近代法原理の見直し2

私のような素人にも分りよい例・・ゴルゴサーテン的事例で言えば、テロ集団側では銃器を分解して持ち込んだり、爆発物もちょっとした調合で完成するようにした分離剤を持ち込んで飛行機に乗ってからトイレなどで調合するなど巧妙化する一方ですが、・・一方で膨大な旅客通過のスムースな流れ作業が要請されている矛盾があります。
あらたなチェックシステムを作るとその抜け穴を探すことのイタチごっこですが、・抜け穴利用が一般化・定型化してからこのチェック目的で全国内空港や鉄道駅のチェックシステム改修するには膨大な資金や年数がかかるので、抜け穴探し・・テロリスト・犯罪集団の方が先んじるのが普通です。
(ターミナル駅の進入システムを整備しても地方の無人駅等から電車に乗って来た人をどうやってチェックするかなど)
何かあると捜査の近代化をマスメデイアは要求していますが、チェックシステム構築はいつも後追い的宿命持っています。
GPS利用の動静調査はシステムのように定点待ち受け型システムではないので機動的ですし、(最高裁の意見とは違いますが私の考えでは)プライバシー侵害性が低い・違法性が低いのに、何故最高裁が憲法を持ち出して力むのか不明です。
再論になりますが、私人が他人のプライバシーを性的好奇心等で遠くから望遠鏡覗いているのは大した違法性がないが、公益のために監視すると違法性が高いと言われます。
普通の素朴な価値観では、犯罪捜査や公益上必要なので資料を見せて欲しいと言われると気持ちよく応じるが、好奇心で資料を見せてと言われても応じたくないのが普通の価値観だったのではないでしょうか?
上記の例で言うと犯罪捜査のために望遠鏡で見たいので場所を貸して欲しいと頼まれた場合と、「入浴中の女性の姿を見たい」と頼まれた場合、捜査方法として違法かどうかを知らない「素朴な価値観」で言えば、どちらに協力するのが健全な価値観かです。
専門家の価値観がマスメデイア通じて浸透している結果、今では公のためならば協力したくないが、個人興味なら協力したいと言う倒錯した価値観が(朝日新聞的刷り込みに適応し教養のあると自負する階層では?)一般化しているように見えます。
世論調査も「政府がやるのは危険で民間ならば良い」と言う刷り込みが典型的ですが、最近何事でも民間なら良いが、政府(社会のためになることは)に協力しないのが格好良いと言う刷り込みが成功して来た印象です。
このシリーズで書いている(人民と政府は抑圧隷従・搾取・敵対構造であるとする)二項対立思想が浸透し、成功しているように見えます。
これが行き過ぎた結果、(「政府は悪」と言う思想教育に対する反感が出て来たように思われます。
そこで最近は「政府が集める情報が大量であるから漏れると大変だ」と言う意見が流布されようになって来ました。。
1昨年漏れたベネッセの私塾の情報ですら膨大なものでしたが、金融・通信(ネット販売)・コンビニその他産業の収集している情報量の巨大さは半端ではありません。
個人情報保護関係も、国家が強制的に情報を収集するのと民間がやるのとは違うと言うのが大方の論理です。
防犯カメラであれ、あるいは空港・銀行その他多くのネット利用でも個人情報を求めれられますが、民間はイヤなら拒否出来ると言うのですが、防犯カメラのない反赤貝やデパートスーパーは皆無でしょうし、いまでは普通の生活をするにはありとあらゆるところで個人情報を求められ、個人情報収集を事実上個人・顧客は拒否出来ない・・一々拒否していたら日常生活が出来ない点は同じです。
他人の家を覗き見るなどの、個人情報収集も権力に基づくのと民間が行なう事実上の強制?(こっそり行なうの(同意がないから)強制と言うのも強弁過ぎませんか?・・強制的に裸にするのとこっそり見るのとは大きな違いがあります))は違うと言いますが、今やありとあらゆる生活領域で求められる認証システムが進んでいてこれを拒否していると日常生活が出来なくなっている点は政府の情報収集以上です。
たとえば、指紋認証どころかもっと総合的認証システムまで実用化される・・ちょっとした預金払い戻しその他カード取引不要=個人情報蓄積が進みますが、拒否しているとコンビニでの買い物1つ出来なくなります。
西洋で発達した二項対立図式論は、元々日本社会に合っていなかったことを何回も書いて来ましたが、(日本的信頼関係構築に漸く成功してある程度追いついた)現在先進社会・西欧でも民主国家では概ね合わなくなっています。
日本以外の先進国ではまだ表向き程度なので格差反対なも意味がありますし黒人と見れば圏感が直ぐに射殺する実態もあり、なお対立を煽るのも分りますが、日本は心底から民のための国家運営でやって来たし、会社運営でも経営者の取り分を少なく従業員第一思想でやって来ました。
こう言う社会なのに、欧米思想を鵜呑みにして敵対思想に骨の髄まで使って何でも政府施策を妨害し政府を騙せば英雄視するのは間違いです。
個人情報であれ各種統計であれ、政府が悪用しないようなシステム化こそが重要であり、政府の調査には協力しない・・「統計情報など協力しないで政府を騙せば良い」と言うのは中国のような専制支配国家・時代遅れの社会向けの思想です・結果的に中国統計の信用性が全くありません。
この思考回路にどっぷり浸かっている文化人(学校教育に適応性の高いヒト)が、日本社会に適用しようとして来た・・しかもこれが戦後70年経過で成功して来たから却って疑問を保つ人が増えて来た・・今や文化人とか思想家の地位がおかしくなってきました。
大分前から書いている繰り返しですが、日本社会の基礎単位は一族郷党が基礎ですから信頼がなければ存続出来ませんので、二項対立関係はあり得ません。
そこで、古来から上下の隔てなく信頼で成り立っている・・最近ではApril 15, 2016, ガバナンス, コーポレート, 2で日本の信頼社会と敵視関係の近代法原理は合わないとちょっと書いたことがあります。
信頼関係の社会でどうして変な思想がはびこったかの始まりを見ると、米軍の占領政策に行き着きます。
強固な信頼関係で成り立っている日本社会に相互不信感のくさびを打ち込む目的・・頑強な日本軍の抵抗力の源泉に着目した占領政策の第一の眼目でした。
どこのクニでも戦争に負けると支配層に対する日頃の不満が出て政権が倒れるのが普通でしたが・・・硫黄島の戦いの教訓・最後の最後まで戦意喪失しない・・全国が焦土と化すほど完敗して外国に占領されてもなお、 現政権批判や天皇制反対の声が上がらない・・反乱を起こさないニッポン民族の一体感・強靭さの破壊こそが最初の占領政策目的でした。
これが成功しないと植民地支配・奴隷化支配が出来ないからです。
占領政策は周知のとおり、日本二度と西洋に対抗出来ないようにアジアの植民地同様の農業国化することでしたがもう一度紹介しておきましょう。
本日現在のウイキペデイアの記事からです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E5%90%88%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E5%8D%A0%E9%A0%98%E4%B8%8B%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC
「SCAPはドイツと同様に日本の脱工業化を図り、重化学工業産業を解体した。初期の極東委員会は賠償金を払う以上の日本の経済復興を認めなかった。マッカーサーも1945年(昭和20年)9月12日の記者会見で「日本はこの大戦の結果によって、四等国に転落した。再び世界の強国に復活することは不可能である。」と発表し、他のアジア諸国と同様に米国および欧州連合国に従属的な市場に解体するべく、極度な日本弱体化政策をとった。こうして各地の研究施設や工場を破壊し、工業機械を没収あるいはスクラップ化し、研究開発と生産を停止させ、農業や漁業や衣類を主力産業とする政策をとった。
1945年(昭和20年)に来日した連合国賠償委員会のポーレーは、日本の工業力移転による中間賠償を求め、賠償対象に指定したすべての施設を新品同様の状態に修繕し、移転まで保管する義務を日本の企業に命じた。1946年(昭和21年)11月、ポーレーは最終報告として「我々は日本の真珠湾攻撃を決して忘れない」と報復的性格を前文で明言し、「日本に対する許容工業力は、日本による被侵略国の生活水準以下を維持するに足るものとする。右水準以上の施設は撤去して有権国側に移す。」とした。軍需産業と指定されたすべてと平和産業の約30%が賠償施設に指定され、戦災をかろうじて免れた工業設備をも、中間賠償としてアジアへ次々と強制移転させた。大蔵省(現在の財務省と金融庁)によると、1950年(昭和25年)5月までに計1億6515万8839円(昭和14年価格)に相当する43,919台の工場機械などが梱包撤去された。受け取り国の内訳は中国54.1%、オランダ(東インド)11.5%、フィリピン19%、イギリス(ビルマ、マライ)15.4%である。」

違法収集証拠の証拠能力4(近代法原理の見直し)

立法政策の問題と言って、いつ出来るか不明の立法化されるまで捜査をさせない方に軸足を置きながら・・立法問題であるからとしてしまえば、後は政治家の分野であって実務界での活発な限界論の議論が出来なくなります。
法制定後絶え間なく社会が変わって行く・立法はいつも後追い的性格を持っているので日進月歩の実務の必要性に間に合わない分を法に違反しない限度で工夫して立法の先がけ・準備をして行くのが判例学説の重要な役割ではないでしょうか?
民法で言えば、根抵当権は判例法認められて来て事例集積が進んでから、昭和50年代頃に民法に明文で整備されましたし、仮登記担保法も同様です。
これは立法や憲法改正で解決すべきだと放り投げるのは余程の場合に限るべきでしょう。
(憲法改正が殆ど不可能な制度になっていることを昨日書きましたが、簡単に改正出来る仕組みになっていません・・)
法がない限り認めるべきでない・・法制定を待つと言う言い方は一見法治主義の原理に合っているような言い回しですが、新しいことに何でも反対するスタンスになり兼ねません。
今流行の民泊解禁議論も、法が出来る前に新しい業態挑戦が増えて、「公認してルール化する方が良い」と言う議論が始まっている・法はいつも後追いであり、法がないから何もしないと言うのでは、社会が停滞してしまいます。
最判のケ−スは刑事処罰事件なので一見法がなければ処罰出来ない・罪刑法定主義に則っているかのような印象ですがそれは違います。
どう言うものを証拠に出来るかは法律用語で「証拠能力」と言いますが、違法収集証拠排除の法理は、判例法で決まって来たことであって法(国会・民意)で決めたことではありませんし、ソモソモ手続法は罪刑法定主義の原理とは関係がありません。
罪刑法定主義は、文字どおり「罪と刑を事前に明示しておくべき」と言うだけであって、犯罪時前に決めた手続法に拘束される原理ではありません。
証拠能力は訴訟手続に関する法ルールであって、犯罪時以降に訴訟手続法が変わっても、変わった手続で裁判すること自体罪刑法定主義に違反するわけがない・・関係がありません。
まして、刑事訴訟法で決まっている証拠能力の規定は、自白法則と伝聞証拠排除原則だけであり、「違法に収集した証拠は証拠として採用出来ない」と言う違法収集証拠能力否定の法規定すらありません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/
「違法収集証拠排除法則(いほうしゅうしゅうしょうこはいじょほうそく)とは、証拠の収集手続が違法であったとき、公判手続上の事実認定においてその証拠能力を否定する刑事訴訟上の法理である。排除法則とも呼ばれる(以下、排除法則と表す)。
供述証拠に関しては強制等による自白の証拠能力を否定する規定(日本国憲法第38条2項 、刑事訴訟法319条1項)がある。これに対して違法に収集された非供述証拠の証拠能力に関する明文規定はなく、排除法則は判例によって採用されたものである。なお、上記の憲法38条2項及び刑事訴訟法319条1項を排除法則の特別規定とする見解も主張されている。」
「学説上は排除法則の根拠としてはこれまで主として規範説・司法の廉潔性説・抑止効説の3つの説が唱えられてきた。」
法がGPS捜査を認めていないのではなく、法は拷問等の強制を除いて捜査手法によって証拠能力を認めないようなことを想定していないのです。
違法収集証拠排除原理は法に書いていないのですから、軽微な違法の場合には証拠能力を認めると言う例外も書いていないのは当然です。
最高裁が、憲法の精神?で憲法明文に規定のないプライバシーを「侵害しうる」と言う理由で令状の必要性を認定したのは、GPS操作方法は令状がない限り違法収集証拠であると言うところまでであって、違法であっても証拠排除の例外にあたるかどうかを更に検討する必要があったのに、これをしないで終わりにしました。
検討に値しないと言うこと・例外を認める場合ではないと言う意味でしょうが・・。
どんな軽微な違法でも例外なしに証拠価値を認めないと言うのは、考古学資料が出たときにトキの発掘関連法令・・届け出義務違反あるいは隣地所有者の同意書に瑕疵があったなど・・いろんな手続の一部に違反して発掘されたものであるから価値がないと言えるのか?と言うのと似ていませんか?
違法行為があれば、先ずはこれを理由に別に違法行為者を処罰すれば良いことであって処罰だけでは違法行為が禁遏出来ないときに、政策的に証拠能力も減殺すると言う関係ではないでしょうか?
証拠自体に証明力がないのではなく、他の目的達成のための政策的判断結果です。
本当は英語や数学と全ての分野で成績がいいのに、身分が低いから合格できないのと似ています。
4月3日終わりの方に書いたように女性や黒人あるいは障碍者の社会産科を促すために保護のためのクオーター性など、特別保護すべき場合は例外ですが、そう言う特殊な事情がない限り、試験する以上は試験結果で決める・・スポーツでも何でもそのもので勝負し、身内かどうかでなどその他の要素で点数を変えてしまうのは邪道です。
ソモソモ令状主義が出来た時代には、容疑者が令状を示されたときには取り囲まれていて逃げられない・・あるいは家宅捜索や身体検査の場合、証拠隠滅しきれないのが原則だったから成り立っていたのです。
(警察が踏み込んで来ると覚醒剤などをトイレなどに流したり急いでどこかに隠すなどが普通ですが、それでも微量の粉末が容器に残る・・このせめぎ合いでした。)
ここで(思いつきコラムの特徴でご容赦下さい)方向性が変わりますが、ここ何回も書いているように犯罪・テロが起きてからの後追い的証拠収集では間に合わない・・事前情報収集の必要性が高まっている現在どうあるべきかの基本的議論が必要です。
19世紀型法原理・システムは人権擁護のための行き過ぎ?・・犯罪が実行されてからしか捜査も処罰も出来ないシステムですが、刀を振り回すハイジャック事件程度ならば、警官・ガードマンを乗り込ませるなどで(コストさえ気にしなれば)事件発生後でも制圧出来ますが、サリン事件や、爆弾テロ銃乱射などの事件が起きると事件が起きてから証拠収集しての制圧方法では大量被害を防げません。
今や犯人がごく少数でも半端でない被害が起きる・・事件後しか捜査すら出来ないのではどうにもなりませんので、準備行為や事前行為も処罰対象になって来ましたが、これらも定型的方法によらない限り(犯罪方法も日進月歩です)何が準備行為か分り難くなっています。
事後処罰・・実行行為があった場合を前提する現行法体系では、例えば私が学んだ刑法学(団藤説)では実行行為と何かと言う論点では「定型説」でしたが、テロの予防が重要になって来ると定型行為・・数年に1回改訂する定型行為・チェックリストにない行為はいくら怪しいと思っても予めチェック出来ないのでは、新たな方法を考案したテロリストをチェック出来ません・・。
犯行方法は日進月歩・・被害分析して後追い的にチェック方法を改正→チェックシステム設置に要する期間も半端ではありません・・・全国展開には数年単位でも無理があります。
羽田空港の出入チェック機械を2〜3年かけて総入れ替えしても地方空港までは直ぐに行き渡らない・・地方から入って来る客をどうするかなど・・。

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