農耕社会時代には、まじめに働かないオスでも必要だったのは、子育て中に外敵から守ったりする役割の外に、古代から明治以降までは(不足分だけを域外から輸入する)自給が基本の社会でしたから、一家一族外からの外貨・・物々交換能力(生活圏から取れる物が違う=気候風土の違う遠くへ出かけて交換して持ち帰るのはメスには無理でした)・・貨幣獲得能力の関係でオスが必要とされて来たので、きめ細かなサービスをしながらオスをおだてていたのです。
現在では刑事システム完備の結果、(特にわが国は治安の良いことで有名です)ガードマンとしてオスが一家に一人いる必要がなくなったことと、自給自足経済から交換経済に切り替わって別世界との物々交換・・外貨・貨幣獲得には男だけが外に出て働き貨幣獲得・・男だけが貨幣を持ち帰る時代から、平成に入って女性も働きに出て自分で貨幣を獲得出来るようになった上に買い物がネットで足りる時代・・いろんな分野でオス不要になって来ました。
こうなるとオスの主たる役割は精子供給者としての役割に限定されて来ます。
この分野でも子孫獲得には凍結精子で足りる時代が来て、オスはメスと同じ数だけ必要のない時代が来るかもしれません。
牛等家畜はずっと前から、こうした役割に限定されていますが、これは人間がすべての分野で代行していて敵からの防衛も餌の獲得=貨幣獲得能力も全く関係がなくなっているからです。
人間も妊娠段階で男女の区別がつく時代ですから、出産前に選別されてオス一匹にメス100〜1000匹の関係になれば、めでたく出産にまで漕ぎ着けたオスは超エリートですから、生まれた以上はオスは持てますよ〜!
こういう時代が来れば、性行為自体と快楽をセットにする必要性がなくなりますので、動物として仕組まれた性に伴う快楽本能も減退して行き、男女ともに性行為に淡白になってくるのは自然の流れです。
話を婚姻外性行為に戻しますと、結婚している女性(売春婦を除いて)の婚姻外性行為は従来すべて不倫(倫理に反する行為)とされていましたが、今でも男性が売春婦と性行為をするのを不倫とは言わず(妻は穢らわしいとは言いますが・・・)、素人とあるいは水商売女性とでも特殊な関係(無償での行為)になると不倫というのは信頼関係の基礎に男女の違いがあるからです。
女性の経済力が向上し・・仮に男女半々の経費分担になっても、夫婦2人の収入で生活するようになっているので、夫が収入を入れなくなると女性だけの収入で子供を育てるには不足しますので、(住宅ローンも払えなくなるでしょう)子供のいる女性にとっては夫の不貞行為・・ペアーの解体リスクが気になる点は変わりません。
ただし、ここでは夫婦それぞれに数千万円以上の収入のある特殊な人たちをここで書いているのではなく、普通に多くある共働きを対象にしています。
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軽い異性関係
男性同士でも敵か味方かしかないのではなく、敵でもなければ味方でもないけれども必要に応じて会釈するだけで気持ちがいいものです。
街を綺麗にすれば歩いている人も気持ちが良いものですが、これと同じで、自分は最早子供を産まないからと言うだけで異性を無視して身じまいを綺麗にしないでハシタナク大声で騒いで良いものではありません。
これからの異性関係は、子を産むためとする目的が背景に退いたとしても(それがなくなればゼロになるのではなく)もっと軽い関係が中心になって行くと言うべきです。
実際、今では女性の社会進出によって、どこの分野でも仕事関係で多数の女性と接している筈ですが、そのときには子を生む性・性行為相手として意識してはいません。
このような軽い異性関係は、子育ての終わった中高年世代にとどまらず職場の独身男女・・未婚の若者達にも広がって行く気配です。
若手男性も草食系化してくると性欲が減退しているのでどうせなら同性の方が好みも合うし・・・結婚可能性もないのにお金を一方的に負担しなくて済むし・・となって来ている可能性があります。
これからは男女間賃金格差がなくなって行くとすれば、交際費負担は割り勘しかないでしょうが、まだそこまで割り切りきれないので、却ってデートを阻害している面があるかもしれません。
製造業中心時代には、男性の方が就業機会が多く、平均収入も女性よりも高かったのですが、医療・介護関連の発達でむしろ女性の方が就職機会が多くなって国全体の若者関平均では女性の方が失業率が少なくなって行く傾向・・収入平均でみると多くなる傾向です。
製造業現場でも機械化が進みその監視・管理業務中心になると、女性の方が向いているようになっています。
千葉の街を歩いているとよその都府県に比べて若者の比率が圧倒的に多いのですが、大多数が女性同士・男性同士で歩いていて、(男女の組み合わせもありますが職場から駅まで一緒に歩く程度です)男女カップルはごく少数です。
少子化対策等、言うだけは声が大きいですが、その前段階のカップルで歩く人が少なくなっ
ている現状からして、これを何とかしない限り少子化が進む一方でしょう。
(ただし、私は人類全体のために少子化は長期的には良いことだと思っていますが・・・)
農耕社会時代同様に再び女性労働に支えられる社会になると、女性は基本的に勤勉ですから仕事内容・時間がきっちりして来て、生産性がかなり上がるでしょうから、女性労働力率を早く高めた国から順に国際競争力が高まっていくように思われます。
そうなると、これまでのように男性は適当な息抜きが出来なくなって来るか、「男の人はだめよね〜っ」と言われながら可愛がって貰うしかないかも知れません。
可愛がって貰うには、絶対量が少なく希少品種になるのが合理的です。
これからの異性関係
自分の結婚相手探しに関係のない世間に向かってまで、いつも慎ましやかにしていないといざと言う時に結婚話が来なくなると言う心配がなくなる中高年では、傍若無人・・これが一時はやったオバタリアンの基本的精神行動と言えるでしょうか?
疑問形にしたのは、彼女達は年甲斐もなく異性を気にしているのが恥ずかしいので、あえて逆ばりで大声で話したりして見栄を張っていたのかもしれないと思うからです。
「冬のソナタ」の追っかけも、この心理・・疑似恋愛発露の一端でしょう。
子を生む・性行為と関係がなくなれば、異性の目を気にしないでいいのかとなるとそれはまた別問題です。
異性関係は古代の性行為=子を産む直接的関係から、オスの子育て協力の必要のためにメスが恒常的発情期に変化したときから、子を産む目的がないどころか生まれたら困る性関係の方が比率では圧倒的に多くなっていたのです。
(仮に子育て期間の20〜30年間のセックスの度に子供が生まれるのを放置すると、一人の女性の生む子の数は膨大な数に上ってしまいます)
そこで避妊方法の工夫が人類・女性の発情期が恒常化し始めるとともに始まった筈です。
この避妊方法の工夫が未発達の間、必要以上に妊娠してしまった解決策が堕胎ですし、堕胎出来ずに生まれてしまった子の始末に困ったのが間引きの横行でした。
昭和50年代に盛んとなった中ピ連等による女性活動家による中絶行為の公認やピル解禁運動の目的は、性行為と妊娠の完全切り離しを目的で行き着いた究極の主張であったと言えます。
妊娠リスクを取り払おうとする方向性は、古代において女性の発情期恒常化への切り替えとともに発生する副産物的・一種の病理現象の除去ですから、克服しなければならない・いわば副産物を生み出さない解決策として古代から努力されて来た人類の大テーマです。
子育て協力・家庭制度の発達の前提として女性発情期恒常化を必要なものであると肯定する以上は、ここから生ずる無益な妊娠を防ぎ、中絶の合理化を図る努力それ自体一貫した方向性であり、これに反対するのは理解出来ません。
性行為と妊娠の切り離しを禁止し、中絶や避妊に反対するのは女性の性欲=発情期恒常化に反対する以外にその意義が見いだせませんので、いわば男性が育児に協力しなくて良いとする主張まで含まないと一貫しません。
こうした長年のたゆまざる努力の結果、(と言うよりもコンドーム等の発達は科学技術発達の結果でしょう)今では避妊が完全化していますので、性行為は完全に子を産む行為と切り離す気になれば切り離せる時代となりました。
今でも従来型の節操堅固な女性から始まってフリーセックス化している段階まで人によって意識は違うでしょうが、次第に軽くなって来ていることは確かです。
こうなってくると性行為自体に必要以上に重きを置く意識も薄れて来ますので、異性関係も性行為自体を目的にするのではなく、単に一緒に行動するだけで同性といるより楽しいと言う関係があっておかしくありません。
デパートや各種商店で、あるいは風俗系遊び場で異性からニッコリ応対される程度で嬉しくなるものです。
婚姻制度の崩壊
しかし、放浪を本来とするオスの行動として見直せば、手厚いサービスを受けられるので、嬉しくなって家に帰って来ていたのであって、自分がサービスをするためにオスが家に帰るのではありません。
長い時代を経てオスにとってこのサービスを受けるのが必須のように刷り込まれて来たので、多くの男性だけでなくその裏返しで女性もなお、「ひとりで食べるのはわびしい」とか言って、結婚願望は簡単にはなくならないでしょう。
一人では寂しいとしても、それの解消策としては結婚にこだわる理由がありませんから、これに代わる人間関係が発達してくる筈です。
適齢期男性にとっては、両親が健在で面倒見てくれているので家庭サービスに不自由がありませんし、その他多様な交際の仕方が広がって来ますから、今のところ、重たい結婚関係に入るのをためらってデート相手くらいで済ましたい人が増えて来て、それ以上に進みたくない男性が多くなって来ているようです。
これからは、男女ともに異性とつきあう・・デートする必要性すら感じない人が増えて来ているような感触です。
女性は性関係に進む・・子供を産み育てるためにこそ、デート時期から男性に対して下手に出てニッコリ微笑むメリットがあるのですが、どうせ性関係に進んでも相手が子を産みたくないとするならば、そこまでサービスする必要性がありません。
デートしていても、腰が引けた関係になりがちです。
それでも、今のところ女性が下手に出る習慣が残っているので、子を産む方向へ進む訳でもないのにデートするには気を使うしかないのですが、そんなことならば女性同士で遊んでいる方が自分だけ一方的なサービスしなくて良い対等な関係で済みます。
今では御馳走してしてくれなくとも自前の収入もあるし・・・気楽で良いと言う人が多くなるでしょう。
現に中高年では、独身既婚者を問わず女性同士のグループでの旅行・食事会・観劇その他が盛んですが、もはや異性と食事等をして気を使っても、もう一度子育てのチャンスもないから無駄なことだと割り切っているからではないでしょうか?
夫以外の異性との交際をしなくとも夫婦で楽しめば良いのですが、子育て期間中に嫌っと言うほどサービスをしているのでこれ以上のサービスは御免ですと言う人(熟年離婚予備軍)の集まりでもあるかも知れません。
若い女性も外食費や旅費の負担は自分で出来る経済力を持っている時代ですし、しかも結婚を前提にしないとなれば同性以上に気を使わねばならない男性と一緒に行動したくなくなるでしょう。
とは言うものの私にはよくわからないのですが、別に結婚予定がなくとも・・生殖能力が衰えても異性と一緒にいるだけで楽しい人が多いと思いますが、それは優しくサービスを受けるメリットのある男だけのことでしょうか?
別にサービス受ける予定のない行くずりの女性・・同じ電車に乗り合わせた時にどこの誰か分らないし、今後二度と合うことがないと思えても美人・チャーミングな人がいると、ついそちらに目が向くものですが・・これは何によるのでしょう?
将来どんなチャンスがあるかもしれないので、万一の可能性に掛けて念のために目に入れておこうとするオスの本能が残っているだけでしょうか?
女性の気持ちはよく分りませんが、男性同様に結婚していても異性(特にイケメン)がいれば気になるのは同じではないでしょうか?
女性だって、もしもの場合があり得るのは同じですので、結婚していてもあるいは子育てが終わっていてもいつも淑やかそうにして注目を集めておく必要を感じているのでしょう。
女性にとっては、異性を大事にするのは何万年もの時間をかけて種の継続のために植え付けられた習慣にすぎないのであって、種の継続・結婚と関係がなくなれば、男性にサービスする習慣・・控えめで優しい物腰態度はメッキのはげるように雲散霧消して行くものかもしれません。
個性喪失と家庭
手前味噌と言う言葉がありますが、どんな味でも慣れ親しむとその味が良くなるものです。
おふくろの味と言うのも同じで、家庭ごとに手作りの時代であってこそ家庭の個性・独自性が生まれ、女性の個性も発揮出来たのですが、レトルトフードや中食、外食になってくると、家庭の味・独自性が弱まって来ます。
家風・・家の文化継承と言う言葉が最近死語になったのは、こうした結果です。
男女対等に家を空けて働ける社会になると言うことは取りも直さず、古代から続いた奥さんが作り上げる家風・家独自の文化形成力が薄まってしまう社会です。
家庭機能・家庭の味・個性・・ひいては個々人の個性の重要性が、減少して行く社会と言うことでしょう。
住む家の形も大型マンションが増えて画一化し、一戸建ても建て売りやハウスメーカの規格品が多くなると、中に住む人の心の有り様も影響を受けます。
家庭サービスがその女性でしか出せない個性に頼らなくなってくると、オスの方も家で食べたりその他のサービスを受けるメリットが少なくなって行きます。
夫の方も、(動物のオスとしては元々子供に関心がないので)くたびれて帰ってから、家事サービスを何故やる必要があるか?と疑問に思うようになるので、(出来合いの食品を買って帰り家で一緒に食べるだけなら、家で食べるメリットもないし)お互いに家庭が重荷になってくる時代が来るでしょう。
多くの友人知人と幅広く交際し、その時々に合わせて相手を変えて一緒に遊び、盛り上がるのと特定女性とだけ毎日一緒に食事したり映画見たり、旅行したりするのとどちらが良いかの問題ですが、特定女性と一緒になってもみんなと遊ぶ程度を超えて内容が深化・濃密にならないと意味がありません。
せっかく一緒になっても内容の深化がなく友人時代と同じ程度ならば、(人が人との触れ合いなしに生きて行けないとしても)多くの友人知人との関係を大事にして薄く広く関係を持てた方が合理的な時代になるかも知れません。
結婚しても」どうせレトルトフードばかりで、遊ぶと言っても友人知人時代の遊びのときと変わり映えしない程度なら、その時々で好みの合う友達と一緒に逢ってる方が楽しいことになります。
その上、オスの両親も長寿化の結果ぴんぴんしているので、妻がいなくとも実家で家族団らんの食事をしたければ両親と出来ますし、洗濯や掃除もみんな親がやってくれています。
(2)夫婦制度の将来
これからは、子育てや介護費用は(税で取って)社会全体で見る・・古代氏族社会の拡大判に戻っていくと、オスとメスは対(つがい)である必要のない社会になって行くのかもしれません。
社会全体で子供や老親の面倒を見る社会に近づけば近づくほど、公的負担割合が大きくなり個人が自分で使えるお金や時間・自由部分=個性が少なくなって行きます。
勿論税・公的保険等の割合いが増えることは、夫の経済負担の恩恵比率が下がると言うことです。
自前主義・・自給時代には地域共通項が数%で残り90%以上が家庭のやり方と言う時代から、公的=共通部分の比率が上がり、家庭・・独自性の占める比率が逆の数%に下がってくると、(家庭教育と言っても今や公教育の準備・・下請け中心です)自分の家庭もよその家庭も皆同じ・・となってくると自分の家庭を持つことにこだわる意味が乏しくなります。
この辺は基礎的生活費一律支給システムの構想(これは理念論であって直ちにそうなると言う意味ではありません)に関連して(本当は今年5月頃に書く予定でしたが先送りになっています・・忘れなければ)もう一度書きます。
古代から、動物としてのオスにとっては時々セックス出来れば良いのであって、元々重たい夫婦・・終身雇用的関係になる必要性がなかったのです。
それが終身制・・婚姻しない限りセックスは許されないとする道徳が生まれて、(中国の「姦」の定義です)縛られていたのですが、女性が子育てから解放されてくると、これに比例して男性も解放される関係です。
子育て協力関係が始まってから、3000年前後もかかったでしょうから、この間に夫婦関係を長持ちさせる工夫として性行為以外のいろんなサービスが発達して来ました。
男女人的サービス関係のバランスで見れば、(男子は経済面の負担をして女性は人的サービスの分業ですから)圧倒的に女性の方が、負担が大きいのが現状でしょう。
女性が多めの人的サービス負担をして来たのは、子育てに対してオスの長期経済協力を得るために長年かけて形成して来た結果ですが、子育てに個別的オスの経済協力が大きな意味を持たなくなってくると・・あるいは元々結婚する気がなくてデートするだけのオスに対して何故、へりくだった一方的サービスしなければならないか?となって来ます。
これが、夫に対する家事育児協力要求に繋がって来たし、若い男性の方も経済力にかげりがある実態を反映して家事育児に協力的な人が増えました。