フラット化対応4(日本の場合2)

幕末に来た欧米人の報告にもあるように末端庶民まで読み書きが出来、好奇心が高い国民性・・、基礎的能力の高い国であり、しかもみんなの力で研究して仕上げて行く(擦り合わせ)社会であることが今になると有利になっています.
みんながチーム参加する社会にするには、最底辺も一定以上のレベルが必要です。
外国人研究者が日本に来てみると、都心の一流大学の学生も地方の新設大学の学生もそんなに研究能力差がないことに驚いています。
極論すれば、言わば65点と70点の間にコンマ以下での差でひしめいているだけのことではないかと言うレベルであって、2〜30点の仕事しか出来ない人は実は少ないのです。
日本では現場力が高いので、戦後農協の指導でアメリカ方式に規模拡大・粗放農業(個々人の技術劣化推進)を真似しましたが、今では農協など当てにしていない・・個々人の工夫努力でおいしい果物や野菜を作るなどして新しい農業のあり方を提案しています。
学位もない田中氏がノーベル賞受賞したことに世界は驚きましたが、地方大学→地方企業での青色発光ダイオード発明の中村氏もそうですが・・こう言う人材はいくらでも現場・地方にゴロゴロいるのが日本です。
15〜25点の人がゴロゴロいてベルトコンベエア−式工場で漸く1人前に働けるようになったに過ぎない他所の世界とは大分景色が違っています。
ヨドバシカメラやコンビニ等に行けば分りますが、今や日本の末端店員レベルはものすごく高くなっています。
昭和50年前後の光景を思い出すと,電気屋さんはメーカー品を並べておいているだけで、その構造性能など詳しく説明する気持ちや能力が全くない状態でした。
その頃から見ると末端店員の基礎レベル向上は著しいものがあります。
農業もアメリカの真似をして粗放農業・・粗雑化に進んだものは失敗していますが、与えられた環境下でもこつこつとおいしいもの作る努力して来た農家は国民から支持されています。
社会の平均をどこに置くかですが、単純労務ばかりにして平均点15〜20点の人でもできる仕事ばかりにしてしまい、5〜6〜70点の人をそこに縛り付ける社会よりは、社会の基礎レベルを上げて、底辺層でも30点くらいの仕事を出来る社会にすることが第1に必要です。
その上で個々人の努力を尊重する社会・・35点の人が努力して36点の仕事をすれば、少しでも報われる社会にすれば、生き甲斐を感じてみんなが切磋琢磨して行きます。
日本では古代から微妙な差でもあれば、それを認めて報われるようにして来たから最末端・アルバイトのコンビニ店員でさえも商品知識を磨く習慣があってドンドン進化して行くのです。
ガラパゴス化とバカにする意見が幅を利かしますが、これは欧米の画一基準、工夫することを知らない社会をモデルとする軽薄な意見に過ぎません。
日本人は殺傷武器でさえ種子島や日本刀を工芸品に変えてしまうし、庭木を盆栽に仕上げるなど独自の世界を作り上げて行く天才集団です。
日本人の基礎レベルの高さは、縄文の昔から母親による丁寧な哺育教育力によるところが大きいと思われるので、保育所・他人任せで子育てするように誘導するのは、長期的にはニッポン民族の劣化政策にならないかの立場から反対してきました。
国際正義・国際的に同一労働同一賃金が実現した場合・・日本社会の能力平均が、30点台を基礎にしていて他国のレベルが20点平均であれば、汎用品でも日本の製品競争力があり、ひいては日本の労働者者が10ポイントよい生活が出来ることになります。
Eu離脱論以来グローバル化、反グローバル化の論争が起きると思われますが、仮に反グローバル化が優勢になって行くとしても長期的にみれば、同一労働同一賃金化の流れは進む一方であると思われます。
人間の移民の自由と流通の拡大とは必ずしも同じではありません。