政党資金源と党の存在意義縮小の意味2(社会党の場合)

旧社会党〜社民党が支持を失って消滅の場合、どういう遺産が残るのでしょうか?
もともと困っている国民の具体的救済・・地道な運動よりは中ソの代弁者役で国策反対、妨害でやってきた(外部から見ればそう見えるというだけで、内部的には日本国民のためにやってきたつもりかもしれませんが・・)政党ですので、バックが中ソから中韓に変わっただけで、中韓による対日攻勢の意欲が続く限り日本国内で分裂を煽る役割がなくなることがないし資金パイプもなくならないのでしょうか?
沖縄県民や野党が基地反対闘争をつづけていれば、仮想敵国にとっては日米両国軍の弱体化に有効な内訌ですので、なんとか盛り上げたいところです。
米ソ対決盛んな時には、ソ連が社会党へ資金提供していたことが秘密文書開示によって明らかになったことを紹介しました。
基地反対あるいは国策なんでも反対集団がいれば、日本弱体化を狙う国にとっては運動集団への間接資金供給は軍事費としてみれば安上がりなので、資金供給の誘惑が大きいでしょうし、複雑な経路利用して資金入手パイプができれば弱小野党にとっては食いはぐれのない安定的資金源になりそうです。
終わりのない闘争こそが「食いはぐれのない道」ということでしょうか。
ここで沖縄基地返還交渉と基地移転反対運動を振り返ってみます。
篠原章氏はどういう人かまったく不明ですが、福島瑞穂氏の検索で上記沖縄タイムズの記事と続けて出てきたので引用します。
http://www.jfss.gr.jp/home/index/article/id/230

【JFSSレポート vol.43】
無法地帯と化した沖縄・高江からの報告―「反日」に転換した基地反対運動 ―
経済学博士・評論家 篠原 章
沖縄県東村(ひがしそん)の北部に高江という字(あざ)がある。隣村の国頭村(くにがみそん)安波(あは)区と境界を接する高江区は、6つある東村の行政区のうち、住民登録約150人と、最も人口の少ない静かな集落である。メディアなどで報じられてきたように、その高江区がいま、米軍基地を巡って騒乱の只中にある。
普天間飛行場の辺野古移設と同様、問題の出発点は「基地返還」にある。基地返還によって沖縄の負担を減らそうという日米両政府の計画を受け入れまいとする基地反対派が、激しい抗議運動を展開しているのだ。在日米軍は、1996年の「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)最終報告」(日米合意)に基づき、東村と国頭村に跨る海兵隊の北部訓練場約8000ヘクタールのうち、北半分の約4000ヘクタールを返還することになっている。
但し、この返還には、返還区域内にある6つの演習用ヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)を、非返還区域内に移設するという条件が付されていた。うち2つ(N4地区2箇所)が東村高江区内に、残り4つ(N1地区2箇所、G地区・H地区各1箇所)が国頭村安波区内に移設される予定だった。
この移設計画には、沖縄平和運動センターなどの反戦平和団体とその支援者、社民党、共産党などの政党や政治団体、地元住民の一部が反対し、工事用資材搬入口の車両による封鎖や座り込みなどで、再三再四工事を妨害した。「住環境と自然環境の破壊」が表向きの反対理由だったが、実質的には、米軍基地や日米安保体制そのものへの反対と見てよい。彼らは、部分返還ではなく全面返還を求めているが、米軍にとって唯一のジャングル訓練センターを含む北部訓練場が、全面的に返還される可能性は極めて少ない。無理を承知で全面返還を要求しているのだから、彼らの目的は「返還」ではなく「反対」にある。
激しい抗議運動の結果、2002年迄に返還される計画は、14年以上も遅延することになった。

中ソを含めた全面講和以外独立反対・・実現可能性のない条件を掲げて闘争(まともな交渉の場合、条件とは常識的に実現可能な条件であるべきですからこれを自分で闘争というのでしょう)していたことの焼き直し運動を今だにしているかのようです。
もともと解決する気持がなく半永久的に反対し、事業の妨害を目的とする集団を相手に話し合いしても無駄ということでしょうか?

社会党(別働隊1・社青同〜解放派)

社民党が今なお教条主義的体質をそのまま持っているのは、社会党解体?後その事務局〜地方組織や一般党員という運動体を引き継いだ遺産というべきでしょうか?
社民党に関するウイキペデイアの記事です。
社会民主党(しゃかいみんしゅとう、英: Social Democratic Party、略称: SDP[17]、SDPJ[18])は、日本の政党[7][12]。1996年1月に日本社会党が改称して発足した[1]、社会民主主義を掲げる政党である

旧社会党時代には成田闘争には一坪地主として党幹部自身が関与しましたが、現場で機動隊と直接対峙するような実力行使に関与しませんでした。
反対闘争を煽るだけで実力行使は、革マル、中核、社青同3派とその後の分裂で3派10流もと言われる過激系全学連系や京浜安保共闘(労働系運動体)などの別働隊に頼っていたようです。
※ 当時千葉地裁管轄事件だったので、成田事件の弁護をいくつか担当しましたが、そのうちの一つは、成田事件闘争団体の内ゲバ事件であり、その被告人は・今も年賀状の往来がありますが・・労働系運動家でしたが、何系の内部抗争事件だったのか詳細記憶がありません。
メデイアでは過激派学生運動と言われているものの、現場では労働系戦闘員?がかなり関与しているのだな!という印象記憶しか残っていません。
社青同に関する本日現在ウイキペデイアの記事抜粋です。

日本社会主義青年同盟(にほんしゃかいしゅぎせいねんどうめい)とは、青年を構成員とする青年政治同盟である。以前は日本社会党と支持協力関係を持っていた。
歴史
前身は日本社会党青年部。1959年10月開催の社会党第16回大会決定を受け、1960年初頭には社会党青年部を中心に日本社会主義青年同盟結成準備会が作られ、機関紙『社青同』(現、『青年の声』)第1号が1960年3月10日付で発行された。正式結成は1960年10月15日の第1回全国大会で、西風勲が初代委員長に選出された。結成の準備期間はちょうど安保闘争と「三池闘争」との巨大な高揚の時期であり、各地の社青同準備会は正式結成以前から社青同の旗を掲げて闘争に参加した。そのため、社青同は「安保と三池から生れた」といわれる。
政党との関係
日本民主青年同盟が「日本共産党のみちびきをうけ」ると自己の性格を規定しているのに対して、社青同にとっては旧日本社会党との関係は支持・協力関係であり、青年同盟でありながら政党から理論面や行動面での指導を直接に受ける関係にはない(これは「元々社青同が社会党支持者・党員で固められ、支援を前提とする団体であり、改めて『指導』を明言する必要がないからである」という見解もある)。
日本社会党は、社青同の運動にとってはあくまで階級的強化の対象であった。現在においても、社会民主党や新社会党が「護憲」のスローガンを掲げているのに対して、社青同は「改憲阻止」という言葉を用いるなど、政治的な争点となっている憲法をめぐる運動・考え方についてもスタンス、理論の相違がある。
青年共闘運動
職場・産別を超えた青年の学習と交流の場は、青年共闘運動として位置付けられている。
学生運動
東洋大学、中央大学、神戸大学、淑徳大学などが拠点校で、これらの班には数十名の同盟員が在籍していた。都学協には20を超える学生班が結集し、70年代中期には学生運動で民青、中核、革マルに次ぐ動員力を持つに至った。社会主義協会系の各種運動では、現在もこの時期に学生運動から育った活動家の姿をみることが多い。
・・・・・・学生運動全般の停滞は社青同にもおよび、80年代以降社青同学生運動は急速に衰退していった。学生層の変化にみあった方針を出せなかったこと、日本共産党や新左翼は学生運動から生まれたり学生運動を主要な基盤としたため組織全体で学生対策を図ったのに対して、社青同には学生運動は労働運動の添え物という意識が学生運動出身者も含めて強くあり、学生班の衰退に組織として危機感がなかったことなどが理由としてあげられよう。このため、90年代後半以降は学協としての活動は行われなくなった。現在も少数の学生同盟員は存在するが、学内での学生運動や社青同における学習活動ではなく、政党の選挙運動に埋没する傾向があり、存在感を発揮する運動は作れていない。

上記の通り私の学生時代に聞きなれた一大勢力であった社青同がいつの間にか消息不明になっていた理由がわかります。
ただし以上は社会的意味がなくなったというだけで、その道のプロ同士にとっては社青同から派生した解放派(武闘系?)に関しては、分裂による内ゲバの激しさで知られているようです。
(具体的事件に感心のある方は、社青同解放派でネット検索してご覧ください)
結果から見ると社青同解放派に限らず全学連諸派(中核、革マルに限らず学生運動ではないですが、連合赤軍を含め過激活動する諸団体)は世論支持を失う→過激主張化→世論支持離れ加速→常識派の組織離れ→過激主張一色→武闘路線内の主導権争い・内ゲバ凄惨化(あさま山荘事件など)→対外武闘路線をさらに強める繰り返し(よど号ハイジャック事件やテルアビブ空港乱射事件など)→世論支持皆無→勢力衰退を招いて行ったような印象です。
この数十年では門外漢から見れば政治目標不明の「単なる違法集団かな?」と思う人が多いのではないでしょうか?

社会党の教条主義化4(日常活動軽視)

昨日紹介した論考に関する感想の続きですが、社会党凋落が決定的になった69年総選挙敗因を読むと日常活動による個人後援会が育っていなかったことが一因であるようにも読めます。
日常活動が充実していれば、これに比例して社会変化への適応力がつき、世話になった庶民の感謝の気持ちから活動資金も集まりやすいのですが、日常世話活動がほとんどなく観念論の演説に酔い痴れている状態では支持率低下に比例して資金源も細ります。
庶民との接点を重視しないメデイアの振り付けに頼る・・西洋的愚民思想・・庶民は愚かなので宣伝対象に過ぎないと思い込んでいる政党が庶民の代弁者を名乗る資格があるのでしょうか?
社会党がもう一歩で政権交代可能か?というチャンスに中ソの支援に頼るようになっていった結果日常感覚で遅れをとったのに対して共産党は逆に中ソからの独立路線に転じた点が大きな違いになりました。
(児童売買春に関して世間を騒がせたNGO関連で少し書きましたが、この数十年でいえば国内支持不足を国連等の応援?国際社会はこうだ!というグローバル論法にたよって国内批判をする現在のNGOの先駆者?になるのかな?)
共産主義政治の優位性を語る主義主張では国民支持を受けていませんが、外国の手先でないかという疑念を抱かれない点が独立路線に転じた共産党の強み・一定の岩盤支持が残っている違いではないでしょうか。
共産党が独自路線選択の結果、中ソの支援が期待できなくなったので国内での地盤が必要になってある程度日常活動が必須となり、生活者の基礎能力の高さを否定できなくなった結果、次第に庶民意思を汲み取る能力がついてきたと言えるのでしょうか?
日本社会の大変変革期が到来した鎌倉末期にこれを精神面で体系化するのに必須の新宗教が興った・・・浄土信仰と禅宗・日蓮の3宗教でした。
このうち他力本願系と自力系に分けると自力系では内向して行く禅宗系と外的行動を求める→過激主張・過激行動の日蓮宗の2系統に分かれましたが、ボトムアップ型民族の日本では生活人がじっくりした話し合いで決めて行けば良いという知恵・・過激主張と過激行動は好かれない民族性が明らかになったように思われます。
共産党が独自路線採用の結果、価値基準も日本回帰して見ると、ソ連流の「暴力革命」の標榜は社会内孤立するという見通しを持ち、価値観でも国内回帰・大転換したように見えます。
この頃大学内のいわゆるブントに対して「学生は街頭活動や闘争するものではなく、より一層勉学に励むべし」という中央指令を発したので全学連が混乱に陥る、党中央に従うものと、あくまで武闘路線に突っ走るグループ等に四分五裂していくようですが党は動揺せずに安保騒動やその後の全共闘運動等に対して一貫して「跳ねっかえり行動が権力による取締体制強化を誘発するマイナス行動」として厳しい批判を繰り返してきました。
学生の過激運動禁止で共産党の影響力低下の穴を埋めるチャンスとばかりに学生運動連携を強めた社会党は60年安保直前の砂川基地闘争、三池闘争等の学生運動と連携して以来、過激化する一方の学生運動と運命を共にする方向になっていったように見えます。
共産党は独自路線の結果、行き詰まりの反動で人民弾圧を始めたソ連や中国批判を遠慮なくやれたことも時宜にかなっていた面があります。
革新系野党が今でも指導層を高学歴者に頼り、運動方法としては学者声明にこだわる体質が変わらないのは、党は人民を教化する前衛・エリート集団であるという価値観・・DNAによるのでしょう。
韓国では名門大卒かどうか・・最近では超一流企業となったサムスン社員かどうかは昔のヤンパン階層かどうかによるとてつもない格差を示す道具になっているのと同じで思考法です。
共産党や公明党なども代議士、地方議員等は、党が指名して立候補できる仕組みのようなので、社会党の党員の強さに似ているように見えますが、地元民と接触する日常活動の活発さに比例して党員の現実感覚が磨かれるので社会党ほど教条主義者がはびこり難い・・日常サービス活動が残る限度で一定の支持を得て生き残れているのでしょう。
社会党の弱点は官公労等の巨大組織に頼り地元密着の日常活動をほとんどしてこなかったことだと思います。
もともと共産党の方が、共産主義革命そのものをめざす理想主義者?の集まりであり社会党の方が現実的政治センスある集団だったはずです。
昨日紹介した社会党研究論文の前提事実でも、元は現実政党であったのに次第に左傾化して行ったという意見です。
上記によれば、これは結果であって原因ではないという説明になるようです。
現実政党で政権交代可能性が予定されていた社会党が、何故観念論集団に堕して行ったのか?
私の素人意見ですが、選挙民の要望にこまめに対応する日常活動に力を入れたかどうかの差ではないでしょうか?
共産党は自民党顔負けのドブ板選挙に励んでいたので、中国の文化大革命の失政やソ連によるハンガリー動乱やプラハの春やポーランドに対する戦車蹂躙があり、ソ連崩壊等によって共産主義の輝きを失っても日常活動による下支えが現在も効いているように見えます。
社会党が足場を失っていった原因は日常活動ほぼ皆無でメデイア界や文化人等の支持・実態に合わないメデイアのヨイショ記事?あるいはメデイアが掘り起こした政権要路者批判先行によるムード盛り上げに便乗して国会で追及する・タレントが振り付けどおりにテレビで振る舞うような行動に頼ってきた点にあったと言えそうです。

社会党の教条主義化3(宣伝重視)

共産主義系の文化人あるいは運動家が日常活動→地元庶民の困りごと解決に精出すならば・・一緒に知恵をしぼる内に新たな知見や解決策が見つかることが多いので、社会の変化に対応できたでしょうが、社会党の場合庶民に知恵を教えてもらうのでなく、庶民は遅れている・教育対象なので庶民の知恵を学ぶチャンスにできない・・一般党員は庶民の知恵を党上層部に伝えるパイプの役割を果たさなかったのです。
ソ連の影響力の大きかった共産党が、中ソから距離を置く独自路線に舵を切った(舵を切らざるを得なくなった?)結果、国際支援をあてにできなくなり国内地盤維持培養にエネルギーを注がざるを得なくなった→日常活動重視→下部党員が生活者の視点でものを考える素養が磨かれたのに対して、社会党は国際社会やメデイア界で共産党を蹴落として?国際関係やメデイアや学者と連携を独占して宣伝重視→日常活動に重きを置かない政党になった面が否めません。
共産党はもともとソ連式上意下達システムでしたが、公明党、自民党のように困りごと解決に汗をかく日常活動をするようになった結果、上意下達体質を事実上変えていくことになりました。
社会党は支持率低迷で苦しくなってからも日常活動に向かわず、国際提携に頼るようになっていったように見える点で方向性に大きな違いが生じました。
現在でも国内で0、何%の支持率しかない社民党の福島瑞穂氏が国際組織の副議長になっている不思議な状態を見ればそのDNAがわかるでしょう。
福島瑞穂氏に関するウイキペデイアです。

福島 瑞穂(ふくしま みずほ、1955年12月24日 – )は、日本の弁護士、政治家。社会民主党所属の参議院議員(4期)、社会民主党党首(第3・6代)、同参議院議員会長、社会主義インターナショナル副議長。神奈川県在住。

地元日常問題に関心が低い→庶民は感謝しない→結果的に党員が増えない=党費納付者が少ない・・党収入が議員歳費中心政党の場合、巨大な党組織を維持できないので外部からの秘密資金流入に頼るリスクが高まります。
本日現在の日本社会党に関するウキペデイアの記事からです。

革新自治体と社会主義協会派の台頭
・・・・親ソ傾向の社会主義協会派の勢力拡大により、本来の左派である佐々木は中国との接近を強めるとともに、構造改革論争以来の仇敵の江田と結び、以後、協会派と反協会派の党内対立が激化した。1975年にソ連敵視を意味する覇権主義反対を明記した日中共同声明を成田委員長が結んだことで、両者の対立はさらに激化した。
ソ連崩壊後のクレムリン秘密文書公開により、社会党がソ連から援助を得ていたことが明らかにされたが、当時の社会党執行部はソ連の資金援助を否定した。

客観データが開示されているのに、具体的反論しないでただ否定するというだけでは忘れられるのを待っている・反論して論争を長引かせたくないという意図が推測されます。
上記記事では反社会主義協会派(党内左派)は中国援助に頼っている状況らしいですが、資金関係については中国政権がまだ崩壊していないので、証拠がないのは当然でしょう。
ただし文革を賞賛し毛沢東語録賛美(造反有理のスローガン)など親中姿勢は明白でした。
中国政府内では賄賂天国・・全てゲンナマ重視の中国政府が、資金援助なしに外国政党を手なづけていたとは想定できないと思っている人が多いでしょう。
上記の通りソ連や中国(これの証拠は出てません)の資金援助で党を運営していたから、日本のためになる政治には「なんでも反対」を貫いていたのではないかの憶測が広がります。
社会党衰退の原因についてネット上では、以下の論考が芦田内閣以来の検討を加えていて有益です。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaes1986/17/0/17_0_84/_pdf/-char/ja

日本社会党 の盛 衰 をめ ぐる若干 の考察 -選挙戦術 と政権 ・政策戦 略谷 聖美
要 旨:社 会 党 は,60年 代 に入 る と停滞 し,そ の後 は長 期低 落 の道 をた どった。 この停滞 と衰 退 を め ぐって は さ まざ まな原 因が 指摘 されて きた。 なか で も,党 の非現 実 的 イデオ ロ ギ ーが党 の適 応 力 を奪 った とい う見 方 は もっ とも一 般 的 な もの で あっ た。 本 稿 は,衰 退 の原 因 を め ぐる諸 々の説 明 を逐 一検 討 し,そ れ らの 多 くが必 ず しも説 得 力 を持 た な い こ とを明 らか にす る。 つ いで,選 挙 にお ける この党 の集票 戦術 を分析 し,労 組 依存 に安住 して個人後援会な どの集票組織の構築に努力 しなかった ことが衰退の一因であ ることを示す。 さらに,片 山 ・芦田内閣失敗 の負の影響 はあった ものの,こ の党の連合戦 略 と政策展開は60年代中葉 までは巷間いわれているよりもずっと現実的で,党 が活力 を失 ったのは,そ うした現実派が党内抗争で社会主義協会などの教条的左派に敗れたあ とにな ってか らの ことであることを指摘 した。

詳細紹介しませんが、この論考に同意するかどうかは別として頭の整理になりました。
読んでみて私の思いつき的主張・個人が自分の得票維持拡大・地盤培養のために個人事業主として日常業務に精出す努力をしてこなかった・民意〜客の気持ちがわからない弱点という私の着想は専門家でない考えの浅さがありますが、一部あっている自信を持ちました。
私は子供の頃からしっかりした理解力なく誤解に満ちた人生でしたが、ある人物や絵画であれ論文であれ全体として見れば意見相違があっても、部分部分で見れば共鳴部分があるもので、いろんな物事をを自分に都合よく理解する傾向・・へえ!自分の好みや意見と同じじゃない・・とすぐ納得する・・不満や敵意を持たない・・だれでも好きになるおめでたい性格です。
路地・・鉢植えの草花を見れば、全体としてデタラメかどうかは別としてまずは個々の花びらを愛でたくなる無節操な生き方です。

社会党の教条主義化2(宣伝強化体質)

党員は労組内で生煮えの左翼用語・造語を振り回して自己満足している傾向があり、左翼造語の意味内実に疑問を呈するものがあると「勉強不足」とバカにして教育対象にしていくパターンでしょうか?
・・中国では毛沢東語録の学習会が盛んであったしこれを受けて日本でも学習会が流行りましたし、今でも中国では習近平の思想学習会が盛んです・・ウイグル人の大量収容は「学習させている」だけというのが中国政府の言い分です。
https://www.bbc.com/japanese/50542004

中国政府、ウイグル人を収容所で「洗脳」 公文書が流出
2019年11月25日
中国西部の新疆ウイグル自治区にある、高度の警備体制が敷かれた収容施設で、中国政府がイスラム教徒のウイグル人を何十万人も組織的に洗脳していることが、流出した文書によって初めて明らかになった。
中国政府はこれまで一貫して、収容施設では希望者に、過激思想に対抗するための教育と訓練を提供していると説明している。

https://www.sankei.com/world/news/171114/wor1711140043-n1.html

017.11.14 16:50
中国が習近平思想学習運動を展開 幼稚園でも

古くはソ連の洗脳教育、ソ連崩壊後は中国の学習会など共産系諸国では学習運動が盛んですが、いずれも党中央の方針を有無をいわさず叩き込むシステムであり、下部意見を吸収するしステムではありません。
中国の歴史文化では指導層・士大夫と蒙昧な庶民の2階級があって、科挙で選抜された超エリートとそれ以外の被支配者には「よらしむべし、知らしむべからずしむべし」との理念でずっとやってきました。
理解させるより支配者の作ったルールを叩き込むことが西欧的民主主義の真似事というか、社会が複雑化してきたので孔孟の教えあるいは後世の「法三章のみ」のような抽象的道徳支配方法では社会が回っていかないので、細かいルールを叩き込む必要が起きたので、これが現在的適応と思っているのです。
民主主義の実利的応用というべきでしょうか?
洗脳はソ連が始めたものですが、もともと理解力の低い庶民に対する有効な支配方法として庶民相手の支配手段として強力な宣伝による盲従が有効と言い始めたというか、大々的実践を始めたのはナチスでした。
https://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/1332_gebbles_propaganda.html
ゲッベルスの宣伝術について 池田光穂

(宣伝は目的を生むための手段)
「宣伝は手段であり、したがって目的の観点から判断されねばならない。 それゆえ宣伝の形式は、それが奉仕する目的を援助することに有効 に適合していなければならない。目標の意義は、一般的必要の観点から見ればいろいろでありうるし、それとともにまた宣伝はその内面的価値に おいて種々規定されるととも明白である」(第一部、平野一郎ら訳、上:255)。
「まさに決定的な意義をもつ第二の問題は、次のよう であった。すなわち宣伝はだれに向けるべきか? 学識あるインテ リゲンツィアに対してか、あるいは教養の低い大衆に対してか? 宣伝は永久にただ大衆にのみ向けるべきである」(第一部、平野一郎ら訳、 上:258)。
「宣伝の課題は、個々人の学問的な形式ではなく、ある一定の事 実、ある過程、必然性等に大衆の注意を促すことにある。そのために宣伝の意義は、まず大衆の視野にまでずらされねばならない」(第一部、平野一郎ら訳、 上:259)。
「それだからその技術は、すぐれた方法で、ある事実 の現実性、ある過程の必要性、必要なものの正当性等について、一般的確信ができるようにするところにのみもっぱら存する。しかし宣伝はそれ自体必要なもの ではなく、またそうではありえず、その課題はまさしく、ポスター のばあいと同様に、大衆の注意を喚起することでなければならず、もともと学問的経験のあるものや、教養を求め洞察をうるために努力しているものの教化にあ るのではないから、その作用はいつもより多く感情に向かい、いわゆる知性に対してはおおいに制限しなければならない」(第一部、平野一郎ら 訳、上:259)。
「宣伝の技術はまさしく、それが大衆の感情的観念界をつかんで、心理的に正しい形式で大衆の注意をひき、さらにその心の中にはいり込むことにある。これを、われわれの知っ たかぶりが理解できないというのは、ただかれらの遅鈍さとうぬぼれの証拠である」(第一部、平野一郎ら訳、上:260)。
「宣伝におよそ学術的教授の多様性を与えようとする ことは、誤りである」(第一部、平野一郎ら訳、上:260)。
「宣伝におよそ学術的教授の多様性を与えようとする ことは、誤りである」(第一部、平野一郎ら訳、上:260)。
(宣伝の連呼の意味)「大衆の受容能力は非常に限られており、理解カは小さいが、 そのかわりに忘却カは大きい。この事実からすべて効果的な宣伝 は、重点をうんと制限して、そしてこれをスローガンのように利用し、そのことばによって、目的としたものが最後の一人にまで思いうかべることができるよう に継続的に行なわれなければならない」(第一部、平野一郎ら訳、上:260)。
「すべての広告は、商売の分野でも、政治の分野で も、継続とその利用のむらのない統一性が成果をもたらすのだ」(第一部、平野一郎ら訳、上:267)。

ナチスドイツはゲッペルス宣伝相によって、国民ほぼ全部を一定方向へ扇動することに成功しました。
日本でも低レベル層相手のテレビコマーシャルが大きな影響力を持っている・フェイクニュースの影響の大きさが言われるのはその通りです。
中ソの影響を受ける革新系政党がメデイア戦略に力を注ぐ・現在でも革新系野党の主張はメデイアによる宣伝先行・便乗型が多いのはこの思想によるものでしょう。
日本はアジアでも特異でもともと庶民の知恵が高い社会ですので、上から目線での押し付行為を快く思う人の方が少ないので、中ソの真似をしていた社共系オルグ活動は却って反発を受ける結果になったのでしょう。
ただし、日本的価値観・・「そんな馬鹿な嘘は言わせておけば、その内化けの皮が剥がれるよ!」と言う相手にしない方法が通じる・・サイレントマジョリテイが報われるのは日本国内だけであって、国際社会は利口な民族ばかりではありません。
これで痛い目にあったのが、韓国による慰安婦に関するデマの国際流布運動でした。
無視して放置していればそのうち誰も相手にしなくなるだろうと放置していたところ、知らぬ間に誰でも知っている世界の常識事実・・・既定の常識とされてしまったことでした。
逆に世界の方は日本でメデイア支配(中韓の政治意図による宣伝に限らず米英流商業政策では)大大的宣伝さえすれば、どうにもでもなると思っていたのに意外に効果が出ないことに気づく・お互い誤解していたことになります。