近代立憲主義6と憲法改正5(内心の自由と規制の必要性)

慰安婦報道でも報道機関は要所要所に「〇〇が事実とすれば・・」などの逃げ道を要所要所に用意していたのでしょうが、それを視聴者や読者は「書きっぷり」で判断しているのです。
「実務法曹にとっての近代立憲主義」その他の主張は、本気でそのように思いこんで欲しいかのようなトーン・ぼやーっと読むとそういう方向へ引きずり込まれそうであり、実際にそのように思い込んでいる人がいること・成功していることが上記引用文でわかります。
人権は崇高である→生命侵害は人権侵害の最たるものであり許されない=死刑廃止論・・このような単純論理が成立すれば、一般的刑罰ならば何故許されるかの説明がつきません。
生命を奪うのも自由を奪うのも人権侵害に相違ないのですから、何故生命侵害だけゆるされないか意味不明の論旨です。
彼らは生命だけは特別扱いすべきというのでしょうが、憲法のどこにも書いていません。
都合の良いところは憲法に書いていなくとも重視するし、都合の悪いところは書いていても無視するという非合理な価値基準です。
もしも刑罰一般が人権侵害で許されないならば、ホッブスのいう「万人の万人に対する闘争」の原始・自然状態になり、近代社会・刑法や刑事訴訟法が成り立ちません。
(実は、人間の原始社会どころか、動物界でも(狼でも魚類でも猿でも馬や鹿のグループでも同種同士ではそんな闘争世界はありませんから「リヴァイアサン」の前提は、実際にそういう社会があるというのではなく、観念的に「そういう段階があり得る」というだけでしょうか?)
思想信条の自由があっても、国家転覆罪はまだ内乱行為をしていない陰謀段階でも処罰されるのが世界標準です。

刑法
第七十八条 内乱の予備又は陰謀をした者は、一年以上十年以下の禁錮に処する。

共謀罪法案の時に近代法の原理に反するという意見が流布されましたが、世界標準がどうなっているかという説明が一切ありません。
政府の説明は以下の通りです。
http://www.moj.go.jp/content/000003507.pdf

共謀罪等の創設を求めている国際組織犯罪防止条約は,既に120か国によって締結されており,欧米先進国でも既に共謀罪等が設けられています。
我が国も,法案の「組織的な犯罪の共謀罪」を設けることによって,これらの国々と足並みを揃え,国際社会と協調して重大な組織犯罪から国民をより良く守ることができることになります。
国民の方々が不安に思うようなことは全くありません。

   アメリカ  ○ 共謀罪  (連邦法第18 編第371 条)

二人以上の者が犯罪を犯すこと等を共謀し,何らかの ある者が,他の者と犯罪行
そのうちの一人以上の者が共謀の目的を果たすために何らかの行為を行ったとき

  イギリス  ○共謀罪 1977年刑事法第1 条第3条

ある者が,他の者と犯罪行為を遂行することにつき合意したとき

  ドイツ  ○犯罪団体の結成の罪  (刑法第129 条)

犯罪行為の遂行を目的・活動とする団体を設立した者,このような団体に構成員とし して関与した者,支援者を募り又はこれを支援 した者,

  フランス  ○凶徒の結社罪 刑法第450ー 1条

重罪等の準備のために結成された集団又はなされた謀議参加したとき (準備のため、客観的行為がなされることをする 。)
日本の共謀罪

https://www.nikkei.com/article/DGXLASFS14H4D_U7A610C1M11000/
2017/6/15 18:56

15日に成立した改正組織犯罪処罰法のうち「共謀罪」を規定する条文は次の通り。
(テロリズム集団その他の組織的犯罪集団による実行準備行為を伴う重大犯罪遂行の計画)
第六条の二 次の各号に掲げる罪に当たる行為で、テロリズム集団その他の組織的犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。次項において同じ。)の団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を二人以上で計画した者は、その計画をした者のいずれかによりその計画に基づき資金又は物品の手配、関係場所の下見その他の計画をした犯罪を実行するための準備行為が行われたときは、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。

上記を比較しても先進諸外国と比べて日本の法律だけが、近代法理に反するとは到底思えませんが・・。
近代法の法理違反の運動をする勢力がどの部分が違反になるかの主張責任があるのではないでしょうか?
諸外国の法制度の要点は、内心の自由も絶対ではない・・テロ目的などの内容によって幅する方向性であり、処罰の要件・なんらかの外形に現れた時に処罰する・・無辜を誤って罰しないように足並みを揃えていることが分かります。
「内心の自由が絶対ではない」というのが現代的法理であり、左翼系の主張は文字どおり現代以前の過ぎ去った近代法の法理から進化しない超保守論理です。
マスメデイアが諸外国事例を一切報道しないで反対論ばかり大きく報道しているように見える(私が見落としているだけかもしれませんが・・)ことじたい中立性違反の疑い濃厚です。
思想表現の自由があっても他人の名誉毀損や詐欺行為は許されませんし、わいせつ表現の場合、・・違法の評価を受けます。
基本的人権といっても公共の利益に反しない限度で許されているにすぎませんし、これに反する場合には、刑罰を受けたり損害賠償を命じられることで社会秩序が保たれているのです。

憲法
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

最近の立憲主義の強調は、学問というよりも人権は、(運動体の本命ターゲットは死刑廃止よりは平和主義→人命尊重でしょうが・・)憲法以前の(天賦不可譲の)権利だから憲法改正でも許されない・・社会にそのような誤ったイメージを定着させるための政治運動論としていきなり声が大きくなってきた印象です。
人命=人権の最たるもので最尊重されるべき→戦争状態は人権侵害の最大 被害行為→平和主義は憲法以前の人権原理である。
「憲法改正対象にすること自体が許されない」という飛躍論法のようですが、流石にプロたるものそこまではっきりと言えないものの、思わせぶり表現で素人・大衆がそのように飛躍して思い込むように期待し、仕向けているように見えます。
憲法以前の権利ならば、憲法がどうなろうと守るべき規範である・改正の影響を受けないはず・・関係ないのになぜ反対するのか不思議ですが、こういう論理矛盾など一切気にしません。
・・学者としては「そこまで私は言っていないよ、『平和主義は日本を守るための方便でなく、人権を守ることと同じ』と言っているだけなのに素人が誤解しているだけだ」という世論誤導が目的の政治運動でしょうか?

本田鑑定3の検証必要性

第三者委員会〜検察審査会に話題が逸れましたが、7月2日まで書いてきた袴田事件再審手続きでの本田鑑定に戻ります。
本田教授が訴訟中にも関わらず鑑定データ廃棄してしまった行為が事実とすれば、学問の自由を守るために学者のモラルとして問題がないか学会の信用維持のために、相応の調査報告があってしかるべきでしょう。
当該学会や大学で判断→処分する能力がないならば、第三者委員会の出番ではないでしょうか?
袴田再審事件で鑑定意見を書いた本田教授の場合、小保方氏とは違い論文発表経験豊富な教授=若手の論文書き方指導の立場?である上に、刑事訴訟の正規鑑定・・たぶん鑑定証言もしているでしょう・・で実験記録や資料保存しないで鑑定書を提出しているとすれば(ミスか実験自体が虚偽か不明ですが)軽視できないモラル違反ではないでしょうか。いずれにせよ、彼がこれまで発表してきた研究実績の信用がどうなるか?彼の所属する学会で検証しないで放置・・知らぬ顔の半兵衛を決め込めるのでしょうか?
(小保方氏の場合博士論文では遡ってデータ捏造がないかの検証がされていました)
早稲田大学のようにせっかく不正を検証したのに、学位剥奪しない処分もありえますが、少なくとも本田教授の過去の論文が実際の実験に基づくかの検証をする必要があるように思いますが?
鑑定の見方は人によって違うでしょうが、訴訟の帰趨・・有罪か無罪か・本件は死刑事件ですから、生死の分かれ目が鑑定成果の信用性次第になっている重要資料であり、その信用性の有無が論点になっているのに、DNA検査記録や資料をその訴訟進行中に「廃棄して保存していない」とすれば致命的欠陥ですから、本田教授は本当に実験成果が得られたかの証明を出来るのか?どういう釈明をするのでしょうか?
高裁では本田教授が「係争中の鑑定資料を保存せず、かつ検査経過記録を廃棄した」かの説明をしない・説明責任を果たさなかったとすれば「鑑定を信用できないとされても仕方ない」という開き直りに徹したことになるのでしょうか?
発明発見の場合と違い、鑑定資料が微量すぎて一回の実験で使い切ることがありますが、その場合には実験結果を保障するためには相応の工夫があるべきでしょうしその旨の説明責任があります。
訴訟確定後何年も経過して書類整理の過程で破棄したならば別ですが、訴訟進行中・しかもその実験ではそういう鑑定結果が出るはずがないと別の鑑定人から批判されている最中に、資料や経過記録さえ廃棄しているとすれば何ために廃棄したのか?の疑いが生じるのが普通です。
それで(高裁で問題になる前の)「地裁決定前に廃棄していた」と言わざるを得なかったのでしょうか。
高裁が本田鑑定を信用しない・採用しない理由は小保方氏論文同様の捏造ではないかと言わんばかりの認定ですが、高裁認定が正しいかどうかは、最高裁で決着がつきます。
これまで、もしも東京高裁の鑑定に対する評価が正しいとした場合の意見を書いてきましたが、大手メデイアの報道があてにならないだけでなく・・理研の小保方氏に始まり大学教授という肩書きによる科学論文の信用性も(ほとんど誰も検証作業がされないと良いことに?)地に堕ちてきました。
企業連携の研究発表の場合には、続いて実用化実験が待っているので、実験をしていないのに実験したような架空論文発表して(一時的に株価急騰して)もすぐにバレてしまいますが、企業製品と関係ない分野・それが何の役に立つか不明の基礎実験発表では誰かが論文発表しても多くの科学者が「そうなの?」という程度で皆読み飛ばしていくだけでしょう。
論文の市場評価として引用数ランキングがよく言われますが、論文の前提になっている「こういう実験をしたら、こういう結果が出た」という実験そのものを再現実験しないで、本当ならば「すごい」と引用しているだけのことです。
本当に実験した結果かどうかは数十年たってから誰かが、その成果を利用しようとしたときにならないと分かりません。
数十年後に何かを研究開発する段階で、数十年前の先人の論文が検索に引っかかって、これを発展させれば自分の考えている新製品の開発に使えるかも?と「その論文で書いている実験してみたがどうもうまく行かない」・・自分の再現実験の仕方が悪いのかな??で挫折して発表者に問い合わせて論文に書いていないちょっとした触媒の必要性を教えてもらってもうまくいかないときも、「ありがとう」とお礼を言って終わりにして、(本当は怪しい発表?と胸に収めて)別の方法を考えるのがふつうでしょう。
自分の構想する新技術開発実現するのが先決ですから、正義感に燃えて?(例えばカナダや中南米の無名人の論文の場合・発表者が生きているかどうかも不明)「その論文捏造でないか?」と社会問題にする暇のある人は滅多にいないでしょう。
このようにすぐには再現実験をする人がいないのをいいことに学位論文に限らずその道の有名教授であっても・・実用に遠い論文の場合、発覚リスクが滅多にないので嘘八百の論文発表がまかり通っているということでしょうか?
小保方氏の場合には「実用性のない学者の論文ってそんなもんだ」という達観した低評価定着した方が・それが実態であれば社会全体にとって合理的なのか?もしれませんが、本田鑑定の場合には学者の信用性ばかりではなく、司法の信用性・人の生死決定に関わる実用に直結することです。
袴田再審開始手続きの鑑定は実用分野ですから、即時に検証手続きが始まることが予想されているにも拘わらず(検証妨害のために?)あらかじめ実験記録意一式を廃棄していたとすればその図太さに驚くばかりです。
実用に裏打ちされている企業製品の場合、画期的性能開発の虚偽宣伝しても(株式相場が一時急騰しても)その部品を組み込めばすぐバレる点で市場評価が確かです。
メデイアの信用低下は消費者(ネット発達によって独自に情報収集できるようになって)のレベルアップによって、すぐに批判される・市場評価にさらされるようになって始まったように、学問発表の評価も「どうせ一般人には分からない」という閉鎖性に守られてきたのが、民度アップによって批判に晒される・・文字通り「思想表現の自由市場」が始まったように見えます。
「実用に結びつく企業発表でない学者の独自発表など誰も検証しないので結局眉唾もので、ほとんど信用できない」という風潮が広がる方が健全かもしれません・(学問世界では常識になっているのか?)これが小保方氏擁護論・中部大学の武田教授主張の核です。
小中高校・一般ホワイトカラーに優越する地位を失って久しいように全入時代に入った大学の地盤沈下が進む一方だから、その現実を受け入れるか、地位低下を阻止したいならば、それぞれの分野で、何か問題が起きた時に(権限がはっきりしませんが)アメリカの特別検察官のような臨時任命の調査官・・第三者委員会の調査発表を必要とする時代が来ているように思われます。
大学は地位低下を阻止する気概さえないと言うべきなのでしょうか?
ただ日本人は、日本の裁判や検察のイメージ・清廉潔白で「神のお告げ」のように穢れのないもの・・彼らは局外中立で「絶対的に正しいことをする」と信じ込む傾向がありますが、国連特別調査官でもアメリカの特別検察官でも皆政治任用であって、(官僚も政権交代で多くが入れ替わる社会です)政治的に動く本質を持っていることに注意する必要があります。
国連特別報告者が特定の立場で不満分子の意見だけ選んで聞いて歩けば、日本の言論の自由度ランキングでは、中国批判をしていた書店主がたちまち拉致されてしまう香港以下の評価になるのは当然でしょうか?

原油相場上昇と再稼働の必要性?(代替エネルギーの現状)1

15年以降の国際収支・・14年4兆円弱の経常収支黒字から15年にはひと桁違いの16兆5000億円の黒字復活は、この危急存亡の直前に14年夏ころからの原油相場下落を起爆剤にして急速に救われたことになります。
福島原発事故も、首都を巻き込んでもおかしくないほどの大事故に発展する事故でしたが、(これを見込んでドイツは大使館の臨時移転をしました)吉田所長らの決死の奮闘により首の皮一枚で大惨事を免れ、経済面で見れば日本も恒常的赤字国転落か?瀬戸際で助かった天佑でした。
(個々人は一人残らず、電力節約に努めましたし、供給側では省エネ技術革新に取り組み、被災工場やプライチエーンの必死の復旧努力により一日も早い生産再開・これが一方で輸出激減を抑え、石炭火力の復旧による原油輸入を一滴でも減らす努力・文字通り不眠不休で日夜励みました)
単に天佑を祈っていたのではなく、国民一丸となって頑張ったことに対する神の恩寵です。
https://eneken.ieej.or.jp/data/5474.pdfによると発電電力→消費量は以下の通りです。
震災以後3カ年の火力発電投入燃料推移
計量分析ユニット需給分析・予測グループ 研究員吉岡 孝之

電気事業者の発電電力量2は2010年度比で震災直後の2011年度に7%減、2012
年度に10%減、2013年度も10%減となった。
・・・・節電努力等の継続もありさらに大幅に増加することはなかった。

二度にわたる蒙古襲来時と同じで、天佑を待っていて天佑があったのではなく、供給側も消費側も国民一人残らず持ち場持ち場で国のために必死になって持ち応えているうちに
「神の嘉するところとなって」
原油情勢が好転したものです。
14年の原油相場下落によって日本は一息つけましたが、1昨年から原油相場の反騰により風向きが変わってきました。
http://www.meti.go.jp/statistics/toppage/report/bunseki/pdf/h18/h4a0606j5.pdf
【我が国の原油輸入と対中東貿易】

世界的な需要の拡大を背景として、ここ数年間、原油価格は高騰を続けている。
昨年後半、米国で発生した大型ハリケーンの影響もあり、さらなる上昇となった原油価格は、今年に入って一時的に落ち着きをみせたものの、産油国の政情不安などから再び上昇の兆しを強めている。
15年末には約 32 ドル/バレルであったWTI原油先物価格(期近物)は、16年末には約 43 ドル/バレル、17年末には約 59 ドル/バレルに達し、18年4月には 70ドル/バレルを超える値を付けるにいたった(第II-3-8図)。
消費する原油のほとんど全てを輸入に頼る我が国にとって、原油価格の高騰は看過できない問題であり、今後もその動向には引き続き注視が必要である。
原油の輸入金額が増加している最大の要因は輸入単価が上昇しているためである。
国際市場での価格の高騰を受けて、日本への輸入単価も15年末の約 30 ドル/バレル
から17年末には 60 ドル/バレル近くにまで上昇している(第II-3-10図)。実際、原油の輸入金額の伸びを要因分解すると、16年半ば以降、前年同月比で二桁以上の伸びを示しているが、輸入数量の寄与分は小さく、ほとんどが輸入単価上昇による寄与であることがわかる(第II-3-11図)。原油の輸入金額は、我が国の貿易収支に匹敵する水準まで増加しており、黒字額を大きく押し下げる要因となっている(第II-3-12図)。
中東からの輸入金額の総計をみると、17年には約9兆7,000億円と10年間で3倍程度にまで拡大している。輸入金額の8割以上は原油で占められており、原油以外の鉱物資源の輸入金額も増加しているものの、原油の輸入金額の伸び幅が大きく、輸入金額に占める割合は上昇傾向にある(第II-3-15図)。

以上文中引用の各図省略

上記の通り、原油相場の持ち直しにより、昨年では、原油輸入額だけで日本の貿易収支黒字に匹敵する数字に戻っている・原発事故直後と似た関係に戻っています。
脱原発に踏み切るための代替電力の研究開発進捗を総合的に見るには、原油相場が重要です。
代替エネルギー予定増加が予定の半分しか進んでいなくとも、原油が半値になれば、原油依存度が2割上がっても痛みをある程度吸収できますが、逆に相場が2倍になると原油依存度を半分に減らさないとやっていけない計算です。
たまたま、14年からの原油相場半値前後への下落と石炭火力増加によって、日本経済は首の皮一枚でつながっていたに過ぎませんから、原油相場が持ち直してきた以上代替エネルギーがどうなったかは重要です。
海渡氏が今まで何とかなったというだけの根拠で即時全面停止を求めているとすれば、(そんな無責任主張とは思われませんが・・)困ります。
ちなみにコスト関係は21日に紹介した通りですが、再生エネルギーの場合、立地環境が限定される上に安定供給ができないのでその面でも難があります。
もしもこれまで綱渡り運営で何とかなってきたからそのツナ渡りを今後もやれば良いと言うならば、おかしなな意見ですが、余裕電力がなくて大きな事故が起きたらどうするか?一定の安全保障のためには一定の余裕がいるのではないか?国家運営として許されることなのかの詰めた議論が見当たりません。
事故直後の原発事故による電力不足の急場を凌げたのはもともと安定供給用に余剰電力を確保していた石油火力発電があったから休止中の(余剰・最大ピーク用の温存設備)石油火力を一斉稼働できた・・だから直後には原油輸入が106%も伸びたことによります。
ただ、フル稼働状態でいつまでも続くわけがありません・・急場は不眠不休で働けますが、いつかまとまった休憩が必要なように発電設備も交代用の設備を使い切って何年も(小刻み回収・・騙しだまし使い続けるわけにはいきません。
石炭火力は機動的運用になじまないのでもともとほぼ100%稼働状態で、しかも被災した石炭火力があったので、すぐには石炭輸入増にはなりませんでしたが、被災後2〜3年で石油火力よりもコストの安い石炭火力の復旧が終わり新増設も進んでいるようです。
http://www.meti.go.jp/committee/sougouenergy/shoene_shinene/sho_ene/karyoku/pdf/h29_01_04_00.pdf

我が国の電源構成の推移
総発電電力量

 
2030年度

出典:資源エネルギー庁 総合エネルギー統計等 11

ぜかグラフ画像の転写がうまくいきませんので、総発電量の数字だけ転記すると以下の通りで、石油ショック時に「ほぼ100輸入に頼る日本経済はおしまいか」と大騒ぎになった石油ショック時と同様に国を挙げて省エネに邁進している実態が見えます。

10年→11408億kwh

13年→10584億kwh

15年→10181億kwh

電源構成比の変化は以下の通りです。

      電源種別    原子力        石油     石炭     LNG    再生

10年      → 25%            10%    26%    29%   10%

13年         → 0                17%    31%    41%   11%

15年(足元)     → 0                12%    22%    40%   15%

 

 

個別処理から事業転換等の処理システムへ

2017年12月10日現在の(内容は施行後5年経過時点のようです)裁判所のホームページhttp://www.courts.go.jp/saiban/wadai/2203/index.htmlによれば以下の通りです。

  1. 労働審判制度とは
    労働審判制度は,個々の労働者と事業主との間に生じた労働関係に関する紛争を,裁判所において,原則として3回以内の期日で,迅速,適正かつ実効的に解決することを目的として設けられた制度で,平成18年4月に始まりました。制度全体のイメージは下図のとおりですが,労働審判手続では,裁判官である労働審判官1名と,労働関係に関する専門的な知識経験を有する労働審判員2名とで組織する労働審判委員会が審理し,適宜調停を試み,調停がまとまらなければ,事案の実情に応じた解決をするための判断(労働審判)をします。労働審判に対する異議申立てがあれば,訴訟に移行します。

労働審判制度

 2. 制度の運用状況

 制度開始から約3年半の労働審判事件の運用状況をみると,審理に要した期間は平均で約2か月半です。調停が成立して事件が終了する場合が多く,労働審判に対する異議申立てがされずに労働審判が確定したものなどと合わせると,全体の約8割の紛争が労働審判の申立てをきっかけとして解決しているものと思われます。
こうした労働審判事件の解決の状況からすると,制度導入の目的は一定程度達成されていると考えられます。また,当事者等からも事案の実情に即した柔軟な解決が図られているとして,おおむね肯定的な評価を受けており,事件の申立件数も年々増加しているところです。
なお,現在は各地方裁判所本庁のみで取り扱われていますが,制度開始5年目を迎える平成22年4月から,東京地方裁判所立川支部と福岡地方裁判所小倉支部でも労働審判事件の取扱いが開始されます。

私の経験で知っている限りでは、ほとんどの事件では金銭解決で終わっています。
借地借家法の正当事由の判定で書いたように現在社会では不確実性を嫌います。
借家法との正当事由の認定と違い、上記の通り労働審判制度は数ヶ月でケリがつくことが多いので、非常に使い勝手の良い制度で司法界の大ヒット作品というべきでしょう。
昨日紹介したように労働審判制度は現在まで、約10年以上におよぶ試行的運用の結果、労働者も自分を必要としていない企業にしがみつきたい人は滅多にいない・相応の金銭解決で納得する人が多い現実を直視した方がいいのではないか?
という意見がふえてきます。
上記統計では約2割が裁判手続きに移行しているようですが、私の経験ではこういうことがありました。
その事例では、企業側に何の落ち度もない勝訴予定事例でしたが、裁判所の提案は日本的解決の推奨・ともかく解決金として、「1ヶ月分の支払いをしてくれないか?」という和解案の提案でした。
企業としては、数十万の支払いで済むならば、その方がコストが安く済むので訴訟に移行しても負けることがないとしても時間コストその他で和解案に応じましたが、(企業の方は不当な訴訟をされたと怒っていましたが・・)これが金額の大きな事件であれば、訴訟に移行する場合も結構あるでしょう。
このように訴訟に移行した場合でも金銭解決の方向が同じで若干の修正で終わった事件がいっぱいあるはずです。
一般民事の控訴事件でも地裁での和解案の数字の開きが大きすぎる場合に一旦判決をもらって高裁での若い前提で控訴になる事例が圧倒的多数で、(1審の和解ではまだ・判決は予想でしかない・弁護士からこれまでの流れでは、こちらが勝ちそうとか負けそうという予想でしかないので、判決が出ると読み違いがあります・・勝敗がはっきりしないで、どちらも強気になるメンがあるのですが、高裁では一審での勝敗が決まっているので、(高裁が記録を読んだ結果勝敗をを逆転させる気持ちがなければ)すぐに1審判決線上での和解手続きに入るのが普通です。
上記の通り労働法分野では、借地法の正当事由のように長期裁判を必要としなくなって来たのですが、その代わり(三菱銀行の例で分かるように)事業分野変更の場合、(遅刻が多いとか失敗が多いなど)個別事情によらずに画一的大量処理が必須ですので、もともと個別事情中心の裁判に馴染みません。
企業も個人もお互いに個人的感情の行き違いでもめているのではなく、トラブル・裁判までしたくないのですから、トラブルのない場合も金銭で解雇できるスキームができないかというのが、最近の議論です。
今朝の日経新聞朝刊19pには、成長分野シフト企業の収益貢献例が出ています。
以下は私の要約です。

「① ミネビアではスマホ向け液晶部品を中心とした電子部品事業が急成長している。7年前には機械加工事業が営業利益の8割を稼いで電子部品は2割に満たなかったが、携帯電話の普及を見越して世界最大手だったパソコン用キーボードから撤退した」
② 大和ハウス工業は、人口減を見据えて住宅部門から事業施設へ転換して成功している
③ TDKはスマホ向け2次電池などフィルム応用製品で6割を稼ぐ,数年前まではパソコン用ハードデイスクの磁気ヘッドを中心とした磁気応用製品が利益の7割を占めていた。
④ 日産化学は、動物向け医薬品強化・・1割に満たなかった農業化学品事業がでは稼ぎ頭だ

果敢な事業転換には畑違いの方向への社内配置転換では(基礎的技術が違いすぎて)無理なので、短期間での人材入れ替えが必須です。

内務留保の重要性と流動資金の関係3(メデイアと用語統一必要性)

昨日紹介した解説でも「手元資金」には「流動性の高い資金の総称」とあって現預金に限らないことが示され、短期有価証券を含むことが多いとなっています。
そもそも言葉の意味から考えても「現預金」の表現は現金と預金等の個別分類を表していますし、手元資金とか決済用資金・流動性資金等の使用目的による表現よりは範囲が狭いことが明らかで、下位概念の現預金の方が手元資金よりも多いとは(経済知識のない私のようなものでも)常識的に想定できません。
手元資金等はすぐに現預金化できる資産を含む=手元資金の方が現預金よりも多いことが経済用語としても明らかですが、日経新聞記事ではなぜ逆転した書き方になっているのか不思議ですが、私のような素人が食事や仕事に出る合間にちょっと読む程度の人間には思いがけない深い意味がこめられていのかもしれません。
仮に日経新聞で論説を書く人の経済用語理解が間違っているとした場合、日経新聞の21日記事と25日記事両方とも間違っていることってあるの?という疑問です。
仮に別の人が書いているとすれば2人とも逆に理解していることになるほか、両記事ともに内容からして情報収集して歩く新米記者が書ける執筆ではなく、ベテランのエコノミストによるものと思われますが、プロが2人も揃って経済用語の基礎知識を間違って逆に書くようなことがあるのでしょうか?
仮に執筆者が同じとしても・校正等の事務局が充実しているはずの大手新聞社の語句チェックが機能せずに2回も通っていることになりますが、(現預金が200兆円で手元資金117兆円と出れば普通は?おかしいぞ!と気がつくものです)2回目の記事では1回目と大幅な数字違いがあるのでこの時点で「どうして大きな数字違いがあるのか?」に気がついて見直せば、どちらかが間違っていることがすぐ分かる筈ですが、2回ともスルーしているとすれば関連部局のチェック能力に疑いが起きます。
事務局能力の名誉のために邪推?すると関連部局ではわかっていたが、世論誘導のために?意図的にスルーさせて逆の意味で書く必要があると判断したのでしょうか?
もしも世間常識と違う意味で熟語を意図的に使う場合には、誤解を招かないように「ここではこういう意味で書いています」と「断り書き」を入れるのが公平な立場でしょう。
ちなみに資金滞留批判のトーンは21日の「大機小機」に続いて24日の日経新聞の第1面に「最高益の実相」欄として大きく出ていて(1面の左約半分の大きさ)その続きで今問題にしている25日3pの記事になっていることがわかります。
今朝の日経第一面では「利益剰余金56%が最高」の大見出しでいかにも巨大な剰余金を溜め込んでいるかのようなイメージ強調の連載は終わっていません。
内容を見ると、設備投資の動きが紹介されていますが、以下の通りあくまで部分の紹介で全体の動きを期待するかのような書きぶりです。

「スバルの・・社長は・・・『次元が変わる技術進化に備えこれまでできなかった設備投資や研究開発を増やす』と話す。溜め込んだお金をどう使うか一層のの説明を求められる」

と思わせぶりに書いています。
「思わせぶり」だけでカチッとした事実がないといえば、朝日新聞の記事の多くにその傾向が強くて歯ごたえがないので20年以上前に朝日新聞から日経新聞に変えて満足していたのですが、日経も最近ではムード報道中心になって来たのでしょうか?
事実の裏取り必要性といえば、最近では週刊文春の山尾志桜里氏の不倫騒動で見ても分かるように、(経済報道のように難しいことではなくスキャンダル的事実中心ですが・・)裏取り能力の高さに驚きます。
こうした手を変え品を変えての日経新聞報道の流れ(内部留保悪玉説の浸透努力?)を見ると、21日「大機小機」で小さく出して置いて(その間小刻みに何かを書いていたのかも知れませんが、私は気づきませんでした)24日は第1面大見出しと格上げして25日には3pで大きな記事にしてきた流れを見ると「大機小機」掲載時点から、社あげての目標設定によるシリーズ連載企画・・執筆者の個人プレーではなかったように見えます。
新聞社組織あげて(世論誘導したい)企画でありながら、この程度の基礎概念を押さえる必要性スラ認識できない組織レベルなの?という疑問です。
日経新聞の「経済欄はまるで議論の対象にならない・しっかりしているのは文化欄だけ」という口の悪い人の意見がネット上で流れていますが、以上を見ると驚くような低レベル組織になっているとの誹謗?もムベなるかな!という印象・誤解?(私の読み方が間違っているのかも知れませんが)を受けました。
もしも単語表記の単純ミス・現預金が117兆円で手元資金200兆円が正しいとすれば、(6ヶ月の誤差がありますが、10月末時点の現預金が私には不明なので)仮に同時期として計算すると200−118=82兆円が短期有価証券等保有であり、現預金ではなかったことになります。
世界企業で言えば、現預金は世界中に散らばった事業現場で日々支払いできる資金・現金払いの場合、預金払い戻し時間が必要ですが、大口支払いは振込等の操作で済むので時間誤差がほとんどありませんが、有価証券の場合どの銘柄をいくら売却して資金化するかの判断時間(売却優先順位を決めておくことでこの時間は短縮できます)が必要な他に売却指示後現金化できるまでの決済時間・・最短で5〜6日の誤差があります。
このために約1週間〜10日程度のタイムラグに耐えられる・+アフリカ現地で不足した場合に外貨両替して送金する時間差(為替リスクも考えある程度余裕を持った現地通貨保有)程度の現預金が現地出張所等に必要となっています。
短期処分可能な有価証券の利用とは、通常決済には十分であるが九州の震災等のような突発事態への二次的備えとして、預金よりマシな国債等への一時預けにしている数字が短期保有有価証券ですが、これは4〜5ヶ月先に予定されている大口決済資金(例えば配当までのプールとか工場用地取得契約や企業買収がまとまりそうな場合とか、本社ビル完成引渡し予定数ヶ月先にある)などがこの種の資金になってプールされます。
企業が必要もないのにゼロ金利下で不要な資金を現預金で持っていたくない点については意見相違がない(無駄に持っている方が良いという人は滅多にいない)のは明らかですから、新聞・言論機関が不要資金プールするのが合理的か否かを議論する必要はありません。
ある企業の保有資金が「過剰・無駄」かどうかこそが議論の対象ですが、それは個別企業の事情分析によるべきで抽象論で煽るのは間違いです。
希望の党の公約の一つ「不要不急のインフラ整備をやめる」という点についてこの後で書いて行く予定ですが、「不要不急の公共工事をした方が良い」という政党はありませんので「何が不要不急かの選択」を示さない公約ではどういう政治をする約束なのか意味不明なのと同様です。
外部から見て一見多すぎるように見える場合にも個別企業によっては相応の必要がある可能性がある・・
外部から見て一見多すぎるように見える場合にも個別企業によっては相応の必要がある可能性があります。
今朝の日経朝刊で紹介されていたスバルのように、この1〜2年好業績を背景に単なる増産投資ではなく、「次元が変わる技術進化に備えこれでまでできなかった設備投資や研究開発を増やす」ために準備している企業もあるのです。
・・本当に不要な資金なのか、近日中に大口決済が待っているか、配当支払い資金や設備投資計画の有無等の個別事情によりますから、個別企業の実情無視の日本全体の一般論に意味があるとは考えられません。

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