アメリカの自治体2(政府形態1)

昨日引用の続きです。
素人の私が自己流解釈するよりそのまま引用の方がわかり良いので、そっくり(と言っても関心のあるところだけの抜粋です)引用さていただきます。
今日のコラムは私の意見部分がなく引用だけです。
http://www.clair.or.jp/j/forum/series/pdf/h18-1.pdf1

3 カリフォルニア州地方自治体の政府形態
(1)アメリカ全土地方自治の政府形態
アメリカ全土には、下記の表が示すようにさまざまな地方自治体の政府形態が示されている。
表 2 政府形態の年代推移
推 移      2005      2004    2000    1996   1992   1988     1984
支配人制   3,475(48.9%)  3,453   3,302   2,760   2,441   2,356   2,290(35%)
市長議会制  3,091(43.5%)  3,089   2,988    3,319   3,686   3,686   3,686(56%)
委員会制   145( 2.0%)   145    143     154   168    173   176(3%)
町総会制   338( 4.7%)   338    334    365    363    369    370(5%)
町総会代表制 63( 0.9%)    63 64    70     79    82    81(1%)
不明 3
計     7,112(100%)    7,091    6,381   6,668  6,737    6,666    6,603
(100%)
出典:The Municipal Year Book 2005,Published by the International
City/County
Management Association (ICMA)
注① 上記の表中の合衆国の地方政府の総計は、2,500 人以上の人口をもつ自治体のみを
示している。また、2,500 人以下の人口をもつ地方政府は 30,000 ほどである。
注② 理事会・支配人制政府のもとで運営されている自治体に住む住民は、9、200 万人以上である。
注③ 25,000 人以上の人口の自治体の 63%は、理事会・支配人制を採用している。
それぞれのシステムについて、簡単に解説しよう。
イ 市支配人制
この制度は、1908 年ヴァジニア州スタウトン市 (Staunton, Virginia) において初めて採用された。
多くの市で急速に採用され、今日では、25 万以下の自治体では半数以上で採用されている。また、ヨーロッパのほとんどの国、またアジアにまで広まっている。
この制度は、理事会によって任命された支配人に全行政をまかせ、理事会は、支配人の任免の他には予算や政策の決定を行うに過ぎない。市長の選出は、理事会の互選か、有権者による直接公選であるが、その任務は、理事会の議長、また対外的代表など数が限られている。支配人は、「行政大学院」で教育を受けた行政の専門家で、予算・政策案の作成、行政組織の管理、情報の収集、市民との交流などの仕事を行う。企業に極めて似た制度と言える。
カリフォルニア州のこの制度の採用率は、非常に高く、また採用してもそのバリエーションに富んでいる。州内 465 自治体のうち、32 自治体が「議会-市長制」であるのに対し、後は、「理事会-支配人制」である。
例えば、第3章で示す「トーランス市」の場合は、もとより「理事会―市支配人制」であるが、支配人はこの半世紀ほどで2人だけである。専門職としてのマネージャーは、通常日本では自治体の「わたり職人」のようなイメージであったが、必ずしもそうではないようである。
ロ 弱市長制
連邦政府の統計では、弱市長制と強市長制は、「議会―市長」と解されて、一緒に取り扱われている[U.S. Census Bureau, Government Organization, 2002CensusofGovernments,Vol.1No.1.]。しかし、ここでは、政府形態のバリエーションを増やす意味からも別々に説明する。
弱市長制は、現在の制度のうちで最も古く 19 世紀前半に始められた。
この制度の特徴は、主任行政官としての市長の地位が極めて弱いことである。議会は部長の任免権を持ち、それによって行政権を遂行する。また議会は、予算案の作成と採択に責任を有する。この他に行政権は、多数の行政委員会にも与えられており、しかもその委員は有権者によって選出される。
この制度は、州制度に類似しているが、地方自治体レベルでは比較的小規模自治体で使われるのが通常である。しかし、例外的に 37 万都市のミネソタ州ミネアポリス市とカリフォルニア州ロスアンジェルス市(市部人口 3,957,875 人)でも採用されている。
ハ 強市長制
1870~80 年頃、この制度が採用され始めた。この制度は、首長と議会がそれぞれ有権者によって直接選出される。首長は、強い行政権をもち、全行政過程の決定・執行に責任をもち、また政治的リーダーでもある。
この制度の欠点は、行政に素人の市長が採用され、政治と行政を区別することが困難な場合が多いことである。
強市長制は、わが国の自治体制度と類似している。
なお、行政管理官制は、強市長制に基本的には類似しているが、行政管理官は首長のもとで支配人制の支配人と類似した機能を果たす。
ニ 委員会制、町総会制
上記の3制度以外には、カリフォルニア州においては見当たらない。少なくとも「自治体年鑑(municipal year book)」や連邦統計局編纂の「政府組織(Government Organization)」には見当たらない。

アメリカの自治体1(法定市と憲章市)

アメリカでは自治体が各州ごとに独自の発展をしてきたとはいえ、結果的に今では自治体の大枠は一般法定市と憲章市の2種類に大別されているようです。
http://www.clair.or.jp/j/forum/series/pdf/h18-1.pdf1
カリフォルニア州の地方自治体について東海大学政治経済学部政治学科教授牧田 義輝氏によれば以下のとおりです。

第2節 カリフォルニア州の政府構造
1 地方政府は自治化区域と未自治化区域に別れる
州内の統治、行政サービスは、州政府の責任である。州政府は、そのために州域内をく4まなく区分し、カウンティ政府を作って、地域の問題に対処し行政サービスを行うのである。しかし、人々が自らのためにサービス機関としての自治体を作ったほうが良いと考えた場合、地方自治体を創設するのである。
このようにして自治体はますます増加傾向にある。今日では、多くの州で自治体の新しい創設に制限を設ける傾向にあるが、「結論」で述べるがアメリカ人の思想では、自治体政府を富追求の手段と位置づけるのが多くの研究者の見解である。このような考えから今日でも依然として多くの自治体を作っているのである。
カリフォルニア州には、「カウンティ」は、現在 58 機関存在している。カウンティは、州内の行政に責任をもつ州政府の任務を遂行するために設置されているが、その意味で「準自治体」(または、州政府の下部組織であるとして「半自治体」という人もいる)といわれている。
カリフォルニア州においては、統合された自治体として「市・カウンティ」がある。例として、サンフランシスコ市・カウンティ(City and County of San Francisco)、ロサンゼルス市・カウンティ(City and County of Los Angeles)として存在する。
このほか、地方自治体は、通常「市(City)」であるが、「町(Town)」と呼ばれる場合もある。その町にも「自治体化された町(Incorporated Town)」と単なる「町(Town)」といわれる「未自治体の町(Unincoporated Town)」がある。さらに「村(Village)」といわれる場合は、すべて未自治体である。
2 特別区政府 (special district governments)
特別区政府は、「一般目的地方政府 (カウンティ、市、町、村など)から実質的に管理・財政上独立し、限定的な目的をもった自治政府機関」である。ここでの定義からは、日本の「事務組合」などとは異なっている。なぜなら、日本の場合は、ほとんどが自治体を母体として、そのための広域行政であるからである。つまり、日本の事務組合などは、財政的に人事的に独立しているということはない。
特別区政府は、近年増加傾向にある。その背景には、大都市圏問題の多様化と深刻化の中で広域需要が増大してきていることがある。これに対応して自治体統合や連合などの方式によって広域自治体を作った方が得策であることはいうまでもない。しかし、このことによって公選公務員や職員が削減されることに対する反対、また個々の自治体の強い自治意識が阻止要因となって、広域自治体の実現は不可能である。それで、その妥協の産物として特別区が増加しているのである。
第3節 カウンティ政府
1 アメリカにおけるカウンティ政府の状況
カウンティは、約 1,000 年前のイギリスのシェア(Shire)に起源があるとされている。
当時、市民政府であると同時に国家政府の行政を受け持っていた。合衆国憲法の起草者達は、カウンティを州の問題とし、州の行政手段として位置づけた。
カウンティ政府の最高意思決定・執行機関である理事会(カリフォルニア州では、board of supervisors”、本報告書では「監理委員会」と訳している。なお、他の州では通常“board of commissioners”と呼ぶ)は、条例・規則の制定、予算案の審査・採択などの立法責任、それらを執行し、首席行政官、および部局の活動を管理監督する行政責任などを持つ。通常、理事は、小選挙区制で選出され、4年に1度の選挙で選出される。
2 カウンティの創り方、憲章の制定・改定
知事は、カウンティの創設が住民から提案されたとき審査をする「カウンティ形成審査委員会(County Formation Review Commission)」を作り、5人の委員を任命する。
カウンティ憲章の制定、および改定の手順は、カウンティ監理委員会のメンバーが過半数以上の賛成で採択された条例に基づいて発議される。条例の制定には、直近の選挙によってカウンティの有権者によって選出された 15 名の有権者から構成される憲章委員会の選出が必要である(Code Sec.23000-23027)。
6 カウンティ政府と広域行政
・・・カリフォルニア州同様、アメリカには連合型の広域政府が一例としてない。1960・70 年代に犯罪、福祉、暴動、環境、人種差別問題が大都市問題として噴出したときこれらの問題を解決するために大都市圏総合広域政府の創設の提案が、全米で 100 例以上提案された。
しかし、この種の広域政府は実現していない。
このようにカナダなどでは多数作られている連合型広域政府でさえ作られない理由は、地方自治体の自治権が強力であることに尽きる。カナダなどの場合、たとえば「トロント大都市圏自治体」の設置のように上位政府である州政府の議決で創設できるのに対し、アメリカの場合は大都市圏広域政府を作る場合に近郊自治体と中心大都市自治体の利害が不一致である場合(人種、経済格差、文化、環境などほとんどが利害対立しているが)住民投票において近郊の多数、中心都市の多数をそれぞれ要件とすることなどによってすべてが挫折したのである。
第4節自治体政府
1 自治体の権限
自治体政府 (municipal governments) とは、「一定地域に集住する人々に対する政治区画であって、一般目的地方政府として設立される自治体法人である」と定義されている。自治体政府は、具体的にどのようなサービスを行い、またどのように課税するかについて自ら決定することができる。それはサービスを提供する「企業」を作るという考えに似
ている。しかし、自治体は無制限に自治権を有しているのではない。
2 一般法定市と憲章市
このように州政府(日本ならば基本的に国家)は、自治体に権限を与えるに制限列挙方式であるが、しかし自治体に広範な自治権を与えていることも事実である。
アメリカの場合、自治体を作るということは、自治権を与えるということであり、州議会が憲章 (charter)を与えるということである。1850 年頃まで州議会は、自治体を設置する毎に特別立法を制定していた。しかし、それは、いかにも繁雑で非効率的であった。結果として、今日では、自治体の作り方に2つの方法がある。
1つの方法は、自治体の人口規模や課税資産価値などによって類型化し、あらかじめ州議会によって制定された法手続きに基づき自治権を与えるという方法である。カリフォルニア州においては、「一般法定市(General Law Cities)」と呼ばれている。
もう1つの方法は、自治体が独自に憲章を作る場合で、通常ホームルール憲章といわれる。この方法は、ホームルール憲章を州議会が認める場合と、州憲法に付与されている権限に基づき憲章を作る場合がある。

カリフォルニア州の場合は、「憲章市(CharteredCities)」と呼ばれる(Code.Sec.34101- 34102)。
(1)一般法定市政府
一般法定市政府は、州法によってあらかじめ定められた手順によって市(自治体)を作
る。次のような職制が定められている。
(a)最低5名からなる市理事会(b)市書記(c)市財務官(d)警察署長
(e)消防署長(f)法によって規定されている下位公務員・職員
(2)憲章市

要は、州のモデル通り設立するのが法定市と言い、自前の定款で市をつくるのが憲章市ということでしょうか。
ただし自前の 憲章を作れると言ってもホームルール法で決まった範囲の自由度でしかないようですし、法定市と憲章市の 違いを書いた以下の比較表表を見ても議員定数や報酬の基準、任期や再選回数の制限など・・それほどの違いはないようです。

表1 一般法定市と憲章市の比較
特徴
政府形態
一般法定市  州法が政府形態を設立するために市理事会が行う手続きを規定している。
憲章市    市長制、または市支配人制を含むいかなる政府形態も採用できる。
契約
一般法定市  公共事業の契約 5,000 ドル以上の公共事業の契約には競争入札が要求される、等。
憲章市  競争入札が要求されていない。交渉力による契約が用いられるかもしれない
その他省略

アメリカの州・郡(County Government)と市町村の関係2

アメリカの場合、州の規模が大きいので隣の州で日常規制・ごみ収集方法が違ってもあまり関係がないと言えば分かり良いでしょう。
例えば、関東地方だけで7都県もありますが、アメリカの場合で言えばカリフォルニア州の何分の1です。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q116683326によると以下の通りです。

カリフォルニア州面積:411,045平方km
(日本の面積の1.1倍)

以上のように州(ステート)と連邦の成り立ち・・歴史が違う上に事実的な意味を持つ面積規模もまるで違うアメリカの州の連邦の政府に対する自治権を理想化して日本の小さな都道府県や市町村に当てはめる議論は間違いです。
アメリカの場合、主権国家内の自治権というよりは独立国の条約による連合体・・EU加盟国がマーストリヒト条約等に従う義務によって、もともと100%あった主権が制限されている関係と見るべきです。
上記歴史経緯や地理条件などを総合すると、州に対して郡(County Government)や市町村がどのような自治権を有しているかの研究こそが日本の自治の参考にすべき基準です。
以下はカリフォルニア州政治に関する17年10月7日現在のウィキペデイアの記事からです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%B7%9E%E3%81%AE%E6%94%BF%E5%BA%9C地方政府

「カリフォルニア州は郡に分割されており、郡が法的な州の小区分である[8]。州内には58郡があり、480の都市、約3,400の特別地区と教育学区がある[9]。特別地区は具体的な公共計画と公共設備を有権者のために運営し、「その境界の中で行政的あるいは所有者としての機能を果たすための州の機関」として捉えられている[10]。
地方政府の権限の詳細を支配下に置くために州議会は1963年にサンフランシスコ郡を除く全郡に地方機関結成委員会を創設した。」

その境界の中で行政的あるいは所有者としての機能を果たすための州の機関」ということは、要約すればこれと言った自治権がない・・州政府の末端行政機関であるかのような位置付けです。
別の記事を見ると郡は条例制定しても市の批准がないとその市内では適用できないというので相応の条例制定権があるようですが、上記カギ括弧書きの要約と合わせると州政府の下位機関としての行政執行を具体化する範囲程度のイメージです。
そこで各州と郡を一体として・・市町村の自治体との具体的な関係を見ていきます。
自治体とは何か?政府とは何か?となると意外に難しいのに気づきます。
昨日書いた通りアメリカは、もともと独立国家の連合体ですから、州内の統治をどうするかについて連邦憲法に何も書いていないことになります。
ですから州政府と郡や自治体との関係も州ごとに違うことを前提にする必要があります。
そもそも州の憲法事項になっているかを最初に問題にすべきでしょう。
https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/zk079/zk079_02.pdfによれば以下の通りです。

2.2
地方政府の法的位置づけ10
地方政府は各州ごとに州憲法や州法によって規定されており、その種類や機能は一律に定義することができない。歴史的には、地方政府を州の一部局として自治の範囲を狭く解釈する見解と、州からある程度独立した組織として自治の範囲を広く解釈する見解との対立があった。
地方政府の機能や権限を狭く限定的に解釈する前者の代表としては、
「ディロンの法則(Dillon’s Rule)」と呼ばれる解釈基準がある。この基準によると、地方政府は州憲法や州法によって付与された権限のみを行使することができる。
一方で、地方政府の固有の自治権を主張する議論として「クーリー・ドクトリン(Cooley’s Doctrine)」が挙げられる。クーリー裁判官は1871年にミシガン州最高裁判所で、「州憲法による黙示の制限」によって地方政府の権利は州議会の権力から保護されており、「純粋にあるいは基本的に地方的な事務については、地方政府の法が州法に優先する12」と述べている。
・・・・このため、南北戦争の頃になると州議会の過剰な介入に反発した地方政府や住民が、地方の自治権を主張して各地でホームルール運動を起こすようになった。この運動が一定の成果を挙げて、各州の州憲法や州法において、人口等の一定の条件を備える地方政府に対する、州政府の介入を制限・禁止する規定や、州憲法や州法に違反しないことを条件に、地方政府に自治憲章を制定する権利を認める規定が定められることで、地方政府の自治が保障されるようになった。ただし、実際にはこの特典が得られる地方政府は限られており、また自治憲章に関する規定は州憲法や州法にもとづいている。自治憲章のための権限は、あくまでも州政府から地方政府への授権であり、州政府から独立した自治権を地方政府に与えるものではない。」

以上要するに州法で許容される範囲の自治権しかないということでしょう。
各州が自由に決めてきたとは言っても江戸時代の各大名家が周辺大名家のいいところを吸収模倣して行ったように時間の経過でおのづと共通化していきます。
アメリカでは学校制度から何か何までいろいろあって自由な国だという評価する人が多いですが、ただ発展段階が原始的〜初歩段階にあるからに過ぎないのではないでしょうか。

自治体の拒否権11(自衛隊出動要請2)

自衛隊が自発出動権限内行為としてで折角伊丹駅まで出動しても、その先で燃え盛る火の手・・大量の倒壊家屋が見えていても?動けなかった現実をどう評価するかです。
単に当時の社会党政権非難で終わらせず、(社会党がなくなっても)制度をそのままにしておいて良いのかの議論が必要です。
「10:10 兵庫県知事の名で派遣要請(実際には防災係長が要請。知事は事後承諾)」とあるように結果から現場係長の一存(自己責任覚悟・・国士)で、知事の名を偽って?出動要請したので、待ちかねていた自衛隊が動き出せたと言う顛末らしいです。
知事の依頼はその9時間以上も遅くなっていますが、知事が故意に遅らせたのではなく情報寸断の事態下で正確な情報が入らなかったことが原因らしいですが、手続を踏んだ報告がなくとも知事本人が震災現場にいる以上は、登庁途上の目撃・・目の前の倒壊家屋などの惨状を体験している筈です。
(この数日書いているように現場尊重の制度は自治権や主権重視・・政府施策に楯突くためにあるのではなく、現場直感・緊急事態把握の重要性を基礎にするものですから、緊急時に官邸の意向を窺っているのでは、本末転倒・自治の名が泣きます。)
民間のダイエー社長や外国政府の方が早く動いているのと比較しても、当時の社会党内閣の動きが遅過ぎる点が異常です。
そこには自衛隊アレルギー・・余程のことがないと依頼したくない」と言う骨の髄までしみ込んだ思想的影響があったからではないか?と疑われても仕方がないでしょう。
社会党やこの流れを汲む民主党が、大災害対応が粗末過ぎて両党とも消滅(民主党は改名?)してしまいましたが、自衛隊敵視体質がしみ込んだ世代が、非武装平和・安保反対論を基礎にして、国防・自衛隊関連全てに情緒的に反対している印象です。
今年の熊本地震でミノモンタ氏が、(未だにマスコミ内ではこの情緒共有が地位維持の基礎になっている印象)何の根拠もなく情緒だけで自衛隊をツイッターで非難して、総スカンを食ったのもこの延長上で理解すべきです。
もともと政府や知事の依頼不要の制度設計であれば、知事や官邸の動きが遅過ぎる批判がかなり緩和されていたでしょう。
行政府のやるべき災害対応は、行政対応中心・・どの程度の緊急食糧や災害住宅を用意するか災害指定をどうするかなどですから、実は寸秒を争うことではありません。
このときの社会党政権のお粗末対応批判で政権寿命を縮めたことから、2011年大震災時の民主党菅政権は、迅速対応し過ぎて?官邸が現場に口出し過ぎたことが逆に問題になっています。
社会党に限らず左翼系は共産圏型を理想としている関係で、政権批判目的では、公害とか情報公開などを主張していますが、本音・体質は下部に権限を委ねる経験が乏しい体質が露呈された印象です。
このときもニッポン民族の危機を救ったのは、現場判断・現地工場長が官邸の命令?(東電幹部がそのときの官邸のやり取りをソンタクして注水をやめるように連絡)注水中止命令に表向き応じておいて、実際には(自己責任を覚悟して)注水継続したことによって、大事に至るのを防げたことが分っています。
このように日本の現場はしっかりしているのです。
現在の政治テーマは菅総理が直截注水中止を命じなかったとしても、そのときの総理の剣幕・・雰囲気で同席していた東電派遣幹部は中止をソンタクするしかなかったのかと言う程度のことです。
(以下の06:35 伊丹駅への出動は近傍条件で6時35分には自発出動出来ているのに正式依頼が「19:50 兵庫県知事、海上自衛隊に災害派遣要請」ですからこの間13時間以上もその他部隊は指をくわえて待機しているしかなかったことになりますが、現場係長の機転による(県知事名の)出動要請でその9時間前に実際には出動開始していたので実害がなかったことになります)
時系列データが出ていますので(勿論私にはこのデータが正確かどうかまでは分りませんのでそのつもりでお読み下さい)以下引用しておきます。
https://www35.atwiki.jp/kolia/pages/1209.html阪神大震災の時系列
(引用元 )}
1995年(平成7年)1月17日
05:46 地震発生
05:50 陸自中部方面航空隊八尾基地、偵察ヘリ発進準備。
05:50 第三十六普通科連隊(伊丹)営舎内にいた隊員約三百人による救援部隊編成開始
06:00 CNNワールドニュース、トップニュースで「マグニチュード7・2。神戸で大地震」と報道。
06:00 村山起床。テレビで震災を知る。
06:20 テレビで急報を知ったダイエー中内功社長出社
06:30 百里基地、偵察のためRF4発進検討するも断念。4ヶ月前北海道東方沖地震でRF4が墜落、社会党の追及で当時の指揮官が更迭されたため。
06:30 中部方面総監部非常勤務体制
06:30 村山、園田源三秘書官に、電話で、状況把握を指示(園田本人は「そのような事実は無かった」と否定)。
06:30 警察庁が地震災害対策室を設置、大阪、京都、奈良などに機動部隊の出撃命令を出す
06:35 第三十六普通科連隊(伊丹)、倒壊した阪急伊丹駅へ伊丹署の要請で先遣隊出動
06:50 陸自第3特化連隊(姫路)非常呼集
07:00 スイス災害救助隊、在京スイス大使館へ、日本政府への援助申し入れを指示
07:00 金重凱之秘書が国土庁防災局に電話で状況確認し、村山に「特にこれといった情報は入っていない」と報告。
07:14 陸自中部方面航空隊八尾基地、偵察ヘリ1番機発進。高架倒壊等の画像撮影。出動要請がないため訓練名目。
07:30 村山総理に一報
07:30 陸自第3特化連隊(姫路)、県庁へ連絡部隊発進
07:35 第三十六普通科連隊(伊丹)、阪急伊丹駅へ48人応援
07:50 石原信雄官房副長官、川崎市の自宅を出発。
07:58 阪急伊丹駅救助活動48人
08:00 官邸、防衛庁に、派遣要請がきているか確認するも、要請無し。
08:00 ダイエーが地震対策会議。中内社長、販売統括本部長にヘリコプターで神戸へ飛ぶよう指示。おにぎり、弁当など1,000食分と簡易衛星通信装置を搭載。
08:11 徳島教育航空郡所属偵察機、淡路島を偵察。「被害甚大」と報告。
08:20 西宮市民家出動206人
08:20 貝原知事、職員の自動車で県庁到着。対策会議開くも派遣要請出さず
08:26 総理、官邸執務室へ(予定より1時間早い)。テレビで情報収集。
08:30 セブンイレブン災害対策本部、被災地店舗へおにぎりをヘリ空輸開始。
08:45 村山「万全の対策を講ずる」とコメントを発表。
08:50 韓国政府、「日本関西地域非常対策本部」(本部長・金勝英=キム・スンヨン=在外国民領事局長)設置
08:50 石原信雄官房副長官到着。「現地は相当酷い」とコメント。
08:53 五十嵐広三官房長官「非常災害対策本部を設置し小沢潔国土庁長官を現地に派遣する」と発表。
09:00 呉地方総監部、補給艦「ゆら」が神戸に向けて出港。
09:05 国土庁が県に派遣要請促す
09:18 村山、廊下で記者に「やあ、大変だなあ」、視察はしないのかとの質問に「もう少し状況を見てから」とコメント。
09:20 総理国土庁長官、月例経済報告出席。地震対策話題無し
09:40 海自輸送艦、非常食45000食積み呉出港
09:40 神戸消防のヘリコプターが上空から市長に「火災発生は20件以上。市の西部は火災がひどく、東部は家屋倒壊が目立つ」と報告。市長は直ちに県知事に自衛隊派遣を検討するよう電話で要請。
10:00 村山、月例経済報告終了後廊下で、記者の「北海道や東北と違い今回は大都市での災害だが、対策は?」との質問に「そう?」とコメント。
10:04 定例閣議。閣僚外遊報告。非常対策本部設置決定。玉沢徳一防衛庁長官には「沖縄基地縮小問題で(上京してきている)大田昌秀知事としっかり協議するように」と指示。震災についての指示なし。
10:10 兵庫県知事の名で派遣要請(実際には防災係長が要請。知事は事後承諾)
10:15 中部方面総監部、自衛隊災害派遣出動命令(村山の指示で3000人限定。到着は2300人)
10:25 姫路の第3特科連隊の幹部2人がヘリコプターで県庁に到着、県災害対策本部の会議に参加
11:00 村山、廊下で会見。記者の「総理が現地視察する予定は?」との質問に、「状況見て、必要があればね」。「総理は行く用意はありますか?」、「そうそう、状況を見て、必要があればね」。
11:00 村山総理、「二十一世紀地球環境懇話会」出席。「環境問題は国政の最重要課題の一つとして全力で取り組んでいく」と発言。
11:00 京都機動部隊が兵庫入り。
11:15 村山、廊下で記者に、山花貞夫前社会党委員長の新党結成問題に関して、「山花氏は自制してもう少し話し合いをして欲しい」とコメント。
11:15 非常対策本部設置(本部長・国土庁長官の小沢潔)
11:30 非常対策本部第1回会議
11:34 五十嵐官房長官、記者に社会党分裂問題を聞かれ、「それどころじゃない」と発言し首相執務室入り。現地で被災した新党さきがけ高見裕一からの電話情報を元に、村山に事態の重大さを力説。
12:00 新党さきがけ高見裕一、現地から官邸に電話。自衛隊増員要請するも、村山「高見は大げさだ」と冷笑
12:00 政府与党連絡会議中、五十嵐官房長官が村山に「死者203人」と報告。村山「え!?」と驚愕。
12:48 淡路島・一宮町役場の中庭に自衛隊ヘリ三機が到着。隊員がオートバイで被害調査を実施。
13:10 渋滞に阻まれていた自衛隊第三特科連隊215人が到着。救助活動を開始。
13:30 防衛出動訓令発令検討するも断念
13:30 大阪消防局隊応援部隊到着
13:50 社会党臨時中央執行委員会が「党内事情より災害復旧を優先すべき」として、山花氏の離党届を保留。
14:07 村山総理、定例勉強会出席
14:30 小沢国土庁長官、現地空中視察へ
15:36 河野洋平外相「総理は人命救助と消火に力を入れるようにといっていた。総理が現地に行くのは国土庁長官からの報告があってからのようだ」とコメント。
15:58 村山、廊下で記者の「改めて聞くが、総理が現地に行く可能性は?」との質問に「明日、国土庁長官から現地の状態を聞いてな」とコメント。
16:00 村山総理、地震後初の記者会見。「関東大震災以来、最大の都市型災害だ。人命救助、救援の万全を期したい」、「近く現地入りする」(初めて現地入りを明言)。5分で終了。
18:00 補給艦「ゆら」が姫路港に入港。緊急物資を積載し、神戸に向かう。
19:50 兵庫県知事、海上自衛隊に災害派遣要請
21:00 兵庫県知事、航空自衛隊に災害派遣要請

自治体の拒否権10(自衛隊出動要請1)

アメリカの大洪水被害などでは州兵が先ず出動しそれでも間に合わない場合、州知事の要請で連邦軍が出動する仕組みらしいですが、これはこれまで書いているように元々は独立主権国連合の本質・歴史を前提にしている制度です。
各州が自前の軍を保持している以上は当たり前のことで、県単位の軍隊などを有していない日本に当てはめて主張すること自体が非常識と言うか、牽強付会のそしりを免れないでしょう。
独立国同士では・・日米安保条約があっても目の前で攻撃されている緊急的応援を出来ても、大規模出動するには日本政府の応援依頼があってから出動する仕組みになっているのと同じです。
日本の都道府県は元々独立国が日本政府樹立に参加したのではなく、政府が統治の都合で各地を線引きしたものに過ぎませんから、これにアメリカの州の権限を当てはめるのは土台無理です。
学校で「廃藩置県」と習うので、藩がそのまま県になった印象を持っている人が多いと思いますが、例えば千葉県でも最初に小さな県がいくつも作られて、その後組わせを変えたりして、漸く今の県域が出来上がったことを明治の地方制度のテーマで紹介したことがあります。
アメリから日本独立回復後もアメリカ法の貫徹を目指す勢力が強かった結果、大災害が起きても県知事の要請がないと自衛隊が救援出動出来ない現行法が出来上がっているばかりか,法の運用においても出来るだけ自衛隊を出動させない思想が強固でした。
以下アメリカの州と県とが性質が違う矛盾が露呈した・・神戸大震災の経験を紹介して問題点を見て行きます。
神戸(阪神淡路)大震災では、兵庫県知事による自衛隊出動要請が遅過ぎた批判がありました。
自衛隊法では、以下のとおり知事要請が(原則として)必須要件になっています。
(要請による治安出動)
自衛隊法(昭和二十九年六月九日法律第百六十五号)
(災害派遣)
第八十三条  都道府県知事その他政令で定める者は、天災地変その他の災害に際して、人命又は財産の保護のため必要があると認める場合には、部隊等の派遣を防衛大臣又はその指定する者に要請することができる。
2 防衛大臣又はその指定する者は、前項の要請があり、事態やむを得ないと認める場合には、部隊等を救援のため派遣することができる。ただし、天災地変その他の災害に際し、その事態に照らし特に緊急を要し、前項の要請を待ついとまがないと認められるときは、同項の要請を待たないで、部隊等を派遣することができる。
3  庁舎、営舎その他の防衛省の施設又はこれらの近傍に火災その他の災害が発生した場合においては、部隊等の長は、部隊等を派遣することができる。
4  第一項の要請の手続は、政令で定める。
要請が遅かったか早いかの議論よりも、自治体の要請がないと自衛隊が自発的に動けないシステム・現行法制度や安易に?依頼すると政治責任追及を受ける雰囲気造りをして来たこと自体を問題にすべきです。
明日のコラムで当日の時系列(ネット引用ですので正確かどうか不明)を紹介しますが、これによると、「06:30 百里基地、偵察のためRF4発進検討するも断念。4ヶ月前北海道東方沖地震でRF4が墜落、社会党の追及で当時の指揮官が更迭されたため。」
上記は、特定立場の解説かも知れませんが、神戸震災当時の知事判断には、当時の社会党政権による自衛活用に対する抑制姿勢の影響があったように見えます。
ところで、自衛隊の自発的出動を認めるとどう言うマイナスがあるのかと言う点ですが、自衛隊が自発的に災害出動し、あるいは知事判断が過大過ぎて災害規模が想定よりも小さかったとしても、どのような社会的損害を心配して厳重な縛りを掛けているのかすら分りません。
火災事故で数台の消防車で足りそうな小さなボヤ・・路地周辺に10数台も集まっているような素人から見れば、無駄そうな事例が時おり見かけますが・・。
消防車が多過ぎてもコストの工夫論だけであって、政治責任まで起きそうもないように思えますが・・・。
民主的控制が必要としても、事後的検証システムを整えておく方が合理的です
災害救援のためでも他国軍が勝手に入って来るのは絶対に許されないのは分りますが、自国軍による救援活動まで何故厳重に縛り付ける必要があるのかの疑問ですが、・・自衛隊を敵視する基礎的思想が蔓延している中で法制度が出来上がってしまったのではないでしょうか?
政府や知事の危機管理能力をマスコミが批判する傾向がありますが、政治家は危機管理の専門家ではありませんし自治体職員も日常業務があって、危機管理のために常時情勢監視する仕組みではありません。
各企業の防災管理体制も同じで、支店長をトップに、(兼任)◯◯と言うシステムが普通で、専門職が常駐する仕組みではありません。
防災担当県職員も被災地域に居住している限り一般市民同様の被災者であって独自の情報源などありませんから、瞬時決断を要する危機発生時には彼らの登庁(登庁経路の多くが寸断されています)を待って,漸く一人二人登庁しても彼らが独自情報を持っていない(せいぜい登庁途上の被害目撃情報くらい)・緊急判断するコト自体無理があります。
緊急事態即応には、24時間態勢で寸秒の切れ目もなく危機管理情報を把握している危機管理の専門組織・・(即時に偵察機を飛ばすなどの即応体制のある)軍や警察の瞬発的決断に頼るしかないのではないでしょうか?
神戸の大震災では、地震発生後13時間以上も経過して漸く自衛隊出動依頼していますが、航空自衛隊出動依頼がさらに1時間以上遅れています。
家屋・電柱倒壊などで陸路からの救援が難しい状態が早くから報道動画等で判断出来た筈ですが、知事としては部局を経た報告を待っていたのかもしません。
(自衛隊が早くから偵察機を飛ばすなど情勢分析が進んでいたのに対して、(行政府・知事にはそう言う手段がないでしょう)
空からの救援としてどう言うことが出来るかなどの技術的判断まで、専門外の知事が何故判断する必要があるのかも疑問です。
他方自衛隊の緊急対応を見ると、神戸震災では、「06:35 第三十六普通科連隊(伊丹)、倒壊した阪急伊丹駅へ伊丹署の要請で先遣隊出動」とあるように「05:46 地震発生」発生後1時間以内に対応しています。
これは自衛隊法83条3項で駐屯地の近傍には自発的に出動出来る条項を利用したようです。
それ以上の大規模出動には知事の依頼がなくて出動が遅れてしまったと言う流れです。
上記のとおり、ソモソモ何のために自発的緊急出動が原則許されないのか?自民党との連立政権成立までの社会党が、自衛隊違憲論を強硬に主張していたことが原因になっていることが明らかです。
大震災連続の結果、この種ドグマは次第に勢いを失っています・・ドグマに固執する(確かな野党)社会党消滅→社民党支持層激減の背景です。
私たち世代にとっては戦後約50年間2大政党の1つであった社会党の党是は誰もが知っている常識ですが、次世代では最早歴史の一部になっていて知らない方もいると思いますので、念のため当時の社会党の憲法意識(非武装平和論・自衛隊は違憲存在と言うドグマ)を紹介しておきます。
以下によると連立参加まで社会党は安保廃止・自衛隊違憲論であったことが分るでしょう。
村山総理に関するウイキペデイアの記事の一部です。
日米安保の維持
1994年7月20日、第130回国会での所信表明演説にて「自衛隊合憲」、「日米安保堅持」と明言し、それまでの日本社会党の政策を転換し、日米安全保障条約体制を継続することを確認した。
この際、演説用原稿では「日米安全保障体制を維持」となっていたのを、所信表明演説では村山が「日米安全保障体制を堅持」[30][31][32]と読んだことが注目された。
これは村山の出身政党である社会党にとってはコペルニクス的転回であった。トップダウンで決定した背景から独断専行と批判も受けたが、党は追認している。」
政権参加のために社会党は村山総理の意見を仕方なく?追認しましたが、違憲論が党内でなお根強かったことから腫れ物に触るようにしていた最中・神戸地震発生は国会での所信表明後僅か半5ヶ月後のことですから、ためらいがあり出動決断が遅れた原因と見るべきでしょう。

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