マスコミの信用失墜6(情報寡占の弊害1)

マスコミはどんな事実でも政府や特定勢力に都合良く脚色しないでありのまま・・特定政治家の自信のなさそうな表情ばかりではなく公平・多様な表情を伝えるところに,受け手の信頼が生まれこの信頼を背景に威力が生じます。
第一次安倍政権時と麻生政権時には、如何にも頼りなさそうな表情と麻生氏の歪んだ表情が定番のようにアップされ、農水大臣だったかの絆創膏を張った状態など政策遂行に何ら関係ない場面ばかりクローズアップされていました。
絆創膏を張っているのが事実であれば良いというのではなく、何のためにそんなことがトップニュースになるのか・・そこにはマスコミの意図が感じられました。
国民の立場から見ても客観的にあるものを公平にそのまま公表した上で国民がどこにウエートをおくかを国民が決めるべきであって、マスコミが特定場面ばかり報道するのでは、映像のアッピール力に大方の国民が誘導されてしまい国民による公平な判断が担保されなくなります。
公平で多面的な報道があれば国民がその中から何を重視するかを自分で決められるし、国民が報道を信頼し国民個々人がそのデータを元に正確な判断が出来るので、公平なデータ提供者としてマスコミの存在意義があります。
アジアで孤立すると煽りながらアジア諸国の意見を全く報道しないで、敵対している中韓と(戦犯裁判を否定されたらメンツの立たない)アメリカの動向ばかり報じているのは、まさに一方的報道となります。
戦犯に問われているのは、日本の侵略を受けた筈のアジア諸国での行為ですから、その被害国の意見こそ重要ですが、アジアでは中国以外で公式意見を述べている国は1つもない事実こそ重要です。
韓国は今次の大戦で何ら被害を受けていませんし、戦犯に何の関係もないのに騒いでいるんですから、まさに言いがかり外交そのものであって、彼の意見をマスコミが取り上げる意味がありません。
マスコミが一方的な立場に合致した方向で選択した事実しか伝えないとした場合、マスコミの信頼性は地に墜ちますし、国民は何を頼りに判断して良いかに迷います。
マスコミはそもそも一定の立場を持つ事自体・・国民を一定方向へ指導しようとすること自体がマスコミの存在意義と矛盾してしまう性質のものです。
マスコミが中立か否かではなく、(・・何が中立かという判断自体どこに軸足を置くかによる・・無理ですから)価値判断自体不要で、ありのままの事実報道に徹するべきです。
マスコミが自分で中立性の判断権を持って洪水のように一定の立場を垂れ流しすると国民はこれが標準理解なのだと言う思い込み・・マスコミ報道の無謬製神話が生まれ・・影響力が大きくなり過ぎます。
中立を装った報道に隠れて中韓政府の意図を紛れ込ませる・・一番巧妙に国民を一定方向へ誘導し易いやり方で危険です。
その極端な方法がサブリミナル手法ではないでしょうか?
戦後70年近くも日本国民は諸国民の善意を信じ、マスコミは中立と法律で決めればみんなそれを守っていると信じてきました。
しかし尖閣諸島問題等で国際社会の現実に目覚めると戦後アメリカに良いように洗脳教育されて来ていたし、占領終了後は中韓両政府が良いようにマスコミに浸透して牛耳って来ていたことが明らかになってきました。
狐に化かされてお風呂に入っているつもりでいたのですが、ムラ人が鐘を叩きながら、助けに来て目が覚めたら肥だめに入っていたという比喩で「中韓の行動とアメリカの選択肢2」Published November 25, 2013でこの辺のことを書いたことがあります。
マスコミ報道が信頼されない社会では、国民が知るべき信頼するに足る情報がない・・独裁国家の新華社報道しかないのと同じで実質的に「よらしむべし知らしむべからず」の社会になります。
民主主義国家では、表現・取材の自由があると言ってもマスコミがまとまって一定方向へ偏っている社会では信頼するべき基準・データがないので、相互に疑心暗鬼・・疑り深い社会になってしまい、不健全な社会になって行きます。
日本が健全・道徳律の高い社会であったのは、相互に信頼出来る社会・・公平なデータが公平に提供される社会を前提としたものでした。
信頼社会は信頼出来る情報が提供されることを前提にしていますし、情報が信頼出来ないと流言蜚語・・デマの飛び交う社会ひいては日頃から犯罪の多い社会・突発自体が起きると略奪の発生する社会になってしまいます。
世界に冠たる我が国の道徳律は信頼社会が基礎にあるのですから、偏ったマスコミ報道によって日本を中韓のような不信社会にしてしまうのは困ります。

マスコミの信用失墜5(マスコミの節度)

中韓のあまりにもレベルの低い虚偽報道に反論するのもバカバカしいと高みの見物をしていると世界中の人が日本が悪いことをしていると誤解しかねないのが残念です。
誹謗中傷も短期間ならば、放置しても良いでしょうが、何十年も繰り返されて放っておくと世界中の人がそうかな?と誤解してしまいます。
企業が大金を投じて何故繰り返し広告するかと言うと、繰り返しの刷り込み効果が大きいこと知っているからです。
日本では「広告している会社はロクな技術がないから広告している・・そんなのに乗せられるのはバカだけだ」と言う人が多いですが、実際には宣伝どおり受け止める受動的なバカの方が世の中には多いのですから、広告業が成り立っています。
この辺は今後ネットの発達によって利口な人・・読み書き能力の高い日本が情報戦で有利に展開して行くだろうという意見を書く予定です。
中韓両国の虚偽教育も国内向け反日宣伝戦の一環でしたから、これに対しても「マトモな政治をする努力をしないでバカなことをしている」と放置していために、今や両国民の殆ど(40代半ば以降の若者)が日本に対する悪意の固まりになっています。
中韓両国が急に大人しくなった程度で(領海侵犯回数や告げ口外交が減ったが減った程度)では、反日教育をやめない限り首脳会談に応じない・経済協力しない等のきっぱりとした態度が必要です。
反日教育をやめさせない限り中韓両国は必要なときにすり寄って来るだけで、必要がなくなればいつでも反日がぶり返しますので、いつまで経っても本来の友好国にはなりません。
マスコミは中立であるべきだ=中立報道していると言う・・(日本人はルールが出来れば守る国民性です・・)善意・道徳律だけに頼る日本は、世界中に蔓延する反日虚偽報道に困惑するばかりで太刀打ち出来ません。
国際関係は虚偽宣伝戦でもあるという冷厳な事実を直視して、日本も国益を守るための国際宣伝は政府の方針に従って一丸となってやって行くべきでしょうか?
この辺は多種多様なな意見・方法があってもいいし、その方が健全で結果的にしなやかで強い社会になるようにも思えますので、言論の自由自体を縛るのは良くないでしょう。
マスコミは政府意見にも、どのような意見にも偏しないということは必須ですが、それとは別に国益を守ると言う1線だけは守るべきではないでしょうか?
勿論どのような報道が国益か国益に反するかは議論があり誰にも決められませんが、(少数意見の方が正しいこともあるので大事にしなければなりません)国益を守らなくて良いという意見自体は許されないと思います。
中立さえ守れば良いのではなく、そもそも特定意見を主張すべきではないという程度しか今は書けません。
意見と銘打って報道するならまだ良いのですが、中立と言いながら悲惨な状況ばかりを報じたらその社会の悪イメージが広がりますし、特定国賛美報道ばかりすればその国へのイメージが良くなります。
どこの国でも少しは良いところがあるし悪いところがあり,要は比率の問題です。
政治家の表情もいろいろあり、不機嫌そうな表情も自信に満ちた表情・不安そうな表情等々いろいろありますが、マスコミが意図的に嫌みそうな表情ばかりアップすればその政治家への攻撃になります。
うまく行っていることは極力報道しないで、うまく進まない場面ばかり報道するのもその政治家への攻撃になります。
一定の意図を持ってその一部を大げさに報道するのは、仮に事実であるとしてもマスコミの中立性を犯していることになるでしょう。
国際問題ばかりではなく、国内でもマスコミが自制心を失い(広告や接待等で)マスコミに食い込んでいる特定勢力の期待する方向へ中立を装って世論を誘導すると、マスコミしか情報源のない国民にとっては言論を統制して政府に都合の良い情報しか発信しない独裁権力者の君臨する社会と同じになってきます。
中韓両国はロビー活動や資金提供等で各国マスコミ(我が国マスコミはその主な対象です)に食い込んで反日宣伝に精出して来たのですが、ネット時代が来て誰もがナマの情報に接し易くなったことから、中韓寄り報道に徹して来ていた日本のマスコミの虚構性が白日の下に曝され、その信頼が足下から崩れ始めたのが昨今の情勢と言えるでしょうか?

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