民主主義と利害調整力低下5

今も大手メデイアによる世論誘導が続いているというか一種の使命感を持っているように見えますが、メデイアが世論誘導というか、自説を世論に引き上げて社会を指導したがる傾向はほどほどにすべきと思うのですが・・。
社会の公器・・スマホ機器あるいは、フェイスブックのような役割で良いのであってこの機種を買うと一定方向のイデオロギーしか発信できない視聴できなくする必要がないでしょう。
ファーウエイの機種だと中国共産党の主張しか視聴できず、中国共産党の意向にあった意見しか発信できなくなる仕組みになればわかります。
テレビと言う機械は機械に過ぎない・電話機→携帯・スマホ同様の道具でしかないのに、割り当て電波が大手に寡占されているから自社の宣伝道具に使えると思い込んでいたのではないでしょうか?
少数派の権利向上は大手メデイアによって作られたブームや声高なデモ等の権利主張によるのではなく、シコシコと実績を積み、社会評価が自然に高まる着実な地位向上を待つことと市民の意識向上(例えば貧しい子供、あるいはアレルギーのある人に対する食物表示の配慮など)を待つことが堅実で健全だと思うのですが・・。
日本の在日韓国人を見ると、嫌韓運動に対して目立った反撃をせずにじっと我慢で実績を積む方向に徹しているように見えるのが偉いな!感心していますが・・。
しょっちゅう「自分は〇〇系人だから・LGBTだから差別されている」と言い募られると「〇〇系人だからって特に気にしていなかったがなあ」とか、「あなたがLGBTなんて知らんよ!」アレルギーだったなんて知らないよ!と言うと「気がつかないこと自体が無神経で許されない」「弱者は敏感だから言われる前に気遣いが必要」と再批判されると・・そんなややこしい人とは付き合いたくないねと不快感を抱いてしまう人が増え
そうです。
どこの出身でも、ベジタリアンでも、何教を信じていても勝手ですが、多数派でない時には、多数でないと遠慮して過ごす・・多数でないのに多数と同じ大きな顔をして振る舞えるようにしろと要求するのは行き過ぎです。
少数派(多くはよそ者ですが)は、遠慮するのは相応の理由がある・千年単位でその地域のインフラを築いてきた元からの住民と同じ権利がないのは当然だからです。
多数派は少数者の控えめな態度に安住するのではなく、遠慮しすぎていないかの配慮のキク住み良い社会にしていきたいものです。
そうは言っても権利として配慮を要求されるようになると、得心できない人が増えるでしょう。
欧米先進国ではメデイアの煽りで個人主張が大きくなりすぎて、しかも妥協しない傾向が強いのでメデイアに発言のチャンスを与えられない旧支配層というか民族主義的思考の保守層の反感を招くようになって社会の分断まで進み始め収拾がつかなくなってきたのではないでしょうか?
ネット時代到来により、大手メデイアが相手にしないいわゆるサイレントマジョリテイが大ネット利用による発言の場を得ました。
米国ミネソタでの黒人死亡事件に対して黒人に限定せずに白人も含めた各種各層の少数派が立ち上がったように見えますが、黒人のために立ち上がったというよりは、砂粒状の無限の少数者(それぞれ不満を抱いています)がこの機会に(便乗的に)集まって大規模デモになったように見えます。
ただ不満発散の場になったというだけでは、それで何かの政治目標を達成できるわけではない・・差別反対という程度の連帯でしかないので、格差による弱者連帯を表現する程度で、一定程度騒ぐだけ騒いで、鬱憤を晴らすところまですら行かない内に不完全燃焼で終わりです。
閉塞感・無力感が結果的に社会の分断・モヤモヤした不満感を誘い、何かきっかけがあればすぐ爆発するのを待っている社会になっている現状を明らかにしたのでしょうか?
災害があるとすぐに略奪に走る姿が米国では一般的で、人種差別反対目的である筈のこのデモでも略奪が見られましたが、要はストレスいっぱいの人がチャンスと見て集まり暴れたということでしょうか?
シアトルでは警察署周辺を占拠して、開放区みたいな宣言をしていたようですが、何のためのデモ→暴動に集まったのか意味不明になっていつの間にか沈静化しました。
これが格差(コロナ禍でも貧民階層に集中的に感染被害が出ているという風聞ですし)に苦しむ庶民の鬱憤ばらしに過ぎなかったのではないか?という私の短絡的感想を得た根拠です。
日本メデイア(多くは左翼系)は一見民主主義の名の下に政府批判するのですが、いつも「前もってこういう準備をしてこなかった責任」という論法ですので、結果的に「こなった場合心配」という反対論ばかりがはびこっているので、結果的に国家権力の事前チェック・介入場面を増やす一方です。
大手メデイアによる今回のクルーズ船対応批判も米国流儀の強制的権力機構の設置を求める運動を煽っていたもので現場力に期待する政府では頼りないと批判一方ですが、結果的に政府機構の巨大化を目ざす意見でではいつもの流れです。
米国の失敗に学ぶよりは、米国流の自己主張を民主主義のあるべき姿と賛美し、結果的に招来する分裂志向に対して割れ鍋を無理に綴じるための国家権力強大化を志向する傾向の主張が大手メデイアに多いのですが、彼らは基本的に戦後中ソの社会体制・・独裁政治を賛美してきたDNA・願望があるからこうなるのかな?と疑っています。
今回のコロナ騒動で世界の文化水準を見直してみる・・・米国が世界の警察官をやれなくなっただけでなく、総合的文化力で世界の理想社会でなくなっている現実を直視すべきトキが来たのではないでしょうか?
民主主義と利害調整は表裏一体ですので、これができない混沌よりは上からの断固たる命令・独裁権力への魅力度が高まります。
ポピュリズムの権化みたいなトランプ氏の言動が、ロシア、中国の独裁権力強化を後押していることになりそうです。