公務員と民間との違い2

白と黒を合わせると灰色と習った記憶ですが、灰色と言わずに知と労をくっつけて「知的労働」というのは白と黒を合わせた単語を白黒あるいは、白的黒というようなもので、あんちょこすぎます。
しかも労に主眼を置いてこれに知的という修飾語をかぶらせただけですから、労働者であるがちょっと知恵を使うものという程度の意味でしょうか?
そういう目で見ると最近の医師の勤務時間の長さと肉体的負担の重さを見るとほぼ過酷労働者の範疇にあると言っても良いイメージです。
教職員の勤務実態も過酷です。
雇用・使用者と被雇用者という定義は、誰かに従属する「支配🆚被支配」「主観・客観」「主体的🆚従属的」等々の2項対立的に何でも区分けする西洋的思考の応用っぽい表現法です。
国民と言わずに人民と言いたがる風潮と同じで、仕事の代わりにいかにも苦役をイメージさせる労働概念の刷り込みをやり過ぎたのではないでしょうか?
4〜50年以上前にはフランスの長期バカンスや、リタイヤー後の旅行三昧を羨ましそうに報道していましたが、日本が豊かになり、長寿社会になった昭和末頃からそんな暇だらけの老後を羨ましいと思う人は滅多にいなくなったのでフランスの長期バカンスを羨ましそうな報道がなくなりました。
日本では昔から「仕事」が大好きで、それに打ち込めるのが最大の幸福という考え方の人が普通です。
すなわち誰が支配するかの基準での分類ではなく、「ことに仕える」のが多くの人にとって生き甲斐になる社会でこれのない人は可愛そうというのが一般的です。
最近コト消費化が盛んですが、日本人はもともと仕事・・何か「コト」にのめり込んで生きがいにするのが大好きですから、幾つになっても仕事をしたい人が多いのですが、いつまでも労働したい人はあまりいないでしょう。
生活な糧を得るため仕方なしにするのが労働であり、仕事はある程度義務感があってもその「こと」の従事するのが天職と考えて頑張るのが仕事です。
例えば子育ては角度によっては義務ですが、それは充実感のあることです。
我々弁護士業務も、受任した以上契約上の義務がありますが、だからと言って奴隷労働ではなく、仕事であって充実感のあるものです。
仕事と労働とは楽しさが違うものです。
いつから労働者という言語が定着したかですが、国民の仕事熱心を阻害し[ことに尽くす]国民性を破壊するために、奴隷労働などマイナスイメージ拡大力が戦後急速に力を得たのでしょうか?
そもそも戦前の労働者保護法は、工場法を先駆としているのですが、その工場法には労働者という用語は見えません。
ウイキペデイアによれば以下の通りです。

工場法(こうじょうほう、明治44年3月29日法律46号)は、工場労働者の保護を目的とした日本の法律。1911年(明治44年)に公布、1916年(大正5年)に施行された。1947年(昭和22年)に労働基準法が施行されたことによって廃止。
適用範囲
工場法の適用を受ける工場は、制定時の規定では、原則として「常時15人以上の職工を使用するもの」(1条1項1号)及び「事業の性質危険なるもの又は衛生上有害の虞あるもの」(同項2号)であったが、適用を必要としない工場は勅令で除外することができるとされていた(同条2項)。また、1条に該当しない工場であっても、原動力を用いる工場に関しては、主務大臣は、扶助に関する規定等、一部の規定については適用することができた(24条)。
1923年の改正(大正12年改正)により、「常時10人以上」の職工を使用する工場に適用範囲が拡大された。
このように、工場法は小規模工場には適用されず、また、現実には多くの工場が適用除外とされたことから、労働者保護には不十分であった[12]。
一方、工場法の適用にあたっては、「雇傭関係カ直接工業主ト職工トノ間ニ存スルト或ハ職工供給請負者、事業請負者等ノ介在スル場合トヲ問ハス、一切其ノ工業主ノ使用スル職工トシテ取扱フモノトス」(大正5年商局第1274号)と、明確に工業主に使用者責任を負わせるものであったことが、濱口桂一郎により指摘されている。[13]

上記の通り、工場法内には「労働者」という用語はなく、労働者保護の最初の法であるという解説は、「戦後の労働者」という用語を当てはめれば・・労働者保護の走りであると言う意味で使用されていることがわかります。
工場法は昭和22年廃止ですからその時までは職工(通称工員さん・これの対比として女工)と言われていたのであって、法的な意味で労働者と表現されていなかったことになります。
人民という左翼用語が、ほぼ死語になったのに対し、職工を労働者という左翼用語が戦後すぐに法律用語に採用されたことになります。
労働の用語は以下の通りロシア革命以降かな?頻繁に出てきます。
労農党でウイキペデイアを見るとすぐに以下の用語が出てきます。

労農党(ろうのうとう)は、日本における無産政党、革新政党の名称。おおむね「労働農民党」か「労働者農民党」の略称であることが多い。
労働農民党 – 1926年に結党された、左派の合法無産政党。
労働者農民党 (1928) – 上記「労働農民党」結社禁止ののち、再建をめざすグループ(新党組織準備会)により1928年結党され、即日禁止処分を受けた無産政党。
労農党 (1929-1931) – 上記「労働者農民党」解散ののち、1929年に結党された左派の合法無産政党。一般には「新労農党」の通称で知られる。
労働者農民党 – 1948年、日本社会党から分かれて結党された革新政党。
日本労農党 – 1926年、上記「労働農民党」から分かれて結党された中間派の合法無産政党。「労農党」ではなく「日労党」と略されるのが普通。

政府が労働という用語を使用していなかった点は、人民という用語を明治憲法が採用しなかったのと似ています。

公務員と民間との違い1

任命と民間就職の違いに戻ります。
現在政治でも、大臣就任要請を断るのは、岸田氏のように禅譲期待を前面に出して現政権に協力するが、今は禅譲に備えて体力・党務に注力したいなど、特別事情をうまく説明して円満にお断りしない限り原則として総理の座を争う意図と見られるので石破氏のように反主流転落・干される覚悟で閣外に出るのが普通です。
産業革新機構では理事に総辞職されて次の理事補充が出来ない状態らしいですが・・辞任する人たちはもっとマシな仕事があるという意思表示でしょう。
政治闘争から離れた官僚の場合、民間との人材獲得競争・・競合・市場競争があるので、結局は、待遇比較・仕事のやりがい次第となります。
古代以来民間職場の未発達な時代には最高権力者が最も良い生活ができる・・ひいてはその周辺もこれに準ずる良い生活ができる・・権力トップに近い順位ピラミッド型の社会が形成されていたので企業で言えば、どうせ何かの職務提供を受けるならば大手企業に就職した方が良いのと同じ発想で、政府が任命してくれれば従前官位との比較次第で喜んでお受けするものだったでしょう。
だから任命制度でなんら痛痒を感じなかったからでしょう。
今後民間との人材獲得競争になってくるときちんと歴史を振り返り修正すべきは修正していく必要があるでしょう。
戦後官尊民卑思想が薄れて来たせいか?国民主権意識の浸透のせいか?待遇も国家の主人である民間に劣る傾向が出てきました。
こうなると、市場原理を無視できなくなりますし、任命しても人材が応じないリスクが生じるでしょう。
公務員試験が遅く民間の採用の方が早いと優秀人材が高給で先取り囲い込みされてしまう問題が平成に入った頃から我々法曹界では話題になっていました。
政府は労働基準法でいう使用者(事業者)ではなさそうですが国民の方は就職先の一つとしか考えていない人が増えてきました。
政府は使用者でないという違いは、臣と民間・対等者間の労働契約との違いの歴史に行き着きそうです。
ここまで素人の思いつきを書いてきましたが、以下紹介する論文はその違いを書いているようですので一応一部紹介して起きます。
https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2009/04/pdf/042-049.pdf

特集 : その裏にある歴史
なぜ国家公務員には労働基準法の適用がないのか あるいは最大判平・17・1・26 民集 59 巻 1 号 128 頁の射程 渡辺 賢 (大阪市立大学教授)

ちょっと読んで見る限り(時間がないので全部読めませんが)では戦後法制の変化を追って説明しているだけで戦前からの民間雇用と政府雇用の違いの歴史・・過去の法制・・精神構造の変化に関する説明がないように見えるのが残念です。
戦前思想を断ち切った法にした以上は、現行法の解釈だけで済むということでしょうが、ものごとには歴史があります。
労使であれ夫婦(離婚騒動)であれ親子(意見相違)であれ兄弟(相続争い)であれ、上司と部下(パワハラ)であれ全て内部関係は対立をはらんでいます。
なぜ公務員に労働法規が不要か?別立てにする必要があるかの実質的説明が欲しいものです。
もともと労使の自由契約に委ねると強い方の企業・使用者有利に偏りすぎて労働者の健康すら守れないので、最適基準を基準を守らせるために労働法分野が発達して来たものです。
政府官僚になれれば最高という意識・・公務員の勤務条件が最高であり到達すべき模範の時代には、民間労働基準の底上げなどの到達目標で良かったでしょうが、国民の方もお役人さま並みの待遇が最高の待遇ですから、それで良かったのです。
役人には昔から恩給制度があり、があり高齢化しても心配ないし・・これの民間版が年金制度でした。
以前どこかで書きましたが世襲制の家禄に変わるもので家禄に比べれば一代限りで条件低下です・民間従業員には昔から世襲制がありませんでした。
今は到達目標ではなくなって来ました。
教職員も憧れの聖職でなくなって久しいものがあります。
こうなってくると教職員の勤務時間が長すぎないか、官僚が深夜まで翌日の国会答弁資料作りに追われているのはおかしいという議論になってきます。
国家公務員法にも個別に書き込んだりするのではなく公民と民間労働者統一法にして国家公務員や地方公務員等に特有の例外が必要な分野、・・例えば警察官や消防あるいは自衛隊法などで、その法律ごとに書き込んでいく特別法形式にした方がスッキリする印象です。
その前に官僚.教師を労働者というのか、政府を使用者というのかすら決まっていないので、これらの統合概念創作の必要があるでしょう。
大規模寺院で修行僧は早朝から草むしりや掃除等に明け暮れるのですが皆無償で修行と名がつけば時間制限なくて良いのか・医師はどうなるか、神主さま初詣客のために寝ないで頑張っているようですが?
〇〇法人に就職している若手弁護士の働きぶりをみると労働者に限りなく近づいているイメージですが、労働法の適用がいらないのか?
労働とは労して働くことでしょうが、官僚や医師、弁護士、教師は労働なのか?まして賃労働なのかとなると難しい問題です。
労の意味は第一義的には「いわゆる骨の折れる体の動き」を基本としてそこから発展したもので頭脳活動との対比で成り立つ言語です。
人間の働きには知恵を使うのと労力を使うのが対照的にあり、その他中間的には「気働き」というものもあります。
いつの頃からか?医師であろうと弁護士、教職員学習塾、予備校の先生であろうと漫画を描く人であろうと頭脳活動か肉体活動かに関わらず、雇用(これ自体一定の色付のある単語ですが・・)される人を労働法で保護しようとするために?知と労の2種類共通語として「知的」「労働」という対立概念をくっつけた単語が一般化してきました。
被雇用者保護の必要性という意味では、オーバドクターも研究所の守衛も土工も共通性があることから生まれた熟語でしょうか?

公務員任命制3(下野=謀反から在野活動へ)

公務員の任命に戻ります。
ある政権の役人に任命されてもこれに応じないのは、その政権不支持→小田原征伐になったのですが、この逆コース・・脱藩の場合もおなじ意味ですので幕末までは原則として(中期以降は建前だけ)死罪扱いでした。
脱藩に関するウイキペデイアの引用です。
戦国時代では、主君を変える行為は一般的に発生していたが、江戸時代に入ると、臣下の身で主を見限るものとして、許されない風潮が高まり、追手が放たれることもあった。これは、脱藩者を通じて軍事機密や御家騒動などが表沙汰になり、藩(藩主:大名)にとっては致命的な改易が頻繁に生じたことも一因であった。
しかし、江戸時代中期以降、泰平の時代に入ると軍事機密の意味はなくなり、慢性的な財政難のため、家臣が禄を離れることは枢要な人物でない限り事実上自由になっていた。もっとも、その場合にも法的な手続をとることが要件となっており、これに反して無断で脱藩した場合には欠落の罪として扱われて、家名は断絶・闕所、本人が捕らえられれば場合によっては死刑にされた。
明治に入っても、6年ころまでの有力者の下野は江戸時代の続き・反抗・危険勢力と見なされる社会だったようです。
下野すると各地の不平士族を糾合し反乱の旗印になることが多かったので・・西郷隆盛の場合は、国に帰ってしまうこと自体が事実上謀反準備行為的評価を受けて政府の圧迫誘導によって蜂起せざるを得なくなった・本当は賊軍ではないかのように歴史漫画等では描かれます。
ただし板垣だけは地元不平士族に取り込まれなかった・・いわゆる武断派だったのに反乱軍に担がれる方向に行かず、言論の自由・・民主化運動に特化していったのを見れば、個性人格面が重要ですが、それだけではなくバック・出身母体土佐藩の軍事力・士族勢力が強かった程度差だったかもしれません。
以上は直感的想像ですが小説家は私のような推論をしているようです。
板垣に関するウイキペデイア記載の人物評の一部です。

尾崎咢堂 「猛烈な感情と透徹せる理性と、ほとんど両立し難い二つの性質を同時に持っていた」
谷流水 「子供の時から習字が嫌い、読書が嫌い、物をしんみり考えることが嫌い。好きなのは鶏の喧嘩、犬の喧嘩、武術、それに大人の喧嘩でもあると飯も食わずに見物するというのだから今日このごろだったら中学校の入学試験は落第だね」
小説家の海音寺潮五郎や司馬遼太郎は「板垣は政治家より軍人に向いていて、ただ板垣の功績経歴から軍人にすると西郷隆盛の次で山縣有朋の上ぐらいには置かないといけないが、土佐藩にそこまでの勢力がなかったので政治家にされた」と述べている[22]。

不平士族の乱に関するウイキペデイアの引用です。

明治六年政変で西郷隆盛、江藤新平、板垣退助らが下野すると士族層に影響を与え、明治政府に反対する士族は「不平士族」と呼ばれた。
1874年に江藤が故郷の佐賀県で擁立されて反乱(佐賀の乱)し、1876年には熊本県で神風連の乱、呼応して福岡県で秋月藩士宮崎車之助を中心とする秋月の乱、10月には山口県で前原一誠らによる萩の乱など反乱が続き、それぞれ鎮圧された。
1877年には旧薩摩藩の士族が中心になり西郷隆盛を大将に擁立して、日本国内では最大規模の内戦となる西南戦争が勃発。西郷隆盛に呼応する形で福岡でも武部小四郎ら旧福岡藩士族により福岡の変が起こった

こういう不平士族の乱が頻発する中で、板垣や後藤象二郎、副島らのグループは、明治7年民選議院設立建白書を提出します。

いわゆる有司専制(大久保独裁批判)批判に対して、政府は意見対立の都度下野させて反政府運動に追い込むのでは政権が安定しませんので,知恵を絞って?明治 8 年(1875)1月の大阪会議(大久保や木戸と下野した板垣との会議・・板垣は参議に復帰)によって下野組の一人である板垣との協議開催に成功します。
この会議で、木戸孝允の構想する立憲政体案が内定し、(板垣も同意)同年4月に「立憲政体樹立の詔」が発せられました。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/shukenshi027.pdf/$File/shukenshi027.pdf

朕 即 位 ノ 初 首 ト シ テ 群 臣 ヲ 會 シ 五 事 ヲ 以 テ 神 明 ニ 誓 ヒ 國 是 ヲ 定 メ 萬 民 保 全 ノ 道 ヲ 求 ム 幸 ニ 祖 宗 ノ 靈 ト 群 臣 ノ 力 ト ニ 賴 リ 以 テ 今 日 ノ 小 康 ヲ 得 タ リ 顧 ニ 中 興 日 淺 ク 内 治 ノ 事 當 ニ 振 作 更 張 ス ヘ キ 者 少 ナ シ ト セ ス 朕 今 誓 文 ノ 意 ヲ 擴 充 シ 茲 ニ 元 老 院 ヲ 設 ケ 以 テ 立 法 ノ 源 ヲ 廣 メ 大 審 院 ヲ 置 キ 以 テ 審 判 ノ 權 力 ヲ 鞏 ク シ 又 地 方 官 ヲ 召 集 シ 以 テ 民 情 ヲ 通 シ 公 益 ヲ 圖 リ 漸 次 ニ 國 家 立 憲 ノ 政 體 ヲ 立 テ 汝 衆 民 ト 倶 ニ 其 慶 ニ 賴 ラ ン ト 欲 ス 汝 衆 庶 或 ハ 舊 ニ 泥 ミ 故 ニ 慣 ル ヽコ ト 莫 ク 又 或 ハ 進 ム ニ 輕 ク 爲 ス ニ 急 ナ ル コ ト 莫 ク 其 レ 能 ク 朕 ガ 旨 ヲ 體 シ テ 翼 贊 ス ル 所 アレ
明 治 八 年 四 月 御璽

板垣は征韓論にやぶれて西郷らと一緒に下野したものの、実力行使運動に加担せず、大阪会議を以降参議に復帰して政府に一見取り込まれますが、すぐに辞職して在野での自由民権論で言論戦を展開することになります。

上記引用続きです。

元老院における「國憲編纂」の作業は、明治 9 年(1876)9 月、元老院議 長・ たる 熾 ひと 仁親王(有栖川宮)に対し、憲法草案の起草を命ずる勅語が発せられた  ことによって始められた。
【立憲政体樹立の詔】
熾仁親王に対する勅語
「朕爰ニ我建國ノ體ニ基キ廣ク海外各國ノ成法ヲ斟酌シ以テ國憲ヲ定メントス汝等ソレ宜シク之 ガ草按ヲ起創シ以テ聞セヨ朕將ニ擇ハントス」

公務員は労働者か?2(任命1)

国家公務員法を見れば「公務員」に関する法(組織法の亜流?)であって、公務員の地位をどうやって取得し、公務員になればどのような職務義務があるかを法で定めている法律であり、その一環として給与等の勤務条件記載がある程度の印象です。
裁判所法では裁判所の種類や重要人員構成に関する裁判官になる方法・権限を書いたものであって裁判官の労働条件確保を決めるためのものでないのと同じです。
労働の対価である賃金と言わず職務に対する給与(給わり与えられるもの・・目上の者から下の者に物品を与えるもの)ですし、内容的には賃金の仕組みを踏襲して残業手当や休日出勤手当など同様にしているでしょうが、法の建て付け・精神の有りよう・・本質は労働対価という形式をとっていないと思われます。
個人的経験によりますが、司法修習生の頃にお世話になった地裁刑事部長(専門誌に論文を書いている著名な人でした)が交通事故被害にあったとかで長期休暇中でだいぶ経ってから出てこられたのですが、ある時の雑談で裁判官は労働者でなく身分官僚なので、事故で半年〜10ヶ月程だったか?長期休んでも俸給に何の影響もないんだよ!というお話を伺ったことがあります。
要は官職に応じた俸給があり、個々の労働の対価ではないということでした。
言われて見れば勤務時間や残業とか細かいルールもなく、公判のある日とか何か予定(合議予定、令状当番など)が決まっている日以外は出てこなくても良いのが当時の裁判官でした。
平成に入った頃からだいぶ世知辛くなって、裁判官もほぼ毎日出てくるような印象ですが・・。
(自宅書斎で調べ物をしているより裁判所で資料を見ながら思索する方が効率がよくなった面があります・この辺は最近の大学教授も同じでしょう)
我々弁護士も勤務時間の縛りがないものの、事務所で処理した方が合理的なので家に仕事を持ち帰る頻度が減っています。
研究も同様で鉛筆一本で思索する時代が終わり各種研究所が発達している・勤務時間の定めがなくとも資材の揃っている研究所にいる時間が増えているのはこのせいでしょう。
労働法のように契約交渉等で決まる仕組みを前提に弱い個々の労働者の地位を守るために団結権や団体交渉や争議権を認めるのではなく、あるいは契約に委ねると対等な力がないので労働者が不利になりすぎないように最低賃金、最大労働時間等の最低基準を決めて労働者を保護しようとするためではなく、別の目的で職務内容の他給与基準まで全て法律で決まっている前提です。
国民代表の意思による法で決まっているものを公務員が上司との交渉で変更できるとした場合、お手盛りになり兼ねないし、法治国家・国民主権に違反するということかな?
公務員の地位につくのは試験等の公的基準に従って任命されるだけであって、労働契約によって始まるのではありません。
私も法律家の端くれなのによく分からないまま生きてきたのですが、契約でないとすれば「任命」すなわち命令ですから命令された方は結果として従うかどうかしかないと言う建て付けでしょう。
事前根回しや同意・納得があった方がスムースと言う程度の位置づけです。
現在は受験制度ですので受験する段階で、任官(就職)したいと言う事実上の意向が示されているので、事前同意の概括的担保がある仕組みです。
ただし腕試しに一応受けて見たとか滑り止めなどいろんな要素があるので、各省採用に当たっては、もう一度一種の二次試験みたいな申し込みと面接試験などが必要になっています。
ここまで来た人は、任官意思が固いので採用通知を特別な事情なしに蹴飛ばす人は滅多にいないでしょう。
古代〜中世は別として近代社会においては、人に対して特定行動を命じ、それに応じない場合行為そのものの強制は許されないのが社会の合意です。
馬を水飲み場に連れて行けるが飲ませることはできないと言われる所以です。
結果的に徴兵あるいは、法令で決まった帳簿検査、提出命令などに応じなければ罰則で間接強制するしかないようになっていますが、保釈条件違反→保釈決定取り消しなどの不利益が用意されているのが普通です。
しかし、任命に応じない場合には罰則まで設けるのは行きすぎでしょう。
労働法ではこの点はっきり書いています。

労働基準法
(賠償予定の禁止)
第十六条 使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。

戦闘集団が基本である武家社会では主君の命令は絶対であり、これに応じないことだけで首を刎ねられることが許されるような価値観のストーリーが多く見られます。
上洛後の信長からの越前朝倉家に対する義昭名での上洛命令に応じないところから信長と朝倉の対決が起きたものでした。
このように出仕=任官すること自体が時の事実上権力者に従属することを受け入れることを意味することから、信長や秀吉政権樹立を認めたくない勢力は当然応じません。
小牧長久手の戦いが長引き、秀吉が徳川とのヘゲモニー争いで勝敗がつきかねている時に、秀吉が関白太政大臣の官位による召集をかけて出仕すれば徳川はその下位につく意思表示になるという、政治駆け引きに徳川が応じたことで豊臣対徳川の抗争が収束しました。
秀吉が人質まで出して徳川との和平をした実態を見て小田原北条氏(後北条)は(徳川と誼を通じていれば・・秀吉政権が弱体と甘く見たのでしょう)出仕命令無視するばかりか総無事例も無視した上で、北条と真田間の沼田城支配をめぐる争いに関して豊臣政権(支配地分割)の裁定により沼田城を受け取りながら、真田側領地に残った真田の枝城(大くるみ城だったか?)を攻めたことが秀吉の怒りを買い、ついに小田原攻め→北条氏照や主な家臣らの切腹と領地全面没収になりました。

国家公務員は労働者か?1

一族だとか、側近、譜代の臣、時々応援してくれる近隣豪族との違いと言っても、それは比較をいうだけであって、側近の関係に限定すれば、他人と同じ対立関係が凝縮されて、あるいは複雑化していていろんな要素で相殺される結果見えにくくなっているにすぎません。
関係が遠くなるに比例して利害が単純化する・・土地勘のない通りがかりの客にとっては刹那的な利害の一致だけ・例えば我慢できないほどの空腹者にとっては、目につくところに飲食店一軒の他は、建築資材その他物販店ばかりであれば、その飲食店の料理が標準以上に美味しいかどうかの吟味の余地がありません。
これが近隣の店であれば、以前の客あしらいや料理と値段のバランス、複雑な情報処理が行われます。
しょっちゅう顔を合わす関係だと何か気に入らないことがあってもストレートに顔や態度に出しません。
側近や身内の場合、主人との接触濃度が違うので複雑な関係に比例して総合判断を経るのでちょっとした不満にすぐ反応しない違いでしょう。
独身男性が「所帯を持って一人前」と言われていたのは、幼い子供など弱者に対する日々の思いやりの蓄積による人間的深みの成長と同時に自分の言動が及ぼす影響に対する責任感が言動を慎重にさせる面があったでしょう。
近隣や顧客関係と違って、儒教道徳下の臣従の場合は、命まで捧げる特殊な契約?なのでやめる権利がない・実施したかどうかは別として幕末頃には理念的には脱藩は死罪という・極端なパターン・・「君君たらざるも臣臣たらざるベカラズ」刃向かう権利もないという、特殊道徳の教育理解でやってきました。
ただし徳川体制の思想的基盤を固めた林羅山が敷衍した儒教道徳は、彼独特の創作に係るものであった可能性がありますが、ともかく日本人はこれに従い受け入れてきたのです。
民間でも一旦正規従業員になれば、一時的に売れ行きが落ちて競合他社より給与が低くなっても、挽回盛り返せるように皆で頑張ってくれるのが従業員という意識が一般的に濃厚でしょう。
これに対してメール着信に応じて数時間だけ配車サービスする人の場合、少しでも単価の良い方のメールに応じる簡単な関係です。
自分の会社、お店意識を共有するようになる方が改良努力もしてくれるのですが、明治政府は国民は皆日本国家事業体の従業員だと言えば、外国との競争に頑張ってくれると思ったからでしょうか?
現在でもこの精神が濃厚なせいか?国民=臣民の図式がダメになっても国家公務員はまさに国家の直接の従業員なのだから、国家の外側の民間の従業員とは違うという面を強調したいのではないでしょうか?
民間も含めて皆「臣民」だったのを民間だけ止む無く切り離したという仕方ナシの論理のようです。
憲法上でもいまだに総理大臣と内閣を構成する大臣と大臣に任命される省庁の公務員という建てつけであることを見てきました。
国家公務員には各種労働法の適用がないし、地方公務員もほぼ同様であることを1月9日に紹介しました。
なぜ適用がないかについては、その代わり人事院で公正な給与計算をしているし安全管理も監督官庁の方が厳しいからその必要がないという意見があるでしょうが、事務職の場合、同じ職務内容なのに民間と国家等で待遇が違うのはおかしいという批判に耐えるためにそういう制度を作って糊塗しているだけであって、違いの生じた原因ではないでしょう。
このように待遇だけが信頼関係の基礎ではないので、国家公務員には、特殊な御恩と奉公の古い意識の温存を期待するものがありそうです。
企業でも会社側の労働者・・管理職には、争議権がありません。
その視点で見れば、官は国全体から見た場合の管理側の人たち・・民間管理職と共通論理によると思われます。
そもそも国家公務員法は労働条件を定める目的の法ではなく、公務員になる為の資格やその職務や管理体制を法定し、そのついでに待遇も書いている印象です。

国家公務員法
(昭和二十二年法律第百二十号)
第一条 この法律は、国家公務員たる職員について適用すべき各般の根本基準(職員の福祉及び利益を保護するための適切な措置を含む。)を確立し、職員がその職務の遂行に当り、最大の能率を発揮し得るように、民主的な方法で、選択され、且つ、指導さるべきことを定め、以て国民に対し、公務の民主的且つ能率的な運営を保障することを目的とする。
2 この法律は、もつぱら日本国憲法第七十三条にいう官吏に関する事務を掌理する基準を定めるものである。
第六十三条 職員の給与は、別に定める法律に基づいてなされ、これに基づかずには、いかなる金銭又は有価物も支給することはできない。
(俸給表)
第六十四条 前条に規定する法律(以下「給与に関する法律」という。)には、俸給表が規定されなければならない。
○2 俸給表は、生計費、民間における賃金その他人事院の決定する適当な事情を考慮して定められ、かつ、等級ごとに明確な俸給額の幅を定めていなければならない。
(給与に関する法律に定めるべき事項)
第六十五条 給与に関する法律には、前条の俸給表のほか、次に掲げる事項が規定されなければならない。
一 初任給、昇給その他の俸給の決定の基準に関する事項
二 官職又は勤務の特殊性を考慮して支給する給与に関する事項
三 親族の扶養その他職員の生計の事情を考慮して支給する給与に関する事項
四 地域の事情を考慮して支給する給与に関する事項
五 時間外勤務、夜間勤務及び休日勤務に対する給与に関する事項
六 一定の期間における勤務の状況を考慮して年末等に特別に支給する給与に関する事項
七 常時勤務を要しない官職を占める職員の給与に関する事項
○2 前項第一号の基準は、勤続期間、勤務能率その他勤務に関する諸要件を考慮して定められるものとする。