賃金職種ですから、大量生産型産業の空洞化の後を穴埋めして来た高度化産業従事者に変身・適応出来た労働者(大学院進学等それなりのコストを掛けているのが普通です)との賃金格差が開いて行くのは当然です。
(グローバル化以降の先進国は近代工業化社会で輩出した中間層の多くが上下階層に再分裂して行く社会です)

構造変化と格差拡大1

国際収支表については何回か表のコピーを紹介していますので、今回はGDPの推移をwww.google.co.jp/publicdataのデータから一部紹介しておきましょう。
上記のデータによれば1990年の日本の国内総生産は447兆3699億円で、1998年489兆8207億円、2009年は560兆6580億円に伸びています。
これが2008年のリーマンショックによる落ち込みを挽回出来ずに2010年は539兆8807億円に下がっている状態ですから、1990年からリーマンショック前の2007年までの18年間で1.25倍=25%の増加をしていることになります。
電気その他重厚長大型産業の多くが白物家電の海外展開に象徴されるように海外進出し続けている・・従来型国内生産が縮小している中において、GDPが落ち込むどころかジリジリと増加していたということは、多様な分野で大幅な産業構造の転換・・高度化が進んでいる・・成功していたことが明らかです。
まして、団塊世代の退職が始まり、労働力減少しつつあることを考えれば、なおさら効率よく稼いでいることが窺われます。
単純作業中心の組み立て産業が出て行った穴埋めに、これに代わる収入源・・高度な産業が育っていたことになります。
我が国においては、底辺労働向けの大量生産型産業が海外に出て行った後にも国内総生産が減るどころか少しづつ増えていて、貿易収支の黒字はバブル崩壊前同様に維持し続けていたし、その間に海外進出が進んだので海外生産分・・海外利益分だけ所得収支の黒字が増え続けていたことになります。
これが国際収支表の中の所得収支の増加になって現れていて、リーマンショック直前には年間12〜13兆円規模になっていて貿易収支の黒字(年間10兆円前後)を追い越すまでになっていました。
この辺の数字は07年5月26日の2のコラムで国際収支表自体をコピーして紹介してありますので参照して下さい。
上記国内総生産の推移に関するデータによると(何故かうまくコピー出来ないので上記のように抜粋しました)日本はグローバル化によって出て行ってしまった国内生産分を穴埋めするための別の産業の創出・・産業高度化への転換に見事成功していたことになります。
高度化転換出来た分野の従事者はバブル崩壊前よりも高収入を得ていて、他方で生産縮小による収入減の人もいて結果的に日本全体で25%の上昇であったことになります
産業構造が高度化転換(各種製品の最終組み立て工程を新興国に移管し、その製品に組み込む各種部品の高度化や研究者やソフト関連の発達でしょう)に成功しても、最後の組み立て作業的現場単純労働向け産業が減って来ると、高度化産業に必要な人材に転進出来る人は限られていて、転進出来ない人材が増えてきます。
現在国内に残っている各種生産現場でも最終組み立て工程は、パートや派遣・期間工など非熟練工中心になっています。
最終組み立て工程分野の多くが海外に出てしまい、この分野ではここ20年間毎年のように労働需要が減少し続けています。
人口構成は一般的にピラミッド型ですから、どこの国でも裾野・・中間・末端労働者人口の方が多いのが普通ですが、この分野中心(ホワイトカラー層も減っていますが)に需要減が起きたのがこの20年間我が国の抱える大きな問題でしたし、これからも問題であり続けることになります。

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