児童虐待と高齢親の虐待(尊属殺重罰規定違憲判決)

高齢者に対する成人子供世代の虐待問題は、封建道徳の遺物と言われ、戦後憲法違反判決になって刑法から削除された尊属殺人罪などの特別規定は実は恒例化した場合における家庭内の力関係逆転を見通した制度だったことになるのでしょうか。
因みに私が司法修習した時に所属した(指導を受けた)刑事部長〇〇さんがその一審判決を書いた裁判長でした。
尊属殺重罰規定違憲判決に関するウイキペデイアを引用します。

尊属殺重罰規定違憲判決(そんぞくさつじゅうばつきていいけんはんけつ)とは、1973年(昭和48年)4月4日に日本の最高裁判所が刑法第200条(尊属殺)を憲法14条(法の下の平等)に反し無効とした判決である。最高裁判所が法律を「違憲」と判断した最初の判例(法令違憲判決)である。
この裁判の対象となった事件は、1968年に栃木県矢板市で当時29歳の女性が、自身に対して近親姦を強いた当時53歳の実父を殺害した事件で、「栃木実父殺し事件[4]」「栃木実父殺害事件」などと呼ばれる。
一審の宇都宮地方裁判所は、刑法200条を違憲とし、刑法199条(殺人罪)を適用した上で、情状を考慮し過剰防衛であったとして刑罰を免除した。
二審の東京高等裁判所は、同条は合憲とし、その上で最大限の減刑を行い、かつ未決勾留期間の全てを算入して、懲役3年6月の実刑を言い渡した。
終審の最高裁判所大法廷は、従来の判例を変更し同条を違憲と判断した上で、刑法199条を適用し懲役2年6月、執行猶予3年を言い渡した。

被告人の弁護人を務めた大貫大八は、国選ではなく、無報酬(金銭の代わりにジャガイモを差し出した)の私選弁護人であった[5]。これは、国選では各審の度に弁護人が選任しなおされるため、弁護方針が一貫できないことを危惧したためであった。後に控訴審で大八が健康を害したため、[要検証ノート]息子の大貫正一に交代した[5]

上記によると昭和48年最判ですので、私の宇都宮地裁での実務修習時期と重なります。
大貫正一先生は前年7月からの弁護修習中に地元の中堅働き盛りの弁護士としてお世話になった人格の立派な先生でした。
時の人!敢然と違憲判決を書いた刑事部長判事は、当時まだ宇都宮地裁在席中でしたので、狭い(と言っても20坪前後?)裁判官室(部長と左右陪席2名の合計3名の部屋に修習生4名配属)で終日(刑事4ヶ月民事4ヶ月で部屋が変わりますが、隣室であり修習生同士の行き来があるし、当時地裁には裁判官が6人プラス所長の7しかいなかったのでお互い気楽に日常的に行き来がありました。)一緒にいたわけですが、もの静かで温厚な人柄だったくらいの記憶で何を習ったかとなると不肖の弟子で何も思い出せません。
ただ、思い出して見ると梅棹氏の「知的生産の技術」の読書を勧められた記憶があります。
以来無意識の内に梅棹氏の主張・業績には親近感を抱くようになっていたらしく、数十年後に機会があって大阪万博会場跡地にできている国立民族学博物館博に見学に行った動機の元にもなっていたことに今になって気がつきました。
それ以外に学恩の記憶ははっきりしないのですが、部長は登山愛好家でしたので、修習期間中の10月8日出発の1泊2日の奥日光(鬼怒沼)へのハイキングに連れて行っていただいた記憶は鮮明です。
メンバーは民刑6人の裁判官と修習生全員8名で、行きは裁判所の車で奥日光の金精峠まで送ってもらい、下車して奥日光の山に分け入り、夕方4時頃にはカニ湯とかいう山奥(今調べると奥鬼怒温泉郷)のランプしかない温泉のある山小屋風の温泉旅館に入り、野天風呂・今風の露天風呂の先祖みたいな温泉で・お月様だけ煌々と照らす温泉に浸かりました。
何しろ寒いので(午後4時頃宿に着いた時に温度計を見ると4度でしたが歩いているときは良かったのですが囲炉裏端は別としてジッとしているとどんどん寒くなるので温泉から出るとすぐせんべい布団にくるまり寒さに震えながら眠りました。
山は上の方から順番に紅葉していて、山裾にかけてグラデユエーション・・豪華な着物の裾模様のようで錦ってこういうものを言うのかな?と感嘆したものでしたし、鬼怒沼に登ると一面の草原が一面紅葉していて赤トンボのように焦げ茶から真っ赤になっている一面の景色には感激しました。
今になると謎ですが、帰りは裁判所主催旅行なのに何故か検察庁所有の?マイクロバスが上記温泉町に迎えに来てくれていて、五十里湖の方をぐるっと回って宇都宮に帰りました。
公共輸送機関を利用すると、2泊でもどうか?なという奥地の行程でしたが、奥地のギリギリまで車送迎があって効率が良かったことが今になるとわかります。
修習生相手の行事については、当時3庁(裁判検察弁護士会)共同作業という運用だったのかもしれません。
今から50年近くも前の記憶ですが、今になると日本国憲法下で初めての違憲判決が出て思想界で騒然としているちょっとした歴史の端っこに偶然立ち会っていたことになります。
話題を戻しますと直接の暴力だけでなく、高齢化が進み、親世代が介護・・要支援等で次第に弱い立場になっていく力関係変化に社会が意を用いない・対応遅れがこれからの問題です。
社会の支援がないままですと元農水次官のように自分が元気な内に家庭内が将来の地獄図絵になる芽を摘もうとしたくなる人が一定数出るでしょう。
江戸時代の武家の自裁精神に戻って元農水次官のように世間に迷惑かけないうちに自から手がけるか、金属バット事件やボーガンに利用事件だけで結構顕在化している各事例のように息子に殺傷され被害顕在化を待つか?中間をとって、精神病院での隔離を求めるか?戸塚ヨットスクールのようなグレーの合宿制度?に頼るかになります。
成人した子供世代の親世代虐待防止を図るという正面からの施策ではないですが、介護の社会化(密室化防止)が一般化され後見制度が充実透明化し、高齢者に対する虐待が、外部に漏れやすくなったのが一つのガス抜きですが、介護など頼まない家庭では(同居の娘が自分で面倒見ると称して)密室化・・悲惨化しますので、その前段階からの社会関与システム構築が重要でしょう。
社会システム整備を待ってられない期間においては、不肖の次世代を抱える親の自衛のためには、元気なうちに任意後見を決めておくのは一つの予防法です。
後見制度のチェック機能やコストについては明日簡略に説明します。

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