輸入規制2とラストベルト地帯

輸入規制に頼ったラストベルトの解説です。
http://www.crosscurrents.hawaii.edu/content.aspx?lang=jap&site=us&theme=work&subtheme=INDUS&unit=USWORK059

ラストベルト (さびついた工業地帯)
イリノイ、インディアナ、ミシガン、オハイオ、ペンシルバニア諸州を含むアメリカの地域は「ラストベルト(さびついた工業地帯)」と呼ばれています。この呼び名は、これらの地域の多くの産業が時代遅れの工場・技術に依存していることからつけられました。
1970年代、激しくなる国際競争への対応策として製造業者がこれらの地域からアメリカの他の地域やメキシコに工場を移転、かつて繁栄していた工業地帯の経済が悪化したことによりこの名称が幅広く使われるようになりました。
これらの地域では、工場閉鎖にともなって失業者が増加し、多くの人々はこの地域を去りました。デトロイト、セントルイス、クリーブランドなどの都市、あるいはインディアナ州ゲリー、オハイオ州アクロンといった比較的小さな都市は、都心が衰退してしまったラストベルトの都市の例です。デトロイトは、現在も世界最大規模の製造業の中心地ですが、製造業が衰退していく中で、製造業への依存を減少することができずにいます。

ただし最近、産業の高度化に施工した企業が現れて持ち直しているようです。
上記によれば、企業自体が適応してラストベルト地帯から別の地域へ逃げ出して国際競争に適合していった経緯がわかります。
輸入規制を求めて古い体質にしがみついていたのは、企業経営者ではなく(新しい分野に挑戦できない?)従業員・労働組合だったようです。
企業経営者の方は古い体質グループを放置して他地域に進出してシリコンバレー等で新たな産業を起こして行ったようです。
古いマンションの修繕改築の話し合い(住民の多くが老人)に時間を費やしているより、近隣にできた新築マンション買い替て逃げて姉妹振りマンションはスラム化一方になったようなものです。
企業の方はラストベルト地帯から逃げていたということは、企業は自由競争の必要性・時代適応必要性を認めていたこと・新機軸の製造業に変身する必要性を認めていたことがわかる・・反対していた主役は、新時代についていけないリストラされる人材多数抱えている労働組合だったことになります。
労働組合の名誉のために書きますと、村落社会や町内会その他すべて団体というものは現状を全体とした運営ですので、新時代に適応できる有能な人材はホンの数%でしょうから、多数に従う民主主義の弱点でもあります。
現状変更になんでも反対するのは、組合の特性というわけではありません。
一般社会は自然発生的に生じていることが多いこともあって(陰であんな格好してとか、あんなことを言ってとか・・白い目で見られる・村社会は窮屈と言われることがあっても)直接規制がなく個々人の自由行動の幅が広い(本人さえ陰を気にしなければ良い)のに対して、組合では何でも「機関決定」というものが幅を利かしすぎて違反の問責?追求できる統制委員会的仕組みががっちり整備されて(左翼系組織も似たような傾向ですが)いる点が大きな違いでしょうか?
ソ連の粛清が有名でしたが共産党支配の中国では党紀違反を理由にある日突然党幹部の消息不明になったりしていますが、粛清支配を基本的体質とするソビエットのDNAを受け継いでいるからでしょうか?
日本では中国のように党紀違反を理由に党から拉致され取り調べを受けるような事態は起きていません(そういう権限がありません)が、組合の機関決定重視姿勢はこれの思想影響を受けているので機関決定の重みは似たようなところがあります。
ましてユニオンショップ制やクローズドショップ制の米国では、労組加入しないとその企業で採用しないし解雇する仕組みですから労組から除名されると職を失う効力があり、異論が許されない仕組みです。
ユニオンショップ制に関するウイキペデイアの説明です。

採用時までに労働組合加入が義務付けられ、採用後に加入しない、あるいは組合から脱退し、もしくは除名されたら使用者は当該労働者を解雇する義務を負う、という制度。雇い入れ時には組合員資格を問わないという点で、組合員のみの採用を義務付ける「クローズド・ショップ」とは異なる。これに対し、労働組合の加入を労働者の自由意思に任せるのが「オープン・ショップ」である。

日本の労働法ではこう言う硬直的システムを取り入れなかったので柔軟経営ができたのですが、日本で唯一の強制加入団体は日弁連と各単位弁護士会でしょうか?
昨今弁護士会の政治活動が増えてくると、強制加入システムに不満を言う若手弁護士が増えてきたのは当然の成り行きではないでしょうか?
任意加入の場合機関活動家?が独走しすぎると一般会員が脱退したり、新規加入が減っていくので組織率がバロメーターになりますが、強制加入だと、過激全学連のように機関活動家が牛耳っているのか多数支持を得ているのかが不明になります。
日本で唯一の強制加入団体である弁護士会の場合、不満な人は会活動参加を敬遠するくらいしかない→その傾向が実質的バロメーターになります。
米d国は自由主義国とは言うものの実際には規律が強すぎて個々人が自由な言動ができない仕組みのようです。
こういう頑迷な組織支配するところから、企業の方が逃げ出します・これがラストベルト地帯になった原因です。
企業にも適地を選ぶ権利があります。
ハンマーで日本製品を叩き壊していた背後の主役は、変化に応じられない労組だったイメージです。
こんなところでやってられないと多くの製造業は中西部工場をそのままにして、(チャイナプラスワンの先行事例?)他の地域で新工場設置・・新条件で募集・雇用するため?に動いたので取り残されたのでしょう。

国を選べる時代2(輸入規制1)

米国は自由競争〜市場開放を主張しながら日本が戦後復興すると繊維〜電気〜鉄鋼〜自動車等々で貿易赤字が増えると日本製品をハンマーでぶち壊すパフォーマンスをしたのが今でも記憶に残っていますが、こんなバカなことをしても衰退を免れることはできません。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO35787290W8A920C1000000/

日米自動車摩擦 1970年代から繰り返す歴史 2018/9/27 6:30
米デトロイトなど自動車産業の集積地では、日本車がハンマーで叩き潰される「ジャパン・バッシング」のパフォーマンスが繰り広げられた。

今回の韓国での日本製品不買運動の開始にあたっても日本製品配送用の?ダンボール箱を報道陣の前で踏みつけるパフォーマンスが行われましたが、馬鹿げている点は同じです。
不当な政治力で割高なものを庶民が買わされているならば弱者の抗議活動は正当ですが、輸入品は逆に大幅な冷遇・ハンデイを抱えて競争しています。
① 生産段階で母国生産地と違う輸出先現地の法令適合するための調整
② 右ハンドルを左ハンドルにしたり現地気候風土や現地使用傾向に合うように微妙な調整するなど需要地向きに仕様変更するコスト
③ 長距離輸送のためのコストと発注後納品までの時間がかかる
④ 入国段階での検査手続きや関税がかかる
⑤ 税関手続き等の専門業者の介在
⑥ 販売には系列販売店・アフターサービスの提供等のため一定規模のシステム構築が必要であるが、当初は販売量が少ないために初期先行投資がかさむ
⑦ 異民族への輸出の場合言語環境の違いなど営業活動上のハンデイ

等々のハンデイこそあれ、輸入業者が現地生産者より優遇を受けている不当な関係はありません。
ハンマーで壊すなどのパフォーマンスは、自由競争で負けているのを政治力で市場原理を歪めて現地企業保護を訴えるもの・自由競争反対論の宣伝をしているように見えます。
メデイアは内心「こんなバカなことをするようではアメリカもおしまいだ」いう意図で報道していたのかも知れませんが・・パフォーマンスするグループは、「現地製品が日本製品より劣っていても高く売れるようにしろ!」という主張をしていたことになります。
すなわち、冷蔵庫や車の売れる量が一定量とした場合、輸入制限すれば現地製品がわり高でも一定量まで売れる関係になりますので、輸入制限を求めるのはこういう目的で行っていることになります。
交渉結果を見ると騒動の都度数量制限が決まっていたようです。
上記引用の続きです。

対米自動車輸出台数を制限する「自主規制」を導入することになった。日米間の輸出自主規制は繊維や鉄鋼で前例があった。自動車の自主規制の枠は初年度に168万台。80年の実績(182万台)を下回る水準に設定された。自主規制は93年度まで続くことになる。

米国は自由主義経済の守護者のようなふりをしながら対日関係では繊維〜家電〜鉄鋼〜半導体その他いつも事実上輸入制限して自国民に割高な商品を買わせて来ました。
こういう米国の偽善主張は日米戦争をしかけた時から米国の伝統芸であり、対イラク戦争にもつながっていきます。
日本も農業保護が聖域と称して農産物輸入制限を続けてきましたし、後進国は産業がひ弱なために一人前に育つまでの保護としての関税が認められてきました。
米国の場合、一旦国際優位に立っていた産業老化に対する保護という面でまだ国際合意のない分野ですので二重基準の弊害が目立つのかもしれません。
これから成長する子供を大人と一緒に競争させるのは良くないという・後進国保優遇論理は理解しやすいのですが、世界トップ企業が新興企業の挑戦を受けて衰退していくのを保護する論理・政治が行われれば、新たな利便性を追求する新興企業が生まれにくくなります。
後進国の場合期間猶予をもらう間に成長するチャンスを活かせることが多いのですが(子供が大人になってもみんなが横綱や一流の格闘者にになれませんが、二流の人は二流まで育つ可能性が多いということです)しますが、老化する人が時間をもらってもその間老化が進むだけです。
米国が対日輸入制限をもとめた業界は、例外なく時間猶予の効果なくジリ貧になっていったのは当然です。
老人は大事にされるべきですが、いつまでも権力を握るのは老害になるのと同じです。
鉄鋼製品その他米国企業が輸入規制を求めて政府もその方向へ動くために消費者は一定量しか輸入品を買えない→割高な現地生産品を強制的に買わされる結果になります。
前近代の悪代官と悪徳商人が結託して商品不足にして、価格を吊り上げるような不当政治を国民の多くが本当に求めているのか不思議です。
数量制限は・・消費者だけが損するのではなく生産者も安くて性能の良い繊維・鉄鋼製品、半導体、車等々を使えないと困る・・輸入制限しない国地域の企業に比べて競争力を失っていきます。
米国の対日輸入制限効果は、中西部工業地帯だけに及ぶのでなくアメリカ全土の競争力に及ぶ、輸入制限に頼っているより、新時代適合を進めるしかないというのが全米企業家の思いだったのでしょう。
既存工業地帯での改革は反対者(労働者)が多く無理と見た企業家は、チャイナプラスワン同様に米国内の他地域への新規投資に走ったようです。
これが世界に冠たる中西部工業地帯がラストベルト地帯と言われるようになった原因でしょう。

国を選べる時代(企業→個々人へ)1

近代憲法では居住移転、国籍選択の自由が保障されるようになりましたが、実際には異文化地域への移住は大変なハードルがあります。
ところが韓国から日本へ往復1万円前後で格安航空券が売り出され、一時間前後で来日できる時代が来ると、徒歩〜馬等での移動時代と違い、コストと体力的障害がほとんどなくなります。
あとは、収入源の確保が中心です。
https://www.kayak.co.jp/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88/によると11月3日プサン→福岡間は5552円で1時間05分と出ています。
国際移動〜移住が容易になれば、企業が顧客に見放されるのと同じで、国家も魅力がなくなれば次第に相手にされなくなります。
逃げ足の早い資本・企業活動の流れが第一の指標です。
中国から外資に限らず中国資本自体が東南アジア等へ進出するようになった点は重要です。
この流れは中国の反日運動によって、日本がチャイナプラスワン政策に転じたのをきっかけとするものですが、その後韓国企業どころか中国企業自体も国外進出を始めました。
中国国内企業の余力が出たので進出しているのか?国内比重下げの逃亡かは見方によるでしょうが、結果として中国市場の魅力が相対化されてきた事実は動かないでしょう。
中国企業自体が国外に逃げる方向になってくると反日運動の隙をついて、中国進出を果たした西欧諸国も中国へ熱が急激に冷めてきました。
国民の逃亡かエネルギーが余っての進出かは別として、日本の地方過疎化が若者の流出に始まるように、移動には一定のエネルギーがいるので元気のある順に移住が進む・あるいは過酷な移動中に命を落とさずに生き残るのが原則です。
超古代からの人類移動の流れで見ても、仮にアフリカ起源が正しく何十万年前にアフリカから移動が始まったとすれば、移動に挑戦し成功したグループは未知の世界への挑戦に耐えられる元気印だったでしょうから、残されたグループは抜け殻状態になって行き、際限ない脱出循環に陥り結果的に輸出できるのは奴隷だけという19〜20世紀に一般イメージ化されていた極貧状態になってしまったのではないでしょうか?
欧州は新大陸への人口移動が始まり、移住者数増加に比例して活力ある人材比率が低下してきたように見えます。
よく知られているのがナチス時代にドイツを中心にした有能な人材の多くが米国へ亡命したことにより、それまでの開拓や労働者中心だった米国移民の質が変わりこれが科学分野発展の中核になり戦中戦後の米国の躍進を支えたと言われています。
迫害によろうと自然災害であろうとも磁力のあるところに人材が集まるということでしょう。
これに味を占めた米国では世界の頭脳を取り込む狙いで留学ビジネスが盛んになりました。
優秀な留学生が米国にそのまま居着くのを狙ったものです。
日本のノーベル賞受賞者で米国在住者が時々いるのはその事例にはまります。
ただし東西ドイツ統一後ドイツ移民はかなりドイツや西欧に帰ったと言われ、これがこの10数年来の米国一強陰りが表面化してきた原因かも?と私は想像しています。
11月2日現在、米国ドイツ系人口で出たウイキペデイアの記事です。

1990年のアメリカの国勢調査による人口統計学では、当時の総人口は5800万人にのぼるデーターの結果があった。ただし、「ベルリンの壁崩壊」以降は、統一を果たしたドイツ政府はアメリカが生み出した「IT」を新分野として採り入れるため、ドイツ系アメリカ人のIT専門家など優れた人材を中心とする受け入れの募集を開始した(1972年設立のSAPなど)。
そのため、90年代から2000年あたりにかけて、ゲルマン系(ソルブ系・カシューブ系も含む)のグループを中心に祖国ドイツ(オーストリア・スイス・リヒテンシュタイン・ルクセンブルクも含む)をはじめ、同じくIT分野を奨励した北欧諸国・オランダ・ベルギー・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカに移住する傾向にあった。21世紀以降のアメリカにおけるドイツ系の人口は徐々に減少した(2007年および2008年のアメリカの国勢調査による人口統計学で、4527万人にのぼるヒスパニック(現在は5400万人に増加)および3984万人にのぼるアフリカ系アメリカ人がドイツ系アメリカ人に代わって増加傾向にある)。
現在のドイツ系アメリカ人の人口はおよそ5000万人ほどである。
いわゆるラストベルト地帯→中西部に関するウイキペデイアです。

住民構成はゲルマン系やドイツ化したソルブ系とカシューブ系(西スラヴ系)などのドイツ系アメリカ人の人口が最多数で(ウィスコンシン州・ノースダコタ州・サウスダコタ州などは40%以上)、宗教も唯一アメリカ国内でカトリック(ウィスコンシン州・オハイオ州・インディアナ州・イリノイ州・ミシガン州など)が多い地域でもある。言語はペンシルベニアドイツ語(アメリカドイツ語)やアメリカ英語などを使用する。

IT人材等の若手有望株がドイツや西欧に逃げてしまってからの貿易戦争では、新時代適応に遅れをとるのは無理がないでしょう。
ドイツ人が何故逃げたかですが、米国移民2〜3世でも同じ待遇なら祖国が良いという意識が働いたのでしょうか?
もともと国外移住者の多くは、相応の功利的判断祖国への郷愁を上回った結果でしょうから、行った先の将来性に疑問符がつくと、自分が居住地のために捨石になって頑張るより有利な場所に再移住判断になり易いし、母国の景気が良いならなおさらです。
米国に新規才能を引き止める磁力がなかったのでしょうか?
せっかく米国定住している人らが祖国に帰ると言うことは、欧州から新たな優秀人材供給が途絶え始めたと言うことでもあるでしょう。
国際競争で戦える人材が去ったのちになって、関税引き上げ等による一時的政治力・腕力で輸入制限するのは無理・悪循環になります。
これこそが米国が世界に主張してきた米国の価値観・・自由競争・・グローバル主義ではなかったのでしょうか?
都市間・国家間競争で生き残るには、時代適応力のある市民が必要・→人材育成・磁力こそが政治に求められています。
ところで、人材育成してもその地域に魅力がないと近隣の磁力のある都市・地域に人材が吸い上げられるばかりで結果的に吸い上げられる地域は痩せていきます。
この辺の仕組みは地方と中央のテーマで10数年前に書きました。
美味しいミカンや柿その他果物を都会に輸送販売するばかりでは、果樹園が痩せてしまうので吸い取られた養分(肥料)の補給が必要です。
優秀な子が出ると東京の有名大学へ進学させて、都会で就職し、その子らも都会の2〜3世となっていく・・故郷に帰らないのでは送り出す地方が痩せる一方です。
中央で活躍する人材が多いと自慢しても、有能人材を輩出するばかりでその子孫も東京に住みつづけ、誰も子孫が帰ってこないのでは地方は痩せる一方です。
こういう状態で大都会に本社にある産物・ブランド品やスマホなど地元県で生産しないと買わないと脅しても地方がなんとかなる訳ではありません。
米国のラストベルト地帯は日本や中国との競争に負けたのではなく、シリコンバレー等米国他都市がIT化〜高付加価値産業化に転換して成功しているのについていけなかった・・国内競争に負けたのが原因です。
ラストベルトに関するウイキペデイアの解説です。

この地域は、その場所故に製造業と重工業の中心となってきた。お誂えの資源である石炭はウエストバージニア州南部、テネシー州およびケンタッキー州やペンシルベニア州西部と北東部で産出された。
・・アメリカの製造業の雇用数減退は北西部や中西部での工場の廃棄につながり、これを強調する「銹地帯」(ラストベルト)という別名が付いた。
製造業の雇用は減少したが、アメリカの生産量は確実に増加している。
2000年以降は貿易用品の生産量は減少しているためにある意味で貿易問題とはなっているものの、アメリカは世界でも優れた生産地域の地位は確保している。
アメリカの製造業は労働集約型の生産工程では低賃金の国に負けるのでこの領域から離れ、高付加価値製品の生産と先進的無人化生産方式に移行している。その困難さにも関わらずラストベルトの領域はアメリカでも輸出量で一番の地域である

アメリカは近代産業革命の進展と資源大国の地位の両輪で経済大国となり世界の覇者になれたが、資源大量消費型産業の重要性が減退してきたので(重工業からIT産業化へ)米国の圧倒的優位性が終わったとこれまで書いてきました。
今も原油生産ではサウジを抜いたと言われていますが、資源の重要性が下がったのです。
また世界最大の生産国になった米国が販路を求めて、推し進めた貿易自由化のおかげで資源のない日本でも自由に買えるし、物流コストも安くなる一方なので自国産であるかどうかより、機能性や製品の信頼性の方が重要になってきたのです。
ソニーやトヨタが世界企業になれたのは、資源の有無と関係がありません。
こうなると資源直結・立地の優位性で発展した中西部工業地帯は、成功体験を捨てない限り将来はありません。

反日教育と韓国の労働運動3

労働分野では穏健交渉が成立せず、すぐにストライキに発展するのが韓国労働争議の実態です。
韓国の労働争議に関してネット上で以下の論考が出ていますので、以下一部引用紹介します。
http://repository.kyusan-u.ac.jp/dspace/bitstream/11178/309/1/01_Ahn.pdf
『経営学論集』第28巻第1号,1‐25頁,2017年8月KYUSHU SANGYO UNIVERSITY,KEIEIGAKU RONSHU(BUSINESS REVIEW)Vol.28,No. 1,1‐25,2017

韓国における労働運動の歴史的展開  安熙卓
.第2次大戦直後の米軍政期(1945-1948年)
「日本植民地統治から解放された後,米ソの信託統治決議を経て,韓国は米軍政が主導する資本主義体制に編入された。
1945年9月,韓国に進駐した米軍政は終戦直後の政治・経済・社会の混乱を収拾するために,1945年10月30日に軍政法令第19号の国家緊急事態宣言の中で,「過去40年間存続してきた絶対的奴隷状態から労働者を救出しなければならない」と強調し,労働組合の結成と罷業,怠業,職場閉鎖などの争議行為を保障した。
「全評」の労働運動は,経済的闘争というより政治的闘争に集中していた。「全評」は,政治的課題を革新的民主主義国家の建設であると主張し,植民地時代の親日派・民族反役者が所有していた一切の企業を工場委員会が管理する権利を獲得すべきだと主張した。また,「全評」は米軍政の韓国の統治反対,民族統一など,政治的問題を掲げ,労働闘争を展開した6。
中略
8.盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権(2003-2007年)
労働弁護士出身の盧武鉉政権の誕生とともに,経済危機と構造調整の中で蓄積された不満とこの政権に対する高い期待感は一連の労働者闘争として現れた。たとえば,斗山重工業の労組弾圧抵抗闘争,全教組の教育行政情報システム(NEIS)57拒否闘争,貨物連帯の労働3権認定闘争,地下鉄労組の連帯罷業,鉄道労組の4.20合意履行闘争,現代自動車をはじめとする大規模事業場での団体交渉関連闘争,民主労総の総罷業などが全国的に展開された。
・・・労働運動が激しさを増すにつれて政府も公権力行使で対応した。そのため,労政・労使関係は葛藤が深まった。労働運動過程において,韓国労総幹部の死亡や組合員の焼身自殺事件も起き,大混乱の時代であった。韓国労総と民主労総は,労働部長官の退陣を求めるとともに,労使政委員会と各種委員会からの脱退と政府に対する全面闘争を宣言した。
以下中略
III.むすび
・・・・・戦後から今日に至るまで不安定な労使関係あるいは労政関係は続いており,特に深刻な問題は,非合法的かつ過激な労働運動が継続的に展開されてきたことである。
たとえば,労働争議の方法として鉄パイプや火炎瓶などを用いることがその一例である。韓国の急速な経済成長は,政府主導による経済優先と労働運動の弾圧の成果であるといえる。
特に,韓国の労働運動の歴史の中で,最も重要なのは,労働運動の政治勢力化である。その理由は,労働運動そのものが労働者の権益を代弁することにとどまらず,韓国社会の民主化の過程と密接な関係をもっていたからである。
解放後,軍事政権下の経済開発計画を進める中で,労働者の権利や労働組合活動は厳しく統制されてきたが,1987年の民主化宣言を契機にそれまで抑圧されてきた労働運動が活発化するとともに,政治的闘争も展開してきた。

上記論文冒頭に米国軍政が、日本統治否定のために急進的・・前のめりな政策が急進派を生み出した経緯が上記論文に書かれています。
その後の展開を見ると自分たち労働者の応援で成立した盧武鉉大統領の時でも自分たちに都合の悪い点には少しも妥協できないで、徹底抗戦しかない・・国家社会のためにこの辺で妥協しましょう・・という知恵が労働側には全くないことがわかります。
上記論文は17年時点のもので、今の文政権との関係は生々しすぎるので?書いていませんが、盧武鉉政権時以上に労働者が押した政権なので遠慮いらないという押せ押せムードによるスト乱発状態で経済疲弊が進んできました。
以上の経緯を見ると韓国では力による解決しかない・話し合いによる納得など不可能な国民性・・「まだ万人の万人に対する闘争」・・野蛮社会の域を脱していないことを如実に表しています。
蒙昧な人民=牛馬に理を説いても仕方ないのでムチで制御するしかないという段階のままであることがわかります。
日本軍の次に米軍がきてその米軍も撤退ムードになって来たので今や怖いもの無し・
アメリカ軍政時代に黙って善政を布くのではなく、日本支配が最悪だったという憎しみを植え付ける教育をしてきたことによって、朝鮮人は不都合なことがあると外部に責任を求める習慣がつき、心も持ち方が腐ってしまったように見えます。
日本軍や米軍等の強いものには巻かれるが、それがなくなると自制能力がない民度のまま、対立に対立を重ねて相互憎しみ合いのエスカレートが進みますので韓国国内は今後どうなって行くのでしょうか?
引用した韓国労働運動歴史の論文は、17年時点までですが、韓国労組の自己満足行為に対して、経済面では諸外国は相手にしないという態度の敬遠策で対処できます。
日本政府の韓国特別扱い中止・ホワイト国除外・・反日運動激化による企業の韓国離れも同じ流れに乗っていることになりますし、韓国が世界で相手にされなくなってきたとすれば長年やってきたことを反省すべき自己責任です。

前政権(日本支配)否定と韓の労働運動2

支持率が下がっても任期で守られ不満爆発寸前まで持ちこたえて任期満了退任する仕組みだと、(パククネ大統領の場合任期満了まで持ち応えられませんでしたが今後これが慣例になるのかな?)次期大統領は前政権政策に対する不満を煽って正反対の支持を背景にする以上は前政権の全否定しかないし、前政権の責任追及に走りやすい土壌となるのでしょう。
投票時には絶大人気で選出されるものの、その反動で?すぐに期待はずれになるが、任期制のために嫌になっても付き合うしか無い・この鬱屈が大統領退任の都度嵐のような攻撃を対象になる心情風景かもしれません。
しょっちゅう絶大人気による新大統領選出という現象自体が、危うさをあらわしているとも言えます。
我々弁護士業務でも、この数十年かなり頃減りましたが根拠なく絶大な賛意を表する人がいる場合、いつ根拠ないクレーマーに変身するか怖いリスクの大きい客です。
弊履のごとく捨て去る気持ちの根本は、本音では否定感情があるものの尊敬されたり社会風潮・空気を読んである政治家や芸能人が人気があるときには批判できない分、人気や地位を失うと、一気に本音が表面化するのでしょう。
セウオール号事件やろうそく集会のようなイベントが一度成功?すると我も我もと火がついたように広がるのも便乗型国民意識によると言えるでしょう。
我が国でもメデイアがブームの元を作り、それに便乗する人が多い場合・いわゆる炎上現象で有名人が降板させられることがありますので、政治家や有名人はメデイアの標的にされるのを極度に恐れるようになっています。
最近では河野防衛相が自分は雨男で・・と発言したことをどういう仕組みか不明ですが、台風被害で頑張っている国民の神経に触った?雨男というレッテル貼りは許されないという批判?謝罪撤回に追い込まれたとのニュースが出ています。
https://www.asahi.com/articles/ASMBY3J8QMBYUTFK003.html

河野防衛相が「雨男」発言を謝罪 「不快な思いを」
2019年10月29日12時37分

朝日新聞は謝罪に追い込んで自慢でしょうが、こういう瑣末な批判ばかりに終始する大手メデイアの役割こそ考えさせられます。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191029-00000060-dal-ent

千葉市の熊谷俊人市長が29日、ツイッターを更新し、河野太郎防衛大臣が「地元では雨男と言われた」などと発言したことに「被災地の首長として全く気になりません」とつぶやいた。

えらい!我らが千葉市長です。https://www.nikkei.com/article/DGKKZO51465420X21C19A0PE8000/

閣僚辞任「政権に緩み」56% 世論調査、内閣支持層でも4割
2019/10/28付 日本経済新聞 朝刊
重要閣僚が辞任したにもかかわらず、内閣支持率は横ばいだった

こんな子供染みたこととばかり議論するために国会やメデイアがあるのでしょうか?
閣僚になってから威張り散らしたりすればおごりや緩みというべきでしょうが、閣僚になる前の言動を挙げつらっているだけです。
国会は政策を議論すべき場であって、公職選挙法違反かどうかは、司直のやるべきことです。
司直が大物政治家・実力者の不正を見逃している場合には、巨悪を暴くために国会で質疑するべきでしょうが、もともと法違反があればどんな軽微事案でも立件するs制度設計ではなく、程度問題で説教して帰すなど、軽微な太陽の場合には軽微処理することを法が予定していて、そのために起訴便宜主義という制度があるのです。
権力者に甘い便宜主義の乱用を防ぐために検察審査会というお目付制度もあります。
刑事処分されないのを誰も不満に思わない程度の軽い違反行為を、メデイアが与党であれば取り上げるのはなぜでしょうか?
野党なら問題にしないが与党なら許せないという一方的基準があるのでしょうか?
もりかけ騒ぎもそうでしたが、メデイアの騒ぎ方と民意が大幅にずれているので支持率に影響しない結果になるのでしょう。
韓国では大統領退任後例外なく不幸な結果が待っているのは、極端から極端へと支持が入れ変わる社会意識の構造に原因があるように思われます。
ちなみに現在の文大統領当選時の支持率と現在の変化を見ると以下の通りです。https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM02H4Z_S7A600C1FF8000/

文大統領の支持率84% 韓国歴代で最高
2017/6/2 20:55

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-09-20/PY3XVHDWLU6C01

2019年9月20日 11:18 JST
韓国の文在寅大統領の支持率は2017年5月の就任以降で最低となった。韓国ギャラップの世論調査が示した。
9月第3週に実施された調査によると、文大統領の支持率は40%と前回調査の43%から低下。これまでの過去最低は4月第1週の41%だった。
不支持率は49%から53%に上昇し、過去最高を記録。

韓国では上記の通り支持率84%が2年で41%→不支持率53%になるのですから、振幅が激しすぎる・・まだ民主政治をするには民度が成熟していないようです。

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