政府と国民の分断作戦(日本人の一体感)1

占領軍が決めた戦犯処刑が、百歩譲って仮に国際正義にかなっていたとしても、日本人にとっては、戦犯にされた彼らは日本人を代表して処刑されたと思っていますので、外国人がいつまでも彼らを貶めることは、同胞意識の強い日本人には耐えられません。
戦いに敗れたとは言え、良く戦った敵将に対する尊敬の念を表すのが我が国の武士道であり、負けた方を貶めることは恥ずかしいこととされています。
アメリカによる占領初期の人民と政府を区分して対立させようとしていた戦略は、実態に合わないと分って直ぐに方向転換されました。
(アメリカとしては、人民と権力者の分離手法による戦犯裁判は、原爆投下同様の戦略ミスだったことになりますが、やってしまったことで歴史から抹殺することが出来ませんので、日本人に早く忘れて欲しい・・早く風化を進めてほしい事件になっているはずです。)
靖国参拝の盛り上がりは、アメリカの戦後処理に対する批判イコールですから、一番刺激を受ける筈の米国がだんまりで全く触れないようにしていることからも、上記方針転換は明らかです。)
折角張本人のアメリカが一日も早い風化を期待しているのに、これを許さないために日本人の被害感情をしょっ中刺激するために頑張っているのが中韓両政府となります。
中韓両政府は、間断なく靖国問題や慰安婦問題、南京虐殺問題を盛り上げることによって、無関心日本人の多くに問題の所在を明らかにして、アメリカ批判・・アメリカの戦争責任追及機運を盛り上げるために一役買っていることになります。
中韓による日米離間の策と言えますが、アメリカのとるべき道は知らんぷりをするのではなく、あっさりと原爆投下やアメリカの焼夷弾攻撃等の残虐性を自己批判しアメリカの方が酷いことをして来たから、戦犯裁判は120%誤りでしたと素直に謝罪すれば済むことです。
何回も書いているように、日本人は相手が非を認めて潔く謝れば、どんな被害を受けて来た相手でも文句を言わずに許す懐の深い民族です。
相手が謝ったからと言って、際限なく相手民族を非難したり、報復する権利があると主張し続けるような汚い民族ではありません。
そうする智恵によって、列島内ではいつまでも反目しないで一体感を持ってやって来られたのです。
アメリカは自分の幼稚な単純思考レベル・・やられた以上は報復する論理・・価値観を基準に考えるから、もしも謝ると日本からのアメリカに対する核報復をする権利があると言う論理展開を極度に恐れていることは周知のとおりです。
自分が占領中であるにもかかわらず、戦後ずっと日本による報復を恐れて世界最大の仮想敵国にして来たことは暗黙の世界了解事項になっています。
このためにアメリカは日本に対していつまでも・マトモな再軍備を認めないでアメリカ軍のくびきの元にいつまでもおいて来た・・日本の強大化を恐れている論理そのものが、アメリカが自分のレベル・・やられたことはやり返す権利があると言う低レベルな思考しか出来ない証左です。
アメリカが潔く謝らないし日本の報復を恐れているから、中韓両国は安心して日本批判が出来るのですが、靖国問題を中韓が批判するたびに日本民族を憤激させ、ひいてはアメリカの戦争犯罪こそ、酷かったのではないかと言う追及機運が盛り上がってくる最悪の展開になっています。
靖国批判が繰り返される都度、必然的にアメリカの行なった残虐行為を掘り起こすことに連なり、これが繰り返されるうちに報復感情が生まれて来る危険水域が上がって行きます。
元々日本民族は古代縄文〜弥生混交時代から相手が非を認めれば許して来た民族ですし、アメリカが非を認めて謝る・・即ち戦争で言えば降伏した状態になれば、捕虜を虐待出来ないのと同様に日本は腹が立っていても、謝ってきた以上は許すしかありませんし、それが出来る民族です。

母子一体感7

夫婦関係のあり方に関してムラ社会の相互扶助問題からムラ・・古代の地方組織に入ってしまい、大分それていましたがApril 24, 2011「夫の養育義務1」の続きに戻ります。
母子一体感については、04/07/10「母子一体感6(父子の絆2)」まで連載していますので、今回はそれに続く「その7」になります。
出産の外注化によって出産者の父母や夫は、(誰が病気になってもそうですが・・親族は)今ではそのときだけ顔見せする見舞い客的関係になりました。
一人や一家で手に負えない大変なこと柄がすべて、家族や親族あるいは近隣中で応援していた出産・子育て・医療や介助行為・葬儀等すべて外注化されて来ていると言えます。
自宅新築の場合でも同じで、私の子供の頃には自宅新築普請の場合、棟上げの時には多くの人手がいるので、村中の人が集まって手伝い、棟上げが終わると餅を投げる習慣でした。
これ等も今では、上棟式と言う儀式と化してしまい、立ち上げ組み立てるのは業者がすべて行い、(クレーンの発達で特別に人手が必要ではなくなりました)近所の人が手伝いに出るどころか今では施主でさえただ見ているだけで、一とおり終わると業者にお酒を振る舞うだけです。
ただし・・ここ数十年では、飲酒運転禁止の徹底でお酒も出さなくなりましたので、もしかしたら一升瓶を持ち帰るようになっているのでしょう。
大きな行事に留まらず日常生活の場面でも、何種類もの総菜を一人では作れなかったのですが、今や何種類でも総菜を買って来て並べるだけですし、おむつも使い捨てになっておむつの洗濯や干して畳むなどの仕事も皆無になりました。
(勿論「母さんが夜なべをして子供の手袋を編んでくれた・・・」などの歌の場面は、昭和30年代後半に幼児期を懐かしんで流行った歌ですから、当時物をいくらでも買える時代に入っていて既に消えてなくなっていた母の仕事なので、懐旧の情で歌がはやったのです。)
女性の家事育児は、時の経過に連れて即物的業務(炊事洗濯掃除)が背景に退き夫や子供との(おむつの取り替えや授乳やおんぶにだっこ・健康管理と教育)心理的密着行動・心情の共有が中心になって来ました。
心理的密着中心であれば、心理的葛藤・不安も深まります。
出産前後の母子の保護、出産に向けた保健指導や援助・育児相談など子育ての社会化も始まりますが、当初から完全とは行きませんので育児の社会化が完成するまでは家庭内の母親一人の心理的負担・ストレスが大き過ぎるので、父親の育児参加のスローガンが必要となったと思われます。
父親も子の親だと強調して、親である以上子育てに参加しなければならないとなり、その延長として離婚しても親子であることは変わらないのだから子を養育する義務があるとする思想が普及しました。
しかし、動物的感覚では女性の方ではまだ自分(だけ)の子とする感覚が強いし、我が国では男女ともにまだしっくりしていません。
この辺は国際的には大分違っているようですが、今年中にもしかしたら子供の連れ去りに関する国際条約(ハーグ条約)を我が国も批准する方向に動きそうです。
この条約は、夫婦共同生活をしていた子供のいた国や地域から一方の親が一方的に連れ去ることを禁止する条約で、刑事処分の対象になります。
わが国では子供は母親のものと言う意識が強く、離婚騒動に際して一方的に母親が実家に連れ出すのは当然の権利(男がどこかへ連れ出せば簡単に人身保護令状の対象ですが・・・)ように思われていますが、今や国際常識(もしかして欧米だけ?)ではそんな勝手なことは許されない時代になりつつあります。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC