社民党の体質(鳩山内閣離脱)

学生運動に話題が逸れましたが、旧社会党は60年安保騒動が終わった後・国論(国民総意)として日米基軸体制の選択が確定した後においてもなお民主的国民選択に従わない行動が続いた・・このために旧社会党の政治目標が不明化して結果的に「なんでも反対」するしかなくなったと見るべきでしょう。
旧社会党の行動は自分の主張を勝手に市民の声と称して「国民大多数の気持ちを踏みにじる行為」などというスローガンで毎回選挙結果無視の運動を展開してきました。
この運動方式は「議論によって決まったことに従う」という民主主義理念放棄である以上、国会では牛歩戦術という民主主義手続きの乱用を衆人環視のもとで行い、国会で決まった政策実現には現場工事がほぼ伴うのを悪用して現場となる地方自治体での問題蒸し返し・・地元民反対運動の盛り上げや訴訟戦術の乱発で時間稼ぎして最後の工事段階では違法な実力行使での妨害=現場闘争部隊・・違法集団を養う方向にならざるを得なくなったように見えます。
その暴発手段として別働隊(これが一人歩きして内ゲバ過激化)との一体感イメージが一般人に定着してしまったのが、長期低落の主原因だったと総括できそうです。
今の社民党は事実上の顔である福島氏自身が違法行動に参加して排除されるなどを見ると、党自体は違法行為に関与しないという限度の自己抑制すらなくなったような印象を受けます。
いわゆる嫌韓運動に対抗組織として活躍していた「しばき隊隊長」が激しい暴力的活動で却って在日社会から危険視されるようになったからか?いつの間にか嫌韓運動の対抗組織としての活動をやめて沖縄辺野古基地反対闘争に参加し社民党と共闘していると報じられるようになりました。
共闘というと唯一の指揮命令系統に所属して参加する場合が基本形でしょうが、そこまで意思統一しなくとも特定街頭活動が行われている現場で、敵対的デモをする場合と協調的デモをする場合とがあり、一定闘争?現場で協調的デモを繰り返している場合外から見れば共闘関係に見えます。
一般人は闇の人間関係まで知る方法がないので、外部での協調行動から窺い知るしかありません。
ただし、しばき隊の名で沖縄基地反対運動に参加しているのではなく、しばき隊元?隊長が個人で参加しているようです。
旧社会党は安保騒動の頃に社青同という関連団体を育成しましたが、これが昭和40年代には過激派学生運動の一翼を担う組織の一つとなり過激派が国民支持から離れる過程で(私には)消息不明となっていましたが、その焼き直しかな?関係不明のしばき隊とかシールズなど新規活動集団に頼るようになったイメージです。
共産党が暴力革命路線を放棄・修正後、全学連の跳ねっ返り街頭活動を批判し続けてきたのに対し社会党系は共産党の穴を埋めるかのように学生の過激な活動を期待するかのような傾向を続けてきました。
過激な学生運動とこれを背後で煽る社会党が世論支持を失って来た歴史があるにも拘らず、社民党は今なお新たな別働隊期待を続ける時代錯誤性は抜けないようです。
一旦出来上がった強固なDNA(教条主義=過激活動主義は変えようがないので、)旧社会党から大部分の議員が先を競って逃げ出して新党結成に参加したのは正しかったことになりそうです。
旧社会党に居残って社民党と改名した後を継承している福島氏が、民主党連立政権参加時に、沖縄の辺野古基地移設に断固反対して当時の鳩山首相から解任されて閣外に出た・連立政権離脱を選択したのは、政権に参加した場合でも(従来は責任のない野党だったので・・という理解可能でしたが)従来型・・結果無視・筋を通しさえすれば良いとする硬直政党の体質を示した事件でした。
現実政策能力の無さというか、原理論に凝り固まった(選挙の洗礼を受けない頑迷な?)党員の意向に抗することのできない旧来体質を明らかにしたものでした。
福島瑞穂氏に関するウイキペデイアの記事です。

普天間基地移設問題では一貫して沖縄県外、日本国外への移設を主張。2010年5月28日に辺野古地区への移設で日米が合意したためこれに反発し、閣議了解の書類に署名しないと宣言する。鳩山の説得にも応じなかったため、同日中に罷免された[4]。日本国憲法下での閣僚罷免は5例目で、政党の党首職にある閣僚の罷免は初めてであった。
2010年5月30日に開いた社民党全国幹事長会議で、最終的に連立を解消することを決定した。

鳩山民主党は普天間基地移設先を「少なくとも県外へ」の選挙公約で政権獲得したものの政権担当後どこの都道府県への移設展望もない空論であったことが判明し、上記公約で政権獲得した鳩山内閣自身が恥を忍んで辺野古移設について日米合意するしかない状態に追い詰められた現実を内閣の一員として理解していながら、現実をみとめず「筋を通す・党内意見を優先する」しかない旧社会党の体質がそのままだったことを満天下に示した事件でした。
民主主義とは、議論の結果決まった国民意思に従うことであって民主主義国家の政党もこの原理に従うべきです。
現実政治に参加している与党の一員であり、有効な対案がないことを認めていながら要党内協議に従わず、合理的理由なく閣議で反対する・・日頃からのなんでも反対の本性が出た事件でした。
合理的対話の結果を無視・党内意見以外認めないのは、民主主義・議論結果相手の意見も認めることを否定する党の唯我独尊体質を明らかにしたもので、中国共産党の一党独裁のようです。
現実がどうしょうもないことが分かっている・合理的対案を出せないにも拘らず、現実を踏まえた内閣の決定を受け入れない宣言・・解任するならしてみろ!→社会孤立しても結果を認めない態度→民主的に決まった政策を受け入れない意思表示→受け入れるくらいなら解任されても良いし連立離脱も受け入れるというのは消極抵抗でしかないのですが、この種の意思表示は積極抵抗の一歩手前の覚悟を示したことになります。
党としては積極抵抗=違法行為実行の意思を示さずとも血気盛んな支持者は勇み足で積極抵抗に走ることが多いものです。
明治維新初期に下野した西郷隆盛にその意思がなくとも終焉いかつがれt西南の役になった故事を知るべきでしょう。
国策行為は法令の施行という形をとる以上・・これに対する積極抵抗は違法性を帯びる行動になりがちです。
これが沖縄での工事妨害に向けた違法行為誘発の原因でしょうか。

政党支持率と内閣支持率(安倍内閣の改憲を許さないとは?)

いまの内閣を信用してもすぐに変わっていくが(日本では平均数年です)自民党の体質は簡単に変わらないから「この内閣の提案は信用できるが母体の政党が信用できないので、反対」という方が意味が通るキャンペインですが、憲法改正や政策に反対するチラシなどでは、逆に「安倍内閣だから〇〇反対」という運動が目立ちました。
選挙で勝敗(信任)が決まった直後に、国会周辺に数万前後を動員して「自民党の提案に反対しているのは国民大多数の意見」というのは無理があるので「自民党支持と内閣支持は違う」国民は内閣を支持した訳ではない・・というすり替えイメージ流布に努めている印象でした。
このような選挙結果無視の運動が正しいとすれば、議院内閣制を否定し大統領制に憲法を改正するしかありません。
何がなんでも憲法を守れという護憲勢力としては矛盾した主張です。
民意無視の専制国家モデルでは、「人民は敵ではないが、支配者は敵」と分離する発想は合理的ですが、日本のようにボトムアップ型・同胞社会では人民と支配者の分離工作は無理があります。
政治の世界でも同じで「与党に文句ないが与党の選んだ内閣は敵」という運動には意味不明の印象を受ける人の方が多いでしょう。
これがぴったりだと思うのは、専制支配を理想とする精神構造の人たちのグループだけはないでしょうか?
本質は反対のための反対なのでいうことがなくなったのではないか?というイメージです。
これに呼応するかのように大手メデイアは「安倍一強」に問題があるかのように、自民党内の風通しが悪くなり自由な議論ができなくなっているなどのムード宣伝が続きました。
最近では政高党低という熟語を宣伝して、内閣が自民党から如何に遊離しているか党内不満が鬱積しているかのようなイメージ作りに励んでいます。
内閣を支持していないが地元与党政治家を支持しているから結果的に与党に投票しているという人もいるでしょうし、逆に自分の選挙区の与党立候補者の人物はもう一つと思っているが、内閣を支持しているので与党候補が落ちて内閣が弱体化すると政策実現能力が下がるので、仕方なく与党候補に投票している・・内閣の人気にブラ下がって立候補当選している政治家もいます。
このどちらが多いかを表すのは内閣支持率と与党支持率の較差でしょう。
昨日紹介した世論調査を見ると、どこの調査でも内閣支持率が自民党支持率よりも高いのですから、地元自民党立候補者への信任より内閣への信任の結果・・仕方なしに地元自民党候補に投票している人の方が多いことを表しています。
こういう状態で自民党は好きだが内閣のやることには反対・・これが国民大多数の声というキャンペインは無理があることが明らかです。
立憲民主に対する総選挙後の支持率の変化を見ると、国民の多くが原理論というか?観念論で反対ばかりする政党を必要としていないことは明らです。
昨夏の衆院解散に対して「大義のない解散」という声・・解散批判論がメデイアを中心に大きかったですが、選挙があれば、少なくとも一定の高齢者がこの機会に引退することで政治家の世代交代が進むことと、民意の反映が進むメリットがあることが明らです。
メデイアの応援頼りで実際に国民支持のない民進党が選挙という国民審判の本番を前に外見をそのまま持ちこたえられずに解体するしかなかったこと・・希望の党や立憲民主党ができたことで、メデイアによる実態不明の世論調査ではなく、メデイアの煽る森友問題などを国民が本音でどう見ているかの審判が下されるようになったことは、大きなメリットでしょう。
メデイアはしきりに解散がいかにもよくないかのようなイメージづくりをしていましたが、要は「森かけばかりが国会の仕事ではないという)民意を証明されるのが怖かったからでないか?という結果に終わりました。

国会審議拒否と内閣総辞職(戦前の教訓)2

江戸時代の一揆の仕組みを佐倉宗五郎の例で紹介しましたが、騒動を起こすような大名には統治能力がない・企業でいえば部下が団体で社長に直訴するような騒動を起こされるような人(所長や支社長)は「人の上に立つ能力がない」という判断は概括的評価として便利な知恵です。
そして騒動原因の善悪に関わらず、首謀者は必ず処罰される江戸時代の「喧嘩両成敗ルール」も安易な騒動を起こさせない知恵でした。
両成敗の結果、安易な個人的恨みや出世競争を勝ち抜くための追い落とし戦略などない時代には合理的制度だったように思われます。
西欧の民主主義制度・・その一環としての政党政治が始まると、党利党略中心で、国家のためというよりは党派利益だけで相手の党を非難だけして騒動に持ち込めば与党が責任を取るという結果だけ真似した・両成敗ルールがないので騒いだ方に政権が転がり込む変な結果にしたのが西園寺ルールでした。
加えてエセ民主主義国家においては本当の民意を問う仕組みがないので騒動が大きくなると民意の支持を受けた騒動か否かの判断がつかないので・・本当の民主主義を求める革命騒動に点火するリスクを恐れて、目先沈静化の方便としての不満の種になっている担当者処罰で乗り切ろうとの考えが高まります。
こうした時代背景を前提に日露講和条約不満が合理的・正義にあっているか民意によるかの基準によらずに、元老院が内閣総辞職させて当時の少数野党に組閣させた理由でした。
この辺までは、まだ党利党略による不当な意図によって騒動を起こす政党政治が未発達でしたので、(元老院内で有能な政治家に白羽の矢を立てる)許容範囲でしたから元老院のミスとは言えないでしょうが、その後政党政治が発達するとこれが変な方向性・・・なんでも反対して政治を麻痺させれば野党に政権が転がり込むという歪んだ政治運動の基礎になっていきます。
政党政治を導入する以上は民意多数を得た政党=選挙で多数支持を得た政党が政権を握るという両輪の導入が必須だったのですが、明治政府はそこまでの民主化の徹底を認められなかったので、民意や正義に関係なく国会審議が滞れば結果責任主義で政権交代を行なったのがこのような歪みを起こした原因です。
この悪習が次第に大きくなって、野党が政権を握るには選挙で勝つよりは何かテーマを見つけてはメデイアと組んで根拠のない騒動を起こしさえすれば時の野党が政権を握れる習慣になったので、あることないことで騒動を起こしては(天皇機関説事件の例を紹介しました)政権党になる・政権交代のルールになっていきました。
下野した方は同じくメデイアや軍部(メデイアの応援がないと騒動にならないからですが・・そのうちメデイア主導(メデイアは軍部と組み)と組んではまた自分を追い落として政権を得た与党を攻撃する・・結果その都度軍部が増長していき日本を破滅に追い込んだ歴史です。
戦後は本当の民主主義社会になったのですから、民意を知る手段としては完全な自由選挙制度があるので、騒動の大きさによって民意を知る必要がありません。
赤ちゃんが生命の危機を伝えるには泣くしかないのですが、むずかるとか小さな動きを母親がきめ細かく感じ取って手当てしていくようになると大きな声で泣き叫ぶ必要を感じなくなります。
成長に連れて言語能力等が発達するように、国民の表現力が付き、為政者も察知能力が高まる・上下ともに共感力・察知能力→忖度能力が高まると大規模な革命騒動が不要になります。
このコラムで繰り返し書いているようにフランス革命や、中国で繰り返される王朝末期の大騒乱など大規模騒動を起こさない限り社会が変わらない硬直性こそ恥ずべきことです。
日本では昔から「民の声なき声」(赤ちゃんが泣き叫ばなくとも母親の多くがその前に表情等で気がつくように)をすくい上げる能力が発達していますし、これに加えて戦後民主主義制度の発達定着で民の声は十分に届いているので、命がけの一気に相当する反政府活動・.騒乱状態を必要としていません。
一部はねっかえり組織集団画題動員をかけてデモや集会を何回繰り返しても国民大多数の声など反映しているものではありません。
処罰される心配もない民主国家では、集会に千人参加すると(処罰が怖くて参加をためらう)その何百倍の支持があるという意味がほぼなくなり、最近ではどちらかと言えばデモや集会は自己集団の存在誇示運動目的になっているイメージです。
その集会目的とどういう関係があるのかわからない韓国語で書いたプラカードや組合の旗などが目立ちますが、仲間内でどこの組織が参加したかの出席表みたいになっているのでしょうか。
補欠選挙や地方議会選挙などで民意を絶えず反映している先進国では、選挙で得た民意・多数党になるしか与党になることができないにも関わらず、革新系野党は騒動さえ起こせば与党になれた戦前の旨味を忘れられないでいるように見えます。
戦後もこの威力を発揮したのが60年安保騒動でしたが、これはまだ戦前政治の記憶が強い時期だった・当時はまだ戦前政治経験者がほとんどだったから戦前の政治習慣に従って「揉めれば辞職」すべきという暗黙の合意があって、内閣総辞職になったにすぎません。
ところが、戦後の制度は民主制度に変わっていますので、内閣総辞職しても国民が自民党を支持している限り、少数野党に政権が転がり込むことはありません。
そうすると何のために何かといちゃもんつけては審議妨害をしているかの疑問が起きてきます。
ここから革新系野党の誤算が始まったように見えます。
その頃から「政権たらい回し」批判を頻りに行って「憲政の常道論」が起きたのですが、彼らの言う戦前の憲政の常道とは、騒動の責任をとって辞職した以上は、政権を(少数=民意を無視して)野党に引き渡すべきと言うものでした。
騒動を国民が支持しているならば、次の選挙で勝てばいいのですがそれを一切言わないところが味噌です。
歴史の審判の結果から言えば当時の日本国民の大多数は革新系の推進していた旧ソ連圏との同盟よりは、日米同盟を支持していたことは明らかでした。
戦後文化人と称する人達は、ずっとこの手の騒動を起こすことに主眼を置いて民意の支持を得る地道な努力をしないまま70年以上もやってきたことになります。
民(たみ)の支持を得る努力と書きましたが、日本の場合、古代から上下共にそれほど能力差がないことを書いてきましたが、「エリートが高邁な理想を唱えて愚昧な民を指導する」という発想自体がおかしい・・むしろ実務に参加して実務で磨かれた常識の中から国の進むべき道筋の方向が出てくるのが原則です。
ですから欧米的エリートと文盲に分化している階層社会を前提にして、(これを有難がって)エリート?の前衛思想家が国民を指導しようとする方向自体が間違っています。
国民意識を無視して有名教授の名を連ねて「違憲」という運動をいくらしても国民は共感しません。
この辺は、ポーツマス講和条約に反対した帝大7博士意見書の伝統を受け継ぐ古色蒼然たる運動形式です。
明治時代でも7博士の意見書は時代錯誤の主張であったことはほぼ百%明らかですが、それから約100年あまり経過後の今でも帝大7博士の故事に倣った憲法学者連名声明を錦の御旗のように掲げる?主張のおかしさに気がつかないようです。

国会審議拒否と内閣総辞職(戦前の教訓)1

野党(立憲民主党は森かけ等の一連疑惑追及の急先鋒ですが・・)は、次官が懲戒を受ければ大臣の任命責任という順序の主張であり、メデイアはそれとなく国民理解が得られないと(5月2日紹介記事のように)主張して次官や大臣の辞任要求に徹しています。
最重要閣僚の解任になれば、総理の任命責任という図式を描いているイメージです。
これまで戦前の総辞職の事例を書いてきたように、内容の真偽や是非ではなく、「これだけの騒ぎになった以上内閣が責任を取るべき」と言う戦前の悪しき習慣の再現を野党とメデイアは共同して狙っているように見えます。
反論さえさせない・事実不明にしたままで「ともかく責任を取れ」という強引な態度を国民がどう見るかです。
野党やメデイア界全般の強引な対応を見ると、事実の有無を明らかにしない・他の審議を一切止める・・こういうことが国政上どういう意味があるかの議論よりも、政局に持ち込みたい?野党とメデイアの変な意図に対する憶測をたくましくする意見も一応の説得力があります。
この辺で自民党側から解散説が出てきたので、メデイアや野党の意向が民意の支持を受けているかの関心が高まってきました。
民主国家における「民意は何か」となると、戦後民主主義国家においてはメデイアの偏った?世論調査結果よりは選挙結果が文字通りの民意です。
昨年の解散直前の世論調査と選挙結果がまるで違っていた事実があります。
ここにきて野党は内閣総辞職に追い込んで選挙に勝てる自信があるか・本当に国民支持を受けて騒いでいるかの問題であることが、次第にはっきりしてきました。
戦前の天皇大権下のエセ民主主義時代・繰り返し書いてきたように、政治テーマの是非に関わらず騒動がおきると野党に政権交代させる西園寺ルール・・悪しき慣習によりかかっている野党やメデイアが困ってきたようです。
戦後は枢密院が次の政権を指名する時代ではなくなっている・・民意=選挙結果で政権交代交代する時代になっているのに、騒ぎさえすれば政権交代になる戦前からノスタルジアに浸っているメデイア・野党の限界が見えてきました。
戦後60年安保当時は戦前政権交代のルールに親しんでいる国民が多かったのでまだ内閣総辞職で対応しましたが、当たり前のことですが(国民の多くがソ連と仲良くするよりは日米友好基軸体制・・安保条約を支持していたので?)政権交代にならなかったので騒動を起こした支持者が失望しました。
その後国民に民主主義の意識が浸透するに比例して内容の是非に関わらず「騒動さえ起こせばいい」という運動に対する疑問が起きてきて、一般学生運動というよりは、原理主義というか過激運動家中心・ともかく「暴れることに意味がある」暴発運動に変わってきました。
この開き直りを正当化しようとしたのが?毛沢東語録「造反有理」のスローガンでしたし、政党的にはなんでも反対の社会党への変質であったと思われます。
このように戦前政治回帰は不可能になっているのに、いまだにその夢を追っているのがメデイアであり革新系政治家です。
造反有理は文化大革命の悲惨な実態が伝わるにつれて、なんでも反対で騒動を起こす政治運動が無理になったので、さらに開き直って、国民支持を気にしない一種のテロ活動(三菱重工爆破事件や連合赤軍によるあさま山荘事件)に変わって行き.ついには一般学生も国民の共感も得られなくなったのがその後の経過です。
メデイアが軍部(戦後は中ソの応援・ソ連崩壊後ソ連から、社会党に資金が流れていたことが明らかになった記事を紹介しました・・)等を背景に騒動を煽りさえすれば政権交代があった・戦前政治風土への回帰は民主化が本物になった戦後は、不可能になっているのに、いまだにその夢を追っているのがメデイアであり革新系政治家です。
ここ数十年では単なる反対では国民が相手にしなくなったので「護憲」「民主主義」「平和主義」というスローガンによっていますが、具体的処理の必要な政治決断を何でも「護憲」「平和」と言う原理さえ言えば解決できるはずがありません。
今の時代内乱は滅多にないので平和主義とは国際紛争解決をどうするかが中心テーマですが、中東の戦乱・イスラエルとアラブ諸国との紛争、サウジを中心とする湾岸諸国とイランを中心とするシーア派の抗争・イエメンでの内乱、シリア内戦に関するトルコやイランの立場の違いとクルド族の独立問題、シーア派とスンニ派の宗教対立とイランの浸透などなど・・・これを平和主義という一言で解決ができるでしょうか?
高校の頃だったか?現実理解がなかったのでソクラテス・プラトンの授業だったかで哲人政治という言葉に惹かれましたが、大人になると世の中具体的事象に応じた例外の例外の例外の応用・TPOが必要で原則論さえ知っていれば物事が解決できるものでない・哲学者や憲法学者に政治ができるものではないことが分かりました。
ノーベル賞物理学者が、車や電気釜、自転車一つまともに作れないのと同じです。
原理論しか言えない人は、(そんなことは中学生でも知っているレベルです)政治家あるいはまともな政党・・実務家とは言えないでしょう。
「花の都パリ」というだけで、文明開花の匂いを嗅いだ気になっていたのですが、みんなが海外旅行出来るようになると「憧れ」の時代が終わり具体的運用が重要になる・・民主主義や平和主義という原理論のスローガンだけで酔い痴れるレベルの人は、具体的な民主主義の運用など知らなかった時代の人のことです。
・・April 7, 2018のコラムにに新宿駅前の反〇〇集会写真を紹介しましたが、参集しているのはほぼ旧時代の人・・夢多き時代の生き残り・・高齢者中心です。
戦後いきなり始まった民主主義の言葉に酔いしれた高齢者がまだ(現実をみようとしないで)夢を追い続けていることがわかります。
現在の国会審議拒否状態を国民がどう見ているか?については以下の記事を引用しておきましょう。
undgarge.com/20180313a-nikkei-early-bird

財務省の問題と、内閣総辞職の必要性とは、全くリンクしない
今朝の日経朝刊(3/13)早読み。本稿を書こうと新聞を読んで、記事を選ぼうとして、一旦は止めました。あまりに下らない。税金を使って運営されている国会の実態が小学生の学級会以下だと思われてならないからだ。
なぜ、財務省の倫理、コンプライアンスの類の問題から一足飛びに「内閣総辞職」という言葉がチラつくまでにエスカレートするのだろうか?新聞記事の紙面も、経済新聞でありながら、殆どがこれ関連だけだ。
仮にもし、こうしたことで政治空白が生じ、市場や経済に影響が出たら、野党はどう責任を取るつもりなのだろう。
またそれを面白おかしくヒステリックに煽り立てるマスコミという存在は何なのだろうかと思ってしまう。
・・・公文書を行政の現場で書き換えたこと自体は非常に由々しき問題であるが「野党側は強く反発しており、安倍晋三首相は厳しい政権運営を迫られる」というのは、正直解せない。
何を誰に対して、どうして野党側は反発しているのか?国政を司る国会運営という原点に立ち戻った時、野党のすべきことは「反発」なのだろうか?
民主主義の中でのマイノリティが、何かと問題を見つけてはマジョリティの転覆を諮ることだけを大命題にしている気がしてならない。
事実首相は「「行政全体の信頼を揺るがしかねない事態であり、責任を痛感している。国民に深くおわびする」と謝罪した」とある。一方野党側は「組織的に行われ、極めて悪質だ。内閣全体の問題だ」(希望の党の玉木雄一郎代表)と指摘して組織的な隠蔽だと批判、内閣総辞職を求めた」とある。まるで指先の怪我とは言わないが、手首を挫いた程度で「死ぬ、死ぬ」と騒ぎ立てている子供のように思えてしまうのは私だけであろうか?

以上が常識的感想と言うべきでしょう。

国際孤立化とメデイアの責任1(社会意識変化と内閣の責任)

4月15〜16日の米英仏によるシリア空爆問題以来、ロシア対トルコの歴史等横にそれましたが日露戦争以降の日本に戻ります。
当時に日本に対する欧米のイメージはアジアの小国が粗暴な大国ロシアに抵抗する判官
びいき世論が西欧世界で出来上がっていました。
ポーツマス条約に関するウイキペデイアの記事中の注で米大統領の熱烈な日本支持を示す部分を引用しておきましょう。
(ポーツマス条約関連と7博士意見書は3月末頃と4月1日頃シリーズで書きましたので全体については上記をお読みください)


^ セオドア・ルーズベルトは「(日本への)同情が欠如している」として駐韓米公使の選任を変更したこともあるほどで、日本海海戦の際も一日中そのニュースだけを追い、ルーズベルト自身「私は興奮して自分の身はまったく日本人と化して、公務を処理することもできず終日海戦の話ばかりしていた」と、その日のことを振り返っている[5]。

第二次世界大戦時のフランクリンルーズベルト大統領時代には「被害者中国vs加害者日本」という構図に入れ替わってしまったことになります。
日本のネットではフランクリンルーズベルトの個人的資質ばかり問題にしていますが、アメリカ人が一方に熱狂的支持とその反作用としての熱狂的反感を持ちやすい単純民度を背景にしていると見るべきでしょう。
卑近な例では大統領候補の演説に総立ちで熱烈歓声をあげる単純な感情吐露の光景ですし、日常的にはスーパースターをいつも求める気質です。
日本人のようにほどほどに楽しみじっくりと鑑賞する気質ではありません。
こういう単純な民族を如何にして味方に引き入れて敵視されないかはすごく重要なことですが、日本は幕末開国の最初からアメリカの好意に頼っていたので、維新以降もこの関係が続いていたので戦前はこの関係が自然にあるものと過信していたので失敗したのです。
学校では戦時中の(鬼畜米英教育の影響か?)黒船来航やペリーの粗野な態度その他マイナスイメージばかり教えられますが、実は列強の中でアメリカが一番好意的だったから幕府も維新政府もこれに頼ったのです。
何の見返りもなく幕末に小笠原諸島を(戦後もすぐに奄美列島をかえし、沖縄も返しました・・・物事には相応の政治効果期待を否定できませんが、露骨な領土欲を示さなかった)無償で日本に引きわたした事一つとっても、その他列強の対応と違っていたので日本はアメリカに頼ったし・咸臨丸の航海その他遣欧使節などまずはアメリカ経由で予備知識を仕入れてからという流れでした・・(アメリカに行ってみると条約改定交渉には全権委任状が必要と教えられて慌てて日本に取りに戻ったたことがその一つです)アメリカの好意的後ろ盾がその後の運命・・植民地支配を受けなくて済んだ原因です。
戦後教育では、不平等条約ばかり問題にしていますが、当時としては独立国日本の独立を前提に日米和親条約をその後の条約モデルにしてもらえたので、(アメリカの威力背景で)ロシアその他どう猛な国の厳しい要求を拒めたし、どこの国とも戦争にならずにすみました。
以下に紹介しますが、21ケ条の要求もアメリカの動向を重要視していましたが、それまでの親日的態度に甘えて次第に日本離れしていくアメリカの真意を読み違えたのです。
戦後はこの失敗に気がついたので日本叩きが進んだプラザ合意頃には、日本車をハンマーで叩き壊すテレビ画像が流れるような危機状況下で日本国民が感情的に反発することなく、これを背景に中曽根総理がロンヤス関係構築を図ったのは先の戦争による貴重な教訓を活かしたことになります。
戦前も官僚や為政者は、国際世論の変化を意識して米欧の国民世論を刺激しないように徐々に修正対応していたことは、対支21ヶ条要求による袁世凱政府との取り決めがベルサイユ条約で国際的承認を受けていたにもかかわらず、国際世論の変化に合わせてせっかく取得した山東省権益を放棄したり、並行して海軍軍縮交渉に応じたり、満州事変以降の現場の暴走に対して戦線不拡大方針を決めるなど現実対応に務めていたことがわかります。
これまで見てきた日露講和条約に対する7博士意見書のような実態無視・国際世論無視の過激一方のメデイア世論や美濃部の天皇機関説事件の推移が象徴するように、(これまで紹介した通り学問は学問の場で決めつことだとか、政府答弁はその都度真っ当な意見でした)何かある都度メデイアの煽りに合わせた内閣総辞職の繰り返しになり、結果的にメデイアが煽りさえすれば内閣総辞職になった結果、その後メデイアの煽りが政治方向を決めていくようになったのです。
なんらの見識もない・・表層の短絡的理解聞き齧り的意見しかない各部門での2〜3流人材の寄せ集めであるメデイア界が、上っ面の一方的な方向を煽っては政局を決めてきた・・戦後メデイア界はこの味を占めた経験を忘れられないように見えます。
最近では財務省次官のセクハラ疑惑を大騒ぎして担当大臣辞職を求めるかのようなイメージ報道が盛んです。
今朝の日経新聞春秋欄では、総理がこの際(ウミを出し切るというが)この1週間だけで、文科省大臣が公用車を利用して白昼ヨガに通っていたという報道や防衛省の下請け企業が水増し請求していた事案が発覚しているなどを引き合いにして「切開手術」を必要とするなどと主張し、如何にも政局(内閣総辞職)になることを期待するかのようなイメージ主張が出ています。
しかし、森かけ問題発覚当時の文科省次官の風俗店の常連であった事実や、テレビ朝日による女性記者を利用したハニトラ疑惑スレスレの情報収集が行われてきた事実も明らかになってきました。
テレビ朝日が担当女性記者によるセクハラ発言被害の訴えを無視してさらに夜間酒席での単独会食に送り込んでいた事実を見れば、もともとハニトラ的会話を期待していたテレビ朝日の情報収集方法が日常的であったことが明らかです。
ところが他メデイアが一切これを問題にしない・ネット報道中心になっている事実を見れば、メデイア界揃って同様の取材方法を常態化していたと推測されます。
メデイアは次々と旧来基準の事例が出ていることを引き合いにしていかにも内閣の首でも取ったような勢いですが、旧来の社会意識があったところでいきなり「これで良いのか?式のキャンペイン」を張った場合、過去基準事例を探せばゴロゴロ出るのは当たり前です。
まだいっぱいあるからこそ、社会意識の変革がテーマになるのですから、事例がゴロゴロ出たからと言ってなぜ内閣の責任に結びつけるのか?
こうした実情を見ると現行内閣の政治スタンスの責任というよりは、社会意識の変化・・公私ケジメやセクハラ・パワハラの水準が変わってきたのに官僚機構(特に中高年齢者)が追いついていないということでしょう。
社会意識変革の必要性をあげる・警鐘を鳴らすのはメデイアの役割として正しいでしょうが、政府が旧基準で正しいと開き直るならば、政府批判もありでしょうが、政府が「うみを出し切る」といって次々と事例が出たら、なぜ政府が責任を取る必要があるのか論理不明です。
それはそれとして中高齢者も社会意識変化に合わせる必要性を論じる意味がありますが、これまで厳格だったのに現内閣が故意に基準を緩めた結果というならば内閣の政治責任ですが、過去長年の幅広く行われていた慣習(いちいちトップが明言しないと末端が動かないのでは組織は成り立たない・・忖度も同様です)が社会意識に合わなくなったということであれば、それと現内閣総辞職の必要性とは関係のないことです。
社会意識変革の必要性をあげる・警鐘を鳴らすのはメデイアの役割として正しいでしょうし、政府が旧基準で正しいと開き直るならば、政府批判もありでしょうが、政府が「うみを出し切る」といって次々と事例が出たら、なぜ政府が責任を取る必要があるのか論理不明です。