専門家の責任3(元農水次官事件と戸塚ヨットスクール事件)

従来あった保護義務者同意制度も平成25年に廃止されましたが、99、99%の人は、真に困った家族の相談であって違法目的で最愛の息子(発達障害の場合女性は暴力を振るわないので家族の許容量次第でなんとかなるようですが)を入院させたい人はいないでしょうが、それにしても手に負えなくなっている息子の粗暴行為の原因が素人にはわからないので専門家に相談したいという動機であって、治療でない暴力によって制圧してほしいとまで思っている親は稀でしょう。
昨年農水省元次官が社会に迷惑をかけられないと息子を自ら手にかけた事件が報道されていました。
元農水事務次官長男殺害事件に関するウイキペデイアです。

2019年5月25日、それまで一人暮らしをしていた長男Eが自宅に戻り、父親Kと母親と長男Eでの3人の生活が始まる。(父親Kの供述によると)その直後から長男Eによる激しい家庭内暴力が有り、父親Kと母親はおびえて暮らすようになっていたという[5]。
長男Eは外出せずオンラインゲーム等をして引きこもり状態の生活をしていたが、2019年6月1日、近所の小学校の運動会の声がうるさいと腹を立て父親Kと口論になったという[6]。この数日前の2019年5月28日に、川崎市登戸通り魔事件が起きており、父親Kは(逮捕時の供述によると)「息子も周りに危害を加えるかもしれないと」不安に思い、刃物で長男Eを殺害した[7]。長男Eは数十箇所を刺されており、初公判でも「強固な殺意に基づく危険な犯行」とされた。

これにそっくりな発達障害の子を抱えた経緯の事件が約23年前の金属バット事件でした。

https://toyokeizai.net/articles/-/320929?page=2

引用省略しますが、親が精神科医に相談しても子供のために尽くしてやれと言うばかりだったようです。・・障害児を持った親の不幸ここに極わまれりという感じです。
入院を求めている家族や介護関係者による・・子供を思わない親はいないとしても「この人は如何に手に負えないか!」の過去に起きた事例説明は利害対立可能性のある人の主張も含まれる点が難しい・・悪意で利用され、これと倫理観欠如病院がマッチするととんでもない人権侵害になったのが宇都宮病院事件でした。
そんな悪質病院は万に一つしかないとしても、学問上精神障害になる原因が明確でなく、症状による判断しかない→症状も熱が出るとか咳が出るなどの客観性がない・・周辺の説明に頼るしかない・診断基準客観化が進まない以上は、事後的な外部透明性が必須と言うのが教訓だったのでしょう。
まして宇都宮病院事件のように、入院させたのが兄弟の場合(遺産分けなど利害がある場合もあり)はなおさらです。
シンナーや覚せい剤中毒の場合には血液検査などの客観性がありますが、発達障害や精神障害等の場合、身体的外形的データがほぼ皆無と言えます。
宇都宮病院事件とほぼ同時期に起きた事件では戸塚ヨットスクール事件がありました。
これなども、家族の手に負えない子供をスパルタ式教育・暴力的制圧を標榜する組織の事実上の監禁状態に置くもの・・本人が同意するはずのない剥き出しの酷い暴力宿舎的事件でしたが、これもまさか違法監禁しますと公称していたはずがない・・本人同意による形式になっていたはずです。
戸塚ヨットスクール事件に関するウイキペデイアの記事です。

戸塚ヨットスクール事件(とつかヨットスクールじけん)は、1983年までに愛知県知多郡美浜町のヨットスクール「戸塚ヨットスクール」内で発生、発覚して社会問題に発展した一連の事件。
当初は「戸塚宏ジュニアヨットスクール」の名称で、ヨットの技術を教える教室だった。その後非行や情緒障害等に戸塚の指導は効果があるとマスコミで報じられたことで、親元からスクールに預けられる生徒が増加し、指導内容をヨットの技術養成から非行や情緒障害の更生へと切り替えた。当初は教育界のカリスマとしてマスコミは好意的に取り上げていたが、後に事件が発覚した。
2名の死亡事件が発生した直後に、同事件を題材とした「スパルタの海」がノンフィクション小説として中日新聞に掲載され、映画版(伊東四朗主演)も制作された。

親や周囲に暴力を振るう息子に困り切った両親や親族がいて、こういう事件が起きたのでしょう。
昨日(6月4日)のニュースでは、23歳の男がボーガンとかいう弓で家族(祖母と母、弟)を殺傷し、叔母をも射殺そうとしたところ叔母が近所に助けを求めたことで110番通報で、発覚したニュースが出ています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200604/k10012457531000.html

ボーガンで撃たれ3人死亡 逮捕の大学生「家族殺すつもり」
2020年6月4日 22時59分
(事件内容引用省略)

過去のボーガン事件
ボーガンを使った事件は過去にも起こっています。

去年5月、北海道日高町で、50代の父親をボーガンの矢を放って殺害しようとしたとして当時29歳の男が殺人未遂の疑いで逮捕されています。

以上のように家庭内暴力が行き着いた先の事件がしょっちゅう起きてるので、戸塚ヨットスクールのような需要があったし現在もあることは確かでしょう。
家庭内解決不能な場合、武士社会のように親に生殺与奪の権がなくなったのに、それに代わる公的解決ルールが整備されていない隘路があるようです。
家庭内暴力のうちで、夫婦間のDVには早くから警察が関与するようになってきてその後親による乳幼児や児童虐待にも公的な目が入るようになりつつありますが、子供の祖父母に対するDVへの関与が進まないのは、親の方が強い・親による子供虐待防止方向ばかりの前提で、成人した子供の場合、剥き出しの暴力関係では逆転していることに社会が関心を持たなかったというか、社会変化に法制度が遅れているので親の苦悩がいや増しているのかもしれません。

精神障害判断(エピソード重視リスク)1

精神病以外の病気の場合、診断や手術ミスかの認定には医師単独で完結しない多くの関与者作成の手術直前の時系列に従った客観データ・体温や脈拍、血圧・血液検査の結果数値や画像の外検体自体が残っていることが多いのですが、精神病の認定や隔離入院判断の場合客観補強データとしては利害関係者のエピソード供述しかなく、診断にあたって、本当に過去にそう言うエピソードがあったかの関心で医師が補強証拠を検討しているように見えません。
一般医療の現場で考えれば、「昨日何時ころからどこそこが痛み始めて今朝我慢できなくなってきました」という説明が嘘かどうかで検証している暇がないし痛くてきている本人の説明を疑う必要もないのでどこそこが「痛い」という説明を信じてその説明に応じた診察(触診や検査)を始めるしかないのが現実ですからそれで良いのでしょう。
精神障害による強制入院のうち措置入院の場合、文字通り強制収容(人権侵害の最たるもの)ですのでいわゆる自傷他害の要件該当性判断が必須で、多くは具体的近隣相手の暴力行為があって警察通報に始まる事件が中心ですので、エピソード自体の客観性が事実上保障されていますし、障害があることにより自傷他害の恐れの認定に際し指定医2名の判断が必要なので判断自体の客観性もある程度担保されています。
問題は入院の大多数を占める同意や保護入院です。
まず措置入院制度を紹介しておきます。
これだけ始まりが厳重な制度設計でも一旦強制入院させたら永久入院で良いのではなく、実務上数ヶ月経過での再審査が必要になっています。

精神保健及び精神障害者福祉に関する法律(昭和二十五年法律第百二十三号)
第五章 医療及び保護
第一節 任意入院
第二十条 精神科病院の管理者は、精神障害者を入院させる場合においては、本人の同意に基づいて入院が行われるように努めなければならない。
第二十九条 都道府県知事は、第二十七条の規定による診察の結果、その診察を受けた者が精神障害者であり、かつ、医療及び保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認めたときは、その者を国等の設置した精神科病院又は指定病院に入院させることができる。
2 前項の場合において都道府県知事がその者を入院させるには、その指定する二人以上の指定医の診察を経て、その者が精神障害者であり、かつ、医療及び保護のために入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認めることについて、各指定医の診察の結果が一致した場合でなければならない。
3 都道府県知事は、第一項の規定による措置を採る場合においては、当該精神障害者に対し、当該入院措置を採る旨、第三十八条の四の規定による退院等の請求に関することその他厚生労働省令で定める事項を書面で知らせなければならない。
4 国等の設置した精神科病院及び指定病院の管理者は、病床(病院の一部について第十九条の八の指定を受けている指定病院にあつてはその指定に係る病床)に既に第一項又は次条第一項の規定により入院をさせた者がいるため余裕がない場合のほかは、第一項の精神障害者を入院させなければならない。
第二十九条の二 都道府県知事は、前条第一項の要件に該当すると認められる精神障害者又はその疑いのある者について、急速を要し、第二十七条、第二十八条及び前条の規定による手続を採ることができない場合において、その指定する指定医をして診察をさせた結果、その者が精神障害者であり、かつ、直ちに入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人を害するおそれが著しいと認めたときは、その者を前条第一項に規定する精神科病院又は指定病院に入院させることができる。
2 都道府県知事は、前項の措置をとつたときは、すみやかに、その者につき、前条第一項の規定による入院措置をとるかどうかを決定しなければならない。
3 第一項の規定による入院の期間は、七十二時間を超えることができない
第二十九条の四 都道府県知事は、第二十九条第一項の規定により入院した者(以下「措置入院者」という。)が、入院を継続しなくてもその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがないと認められるに至つたときは、直ちに、その者を退院させなければならない。この場合においては、都道府県知事は、あらかじめ、その者を入院させている精神科病院又は指定病院の管理者の意見を聞くものとする。

ガイドラインでは概ね3ヶ月に一回この判断のための診察をするようになっているようです。
医療観察法の事件で医師と面談した時に聞いたのかいつ聞いたか不明ですが、自傷他害の恐れは興奮状態のものなので、興奮を鎮める薬投与(が発達しているの)ですぐ興奮は治るので3ヶ月もたってまだ恐れがあるというのは一般的に無理があるが服薬をやめるとすぐ再発する可能性がある・・問題は退院後も服薬指導に応じるかどうかが重要とのことでした。
医療観察法による強制入院の場合、退院後の強制通院制度もあるので素人的には完全体制のような印象でしたが、同意という名の任意や準任意入院の場合、服薬を嫌がる人の場合、どうして良いかの制度問題があるというイメージでした。
違法収容されていると主張して治療に不満がある場合、退院できれば服薬指導に応じないのが普通ですので、これが悩みの種でもあるようです。
無罪主張で判決が有罪認定になった場合、犯罪を冒した反省の情がないことを理由に刑が重くなるのと似た関係です。
実数で言えば、本当の人権侵害事件は万に一つあるかないかで本当に精神障害があるのに病状を自覚しない患者の方が多いのでしょうが、(自覚していても入院生活に不満な場合も多いでしょう・狭い空間に拘束されて気持ちの良い人はいません)だからと言って、患者とはそういうものだと決めつけるのも危険です。
20条で同意入院原則が書かれていますが、実際に自分から進んで入院したい人が少ない前提で医療保護入院という制度が用意されています。
従来保護義務者同意でしたが最近家族一人の同意でも良くなり、これも身寄りのない者などの例外も揃っています。

外見有用性と責任2(宇都宮病院事件1)

3月4日に紹介した宇都宮病院事件は、ちょっとずれて牽強付会の疑問がありますが?外見の一種・・あえて言えば医師資格・・あるいは資格信用失墜事例といえるでしょうか?
ちょっと長くなりますが引用して事件概要を紹介して起きます。
ウイキペデイア宇都宮病院事件

私立精神科病院の乱立[編集]
高度経済成長期には、精神科病床は1年間に1万床ずつ増加し続け、1950年(昭和25年)の1万8千床が1955年(昭和30年)には4万床、1965年(昭和40年)には17万床、そして1969年(昭和44年)には約25万床となった。この時期に開院した精神科病院は私立病院である。
1958年(昭和33年)10月2日には厚生省事務次官通知により、精神科の人員は一般診療科に対して、医師数は約3分の1、看護師数は約3分の2を基準とする特例基準が認められ、更に同年10月6日の医務局長通知で、事情によっては『その特例基準の人員数を満たさなくともよい』ことになったために、一般診療科の病院よりも人件費を抑えることができ、そして、措置入院の国庫負担も5割から8割に引き上げられたことで、一般診療科と比較して精神科病院の経営が容易となった。また、病院建設費用にも便宜が図られ、特殊法人医療金融公庫から長期低利融資を受けることができるようになり、病院建設自体も容易になった[4
精神科医の人数は病床の増加に見合ったものではなく、実際のところ増加した精神科病院に勤務する医師の殆どは、内科医や産婦人科医からの転進であった。精神科病院は内科や産婦人科よりも利益率のよい事業のため、医師たちは診療科を精神科に変更したのである。宇都宮病院もこの時期(1961年)に内科から精神科へ事業を変更している[6]。
クロルプロマジンなどの処方箋医薬品で、患者の興奮状態を抑制することができるようになると、少ない病院職員で多数の患者の管理が可能となり、病院の運営経費が少なくて済むとともに、病床数が多い(患者の処遇がベッドも無く『うなぎの寝床』になる状態)ほど、利益を上げられる構造になったのである[8]。
当時の日本の精神科病院の状況を、日本医師会の武見太郎会長は以下のように述べている。
精神医療は牧畜業だ
— 武見太郎、『爆弾精神科医』(p.143)
1983年4月、食事の内容に不満を漏らした入院患者が看護職員に金属パイプで約20分にわたって乱打され、約4時間後に死亡した。また同年12月にも、見舞いに来た知人に病院の現状を訴えた別の患者が、職員らに殴られ翌日に急死した[2]。
1983年(昭和58年)、宇都宮病院に不法収容されていたA氏が、東京大学医学部附属病院精神科病棟を訪れ、宇都宮病院の内情を暴露し、告発する意志があることを伝えると、東大病院精神病棟内に「宇都宮病院問題担当班」を設置し、弁護士や日本社会党と協力し、朝日新聞社宇都宮支部とも情報交換を行う[23]。A氏の証言がきっかけとなり、入院患者2人について、殺人事件が立証されることになる
精神科病院ゆえの閉鎖病棟や閉鎖性により、上記の実態や患者死亡事件は公にならなかったが、事件の翌年1984年3月14日に、朝日新聞朝刊によって報道され、日本の世論の大きな注目を集め、国会でも精神障害者の人権保障の面から、日本国政府の対応が糾された[3]。
地方公共団体の行政(都道府県)による病院監査も不十分であったため、実態の把握ができなかったこと、精神科病院の管理者を筆頭に、病院職員には倫理的な思考能力が欠落していたこと、日本社会の精神科医療に対する理解が、著しく不足していたことも背景としてある[34]。さらに、宇都宮病院には「必要悪」としての社会的存在意義が生じていた。
宇都宮病院では、対応困難と見なされた患者を積極的に受け入れ、収容施設の様相を呈していた[37]。
家族間の人間関係の悪化により、措置入院させられてしまう場合もある。前述したA氏は、兄B氏によって措置入院させられてしまった[38]。
A氏は、宇都宮病院を告発して民事訴訟を起こしており、1998年10月時点で第1審裁判が続いていた[39]が、2013年11月に死去した
A氏は晩年まで宇都宮病院の廃院を訴えて活動していた。

当時も人権侵害防止のために院内に公衆電話を設置するルールがあったのか?公衆電話を設置していたらしいのですが、宇都宮病院は患者に小銭を持たせなかったので、外部通報できなかったとも書いています。
宇都宮精神病院事件以降、精神病棟の閉鎖性が改善され、先進的医療を進めていた千葉県内の病院見学を千葉県弁護士会では司法修習生対象に長年継続してきました。
現在はその延長で、研修先病院を医療観察法制定後千葉県で受け皿主力になっている病院に変え(選択科目制ですが)研修を継続しています。
この事件は大々的報道があったことから結果的に医師の信用をいたく傷つけましたが、結果から見ると最大の進展は病院の閉鎖性を改善する・・誤った強制拘束を事後的に露見し易くする工夫・・程度にとどまったように見えます。
認定基準の客観性を担保する科学技術の進歩がない限り、精神病の認定データを周辺関係者による「これまでこういうことがあった」などの経過説明に頼る限り人権侵害リスクを防止するのは困難です。
医師の鑑定書だったか介護関係者の記述だったかの区別記憶が(実務上次々と読んだ記憶でしかないので)今になるとはっきりしないのですが、エピソードと称して親族による説明・・家庭内で起きた非合理な行いを細かく書いて判断基準にしている様子が見えるのですが、親族は他人に比べれば信用できるということでしょうが、今と違って数十年前には家族の関係が濃密でしたので、その分遺産分けの利害もあれば、長年我慢してきた怨念もあるなど逆に利害関係が複雑ですので家族の言い分だけでは危険です。
法律家から見ればこう言うエピソードを主要な間接事実として判断するのでは科学的判定と言えるのか疑問です。
こう言うエピソードがあればこの病気を疑える・診断して良いと言う診断基準の場合、診断が正しいかどうかの判定には、判断の材料にしたエピソードが本当にあったのか?その当てはめにミスがあるかどうかで決まるべきですが、判断の前提にしたエピソードが本当にあったかの検証方法が用意されていないようです。

罪刑法定主義2(生麦事件)

日本人が当然知っているべきモラルを知らない外国人が来るようになった場合、日本人ならば当然知っているべきモラルの同一性がありません。
例えば、薩摩藩が幕末に起こした生麦事件が有名ですが、大名行列に乗馬で乗り入れるなど日本人から見れば「不敬」そのものでしょうが、外国人から見ればいきなり斬り殺されて大騒ぎになったものです。
乗り入れた英国人一行の方は、前方から東海道筋を道路いっぱいに進んで来る久光の行列を見て困惑したらしいですが、(通訳が随行していなかったのが事件発生の大きな原因だったでしょう)どうして良いか分からずにいると、先払いの者から身振りで道路脇によれと言われたように思って・・現在よくある光景・・山道や狭い道路で対向車に出くわすとお互い左右に避けながらゆっくり進むような感覚で脇によって進めば行列も右脇に寄ってくれるのかと思って騎馬のまま進んで行ったようです。
道が狭く久光の行列が道一杯に進んでくるので、結果的に英国人の騎馬グループと行列が衝突する形になり、先行の足軽などが馬を避ける結果、次第に行列の中程まで(すなわち久光の籠近くまで)行列をかき分けて乗り入れてしまう結果、護衛の武士団は黙って見過ごせない・・血相変えた戦闘モード満々の武士団の殺到に直面した英国人一行が馬主を巡らして引き返そうとしたが時すでに遅し!大事件に発展した瞬間だったらしいです。
日本の場合、古代から牛車や行列が行き合えば、身分格式の低い方が道を譲り脇に控えるのが礼儀でしたし、これは江戸城内の廊下で大名同士が出会っても同じルールです。
西欧でも例えば、西洋由来の軍隊組織では初見の人同士では相手の階級の見分けが付かないので肩章襟章等外見で階級が分かるようにしていて、階級の低い方が最敬礼して脇に下がって見送る仕組みです。
英国でも似たようなルールがあった・・・格上格下の礼儀ルールは洋の東西を問わず同じとしても、よそから来た英国人が島津の行列かどうか(旗印や家紋程度で分かるはずもないし)の判断もつかない上にそれが分かったからと言って、島津が何ほどの家柄か、自分と比較して自分がよけるべきかどうかの判断までは付かなかったでしょう。
ましてこの時、島津久光が700人もの軍勢を率いて江戸に出て来て、公武合体論に基づく一橋慶喜の将軍後見職任命や春嶽の政事総裁職任命等を迫って実現させて意気軒昂な帰路(は400人)でした。
こういう事情も全く知らなかったでしょう。
ただ、今でも、個人が何らかの集団とぶつかりそうになれば、言葉が通じなければ集団の通過を待つのが普通で、まして危なそうな軍の列であればなおさらではないでしょうか?
この辺に英国人側に常識論で見ても、一定の落ち度があったように見るのは、日本人としての贔屓目かも知れません。
この事件処理で幕府が英国の要求する巨額の賠償金を払ったものの、薩摩側はこれに応じなかったので薩英戦争につながるのですが、このように、大名行列と出会ったときの礼儀ルールをきちんと法令化していれば相手国からの文句に対する立場が大きく違っていた・・こんな危険な国だから、不平等条約が必要という論拠にされて明治以降の不平等条約解消が難航した下地でした。
人権擁護のためではなく国内的には権力意思貫徹には周知が前提・・対外的には国家主権確保のためにも、生類哀れみの例のような明文法が必要になります。
産業構造や社会生活が複雑化してくると、技術的規制は日常常識では判断しかねるので明文化して起き、プロでもその都度確認する必要が起きてきます。
建物建築でも「家はこういうものだ」「柱と柱の間隔は一間にきまってる」という経験による工事では間違うので、今ではいちいち図面を確認しながら作業していく必要があるのと同じです。
社会の仕組み=商品の種類が単純な時代には、いわゆる名僧知識の禅問答的御託宣で間に合ったしょうが、商品経済が複雑化してくると、具体的ルールや細則がないと現場でどうして良いか・個々人の裁量で行うと精密な機械が故障する時代になってきました。
精密部品・・普通の電化製品でも寸法は何センチ何ミリまでピタリ合っていないと不具合が起きる時代ですが、法制度もこれに比例して細かく細かくなる一方です。
世の中になぜ専門家が増えてくるかといえば、法律家でも金融商品取引ルール証券取引ルール、道路交通法、原子力安全規則などなど分野ごとに膨大精密すぎて、税務関係は税理士などそれぞれの専門家が必要な時代=それだけ法令(だけで足りずその先の規則、細則〜ガイドライン(別紙技術基準)等々分野ごとに細かくなっているからです。
これに加えて人の移動広域化・・異民族間移動の場合、元々の基準である道義意識も違ってくるので技術的規制だけでなくいわゆる自然犯でさえも明文化していないと外国人には、思いがけないことで処罰を受けるリスクが増えます。
現在では金融・証券取引や道路交通法あるいは各種環境規制や食品衛生や建築などの安全基準 のように専門化してくると、明文法に処罰すると書いていない限り処罰できないようにしてくれ・という逆転現象が起きてきます。
早くルールを明文してくれないと商品開発しても普及(ドローン利用のサービスや車自動運転、電子通貨関係など)できないという逆転現象が起きています。
罪刑法定主義が人権擁護という政治論より、産業発展によりいろんな分野でのルール化が求められるようになったことが、ルール化が進んだ基礎事情でしょう。
西洋では、絶対君主制・・恣意的処罰が横行したので絶対君主から領民の人権を守るために生まれたと習いますが、我が国の場合、支配者が慣習法や道徳律に反するルールを新たに決めた場合、特別な法令が必要な社会が到来していた・逆方向からの発達であったし、これが今の潮流と理解すべきではないでしょうか?
中国は独裁・専制・法治国家でなく人治国家と揶揄されていますが、商品経済が進み、産業構造が高度化すると政治家の思いつきで製造基準を変えられない・・精密ルール化は避けられないはずですので技術基準の法令化・ルール化が進む点は、同じではないでしょうか?
問題は(共産党幹部であろうとなかろうと、)誰もが等しく「ルールを守らねばならない」という法の下の平等ルールを守れるか次第ではないでしょうか?
そのためには司法権独立が必須ですが、中国政府は香港の覆面禁止条例無効判断をした高裁判決を否定する主張をしているようで、政府が司法権を軽視しているようでは、法を守る気がないと自己主張しているようなものでこれこそを重視すべきです。
諸葛孔明の故事に「泣いて馬謖を斬る」という故事がありますが、上に立つものは自分の決めたルールを守らないのでは、配下がルール・命令を聞かなくなるからです。

外国人参政権運動の主役?(中国駐在自衛官自殺事件)4

学者などが中国近現代史の研究等で便宜を図ってもらい、一定の人と親しく往来するうちに機密に近いことを教えてくれる・ある日いつもの気楽さで訪中するといきなりスパイ罪で脅迫されると、折れて言いなりになる人と頑張って本当に拘留される人の二種類がありそうです。
無事釈放されても本当は日本社会を欺くお芝居でスパイ協力約束で釈放になっているのかもしれません。
全ては闇の中・憶測の世界でしかありませんが、関係すると恐ろしい世界です。
この脅しに困った自衛官出向領事館員が10数年前に自殺したことがありました。
この種の罠が日本のメデイア界や研究機関に浸透・常態化していないかの不安が生じます。
自衛官自殺事件に関する19年11月26日現在ウイキペデイアの記事です。

彼は総領事館と外務省の間で公電通信事務を担当していた通信担当官(現在、電信官の名称はない)であり、機密性の高い公電文書を扱っていた。報道された杉本信行総領事宛の遺書[1]の内容によると経緯は次のようなものである。
2003年当時、この館員はある中国人女性と交際していた(交際の詳細不明)。彼女は6月に上海市長寧区の虹橋地区にあるカラオケ店において、中国の情報当局により売春容疑で拘束された。当局はこの女性を処罰せずに翌日釈放した。この女性を連絡役として、情報当局は館員と連絡をとるようになった。接触したのは40歳代の「公安の隊長」・唐(名前)と、20歳代の通訳・陸の二名である。
2004年2月20日に、館員の自宅にある文書[2]が配達された。国家安全部を名乗り、館員、総領事または首席領事のいずれかと連絡を取りたいと要求し、携帯電話の連絡先を記してあった。注として公衆電話を用いること、金曜か日曜の19時から20時の間に連絡することが記されていた。館員が上記の隊長にこの文書について相談すると、隊長は2週間後に、文書の作成者を逮捕したことを告げた。館員の遺書によると、これはすべて彼らが仕組んだことだとこのとき気付いた、とある。つまり「逮捕」は館員に恩を売るための芝居であった。
これを機にして、隊長は態度を急変させ、在ユジノサハリンスク日本国総領事館への異動が決定した館員に対し、5月2日に「なぜ黙っていたのだ」(中国語で書かれた総領事館の全館員の名簿を見せ)「出身官庁を教えろ」と詰め寄った。さらに「おまえが電信官であることも、その職務の内容も知っている」「館員が接触している中国人の名を言え」「我々が興味を持っていることがなんであるのか分かっているんだろう」「国と国との問題になる」「仕事を失い、家族はどうなるのだ」などと、3時間に渡り脅迫した。館員は一旦協力に同意し、隊長に対し同月6日の再会を約束した。
その後この館員は、中国側がさらに重要な情報である領事館の情報システムを要求することになるであろうと考えた。外交の世界では「公電」という暗号化した電報を使って本国とやり取りを行う。領事館の暗号システムが中国側に漏洩していれば、日本領事館(場合によっては他の在外公館も)の動きや外務省の意思は全て中国側に筒抜けになり、外交の上で決定的に不利な状況に置かれる恐れがあった。
結局、館員は同月5日に合計5通の遺書を綴り、6日午前4時頃、領事館内の宿直室で自殺した。総領事あての遺書には「一生あの中国人達に国を売って苦しまされることを考えると、こういう形しかありませんでした」「日本を売らない限り私は出国できそうにありませんので、この道を選びました」と記されていた。
総領事から事件の一報を受けた外務省においては、当日の内に北島真一官房長、竹内行夫事務次官、それに川口順子外務大臣へと順に報告が行われた。協議を経て、数日後には伊原純一観察査察担当参事官をリーダーとする調査団を中国へと派遣することが決定した。内閣の情報機関である内閣情報調査室も調査に乗り出し、国際部門のトップが密かに現地入りした。彼らは館員達の事情聴取と資料の調査を行い、事件の損害評価と実態解明を行った。その結果、館員の自殺は中国当局の脅迫に由来するものであるという結論が下された。この情報は外相、内閣情報官、官房副長官までは報告されたが、首相には報告されなかった。

悲惨な事件ですが、自殺するほど愛国心の強い人は滅多にいないでしょうから、メデイア界の人や文化人は水面下で何でも言われるままになっている人がいないとは思えません。
慰安婦騒動では根拠ない発表していたことが発覚するとあたかも事実であるかのように書いていた吉田氏が、フィクションを書いて何が悪いと言い張ったようですが、単なるフィクショであるならば、韓国にわざわざ謝罪行脚だったかな?行く必要があったでしょうか?
そこまで心底の悪人っているものでしょうか?
背後に何かがあったと思いたくなるのが人情でしょう。
出てくる重要人物の動きが怪しすぎると思う人が多いでしょうが、公務員でもないので、捜査対象にならないからこういう罠にハマる人が出ても日本社会はやられ放題という印象です。
韓国ももちろん中国スパイが暗躍する格好の舞台でしょうから、パク大統領が中国べったりから翻意・離反して慰安婦合意をし、サード配備を決めたことで、中国の恐ろしさを示すためにも目に見える報復を狙っていたところ、まんまと引っかかった筋が想定可能です。
今日の日経新聞9pには豪州のスパイ関連記事で、

高級車ディーラーが与党から(いつと書いていないのですが来年?)5月総選挙出馬に際して中国情報筋?から資金援助を持ちかけられたことについて昨年1月豪州の情報機関I(ASIO)に相談をしていたところ3月にモーテルで変死した事件が報道され、報道番組終了後ASIO長官はこれを否定せずに「放送された内容を我々は以前から把握しており捜査を続けていると発言した

と紹介されています。
また

「16年最大野党労働党国会議員が、中国人実業あっから多額の新援助を受けていたことが明らかになった」「この議員は南シナ海情勢で中国寄りの発言をしていたことが判明した」

との記事になっています。
日本ではそういう露骨な発言や政治活動をすると目立つので、もっと超間接的な安倍政権批判のアラ探ししか出来ないでしょうが・・。