法人の成立要件

法による定義が普及したのは、人によって単語の意味が違うと困るからです。
自然人の場合、外見だけで子供か大人かわかりますが、法人はちょっとした外見からでは一人前の集団かどうか不明ですので、内部組織や資本などの内部がしっかりしたものしか法人格を認めないということで信用を確保するようになっています。
人間の場合、子供か大人くらいはわかるがその人の人格や能力は不明なので大雑把に知るには学歴が大きな指標になりますし、どこそこの従業員といえばその信用になるのですが、どこの所属しているかではなく、個々人の具体的能力を公に示すには運転免許その他各種技能資格が発達していきます。
医師や弁護士のようにその資格だけで生きていければ、どの集団に所属しているかにこだわる必要が低くなります。
今や、法人の場合も全て法で決められた基準に合致したものだけが、証券会社や銀行などの特定の名称を名乗れる時代です。
「人」は生まれながらにして・・生まれたこと自体で直ちに平等に権利主体になれるのですが、人と同じように何かの権利主体になれるのは、法で決められた基準に合致する組織にしたうえで設立手続(登記)した集団だけと宣言したのが民法です。
人は能力や家柄身分に関わらず等しく権利能力の主体ですが、法人の場合、公益法人や医療法人あるいは財団法人等々法人の仕組みによって多種多様ですし、登記して初めて法人として生まれる・成立するのですが、人は生まれたこと自体で人の資格がある・・出生届しなくとも人です。
財産法では登記手続きを了していることは一般的に対抗要件ですが、法人に関しては成立要件です。
会社法の会社は昔から登記が成立要件でしたが、民法の公益法人は主務官庁の許可によって成立する方法でした。
公益法人3法という法律成立・施行後は一般社団〜一般財団は許可制でなくなったので会社法同様に登記によって成立することになりました。

一般社団法人及び一般財団法人に関する法律

(平成十八年法律第四十八号)
第五款 一般社団法人の成立
第二十二条 一般社団法人は、その主たる事務所の所在地において設立の登記をすることによって成立する。

公益法人は、この一般社団・財団が一定の後継事業の基準に合致した場合に公益法人としての特典が得られる仕組みですので、結局は特別法によって設立される法人以外の一般的民間団体は、登記が成立要件になっていると見るべきでしょう。
基本的理解として言えることは政府の許可を得て成立する法人は、政府や国会の厳格な審査によって法人格が認められたものであるが、法人の有益性が強調された商業分野では設立自由化論が盛んになって、会社設立が盛んになったのですが、民間が一定の基準さえクリアーすれば自由に法人を作れるようになると、一般には基準をクリアーした法人かどうか不明なので登記した時点で法人と認めることにしたということだったのでしょう。
公益目的の場合許可主義・がちがちの監督を緩めてもっと自由化しようとなったので、公益法人も許可主義をやめて(何が公益かの基準が不明朗だったのを詳細なガイダンス等で透明化した?)いわゆる準則主義に変えたようです。
その代わり登記が成立要件になったということでしょうか。
ロボット同様の人造人間?なので法・国民合意の範囲内でどのような種類・能力(性能?)のある法人を作るのも勝手ということでしょうか?
ロボットが勝手に動き回ると困るので?法人は設立目的の範囲内でしか行為能力がないという議論もあります。
人間の場合、家業を継がせる目的で子供を産んで育てても子供は親が産んでくれた目的に従う義務がありませんが・・。
法人は法によって権利能力を与えられているので、法によってその権利能力を制限することも可能です(民法34条)。
八幡製鐵所最高裁判例があります。
八幡製鐵所事件のウイキペデイアの記事からです。

(最高裁判所大法廷判決昭和45年6月24日 民集24巻6号625頁/判時596号3頁)
政治献金は会社の権利能力の範囲内である。
会社は定款所定の目的の範囲内において権利能力を有する、との前提に立ち、目的の範囲内の行為とは定款に明示された目的に限らず、その目的遂行のために直接または間接に必要な行為すべてを含む。
会社も自然人同様、社会の構成単位であり、社会的作用を負担せざるを得ない。その負担は企業の円滑な発展に効果があり、間接的ではあるが、(定款所定の)目的遂行上必要といえる。
政治献金も同様で、政党政治の健全な発展に協力することは社会的実在たる会社にとっては当然の行為として期待される。
会社の政治献金は参政権違反ではない
会社は自然人同様、納税者たる立場において政治的意見を表明することを禁止する理由はない。
憲法第三章「国民の権利及び義務」は性質上可能な限り内国の法人にも適用すべきであり、政治的行為の自由もまた同様である。

内部規律・組織が法人となるにふさわしい内実を持っていても、設立登記をしていない集団は、権利能力なき社団とされていますし、逆に形式的に法人となる設立基準に合致した書類を揃えて登記したとしても、実質的に個人組織と変わりがないときには、法人格が否認されることがあります。
これが法人格否認の法理です。

法人の成立と事業目的の必須性

法人実在説等の紹介から、だいぶ話題が逸れてましたが、March 2, 2020 「法人3(自然村と法律村)」の続きになります。
法人の場合、人間のように生まれたことだけで権利能力があるというのではなく、法が特に認めてある集団に人格を認めるには、社会的有用性があるからそういう制度の必要性があり、法人格を認めようとなったものです。
ですから無目的な法人の設立はない(社会的有用な仕事をする目的もないのに法人格を認めない)ので、法人の設立に際して法人の目的を決めるのが必須要件です。
人間のように生まれてから「俺、何のために生まれてきたのか?」と自問する余地(悩みがなくて良い?)がありません。
法人は無目的に成立することがないので、いわば行為能力と権利能力は合体しています。
法人という抽象的なものはなく、10数年ほど前までは大きく分ければ公益法人と営利法人の二種類でしたが、公益法人3法ができて以来営利系の株式会社とその他の会社があり、株式会社の中でも証券や金融系、製造系サービス系の会社などに別れていきます。
公益法人というジャンルとの中間に一般社団・財団法人があり今は3分類時代というべきでしょうか?
何れにせよ法人になるには当初lから何々法人という法人としてやるべき目的別ジャンルが決まっている仕組みです。
人の場合には、歌舞伎役者の後継と決まっているような人もいますが、それは事実上そうなることが多いというだけであって、本人が別のことをしたければ何をしようと勝手です。
目的が決まるだけではなく目的に応じた運営規則も決まっています。
会社法という法規制に合致して設立されると会社といい、株式会社と言うためにはその方式に従った内部組織や設立手続きを経て株式会社と言えるのですが、その設立目的を定めないと法人設立ができません。
法人設立の場合「法人の目的」が必要的記載事項になっています。

http://www.pref.osaka.lg.jp/houbun/koueki/kyuminpou.htmlによれば、公益法人3法成立前の民法旧規定(法人設立の基本法)は以下の通りでした。

(定款)
第三十七条 社団法人を設立しようとする者は、定款を作成し、次に掲げる事項を記載しなければならない。
一  目的
二  名称
三  事務所の所在地
四  資産に関する規定
五  理事の任免に関する規定
六  社員の資格の得喪に関する規定

これが各法人ごとの法律に基本的に承継されています。
例えば以下の通りです。

一般社団法人及び一般財団法人に関する法律
(定款の作成)
第十条 一般社団法人を設立するには、その社員になろうとする者(以下「設立時社員」という。)が、共同して定款を作成し、その全員がこれに署名し、又は記名押印しなければならない。
第十一条 一般社団法人の定款には、次に掲げる事項を記載し、又は記録しなければならない。
一 目的
二 名称
三 主たる事務所の所在地
四 設立時社員の氏名又は名称及び住所
五 社員の資格の得喪に関する規定
六 公告方法
七 事業年度

すなわち無目的の法人設立は認められない点が、無目的に生まれてきても良い人間(自然人)との違いです。
法人は成立前にやるべき仕事や名称を決める必要がありますが、人間は生まれてから親が名前をつけるし、いつになったらどんな仕事するかもわかりません。
その中でも銀行業を営むには銀行に特化した規則に則った規則を作りその法律による業法の免許を得て初めて銀行業を行えるのであって、「法人」という抽象的なモノを設立すれば銀行業を行えるものではありません。
証券会社、日本航空なども皆同じです。
人といえば誰でもわかるような気がする人が多いでしょうが、人の終始・出生により始まり死亡によって終わるのですが、何をもって出生というかは実は微妙なので判例学説で細かく決まっています。(一部露出説、全部露出説)
それでも人情に反する場合に対応するために相続限定ですが、のちに生まれた場合に限り、胎児の段階で「生まれたものとみなす」規定が置かれています。
このみなし規定も解釈が分かれて、停止条件説と解除条件説があります。
この辺については、どういう実務上の違いが起きるかは大分前に解説したことがあります。
コラム内検索してみると1/20/02「胎児の権利能力(民法11)3」前後で7〜8回連載していることが分かりました。
初めの頃は一回のコラムが短かったので番号順に通して読んでもらう必要がありそうです。
住所とか家といってもどういう要件があると家というかも住所というかも民法で決まって行きました。
人によって単語の意味が違うと困るからです。
ただし、いろんな資格ができてくるとそれぞれの法目的に応じた住所や建物や言葉の定義ができてきます。
そこで最近では法律ごとに「この法律ではこれこれを〇〇という」という定義規定を設ける法律が増えてきました。
住所の場合も、選挙人名簿を作るとか国民健康保険や税金等の法技術上の必要から、住民票記載の住所をさしあたり基準にしますが、最終的には民法の定める住所であるか否かで決めることになっています。
訴訟などでは、登記上の住所とか住民票上の住所と本当の住所とを併記して書くことがしょっちゅうあります。(離婚事件ではしょっちゅうです)
10年以上前かな?起きた有名な事例では当時の長野県知事が、木曽地方に住民票を移していた点が問題になり、訴訟結果そこには住所がないという結果になり耳目を騒がしましたし、武富士事件では香港だったかに移転していた住所が正しいかで争って、武富士側(正式には創業者の息子個人)が勝って2000億円前後の税の還付を受けた事件がありました。
建物も建築基準法で規制すべき建物と民法でいう建物とは違うので、(一定規模以下の建物は基準法の規制外です)少しズレがあります。
ですから建築準法で建物扱いしないからとか、違法に建てたものだから建物でないということはできません。
土地明け渡し事件では、敷地内にある小屋類が建物かどうかをいつも判断して訴訟しています。
建物であれば、「土地明け渡し」だけの主文で建物収去の主文がない場合、取り壊しの執行できず、もう一度判決の取り直しになってしまうからです。
昨年秋に終わった事件では昭和40年頃に建てた10数坪の貸家に隣接して借家人が建てた鉄骨2階建ての建物が、元の古家に付合したもので2つ合わせて一個の建物かどうかで悩んだ事件でした。
独立の建物とすれば土地明け渡し判決だけでなく、建物収去を認める判決主文プラス収去命令がないと建物収去の間接強制できませんが、単純な建て増しでなくお互い外壁もあるが、屋根だけ繋いであって鉄骨新築にはトイレや台所もない水も出ないし建物の効用から見て独立性がないので一個の建物とすれば、大家所有ですから自分のものを相手に壊せと主張できません。
相手は自分のものとして固定資産税を払ってきたとしても、この際の基準にはなりません。

名誉毀損成立と政治効果6(司法の信頼5)

共謀罪反対でも秘密保護保護法反対でも「諸外国の例とここが違うという具体的主張を出すべき」と、このコラムで繰り返し書いてきましたが、これまで聞いたことがありません。
毎回初心者に説明していられないとしても、その都度「よその国の条文とここがこのように違うので危険だ」という根拠文献ぐらいあげるべきではないでしょうか?
事実など問題にしない・・「私はこう思う」と言い張るだけの人とは、右であれ左であれ、まともな議論になりません。
BPOの決定には応じられないという・・MXに番組提供したDHC会長の独占手記が報道されています。
http://news.livedoor.com/article/detail/14650432/

DHC会長独占手記】「ニュース女子」騒動、BPOは正気か

にDHCの主張が出ていますのでちょっと読むと「どの様な事実に基づく」かの主張がなく「報道の偏り」という主観的意見?に終始しているイメージで参考になりません。
決定が出てからでもこの程度の反論しかできないのでは、BPOの審査段階でも、あまり合理的反論がないママで審査が進んだように見えます。
同じ検索でhttps://www.sankei.com/entertainments/news/180501/ent1805010002-n1.htmlにも会長独占手記の報道があります。
産経の方には、関連記事・意見が出ており、たまたまその中の文筆家・古谷経衡氏のコメントを読んでみると、(そこに書いている事実が真実か否かまでは不明ですが)事実とすれば事実に基づくなかなか説得力のある意見です。
話題がだいぶ逸れましたが、これまで紹介した例では、草分け・主役と言われる間は良いが、黒幕と言われるようになるといきなり名誉毀損で訴える=「社会的地位が下がる」という主張に変わるような印象を受ける人が多くないのでしょうか?
関係していることや自分がそのような事態を引き起こした責任者と知られると社会的地位低下するというならば、
「彼らは自分のしていることが正しくないことを前提にこれまで国民をイメージ操作してきたのかな?」
長年イメージ操作に慣れさせられている(私を含めた国民は、ニュースをちらっと見た印象だけでは、沖縄基地反対運動の黒幕・中心的に応援している人と言われるのは名誉ではないのか?なぜ社会的地位低下になるのか不思議という受けとめ方になります。
「沖縄基地反対運動は、国民支持を受けていない・・正義ではない」という自白のような印象を受けた人が多いでしょう。
名誉毀損で訴えれば訴訟では勝てるとしても、問題が大きくなればなるほど、政治的には敗北宣言と同じ効果がありそうです。
ただし、この件についてはこれまで書いてきたように念のために決定概要を具体的に見たので、法的には違うテーマであったこと・・「沖縄基地反対運動の黒幕」ではなく、「違法行為の黒幕」という名指しを社会的地位下落するとして名誉毀損の理由としたのであって、沖縄基地反対運動に関与していることを名誉毀損として申立したのでないことがわかりました。
多くの人は決定概要まで見ないので誤解したままでしょうから、訴訟をした→勝ったという宣伝自体が「沖縄基地移設反対騒動には大義がない」のか?というイメージ効果が逆に広がり政治的には大きなマイナスになった印象です。
同じく児童売買春の広がりを批判「的」に国際社会で訴えていた→国際的運動の主役?的活動家(例えば、「国連委員会で発言しました」というツイッターかホームページでの報告があった場合(私は国連で発表したという活動報告を見つけていませんので、実はどういう主張をしたか不明ですが、ツイッターなどでの発信傾向を印象だけで読むと→いかにも大層な影響力を発揮していたように理解するのが普通です。
(ただし全部削除してしまったようなので、今では再アクセスできないので記憶しかありません)
ところが、イザとなれば一転して「私が何をしたというの!」と名誉毀損で訴えるのは、言葉の端々で具体的にどのような単語を使ったかの相違があるとしても、
「日頃主張態度イメージ宣伝との整合性はどうなっているの?」
という印象を持った人の方が多いのではないでしょうか?
いずれにせよ同弁護士が児童売買春関連の活動報告を一切あげなくなったとすれば、児童売買春反対運動体としては、マイナス効果があったということ・・・国民の支持がなかったということになると思われます。
京都朝鮮人学校が訴訟に勝ったものの学校の移転を余儀なくされたとヘイトスピーチ関連で紹介した学者が書いていた記憶ですが・・。
目的が正しくとも方法が悪ければ違法・許されないというのが、法治国家においては確立された法理論ですが、それと政治効果・社会の評価は違います。
窃盗グループに対するGPS捜査の違法性について3月はじめ頃に紹介しましたが、仮に自分の息子が違法なGPS捜査被害?にあって逮捕され裁判で無罪になったとしても、それを近所に言いふらしたい親がいるでしょうか?
あるいは違法収集証拠排除排除決定の結果無罪になった場合、そんなことを自慢するのは担当弁護士くらいでしょう。
非難方法がどぎつ過ぎて礼儀にかなっていないとして名誉毀損になるとしても、名誉毀損される方にまず責任がないの?という結果評価を受けるのが普通です。
暴力被害を受けた場合でさえ、・・「あの人はそのうち被害を受ける思ってたよ!」の評価が怖くて、できるだけ口外しません。
法的には被害者で強い立場のはずですが、被害を自慢したい人が滅多にいないのが現実でしょう。
沖縄基地反対運動では誰がスポンサーかではなく、地元民が中心か、よそ者中心の運動なのか・違法行為が横行しているのかを国民が知りたいのではないでしょうか?
辛氏が「自分がその黒幕ではない」というだけの訴えでは、却って違法行為横行を前提としているように見えます。
普天間基地移設問題は、(少なくとも県外へ」という主張は、実際上無理がある以上(基地負担を集中的に押し付けている沖縄県民には申し訳ないとしても)当面少しでも被害の少ない場所・県内移設しか解決方法がないというイメージが一般的です。
詳しい経緯を知りませんが、今までの一般的報道から受けていた印象では(このように多くの意見は報道によって事実上方向付けられています)「普天間基地がこのままでは沖縄の人たちが困るから巨額コストをかけて人口密集地から移設しましょう」となったはずなのに、それに反対では地元民はどうしたいのかが見えません。
高江ヘリパッド工事は、普天間基地の縮小工事関連だと思いますが、それの妨害ですからなおさら第三者には意味不明です。
こういう行動が続くと沖縄基地移設反対運動を地元民が本当に望んでやっていることなのか?
「反対のための反対」かが最大関心になってきたし、県外からの応援組の違法行為が連続していることから、移設反対闘争と地元民の関係が不明になって来たように国民が思うようになってきたところでのニュース女子事件でした。
こういう政治状況下で辛氏が名誉棄損訴訟で仮に勝っても国民の方は「変な言いがかりで勝った」だけ・・?と理解してしまい、「沖縄基地移設反対運動がお墨付きを得たと盛り上がる」とは思えません。
ただし、上記は現在のメデイアの主流的報道による洗脳効果によるもので、いまになって記憶を喚起してみると10年ほど前に米軍の沖縄基地からグアムへの大規模移転計画が報道されていたことがありました。
それがどうなったのかそれとの関係がどうだったのかの関心が持ち上がってきました。

条約成立後の専門家の役割3

昔から酒席等で冗談まじりに誘いをかけて見込みのありそうな反応を見た上で、別にこっそり会って謀議に引き込むのが普通のやり方ですから、逆から言えば、古代から酒席の冗談程度では検挙されなかったことが分ります。
まして今時「恐れながら・・」とイキナリ誰かが訴え出るだけ・・供述調書だけでは、有罪に出来ない・・検挙も出来ない時代です。
現在中国のように有罪かどうか別としていつの間にかどこか連れ去ってしまうやり方(最高首脳部の一人であった周永康については未だにその消息さえ不明・・APEC直前書類送検発表があったともいわれていますが、その程度です)は先進国では不可能・司法機関の発する令状がないと検挙すら出来ない点・・司法インフラの整っている国と整わない国の違いを区別しないでごちゃ混ぜにした議論です。
公害で言えば、公害防止装置のある工場に対しても、公害防止装置のない企業に対するのと同じように操業停止を求めているような議論と言えるでしょうか?
ですから、マスコミや文化人と称する人達の「心配で冗談も言えない」と言う宣伝は、古代からの実際の運用等にすら反していますし、(秘密警察が横行していたソ連や中国のように司法外の拘束が優越するような国とは違い、)三権分立が確立した現在日本の社会インフラにあわない議論です。
共謀罪処罰法が出来ても実際に運用する捜査機関側の方では、すぐにはどう言う証拠をどうやって収集するか(11月16日から書いているように、そもそもどう言う状態を「犯意」とするかの定義すらも試行錯誤中でしょう)試行錯誤が続くと思います。
法律や条約が成立した以上は、「犯意」の決め方や共謀認定の客観性を担保するにはどう言う証拠がいるかなど、この方面で厳格な運用を求めるなど法手続において人権擁護のために努力して行くのが法律実務家の使命です。
企業トップが無茶なテーマを打ち上げると、出来る訳がないと反対するよりもトップが決めた以上技術者がその実現に死に物狂いで邁進する・・こういうことでやり抜いた企業や人材だけが躍進して来たのです。
日経新聞で1ヶ月ほど前に連載していた植田紳爾氏の「私の履歴書」・・宝塚劇場の「ベルバラ」などの演出を手がけて来た人の文章にも、そう言う場面が一杯出てきます。
彼に限らずこれまで「私の履歴書」を連載した人の多くが、絶対出来そうもないトップの命令や環境に食らいついて行って、何とか成し遂げた人が多いのです。
そこまで成功しないまでも、上司の命令に出来る訳ないだろうとしょっ中不平ばかり言って努力しない従業員って、会社の役に立ちますか?
日弁連が政治が決めるまでに参考意見として一定の意見を述べるのは専門家集団としての職務ですが、国会で決まってしまえば、これを受入れてフォローする・・問題点があるとしたら、そのマイナス面を最小限にする・・人権擁護のために苦心し、法の適正な執行にエネルギーを注ぐことが社会の一員としての責務ではないでしょうか。
政治運動したい人は同好の士を募って別集団を立ち上げてやればいいことで、日弁連の名で行なう必要がありません。
政治意見実現のために結集した団体ではないのに、会の執行部が委託されていない政治活動をするのは、反対者まで代表しているような誇張主張になります。
私は10月19日に書いたように、元々刑事弁護の専門家ではないので共謀罪の是非は良く分っていない・・どうでも良いことですが、日弁連が政治に入れ込み過ぎていないかの心配でここまで書いてきました。
共謀罪処罰法を制定する立法事実がないと日弁連が主張しているので、そうかな?と思ってこれまで縷々書いて来ました。
立法事実があるかどうか、即ち法制定必要性の有無は、まさに政治・世論が決めることではないでしょうか?
私は共謀罪制定によってえん罪が増えるのは(本当にえん罪が増えるならば)困ると言う意見では、日弁連と同じですが、これまで私見を書いてきましたが、この道のプロではないのでそれ以上はよく分らないので、元々は制定自体に反対でも賛成でもありません。
しかし、自分の意見と仮に同じとしても、日弁連や単位会が会の名で政治活動することは反対です。
組織に頼りたいならば、それぞれが自分の意見に合う集団を作って独自に活動するべきです。
大阪の橋下市長が、在特会会長との10月20日ニコニコ動画での対談において(言い分があるならば、街頭運動しないで)「選挙に出て主張しろ」と変な主張をしていましたが、私は彼のように政治家以外の民間人による政治運動をやるなと主張しているのではありません。

条約成立後の専門家の役割2

専門家集団の役割と政治について考えてみますと、専門家集団・・地震学会・◯◯学会その他は、特定政治利害実現のために結集したものではありません。
専門家は政治が決めるタメの参考意見を提供すべきですが、専門家は決まった結果をフォローして行くしかない・・条約が出来た以上は、マイナス面を如何に少なくするかの専門的フォローこそが役割です。
地震学会で言えば、原発推進するかどうかは政治が決めることであって、原発にはこう言う危険があるとか、対処方法はこういうことがあるなどと客観的意見を言うまでが仕事です。
原発は危険があると反対したのに原発推進の結果が出た場合、具体的な施行に必要な規則等の制定に地震学者が反対運動しているような動きにあたるのが、国際条約署名後の共謀罪の国内法整備反対論の動きではないでしょうか?
どう言う方向に持って行くかを政治が決めたら、人権侵害にならないように施行規則やガイドラインの整備あるいは証拠法則の適用等の段階で専門家は出来る限りの努力をするべきでしょう。
犯罪の実行行為があってからその前の謀議を割り出して行くのに比べて、共謀段階で検挙してしまうと、実行の外形的準備さえないまま終わってしまうので、本当にそんな計画があったのか、権力によるでっち上げだったのかの区別がつき難いのが確かです。
この種の陰謀で政敵を葬るやり方が、洋の東西を問わず古代から繰り返された歴史です。
我が国で言えば有間皇子の事件や長屋王の事件など知られていますが、(菅原道真のさせんもその一種でしょう)武士の時代以降陰謀によるえん罪はドンドン減って行き、ドンドンなくなって行ったように思われます。
我が国の場合、武士の台頭以降、社会がかなり合理主義的になっていますし、今では証拠裁判主義ですから、古代にのみ存在したえん罪の疑いをそのまま再現するように心配するのは間違いです。
共謀罪を法制化して定義を厳密に決めても、その認定には証拠がいります。
共謀だけで処罰と言うと如何にも内心の意思だけで処罰されるかのような悪印象を振りまいて国民を不安に陥れますが、自分で内心思って考えているだけ・・仮に発言しても相手が共謀に加担しないと成立しません。
他人との話あい・「意思の連絡」が必要ですし、阿吽の呼吸ではなく何らかの意思「表示」が必要です。
※ただし、共謀共同正犯論では、「意思の連絡」と言う単語を使う学説もあればいろいろです。
いろんな説があるとしても、共謀罪は共同正犯構成するのではなく、共謀のみで足りるとすれば、共同意思主体(これの必要説もあれば、意思主体説をとらない説もあります)の成立も不要ですし、確かに共謀の成立要件が少し容易になるかも知れません。
ところで、意思の連絡→意思表示と言っても声に出す必要がありません。
黙示の意思表示と言う民事での概念があって、これを刑事事件の共謀共同正犯事件でも認めた判例が出ていることを、「共謀概念の蓄積(練馬事件)3」Published November 6, 2014で紹介しました。
黙示の意思表示で良いとなれば、共謀の現場に同席しながら、黙って聞いていただけの人が、相手(首謀者)から、「お前これをやってくれ」と言われて声を出して返事しなくとも、そのとおり実行すれば、それは犯行計画に同意したことになるでしょう。
今ではビデオや録音・メールのやり取りその他客観証拠が一杯ある時代です。(15〜16日に書いたように関係者は馬鹿ではないので、こう言うときには当然証拠を残さないようにやるでしょうから・・内通者のいるときだけ有効です。
これに加えて酒席で冗談に言ったこととの区別のためには、会話した場所や状況など共謀に参加するためのある程度の継続的行動記録など客観証拠の裏付けが必要です。
むしろ実行行為やその準備行為に関与したこととの関連で、証拠評価されて行くのではないでしょうか?
銀行強盗計画に関与したかの認定でいえば、何時何分に指定された場所に逃走用の車を用意して待っていたとしても、「何のことか知らないが呼び出されて待っていただけ」と言う場合(末端関与者の場合、謀議が漏れないように用件を言わないでただ待機するように命じることが多い)もあります。
いずれにせよ事前の関与次第等で共謀の有無が決まることが多いですから、継続的な状況証拠の収集が重要で、この辺の詰めをして行くのがプロの仕事です。