親族制度4(身分法・強行法規)

近代法の原則は「身分から契約へ」の標語で示されるようになったことを、12/24/03「刑罰の種類6「公事方御定書4」(身分とは?1)」以下で連載しました。
財産法の分野はまさに自由な契約の精神(前回紹介したように当事者の特約が優先)ですが、親族相続法は、私たちが司法試験を勉強していた頃には、「身分法」として括られていました。
(今では身分法と言う呼称をあまり聞かなくなったように思いますが・・・事務所に行って修習生に聞けば直ぐに分るでしょう)
身分法と言う講学上の概念が成立していたのは、個人の努力ではどうにもならない「生まれによってすべて決定されてしまう」近代法以前の身分・・親族相続法では血縁が原則です・・・としての理解だったからです。
親族か否かあるいは相続させるか否か相続人としてもどの割合で相続出来るか・相続分を決める基準は、血縁を唯一の基準(例外的に養子制度によって血縁の親子に擬制する仕組み)にしており、親族編では、まず嫡出子か非嫡出子かが大きなテーマであり、あるいは認知制度が整備されているのは、この血縁重視の結果と見ることが可能です。
近代法の血縁重視精神が浸透して来た結果、アメリカで盛んな子育てのための養子もなくなったし、(今ではせいぜい相続税対策や先妻・後妻の子間の対立や、相続分の比率変更のための養子が中心です)兄弟の契りを交わして、これを終生守るような話は三国志や任侠伝の世界でしか存在しなくなりました。
ちなみにアメリカでは、親族制度の強化(限られた範囲ではあるけれども身分制の復活)に向かわず血縁に関係なく孤児を引き取って育てたり,寄付をする慣習が広がった(・・すべて主体的個人の判断によることになります・・・)のは、元々新開地であって近隣相互扶助の長い歴史がなかっただけではなく,上記のように自立心の旺盛な人たちが多かったからではないでしょうか?
アメリカ移民の開拓をつぶさには知りませんが,我が国の北海道への開拓の歴史では,内地並みの集団移住方式でした。
(映画北の零年が正しいとは限りませんが・・・)
これに対して映画などで見るアメリカ移民は一人一人自分の力で自然を開拓して行く方式であまり集団を頼っていない感じです。
アメリカ移民は伊達藩家老一族,あるいは蜂須賀家家老一族が北海道に追いやられたような集団疎開ではなく、個人の意志で「こんな国はオレの方から見捨ててやらあ・・」と言う意志の強い人が祖国を捨てて主体的に移民して行った人が多かったことによるのでしょうか?
元々我が国で子育てを主目的(跡継ぎ目的で養子をとれば結果として養育もしたでしょうが・・・)にする孤児を引き取る養子制度が存在していなかったように思いますが,正確には知りません。
どの水準で子供を扶養するかの程度問題も関係者だけで決めても、その妥当性に不満があれば、別途裁判所に訴え出れば妥当な金額に変更してしまえるようになっています。
すべて国家が決める仕組みです。
すべて、生まれによって大枠が決まっている(例外的に遺言や養子などで修正出来るだけの)制度とすれば、これを学者が「身分法」としてまとめていたのは,(江戸時代だって身分を超えるのに養子制度が多用されていました)至極当然の結果と言えます。

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