公務員は労働者か?2(任命1)

国家公務員法を見れば「公務員」に関する法(組織法の亜流?)であって、公務員の地位をどうやって取得し、公務員になればどのような職務義務があるかを法で定めている法律であり、その一環として給与等の勤務条件記載がある程度の印象です。
裁判所法では裁判所の種類や重要人員構成に関する裁判官になる方法・権限を書いたものであって裁判官の労働条件確保を決めるためのものでないのと同じです。
労働の対価である賃金と言わず職務に対する給与(給わり与えられるもの・・目上の者から下の者に物品を与えるもの)ですし、内容的には賃金の仕組みを踏襲して残業手当や休日出勤手当など同様にしているでしょうが、法の建て付け・精神の有りよう・・本質は労働対価という形式をとっていないと思われます。
個人的経験によりますが、司法修習生の頃にお世話になった地裁刑事部長(専門誌に論文を書いている著名な人でした)が交通事故被害にあったとかで長期休暇中でだいぶ経ってから出てこられたのですが、ある時の雑談で裁判官は労働者でなく身分官僚なので、事故で半年〜10ヶ月程だったか?長期休んでも俸給に何の影響もないんだよ!というお話を伺ったことがあります。
要は官職に応じた俸給があり、個々の労働の対価ではないということでした。
言われて見れば勤務時間や残業とか細かいルールもなく、公判のある日とか何か予定(合議予定、令状当番など)が決まっている日以外は出てこなくても良いのが当時の裁判官でした。
平成に入った頃からだいぶ世知辛くなって、裁判官もほぼ毎日出てくるような印象ですが・・。
(自宅書斎で調べ物をしているより裁判所で資料を見ながら思索する方が効率がよくなった面があります・この辺は最近の大学教授も同じでしょう)
我々弁護士も勤務時間の縛りがないものの、事務所で処理した方が合理的なので家に仕事を持ち帰る頻度が減っています。
研究も同様で鉛筆一本で思索する時代が終わり各種研究所が発達している・勤務時間の定めがなくとも資材の揃っている研究所にいる時間が増えているのはこのせいでしょう。
労働法のように契約交渉等で決まる仕組みを前提に弱い個々の労働者の地位を守るために団結権や団体交渉や争議権を認めるのではなく、あるいは契約に委ねると対等な力がないので労働者が不利になりすぎないように最低賃金、最大労働時間等の最低基準を決めて労働者を保護しようとするためではなく、別の目的で職務内容の他給与基準まで全て法律で決まっている前提です。
国民代表の意思による法で決まっているものを公務員が上司との交渉で変更できるとした場合、お手盛りになり兼ねないし、法治国家・国民主権に違反するということかな?
公務員の地位につくのは試験等の公的基準に従って任命されるだけであって、労働契約によって始まるのではありません。
私も法律家の端くれなのによく分からないまま生きてきたのですが、契約でないとすれば「任命」すなわち命令ですから命令された方は結果として従うかどうかしかないと言う建て付けでしょう。
事前根回しや同意・納得があった方がスムースと言う程度の位置づけです。
現在は受験制度ですので受験する段階で、任官(就職)したいと言う事実上の意向が示されているので、事前同意の概括的担保がある仕組みです。
ただし腕試しに一応受けて見たとか滑り止めなどいろんな要素があるので、各省採用に当たっては、もう一度一種の二次試験みたいな申し込みと面接試験などが必要になっています。
ここまで来た人は、任官意思が固いので採用通知を特別な事情なしに蹴飛ばす人は滅多にいないでしょう。
古代〜中世は別として近代社会においては、人に対して特定行動を命じ、それに応じない場合行為そのものの強制は許されないのが社会の合意です。
馬を水飲み場に連れて行けるが飲ませることはできないと言われる所以です。
結果的に徴兵あるいは、法令で決まった帳簿検査、提出命令などに応じなければ罰則で間接強制するしかないようになっていますが、保釈条件違反→保釈決定取り消しなどの不利益が用意されているのが普通です。
しかし、任命に応じない場合には罰則まで設けるのは行きすぎでしょう。
労働法ではこの点はっきり書いています。

労働基準法
(賠償予定の禁止)
第十六条 使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。

戦闘集団が基本である武家社会では主君の命令は絶対であり、これに応じないことだけで首を刎ねられることが許されるような価値観のストーリーが多く見られます。
上洛後の信長からの越前朝倉家に対する義昭名での上洛命令に応じないところから信長と朝倉の対決が起きたものでした。
このように出仕=任官すること自体が時の事実上権力者に従属することを受け入れることを意味することから、信長や秀吉政権樹立を認めたくない勢力は当然応じません。
小牧長久手の戦いが長引き、秀吉が徳川とのヘゲモニー争いで勝敗がつきかねている時に、秀吉が関白太政大臣の官位による召集をかけて出仕すれば徳川はその下位につく意思表示になるという、政治駆け引きに徳川が応じたことで豊臣対徳川の抗争が収束しました。
秀吉が人質まで出して徳川との和平をした実態を見て小田原北条氏(後北条)は(徳川と誼を通じていれば・・秀吉政権が弱体と甘く見たのでしょう)出仕命令無視するばかりか総無事例も無視した上で、北条と真田間の沼田城支配をめぐる争いに関して豊臣政権(支配地分割)の裁定により沼田城を受け取りながら、真田側領地に残った真田の枝城(大くるみ城だったか?)を攻めたことが秀吉の怒りを買い、ついに小田原攻め→北条氏照や主な家臣らの切腹と領地全面没収になりました。

大臣の各省公務員任命権(忖度)

事務次官党幹部人事は、法的根拠があるか不明ですが、内閣の政治姿勢統一のために?次官〜局長までの幹部については事前閣議了解が必要の慣例?もあるらしく、次官と意見や?ソリが合わなくとも防衛大臣が一存で更迭できないことが、守屋次官と小池大臣との抗争?確執・政治問題に発展したものでした。
ウイキペデイアの記事からです。

新任の小池百合子(防衛大臣)が、守屋の退官と後任に官房長(警察庁出身)を内定した旨の記事が新聞各紙に報道された。これが相談無しに行われたとして、守屋は反発。騒動の際、小池は守屋の対応に対し「夜に二度、携帯電話に電話したが出ず、折り返し電話があったのが翌日朝であり、危機管理上どうなのか」と批判した[8]。守屋は塩崎恭久(内閣官房長官)に根回しをし、塩崎長官が「小池大臣が手順を誤ったやり方をした」と批判した結果、防衛官僚人事が膠着状態となった。最終的に、事態の早期終結を図りたい安倍晋三(総理)が守屋の退官を発表し、小池・守屋双方の推す事務次官候補をそれぞれ退けて、防衛省生え抜きの増田好平(防衛省人事教育局長)を後任に内定した。

数年前の森・加計学園騒動に際してメデイアは事務官僚の忖度を批判していましたが、民間企業であれ公的組織であれ・トップの示す一定の方向性・・トップが基本方針にとどまらず細目まで全部自分で示すのは不可能ですから・・末端はトップの意を体して・・忖度して基本方針に沿うように現場ごとに具体化していくべきものです。
トップの方針が微に入り細に亘って明瞭化していないと意味不明という社員や部下ばかりでは組織が円滑に回りません。
あるいは意見が違うからといちいち反対方向の行動をする・・上司に楯突くような部下が蔓延るようでは、どんな組織でもうまくいくわけがないので、忖度による行動が嫌ならやめるしかないというのが本来でしょう。
トップが職場の整理整頓、お客様に丁寧対応するようにと言っても各店舗でこれをバカにしてまともに掃除をしないとか、ぞんざいな対応であれば直ちに業績に響きます。
このように見ていくと、なぜ官僚だけ上司の意向を忖度することが許されないという批判をするのか合理的説明が必要でしょう。
末端不祥事も末端にとどまらず、トップの政治責任に響き、民間の場合企業業績に響き、トップの経営責任が生じるようになっているのは、忖度を前提としてこそ整合性があります。
忖度があり末端にトップの意向が浸透しているはずだからこそ、直接指示していなくとも結果責任を引き受けるのがトップのありようです。
トップの決意表明と末端社員や官僚が違う行動をした場合、トップの発表は口先だけで本気でないのではないかと国民に批判され、トップの指導力不足が批判されるのもこのせいでしょう。
このように考えると忖度社会が悪いのではなく、忖度によって行われた事務官僚の行為の違法〜不当そのものを論じ、それについて大臣の監督〜忖度的政治責任があるかを論じるべきだった事になります。
メデイアもそれを言いたかったのでしょうが・・。
裁判官のように、組織意思に関係なく裁判官単独で「法と良心」のみに従う仕組みの「官」と違い、行政組織職員の場合、省大臣や長官の最終決断=外部に表明すれば直ちに効力が発生し政治責任が生じるので、発言前に各方面の調査を尽くして補助すべき役割であって自己意見を押し通すべき権能がない黒子の役割です。
末端不祥事があれば担当大臣の政治責任に響き、民間の場合企業業績に響き、トップの経営責任が生じるようになっているのは、忖度を前提としてこそ整合性があります。
忖度があり末端に大臣の意向が浸透しているはず・べきだからこそ、直接指示していなくとも結果責任を引き受けるのがトップのありようです。
トップの決意表明と末端社員や官僚が違う行動をした場合、トップの発表は口先だけで本気でないのではないかと国民に批判され、トップの指導力不足が批判されるのもこのせいでしょう。
各省職員はトップの最終決断に従いその実行役を担う役割の結果、現に実行した場合の進捗具合や実行して初めてわかる制度設計の不具合や大臣決断に対する現場や施策対象となる関連国民の反応等々の情報を整理して(大臣意向関心にとって有利不利双方を)報告するべきですから、そのためには大臣の政策実現に対する本音・意向を知ることが重要です。
とはいえ、直に下位のものが上位者に対して国民の抵抗がどの程度あってもやる気があるのか質問するのは不躾で無礼ですので、高度な政治判断が奈辺にあるかは忖度するのが合理的で望ましいものです。
ちなみに質問とは、上位者が下位者に「問い質す」ことであって、下位者が上位者に質問するものではありません。
上位者の意向を知りたい時には質問ではなく、お伺いをたてるのですが、「伺い」は「窺う」に通じる意味で気配を感じとる意味を含み下位者の職分でしょう。
ご機嫌伺いとも言い、年賀状などで「お元気ですか?」という問いかけが今でもよく使われますが、日本社会では対等者間でも直接的問いかけをしないのが礼儀で、会話の最初は「今日は良い天気で・・」など婉曲的表現から始まるのが普通です。
さらに言うと「臣」とは、目下の者が目を見開いて上を窺うさまの象形文字らしいですが、特に日本の場合椅子形式でなかったので貴人に御目通りするとき臣下は平服して上段の間にいる主君の表情・発言のニュアンス、前後の雰囲気などを必死に「窺う」能力が欠かせません。
部下は上司一人の気配を感じとれば良いのですが、指導者の方は、一度に多くの部下や聴衆を相手にするので大勢の空気を読む能力が庶民の何倍も必要です。
武家社会で言えば主君としては平服している家臣の表情が見えないし、陪席する他の家臣らもむやみに発言しないのでそれらの意向もわかりにくいので、その場の空気を瞬時に読み取る能力が求められます。
忖度、様子を窺うなどによる気配値?感得能力は、組織あるところ情報交換に必須ではないでしょうか?
国家間で首脳会談や企業トップ間の直接対話の重要性・・言語・文字化できる表現に現れない奥深い意味・信頼関係などを構築するために必須とされているのです。
組織内意思疎通も言語化されたものだけでは足りないことは当然です。