米国占領政策2→乱闘国会

イラク侵攻の際にありもしない大量殺戮兵器を主張して正当性強調したのと同じレトリックで米国政府は対日戦争正当性を訴えるため奴隷状態にある朝鮮民族の解放戦争という宣伝を行ってきたのです。
西欧の植民地との比較では格段の厚遇でしたし、朝鮮神自身が自発的に対米戦に参加していたのです。
例えば以下の通りです。
https://cocolo-journal.com/archives/14333#toc4

朝鮮半島では、大日本帝国陸軍が清国軍を打ち破ったときの「軍旗」が旭日旗だったため、
中国から朝鮮独立を認めさせた“象徴旗”として称えられていました。
『アサヒグラフ』1938年10月19日号の朝鮮人特別志願兵の特集ページでは、
旭日旗を掲げて行進する4300名の「朝鮮聯合青年団」の写真が掲載されています。
当時、朝鮮人にとって50倍前後の倍率の志願兵に選抜されることは、大変な名誉でした。
志願兵に採用されなかった全朝鮮の若者15万人は「朝鮮聯合青年団」を組織しました。

こんな欧米植民地があったでしょうか?
このような偏った刷り込みを前提に朝鮮半島に上陸し、占領政策を遂行するにあたっては必然的に日本統治実績をけなし、良い面を米軍支配の実績にすり替えるしかなかったでしょう。
これが戦後朝鮮人の反日意識形成→反日運動の源流です。
慰安婦問題の具体的証言では、ジープに乗せられ、ドラム缶がどうのなど米軍支配下の出来事だったことが明白になっていますが、それでもこれが日本軍の悪事として世界に流布されてきました。
米軍に対する不満であれ、自国政府に対する不満であれ、韓国国民は反日を唱えれば全て許されるように思い込んで70年以上経過したことになります。
ところで26日にヤルタ会談の一部を紹介したように米国や連合軍軍自体、日本軍・日本政府要員撤退後、朝鮮民族による自主政府樹立までの手助け・・いわゆる自立にまだ無理のある民族としての国際評価を前提に米国が太平洋諸島の信託統治領同様に保護者になる・・国連概念の信託統治としての関与予定でした。
一人前になるまでの短期占領政治の予定が、朝鮮戦争勃発→休戦状態で固定されてしまったので国連軍としての米軍駐留が今に至るまで続いている結果、長期的に米国宣伝(日本統治配が如何にひどかったかの刷り込み教育)の直接的影響下におかれました。
74年といえば2世代以上に渡って日本人がいかに人道上ひどいことを朝鮮人に対して行ってきたか、道徳のない民族であるかの虚偽教育を生まれたときから受け続けてきたのですから、おそるべき隣国が誕生していることになります。
昭和60年大頃まであっ本当のことを知っている世代がいたので、学校教育や目でアイデアが煽っても親世代は冷めたところがありましたが、平成に入ると、日本統治を経験した世代がいなくなり、学校教育やメデイアの流し続ける反日宣伝を盲目的に受け入れる・・日本を憎む世代ばかりになってきたようです。
これが慰安婦その他何でもでっち上げては「そのくらいの仕返しをしないと気がすまない」という気分になってきた素地ではないでしょうか?
朝鮮半島の南半分・大韓民国は建国以来米国の唱える大戦の大義?に縛られて日本支配の道義否定を国是のようにして始まった結果、占領政治では日本支配時代との違いを鮮明にするためにもっと目に見える改革・成果が必要となりました。
日本の統治方法はいきなりの制度変更ではなく、教育制度の一般化によってヤンパンの特別権力維持の源泉・・ヤンパンの文化独占を打破してヤンパンの文化的優位性を崩していったのですが、米国はもともとこういうじっくりした政治は苦手である上に、対日戦争の名分として日本の朝鮮統治を批判して来た手前、早期に目に見える成果が必要でした。
そこで(今の投資ファンド同様に短期成果を求める傾向がもともとある上に)日本を戦争に引きずり込んだ戦争の正しさを証明するためにもドラスチックな改革の必要性があり、地道な時間のかかる自発的発展を待ってられなくなり、結果的に強権的改革が多くなった・韓国国会では何か法案を通すためには、日常的に乱闘→強行採決になっていった原因の一つと思われます。
https://www.sankei.com/politics/news/150629/plt1506290039-n1.html

世界を震撼させてきた韓国・武闘派国会。ただここ数年は、暴力沙汰はほとんど沈静化している。
実は「国会先進化法」と呼ばれる法律が2012年5月に成立している。時期的には、先に紹介した「催涙弾事件」の後ということになる。
法律では「与野党間で意見の食い違いがある法案を本会議に上程する場合、在籍議員の5分の3以上が賛成しなければならない」と規定されている。乱闘につながりがちな対決法案の緊急上程、強行採決を防ぐ措置なのだろう。
ただ、暴力こそは影を潜めたものの、あまりに高いハードルであるため、今度は肝心の法案処理がままならなくなった。2014年の7月国会で法案処理にいたった案件はゼロ。続く9月国会で90本余りの法案を一気に成立させるという荒業を繰り出さざるを得なかった。

上記のように乱闘国会が常態化していたので今度5分の3の特別多数制度にするしかなかったので、そうしてみるとどんな法案も通らなくなったというのですから、ほぼ漫画状態です。
工場のように先進設備を導入すれば、ちょっと機械操作を練習すればすぐに製品になって出てくるのとは違って、社会制度というのは制度・器だけは真似できても運営は人民の能力次第です。
国会も労組も同じ人民の能力にかかるものですから、乱闘国会同様に韓国では労働運動の激しさも有名ですが、韓国社会は何事も妥協して決めていく経験がないまま現在に至っている状態です。
民主社会では労組のあり方も重要な要素です。
韓国労働運動については報道を通じたイメージしか知らなかったのですが、ネットでは以下の論説が出ていますのでこれを明日以降一部引用して行きます。
以下紹介する韓国の激しすぎる労働争議関連の論考には米占領軍は占領当初政策方針として「1945年10月30日に軍政法令第19号の国家緊急事態宣言の中で『過去40年間存続してきた絶対的奴隷状態から労働者を救出しなければならない』と強調し」

たと紹介されています。

カイロ宣言と米国朝鮮政策1(日本道義否定)

朝鮮半島の北半分がソ連圏に入ったので北の朝鮮人は、古代価値観を基本にして生きているソ連・ロシア民族支配をすんなり受け入れて安心したでしょうが、日々食うのに忙しい・・人口の90%以上を占める庶民にとって政治意見を言えないことや表現の自由の制限など日常何の不自由も感じないことを24〜25日に書いてきました。
表現の自由にこだわる芸術家でも普通の芸術活動である限り・同時代の緊迫した時代精神気分を表しているなどの評価を後世に受けるとしても、その程度のことで表現が規制されるとは考えにくく、99、99%の芸術家は政治などに関係なく、創作活動を自由にできてきたと思われます。
明治以降の漱石、島崎藤村の詩集などの文壇、日本画に表現の自由による制約を見る人は少ないでしょう。
江戸時代に世界に冠たる文化発達繚乱したのは、西洋近代の権力分立・人権思想の有無と関係なかったのです。
そもそも芸術家自体人口の1%もいないでしょう。
アメリカ占領下に入った南半分(現韓国)は、微温的な日本統治という緩衝装置がなくなり欧米価値観ストレートな政治文化の浸透に見舞われたことになります。
米国の中南米、南ベトナムその他各地支配・指導は、現地民族ごとの微妙な気持ちの汲み取り能力に欠けた・いわゆる投票箱民主主義・あんちょこな民主主義の押し付けが国情に合わない結果、多くの国で失敗の連続でした。
米国の対日戦争の大義として朝鮮民族の日本隷属からの解放を宣伝してきた米国としては、朝鮮占領政策では日本が進めていた以上の急速な近代化を目ざす必要に迫られていたことは、推測に難くありません。
朝鮮族の対日不満の源泉は旧特権階層の権益剥奪と教育の機会均等・四民平等・を徹底すれば国民大多数のストレス社会化が進みます。
自由競争社会化すればするほど、底辺層の方が富士の裾野のように最大多数になるのが原理です。
日本の場合文明開化によって新たな職域が量産され、失業した武士の多くを吸収しましたし、産業構造変化までひと世代程度の期間余裕があったので、紡績〜繊維から家電組み立てなどの構造変化も1世代以上の時間軸があり次世代がうまく適応できてきました。
新興国の場合工場設備丸ごと導入パターンですから、最新技術導入があんちょこな分に比例して産業構造・主役が変わって行く構造変化が5〜6年サイクルでくるので、日本に追いつくスピードは自慢でしょうが、それに比例してどんどん振り落とされ置いていかれる人が増えてストレス過多社会になって行きます。
ルーズベルト政権は対日開戦の大義名分として日本の朝鮮人民に対する過酷な植民地支配〜中国での南京虐殺などを国内外で大宣伝してきました。
対日開戦を奴隷状態にある悲惨な朝鮮人民解放戦と位置付けてきたのです。
フセインが大量破壊兵器を隠していると称してイラク侵攻を正当化したのと同じ手口です。
競争社会に対する不満を吸収する方向で米軍支配による「日本支配がひどかった」という反日宣伝が不満に火をつける形で、ガス抜きしていく効果を発揮していたと思われます。
アメリカの対日プロパガンダの公式記録がカイロ宣言に出ています。
1943年に出された連合国のカイロ宣言の一部・対朝鮮関連部分のみ紹介します。
カイロ宣言に関するウイキペデイアの記事からです。

対日方針を協議するため1943年(昭和18年)11月22日からエジプトのカイロで開催されたフランクリン・ルーズベルト米大統領、ウィンストン・チャーチル英首相、蒋介石国民政府主席による首脳会談を受けて、12月1日に発表された「カイロ宣言」。
以下はカイロ宣言の日本語訳[1]。
「ローズヴェルト」大統領、蒋介石大元帥及「チャーチル」総理大臣ハ、各自ノ軍事及外交顧問ト共ニ北「アフリカ」ニ於テ会議ヲ終了シ左ノ一般的声明ヲ発セラレタリ。
各軍事使節ハ日本国ニ対スル将来ノ軍事行動ヲ協定セリ。
日本国ハ又暴力及貧慾ニ依リ日本国ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルヘシ
前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス

訴訟と日本文化批判9(スマートだったGPS訴訟)

GPS判例のときだったか?でちょっと書きましたが、逃走犯人が昔のように空き地を突っ切って逃げたならそのまま追いかければいいのですが、住宅街敷地を突っ切って反対側の路地に出て逃げた場合、追跡中の警官が他人の住宅敷地に侵入できないので、ぐるっと迂回して裏側の路地に行き着くしかないような滑稽な事態になります。
この最たる事例が車社会化の変容です。
例えば15〜20年前に担当した事件では、一晩のうちに夕方はまだ帰宅しない共働き夫婦のいる新興住宅街・・千葉県佐原〜茨城県内で何件か空き巣をして(犯人の説明では日暮れどきに新興住宅街を回って電気のついていない家を狙えばいいので物色する手間がいらないということらしいです・・その後深夜に長野県で、ガソリンスタンドのドアーを破って侵入盗をした事件を担当したことがあります。
今は見張りといってもその家の前で見張っているのではなく、見通しの良いところ(分譲住宅は道路整備されているので割と遠くからその路地に入る車や人を発見できるのと携帯やメールで連絡できるので安全地帯に車を止めて見張っているようです)実行犯は侵入するとまず裏口のドアを開けて、連絡があると一旦裏口から出てこの家の住人が帰ってきたのか窺うようです。
通行人がその家を通り過ぎると侵入し直して金目のものを探して遁走するのを繰り返し、6時半前後になると勤め人が帰ってくるリスクが高くなるので空き巣侵入を切り上げて、今度は夜遅く閉店後の商店を狙うために長野県まで移動して店舗荒らしをしていた事件です。
近隣住宅街で繰り返すと足がつきやすいので、毎回数十キロ離れた住宅街を狙って広域移動する犯罪集団の場合、警察が千葉県や茨城県の被害住宅街付近(自転車圏程度)の素行不良者など聞き込みしているようではとても間に合いません。
佐原署管轄だったか?地元警察だけでの捜査能力を超えています。
GPS事件も窃盗集団の移動把握のために警察が窃盗集団と目星をつけた車にGPSを装着してその運行記録をもとに検挙した事件で捜査の違法性が問題になった事件だった記憶です。
車による長距離移動が一般化すると、犯罪も広域化するので地元素行不良者に目星つける方法や、江戸時代のように尾行や追跡は不可能になっているのですが、GPSがあれば過去どころかリアルタイムで移動経路が一目で判明します。
どこで一定時間停止していたかなど犯行場所との関連づけもおおよその推定可能ですので、連続空き巣犯など犯罪集団の特定絞り込みに有益ですし、一定の場所で停車している場合現行犯逮捕準備としては効力を発揮します。
GPS事件はGPSを無断で取りつけたことが問題になったのですが、あらかじめ捜査目的を説明して取り付け承諾を得るなどは不可能な分野です。
離婚事件等での浮気調査などにGPS利用が一般的に行われているのですが、法理論説明は別として、結果から見ると私益追求のためには問題がなく、(私人間行為なのでそれ自体を問題にする事例に発展しないだけ?のことですが)公益実現の最たる分野である犯罪捜査に使ってはいけないジレンマです。
長年の歴史的慣習で私益実現のためには許されない行為でも、お上がやるときは民間向けのがんじがらめの規則などお構いなしに超法規的にできるかのような無意識的思い込みがまだ強いのが現状でしょう。
この象徴的法諺は、国王の無答責という言葉でしょうか?
国王は、何をしてもも刑事責任を問われないという制度で、現在も王制国では、法律上そう運用されていると思います。
我が国でも天皇は無答責と言われ内閣が天皇の行為について責任を負う仕組みです。
こういう意識からすれば、私益実現の為の違法行為は相手さえ事件化しなければ有耶無耶→違法行為責任を滅多に問われないのに、公権力行使の時だけ違法とされりのはおかしいという印象を持つのでしょう。
民主社会になって、警官になれば好きにしょっぴけるのではなく裁判官発行の令状を示してから出ないと逮捕や家宅捜索できないように、私人には許されない行為が公権力の行使としては許されるものの、その行使には厳しい条件がつくようになっています。
GPSや防犯カメラ等の設置には、新しい分野なのでこの種の条件整備が進んでいない・法定権限が整備されていない・・法不備の問題です。
公権力行使のためには一般人が許されない行為ができる場合が多いのは、予め一定の場合に限り許容されることが法定されているからです。
パトカーが赤色灯をつけてサイレンを鳴らして追跡する時には信号やスピード規制等を守らなくとも良いことになっているように、法制化を工夫すれば良いことでしょう。
とは言え、犯罪容疑にかかわらず誰彼なく個人の車にGPS装置を無断で取り付けて良いという法律ができるとは思えませんし、やるとすればGPS装置装着車しか運行してはならないと義務付けるしかないのでしょうか?
文字通り中国の監視社会の一部実現ですが、これも記録保存義務までは何とかなっても事故事件発生前にどういう根拠で「見せろ」と言えるかですし、「リアルタイムで見せろ」となればなおさら無理そうです。
警察が事件後全容解明のために記録の押収をして調査するのはできるでしょうが(飛行機事故ではボイスレコーダーの解明が普通です)このグループが連続亜skいうあっhライ糸井だけで検挙できる証拠がないから追尾して現行犯逮捕の必要があるということはこれから犯行しそうだから、リアルタイムで監視させてくれということですからまだ罪科のない人そこまで監視して良いのか?となります。
ただ、善良な一般人をやみくもにGPSで追尾監視しようというのではなく、今後も実行しそうなグループとして合理的根拠を得て始めるものとすれば、その程度の要件を満たしているか否かの審査機関(裁判所)を設けて一定期間に限っての監視を許可するのも一方法でしょうが、電波傍受と違い取り付け行為許可の法技術は難しいと思われます。
前提制度として車製造基準としてGPS装着を義務付ける制度設計を先行させて、裁判所が一定の要件合致する場合にのみ一定範囲で傍受を許可するのも1方法でしょうか?
訴訟態度のあり方に戻りますと、仮にGPS捜査自体を禁止すべき!とメデイアで大々的政治主張し耳目を集めていた場合に比べれば、上記弁護士が余計な主張をしなかった・法律上の問題提起に徹したのは賢明・スマートだったという限度での評価です。

訴訟外文化批判8(GPS事件との対比)

日本では、自分の意見を主張表現する権利がある代わり、自分の主張による影響を受けるのも引き受けるべきでしょう。
私の職業的価値観で言えば、金銭請求の民事請求は淡々とその根拠を訴訟で主張するだけで良かったのに、特定企業や背後の日本文化攻撃まですれば、攻撃された企業・批判された者の中で、(もしも感情的表現等があったりすれば)批判は批判として受けれ入れたとしても「感情的部分が許せない」となる人も一定数残ります。
ノーベル賞受賞の機会に修復を求めた動機は不明ですが、彼が日本国籍を意図的を捨てたか喪失したかは別として喪失している場合を仮定してみます。
日本国籍を再取得したい場合・あるいは気持ちよく「郷土に錦を飾りたい」場合(日本文化全面否定したことによって傷ついている人の代表?の)「日亜化学との関係修復した方が良いのではないか?」と親しい人からアドバイスされているのかもしれません。
仮りに国籍再取得したい場合を考えると、外国人の国籍取得は一定の要件をクリアーした時に許可できるだけであって法律要件クリアー=自動的許可ではありません。
許可は政治裁量によるので、国民感情として反対が多いと簡単ではありません。
今の韓国に対して、ついにもうダメだという段階になってしまったのと似ています。
韓国国民は日本の怒りの深さに焦っているようですが、(日米から離反して、北朝鮮と中国につく戦略の文政権にとってはその方が好都合でしょうが・・)詫びを入れるどころか開きなおって日本非難を拡大する一方ですので、いよいよ相手にされなくなるでしょう。
中村教授は日亜化学にあっさり袖にされて「さあどうする?」というところです。
パワーゲーム的に勝てそうな時だけの修復提案では心に傷を受けた方は受けられない・修復は無理でしょう。
日本を良くするための日本現状批判は必要ですが、そこに悪意・敵意がこもっていると国民大衆が受け取る・・感じ取ると反日メデイアの烙印が押されてしまいます。
20日にも紹介していますが、朝日の報道姿勢がいつも問題になるのは日本社会を良くするための批判か、日本を解放?したい国の代弁か不明・・疑心を持つ国民が増えてしまったからです。
中村氏は発明報酬が低すぎると思えば低すぎるかどうかの立証・・司法・合理的論争に徹すればよかったでしょう。
メデイアに誘導質問されても日本文化全般批判方向の取材には(私は研究一筋でそう言うことはわかりませんと)ガードを固くすべきだったと思われます。
自分から進んで場外乱闘行為のような言動に出たのは、当初から寄与度が大きいとする主張に根拠がないことを理解していたからでしょうか?
日本企業文化ひいては民族のあり方批判に対して、いわゆる「反日」メデイアが大喜びで飛びついてフィーバーしたのでしょう。
本当に反日目メデイアかどうか不明ですが、反日メデイアと言われるようなメデイアは慰安婦騒動以来国民の信頼を失っているように見えますので、これらの寵児になった人はその分国民感情的(メデイアに紹介されないいわゆるサイレントマジョリテイ)に反感を持たれていたことになります。
メデイア露出は個人の露出癖による発露ではなく、国民支持を得る目的だったとすれば反日的フィーバーを煽るのは合理的ではありません。
20日引用したように、1審判決後和解成立までの間に東京地裁判決批判が一般化されていたらしく、和解成立後になお朝日新聞の高橋真理子氏が司法批判的意見を書いているだけで、報道界全般に支持者が広がらなかったようです。
これまで見てきたように発明にこぎつけること自体に多くの協力が必要な他に、商品化成功までには多くの関与者の協力や各関係者の成功の積み重ねによることも常識になっていたようです。
訴訟提起して半分の貢献度主張をするには相応の業界調査をした結果であるべきでしょうが、業界の実態調査すると期待する高額報酬にならないので「日本の業界慣習が腐っている」という宣伝戦略を展開したのかもしれません。
事件そのものを知りませんが、私の職業的感で言うとわあg国の相場が低すぎると言う場合、米国での報酬基準がどうであって、芽が出た段階でいくらくらいでファンドが買い付けているか・市場評価がどうなっているなど主張すべきであったでしょう。
発明〜創業関連業界や発明や特許を買うファンド相場などの値付けの国際標準を見ても常識に反する寄与度の主張・・結果的に非常識主張になってしまったように外形上見えることからすると、どういういう事前調査をして訴え提起したのか疑問です。
メデイア戦ア採用によって中村氏は特定メデイアの寵児になった結果、その裏側で「声なき大衆」の力を無視する結果になったようですが、その反動が出てきたのがネット社会化の進展です。
ノーベル賞受賞時にはネット社化の効能で、マスメデイアが秘匿する情報・・「国籍を捨てているのに日本人受賞なの!」という批判が飛び出してきた・・こういう声なき声の逆襲があるとは想定外だったでしょう。
ノーベル賞受賞で、もう一度メデイア界の寵児になれたのでポイントを得た!反撃チャンスとみたつもり?勝者気分での修復提案だったとすれば逆効果だったようです。
最近の事件で言えば、若手弁護士がGPS捜査に挑戦して金星を上げましたが、前もってメデイア戦略など一切していなかったように思います。
※ GPS捜査あるいは先端技術駆使の捜査を禁止すべきという政治論として私が評価しているのではなく、既存法令での運用には問題が多い・・法制定技術が科学技術発展に追いついていない問題点を浮き彫りにした功績をここでは書いています。
犯罪を犯す方は「あらかじめ法令で決めた方法以外の犯罪を犯してはならない」という法令がないので最新技術を駆使して、新規犯罪を犯してもそれを処罰する法令が未整備の場合、犯罪とはならないのと同様に逃走手段もいろいろで刑事訴訟法が出来た頃の犯行や逃走手段とは大幅に変わっています。
捜査する方は19世紀型思考で、私権侵害的行為は法令でがんじがらめに決めた方法でしか捜査できません。

発光ダイオード特許事件8(日本文化批判はどうなる?6)

話題が逸れましたが、後先見ずの感情論にひた走るのは気持ちがいいでしょうが、言い足りない点は後でカバーし易いですが、後先見ずに言いすぎた点の取り消し不可能です。
中村氏にとっては、感情に走りすぎた点が大きな失点(立場によっては逆評価?)
だったでしょう。
ところで
「ノーベル賞学者が、日本企業と研究する機会が失われてしまったのも事実だ。」
という意味が不明ですが、日亜化学との真の和解ない限り日本社会が受け入れない・他企業も近づけないということでしょうか?
普通の事件ならば、事件に関係ない人には知らないことですが、自分からメデイア利用したのか利用されたのか不明ですが、少なくとも自分の意思で記者発表をした以上は、全国区の話題になってしまったことは確かです。
全国向けに司法批判、日本企業・文化批判・否定的意見を大量露出した以上は、これに不快感を持つ人も増えますので全国的居場所をなくすリスクを負うべきでしょう。
大久保利通が郷土鹿児島で受け入れられていない不遇を紹介しましたが、彼は薩摩藩という狭い枠を超えて統一した民族国家確立に奔走していたのですから、郷土の不満にあまり配慮しなかったのは理解可能です。
中村教授の批判は日本社会をもっと独創的意見を持つ人が優遇される社会にしたいという前向き批判だったのでしょうが、批判されるほうは全否定されるかのような印象を受けたのでしょう。
古来から何か大きなことをなした人は、他の批判しないで自分の生き方を貫いていくのが多くの日本偉人の生き方でした。
この例外は他宗を非難した日蓮聖人だったので弾圧も受けたし、その反動で不受不施派という極端な主義主張も生まれたのでしょうか。
現在日本では共産党だけが、政治資金を受けないし他政党との共同もしない唯我独尊的政党になっています。
現在でも日本ではヒト・他国の生き方を批判しないで自分の信念に従い黙々と刻苦勉励していつか国際社会でハエある地位を得られれば良いという生き方でやってきました。
中村氏は会社の開発打ち切り方針に反してなお一途に青色発光ダイオードの開発可能性を信じて黙々と?一筋に研究を続け、企業も企業方針に反する研究を続ける中村氏の研究を禁止しないどころか研究開発資金・人材をつぎ込んでくれた結果、遂に偉業を成し遂げたもののようです。
以下に紹介する森の生き物観察と違い、産業系研究を続けるには禁止されないだけではなく積極的に巨額資金人材応援がいります。
ようするに日本精神の統合結果がこの大成果を生み出した原動力です。
米国流の短期成果を求める民族性・ちょっとでも成果が出ないと資金が潮の引くように去ってしまう社会(ファンド市場評価で資金集まる社会は逃げ足も速い)と異なり、「長期間粘れる人が粘る」のを暖かく見守る風土・・研究開発部門で言えば、一つのことに取り組んだら一生涯成果がなくとも粘り続ける根性こそが日本民族の強みではないでしょうか?
9月23日の日経新聞朝刊最終ページ(文化28p)には31歳でテレビ局技術者をやめて北海道の森に住み着いてにシマフクロウの生態観測(生息環境作りしている人の手記が出ていましたが、日本にはこういう人が各地にいますし、周囲も成果の有無にかかわらずそれを立派なことだと応援する人が必ずいるのも強みです。
別に元勤務先のテレビ局が応援してくれないと不満を言わないし、政府に対する不満も言わずと自分ができる限りのことをしているだけの生き方です。
私はここ数十年朝起きるとまずは自宅周辺掃き掃除をするのが日課ですが、公共団体や近所の人も掃除すべきだと不満を持ったこともなく、ただ掃いているだけです。
「ひと様の悪口を言うのは浅ましい」という考えで韓国による長年にわたる反日告げ口外交に直接反論しないでいたところ、ありもしない日本軍による慰安婦強制連行論が国際社会に浸透してしまったのには日本人の多くが驚いたばかりです。
中期的には声の大きい方が勝っているように見えても長期的には「正しい方が認められる」というのが日本民族の価値観です。
日本列島では異民族の侵入がなく数百年以上定住社会でしたから50〜100年程度嘘でごまかせても仕方ないというのが大方の考え方です。
だから、神ならぬ身、何もわからないので自分はこの生き方が良いと思っても周囲に強制しないし、(行基も西行も良寛さんも自分の行き方を貫くだけでしょう)周囲の人もその変わった生き方を黙って見ているだけで嫌がらせもしません。
これが八百万信仰の基礎となる寛容な民族性を形成してきた基本精神と思われます。
こうしてみると、時流に流されず10年でも20年でも根気よくやれる人材豊富なのが日本の強みであり、それで良かったと思うのは私だけはないと思います。
それにしては報酬がすくなすぎるという個人的関心は訴訟限定でよかったのではないでしょうか?
なぜ訴訟外・・場外乱闘的行為をしたのでしょうか?
しかも運動の仕方がメデイアが煽りすぎて過激だったので、却って企業大方・日本人古き価値観に受け入れられなかったのでしょうか?
中村氏は黙って訴訟だけやってればどうだったのでしょうか?
訴訟で勝った内容が公表され、それがじわじわと社会を動かしていく・インパクトは少ないかもしれませんが、社会変悪に対する影響度はメデイアで騒がなとも結果は同じだったように見えるのですが・・.。
メデイアを通じて大騒ぎしたので日本社会に与えたインパクトが大きかった→「捨て石に徹する」気持ちでやったのであれば成功だったのかな・・・。
大方の受容態度は「そこまで言わなくとも良かったのに・・」と言う評価・言い過ぎた責任を取るしかないのでないか?
というのが、コンセンサスではないでしょうか?
江戸時代に直訴や一揆など起こした場合、主張は正しいとして幕府に採用されても、直訴などのルール違反の咎(御政道に楯突いた秩序違反)で処罰される伝統的価値観が現在社会に残っているからでしょうか?
佐倉義民伝や荘内藩転封に関して領民が反対運動を起こしたカゴ訴に対しては江戸町奉行の調べで水野忠邦の不正が背景と断定され、籠訴を企画した佐藤某氏の事件を9月6日に書き初めていましたが途中横道に逸れています。
民主政治社会では「お上に楯突く」のではなく国民こそが主人ですが、個々人が主人ではなく、国民総意が尊重されるのであって個々人の意見がストレートに尊重されることではないということでしょうか?
公務員は国民の公僕である・あるいは消費者は王様という言葉を自分が王様になったかのように誤解する人もいますが、こういう人はクレーマーになりやすいのでしょう。
消費動向に商人は従うしかないのですが、個々の消費者が消費動向を表しているとは限りません。
民意も同様で一人の意見が国民総意を代表することもあればその逆もあります。
そこで集団徒党を組めば目立って「自分一人ではないぞ!と威勢を示せるので集団行動が行われるのですが、命がけの一揆を起こすには、已むに已まれぬ民意が凝縮されていると見るのが普通です。
しかし「俺は王様だ」としょっちゅう威張り散らすようになると物分かりの悪い子供がしょっちゅう駄々を捏ねているのと何が違う?となります。
現在のデモ活動は参加したことで処罰や不利な処遇をされるリスク皆無でしかも特定集団内では「俺は昨日も言ってきたぞ!と自慢できる材料になっています。
いわばあるアイドルの追っかけをしている自慢と変わりません。
政治分野でもデモ参加は安全地帯にいてただ「憂さ晴らし」をいつでも行えるあんちょこな手段になっているでしょう。
現在社会は、じっくり吟味してからの消費では、量が増えないので衝動買いをさせる工夫が溢れていますが、政治主張したい組織では、政治参加の敷居を低くする工夫・如何にあんちょこにでも活動に参加させるの工夫を凝らしてきました。
私が大卒の頃には共産党系民青がの青年層への浸透作戦として、「歌って踊って民青」というフレーズが流行りました。
若者にとっては魅力的フレーズでしたので、いまでも耳に残っています。
こうい状況が続いてでデモの必死さが希釈されて「またやってる」という程度の印象になってきました。
そもそも民主的意見表明手段のない時には、デモや一揆は命がけの抵抗権的意義があったし現在でも中露など専制社会では必要なことでしょう。
赤ちゃんには表現力がないので、お腹がすけば泣いて危急を母に知らせる必要があるのと同じです。
電車など公共空間で大きくなっても駄々をコネ続けると「バカじゃないの!と思われるように、デモや大声を張り上げる行為の価値は必要性との兼ね合いです。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC