地方自治と国家利益(民族一体性)1

オナガ知事15年訪米時の記事からです。
http://vpoint.jp/media/44476.html

翁長雄志沖縄県知事の訪米は大失敗
江崎 孝  2015/6/05(金)  メディア批評|沖縄 [沖縄時評]
恥晒した権限誤解翁長知事の思い込みをはるかにしのぐほど、米国の要人や政治家は民主主義が何であるかを心得ていた。つまり州知事と州政府の安全保障に関する法的権限を厳しく峻別(しゅんべつ)していたということである。その点、外交・安全保障にかかわる地域の首長の法的権限を誤解し、夜郎自大な発言で、世界に恥を晒(さら)した翁長沖縄県知事とは雲泥の差である。
・・最後に付け加えると、出発前の記者会見で外人記者が発した「それ(訪米)よりも知事はなぜ安倍首相を説得しないのか」という質問の意味が理解できなかった翁長知事の責任を問うべきである。」

地方自治体首長が政府の頭越しに外国で政治発言をするのは、越権行為だという基本教養がないのが問題です。
「元々自分らは先住民・異民族だから・・」というのでは、同じ土俵での議論になりません。
いわば 対等国家同士が合併したのが連邦制ですが、連邦制の自治と我が国の自治とは制度のなり立ち・本質が違っています。
与那国島の自衛隊基地設置可否の住民投票権についてOctober 24, 2016「自治体の意思決定3(エゴだけで良いか?2)」で少し書いたことがありますが、原稿がそのままになっていたので今日はその続きです。
ダムのために村が水没し、原発など子孫に関係する問題・・先祖伝来の家屋敷田畑を失い100年以上先まで影響することについて、ダム工事準備の現場労働のために数ヶ月や1年前から来ている人や転勤族が、(仮に永住する気があるとしても)口出しするのはおかしいと思うのが普通ではないでしょうか。
まして数年後には本社に戻ったりして出て行く予定の人たちに先祖代々住んでいる人と同じ発言権や投票権を与えるのは合理的ではありません。
ゴミ捨て方法や保育所の設置数など身近な問題だけ決める制度設計の自治体の場合には住民参加・(国籍を問わない)居住者中心・・2〜3年しか住まない転勤族でもどこに信号機があれば良いか、この路地は一方通行にしてほしいなどの意見を言う権利がある方が合理的でしょう。
しかし、国防や原発立地・首都圏の水源地やダム設置など全国的または広域的影響のある問題まで、山間〜過疎地の自治体住民のエゴ・損得だけで決めてしまう・・拒否権があるのは行き過ぎです。
身体で言えば生命体全体維持の必要があって検体検査のために一部切り取る・あるいは血液検査する必要なトキに身体の一部が犠牲になるのは痛いから嫌だと言えるのは馬鹿げています。
影響を受ける都や国にはまるで決定権がない我が国の制度と一緒にする意見自体が論理のすり替えにならないでしょうか?
トランプ氏の移民排斥(再入国禁止)基準をどこに置くかのテーマと同じで難しいですが、選挙権の場合には居住(転居してくることを)自体を禁止するのではなく、その自治体での政治に参加するための保留期間にすぎませんし、その間は元の居住地での選挙権を行使できるようにする余地もあります。
特定政治テーマ実現のための運動員潜入を阻止するためには、少なくとも5年以上継続居住条件くらいはつけるべきでしょう。
公職選挙法では居住要件が僅か3ケ月しかないので、選挙目的の転入が公然と行われる(という噂)が広がっている状態になっています。

公職選挙法
(昭和二十五年四月十五日法律第百号)
(選挙権)
第九条  日本国民で年齢満十八年以上の者は、衆議院議員及び参議院議員の選挙権を有する。
2  日本国民たる年齢満十八年以上の者で引き続き三箇月以上市町村の区域内に住所を有する者は、その属する地方公共団体の議会の議員及び長の選挙権を有する。」

引っ越して3ヶ月やそこらでその自治体の抱えるテーマについて利害や識見をもっている人は(元々の住民が転勤から帰ってきたような場合や選挙目的で住民票を動かした人は別として)稀有でしょうし、何のために短期間に投票権を与える必要があるか不明です。
例えば都議会選挙の選挙時期に関する公明党の本音が公然と語られていること・・(選挙向けに住民票移動が行われているからではないか?と昔から言われていましたが、真相不明です)最近沖縄基地周辺で専従的運動員がいるらしい・・・・本土から移住者や韓国語・中国系言語が飛び交っていると言う指摘が多い所以です。
http://www.sankei.com/politics/news/161004/plt1610040038-n1.htmlからの引用です。

「北部訓練場の暴行で逮捕 容疑者は社民・福島瑞穂議員らと接点」
「沖縄県の米軍北部訓練場(東村など)の過半の返還に向けたヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)の移設工事に対する妨害活動で、防衛省沖縄防衛局職員にけがを負わせたとして、沖縄県警は4日、傷害の疑いで、工事反対派で住所・職業不詳の添田充啓容疑者(43)を逮捕した。添田容疑者は8月ごろから北部訓練場の妨害活動に参加。社民党の福島瑞穂参院議員が現地を訪れた際には行動をともにしていたという。」

上記産経報道によると基地の過半を返還・縮小するための工事を妨害しているのですから、これでは何のための反対運動をしているのか意味不明(詳しい人にはそれなりの理屈があるのでしょうが・・)な印象です。
訓練基地の過半を返してもらうための工事妨害ですから、沖縄県民の基地負担縮小を名分とする反対運動していたのとは方向性が違っています。
どこかおかしいと言えば、辺野古基地移転騒動も基地周辺の負担が大きすぎる問題解決・負担を減らすために一部海上へ移転しようとしたらこの騒ぎになったものです。
http://critic20.exblog.jp/26053008/

「先週(10月4日)、沖縄の米軍北部演習場でしばき隊の男が逮捕された。ヘリパッド工事に反対する抗議行動の最中に、防衛局職員を突き飛ばして転倒させ、頭部打撲など2週間のけがを負わせた傷害の容疑である。男の名前は添田充啓(本名記載→私が抹消)。しばき隊の戦闘部門である男組の組長を名乗っている。前科三犯。過去3年間、男組の活動中に3度逮捕され、いずれも暴行・脅迫で有罪になっていて、今回で4度目の逮捕となる。」

彼は16年7月以来沖縄に張り付いて運動していたようですから、生活費を含めてその資金背景に関心が行きます。

地方自治とその濫用1

政府や東電は「完全安全」と言っていたしそれを信じていたのに・・と言うならば、そもそも不安料の支払い不要だったことになります。
現実の事故発生によって新たに原発不安が増えた面があるとしても、11年3月の原発事故は電源喪失によって冷却出来なくなったことによって生じたものです。
(それ以外の事由は知られていません)
燃料棒の絶え間ない冷却の必要性は稼働中でも停止中でも、もっと言えば、何十年も前に終わった保管中の燃料棒でも皆同じであることについてはだいぶ前にこのコラムで書きました。
今回の原発大事故で新たに分かったことは「冷却装置が停電等で働かないと大変なことになる」ということだけですから、稼働停止することによっても冷却不要になりません。
原発を停止しても既に使い終わった燃料棒がある限り冷やし続けねば危険がある・冷やし続けねばならない点は同じとすれば、電源喪失の心配があることを理由に定期点検のために一旦休止した原発の再稼働反対するのは理不尽な印象です。
再稼働停止を求める意味・合理性がない・・嫌がらせ・ひいては好条件獲得の思惑以外に合理的想定が不可能です。
電力業界にとって、稼働していなくともコストがほぼ同じで莫大となれば、理不尽な条件・本来県に関係のない・県の同意を要することでない些細なことでも今後同意事項にしないと稼働に同意しないなど要求されると・・理不尽な条件でも受け入れるしかない・まるで奴隷になったような関係が形成されてしまう印象です。
・・次々と不利な条件が追加され増えて行き、将来県知事の政治姿勢次第でどんな難題でも飲まざるを得ないことになっていく・・そのツケは国民全部に回ってくるとなれば、おかしな地域エゴになります。
沖縄基地問題を見ていると地元のご機嫌を取るためにいろんな(不合理な)約束をさせる・次にはこの約束を盾にゴネル・その繰り返しが今日の収拾のつかないを引き起こした原因のような印象(素人なので詳細を知りません)を受けます。
沖縄知事の無茶な要求や態度・・統治機構の一員である県知事ともあろうものが外国に行って沖縄県民が日本で迫害されている少数民族であるかのような主張をするのを見れば・・腹の立つ人が多いでしょうが、そうすると本土と沖縄の離間感情が余計広がる・・沖縄を分離させたい中国の思うツボですから自重するしかありません。
沖縄知事の対外宣伝運動は以下の通りです。
基地移設問題・しかも知事の主張は単純な海岸埋立許可問題→国内問題であるのに、日本統治機構の一部でしかない知事が政府を通り越してアメリカに3回も行き、直接基地問題を訴えること自体が異常・統治機構のルール違反で非礼でしたが、アメリカでも「政府間で決めること」だと相手にされませんでした。
そこで、ついに民族自決権のような主張・沖縄人は先住民族で日本と別民族というかのような主張?をして1線を超えた行動に出てしまいました。
これを応援してオナガ氏に演説時間を提供したのは、国連で活動している日本のNGO「市民外交センター」ですが、以前少女売買春の国連報告で話題になったNGOヒューマンライツナウとは違います。
ただし、背後の応援団が同じ系統かどうかわかりません。
「先住民迫害は欧米だけではない・日本もやっている」という宣伝を世界に広める目的ではなく、NGOは先住民の人権救済が目的というのでしょうが、アメリカインデアンのジェノサイド・抹殺と同列に論じられても日本人にとっては、沖縄県民の何を救済したいのか理解不能です。
よほど丁寧に自己の運動を説明してくれないとNGOとは日本の悪口を(捏造して?)世界に広めるための組織なのかと誤解する人が多くなるでしょう。
慰安婦・売春婦を性奴隷とすり替えて世界に広めた日本人がいるらしいですが、沖縄人を追い出してもいないし本土の人がわがもの顔で沖縄で生活し現地沖縄県民を圧迫している訳でもないのに、先住民性を強調するのはアメリカの先住民迫害と同じようなイメージで世界に印象づけようとする一種のすり替え論です。
慰安婦を性奴隷と言い換えるなどの言語すり替えも言論/表現の自由や編集権の範囲なのか、虚偽主張なのか?歴史が裁くしかないのでしょうか。
彼らNGOは少数民族の人権擁護のために正義を主張しているということでしょうが、どういう根拠で沖縄県民を少数民族と決めているのかも(私の勉強不足だけか?)不明で(特定国におどらされ?)思い込みだけで運動している可能性もあリます。
伊達政宗が地域覇権を握ったときには、すでに天下の帰趨が決まっていた・・支配地で見れば少数でしかないので秀吉に従うしかなかったのですが、彼の支配地民族を少数民族とは言わないし侵略を受けたとは言わないでしょう。
彼ら海外活動家の行う日本批判の主張がまちがっていたときに、どのような責任を取る覚悟・体制があるのか不明です。
朝日新聞は慰安婦報道を世界に拡散することで日本民族の名誉をいたく傷つけましたが、結局なんの責任をとったか不明ですが、メデイア界での地位は急低下しました。
オナガ知事の先住民族演説の報道あるまで、ほとんど誰も知らなかったNGO「市民外交センター」の地位低下(元々どういう地位があったかすら知らない人が多い)など誰も気にしていません。
国外で日本の評判を落とす結果になる活動していてその汚名払拭に莫大な国費のかかる反日運動をしておいて、(慰安婦騒動では現地日本人がいじめにあうなどの被害が起きていると言われます)間違っていれば「忘れ去られる」だけのペナルティーでいいのでしょうか?
心底「日本のために良かれと思って行動している」と言う場合もあるでしょうから、一概に意見相違を理由に非難するのは行きすぎですが、その代わり間違っていた時に責任をどう取るべきかも考えるべきではないでしょうか。
個人で言えばどのような生きかたをするかは個人の勝手ですが、(読書ばかりでスポーツをしないで虚弱な人、スポーツばかりで読書しなかった人など「人それぞれ」です)その代わりその結果の集大成である自分の人生を引き受けることになっています。
個人で引き受けられる範囲ならばそれでいいでしょうが、他人に影響を及ぼす行為・・暴力を振るったり名誉毀損を繰り返す行為はその損害を言ったりやったりした本人でなく多くの他人が引き受けるのではバランスが取れていません。
他人に危害を及ぼす行為は自己責任の範疇を超えています。
現在社会では、言論・表現の自由といえば原則として免責される傾向・いかに多くの被害を引き起こそうとも物理的行為による被害に比べて問題にされないのでよほどの逸脱がないと自己責任の範囲にとどまっています。
慰安婦騒動の元になった吉田氏は、事実に反することを指摘されるようになると「作品」であって事実と一致する必要がないという主張で終わりでした。
以下は、ウィキペデアからの引用です。
「吉田は自著の虚偽を指摘された後も韓国での謝罪行脚や朝日新聞での証言を続けていたが、1995年に「自分の役目は終わった」として著書が自身の創作であったことを認めた[47]。
1996年(平成8年)5月2・9日付の週刊新潮インタビューで吉田は以下のように語った。
まあ、本に真実を書いても何の利益もない。関係者に迷惑をかけてはまずいから、カムフラージュした部分もある。事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか。チグハグな部分があってもしようがない。-週刊新潮1996年5月2/9号
と語り、自らの証言を創作(フィクション)を含むものであることをあらためて発言した[83][76]。
1998年9月2日に秦郁彦は、吉田に電話で「著書は小説だった」という声明を出したらどうかと勧めたら、「人権屋に利用された私が悪かった」とは述べたが、「私にもプライドはあるし、八十五歳にもなって今さら……このままにしておきましょう」との返事だったという[84]。」

中国の脅威6(影響力の膨張)

中国の国内外に対する脅迫・威嚇政治の広がりに戻ります。
中国国内でいくら恐怖政治をしようとも外国に関係なければいいのですが、そうはいかないのが不気味です。
日本や西欧にまで巨大市場の吸引力を背景にして諸外国に中国に都合の悪いことを自由に発言させないことによって、いかに中国が偉大であるかと中国人民の自尊心をくすぐり国内言論弾圧の補償作用に使っています。
一方で統計数字をごまかして実態の数倍以上の赫赫タル成長=国力を宣伝する・・国威発揚で自己満足している姿は、実際に自慢するほどの経済力がないのにあるかのように振る舞う結果、国内経済に無理が来る・・・・裸の王様のようでいつか風邪を引き肺炎になる事態も想定されます。
風邪を引かないための風邪薬?・・軍事や国内監視要員・治安警察費に入れ込んで近隣威嚇や日米等での細胞浸透や工作資金を使う・国内では治安警察で国民監視ばかりしていると長期的には、人材.資源の無駄使いの結果国力が低下する一方でソ連崩壊の二の舞になる事態が想定されます。
国民不満を空母や戦闘機で抑えることはできません。
ただし、中国は人民を無理に抱え込まない・・「政府に不満なら過酷な弾圧をする・・国外に逃げて行くのは構わない」(国内にいなくなれば、刑務所に入れる手間が省けるし反対勢力がいなくなる効果はシベリア流刑ど同じということでしょうか)というのがこれまでの政策であったと書いてきましたが、それでは優秀な順に国外移住していき全般的民度が下がる一方になるでしょう。
ただし、国外移住者のうち経済活動や学問その他で成功した(かつ反政府活動しない)人材だけを破格の金額で呼び戻す方が経済的という政策です。
ちょうど数百回数千回の実験失敗の結果ようやく開発成功した新薬その他を成功後にサイバーテロで剽窃したり合法的に買収するのと同じ発想です。
一流大学でも生徒みんなを大科学者に育てられるのではなく、そのうち一粒の人材だけが大きく育つのですが、中国は育てる苦労をしない・無駄玉を打たないでうまく育った人材だけ引き抜けば良いという発想です。
クズの人材は中国で責任を取らずにそのまま移住先のアメリカ等先進国で刑務所に入れられたり、生活保護などを引き受けてもらえば良いのです。
この点がソ連・スターリンの収容所列島政策と違います。
習近平氏が、今は権力確立期の非常時なので自分に「楯突くとどんな目にあう分からないぞ!」という勢力誇示のためにやっているだけであれば、権力が確立すれば国家長期発展のために粛清を緩めて行くことを期待できますが・・。
歴史を見ればどこの国でも政権樹立当初は武力が必須ですが、落ち着けば文治政治に移っていくのが普通です。
中国の場合そのような変化ができるかです。
猜疑心の強い個人資質による粛清の場合には、スターリンのように絶対支配を確立したのちも、権力の基礎が粛清にある以上余計猜疑心の塊になって行く・・この種のことをやりだすと報復が怖くてやめられないのが普通です。
そうなるとソ連型の国家社会の崩壊まで突っ走るしかないでしょうが、フルシチョフやゴルバチョフのような勇気のある人材がでないと簡単に百年単位で専制・恐怖支配が続くだけではなく、北朝鮮と違って国が大きい分周辺諸国まで巻き添えを食う可能性があります。
現在すでに中国市場に参加したいならば、「知財や技術移転しろ」と中国市場参加者限定ですが強要が始まっています。
北朝鮮のような小国でさえ核兵器を持っているとどうにもならないのですから、中国がもっと強くなって、中国市場に参加したくない企業や国に対しても「お前のものは俺のもの式」の強要を始めるようになると世界は大変です。
中国に行った人がスパイ容疑で検挙され始めましたが、この程度の脅しでは収まらず、日本国内にいる日本人にまで中国国内法違反の犯罪容疑をでっち上げて、日本に来た中国軍人や治安要員が我が物顔に闊歩し、白昼公然拉致していく社会の出現になると大変です。
実際に今の香港では、これが公然と行われています。
香港の中国支配のあり方を批判する本を出版していた書店主が次々と失踪した事件です。
http://www.huffingtonpost.jp/foresight/hongkong_b_10607462.html
2016年06月23日 00時58分 JST | 更新 2017年06月22日 18時12分 JST 新潮社フォーサイト
香港でまた「1国2制度」に対する香港人の「信頼」を揺るがす問題が起きている。香港の書店「銅鑼灣書店」の関係者5人が失踪し、中国国内で長期拘束されていることが明らかになった問題で、釈放されて香港に戻った同店店主の林栄基さん(61)が6月14日、公の場に姿を現して記者会見に応じ、赤裸々に拘束をめぐる実態を語った。
拘束された5人のうち、出版社オーナーの桂敏海さんを除く3人は林さんより先に香港に戻っているが、彼らは口を閉ざして実情を明らかにすることを拒んできたので、当事者の証言は初めてとなる。拘束中に中国のテレビで流された「告白」のビデオの内容は、「脚本があり、監督もいた」として、事実ではなく、強制された演技だったとも語った。」
中国は属国と見なせば、遠慮会釈なく実力行使に入る歴史があります
李氏朝鮮末期には、政治の黒幕であった大院君が清朝の軍閥に拉致されたことを紹介したことがあります。
壬午事変(じんごじへん)1882年7月23日明治15年に関する以下の記事からの引用です。
http://hinode.8718.jp/korea_chronology.html
「興宣大院君らの煽動を受けて、朝鮮の漢城(ソウル)で大規模な兵士の反乱が起こり、政権を担当していた閔妃一族の政府高官や、日本人軍事顧問、日本公使館員らが殺害され、日本公使館が襲撃を受けている。
反乱軍の標的は閔妃に向けられていたが、閔妃は官女に変装し官女に紛れて逃げきり山奥に隠れた。
閔妃は高宗に、国王の名を以て宗主国である清国に軍乱の鎮圧を目的として清国軍の派兵を要請させた。閔妃は権力奪還・大院君にたいする復讐の為に他国の軍隊を国内に招き入れてしまうという、大きな間違いを犯してします。亡国へと導く悪女と言われても仕方がない行為である。
清国の李鴻章により袁世凱が援軍として派遣され、反乱軍は鎮圧された。大院君は清に連行され李鴻章による査問会の後、天津に幽閉され、反乱が失敗に終わる。」
李氏朝鮮の場合にはみづから清朝の介入を求めたからですが、元々属国として身長の事実上にの支配下にあったからこういうことになるのです。
事実上支配下に入ると国内に中国の息のかかった細胞がいっぱい入り組んでいるのが普通ですから、李氏朝鮮の閔妃のように中国軍を導入しようとする勢力が育っているのが普通です。
以下対中関係を背景にした・・工作浸透原発稼働停止運動と地域エゴに戻ります。
9月5日「地域エゴと民族一体感の相反性1」〜9月10日「先住民権運動の背景3(ロシアの領土欲1)」等の続きです。
原発誘致に際しての反対運動もこの種の地域エゴが含まれていましたが(原発事故の頃に連載しました)一応被害を負担してもらう意味で一定の国民理解がありました。
各種交付金はそのための前金でもあったわけですが、福島と違い新潟ではまだ事故も起きていないのに、相手が巨額投資してしまっている段階で「不安だから」と稼働停止を求めるならば、不安を理由に前もってもらっている前金を返すべきではないかという意見も出てきます。
不安料とすれば今も不安がある・福島事故によって安全神話が崩れた・・不安がより一層強まったという論理とすれば、返す必要がないとも言えます。
それならば、・「不安解消策を講じろ・不安料金をもっと上げろ」それまで稼働に反対するのはルール違反ではないという論理でしょう。
そうはいっても、ある程度の危険承知で一旦巨額資金をもらっている以上はある程度の不安はもともと予定していたことじゃないのか?ある程度我慢すべきでないかと思いたい人も多いでしょう。
政府や東電完全安全」と言っていたしそれを信じていたのに・・と言うならば、そもそも不安料の支払い不要だったことになります。

地方分権(地方エゴ)と利益誘導政治

アメリカの置き土産・・戦争中に見せた日本国民の団結心恐るべし・・国民の団結心破壊の試みの設計が昨日まで書いた自治制度の貫徹ですが、基礎にある同胞精神破壊の試みとして、国民宗教・神道の破壊政策を真っ先に行ない、民族の尊厳を破壊する(今で言う自虐史観の洗脳)教育政策の徹底でした。
中核から同胞精神を破壊するだけではなく、国民に対しては庶民の足下から崩して行く試みが共同体利益を無視した全体に及ぼす影響がどうなるかよりは先ずエゴ主張をすることが正しいとする奨励でしょう。
東大教授→マスコミを通じる上からの教育政策と庶民の我欲に訴える両面作戦です。
与那国島の基地騒動の始まりは、地元に10億円規模のお金が落ちると言う我欲に始まった誘致運動が、数億円しか基地取得費に払えないと決まってから迷走が始まった顛末です。
以下今日現在のウイキペデイアからの転載です。
「これら中国籍とされる軍艦や船舶の、沖縄近海への接近および日本の排他的経済水域内の通過など、傍若無人な問題行動が頻繁に起こっていることと平行し、与那国島では防空識別圏の見直しを訴えたり、与那国町町議会による 自衛隊の誘致議決 が行われる動きが起こる。
この与那国町の自衛隊誘致の声を受け、2010年北澤俊美防衛大臣がこの地域への自衛隊配備に関して、予算計上を表明する動きへとつながった。
2012年度予算では、新編する沿岸監視部隊の配置及び移動警戒隊の展開のために必要な用地取得などを実施するため、10億円が計上された[5]。現地ではこれを根拠に、借地代として10億円が現地に落ちると解釈されたが[5]、用地代として国が提示した額は1億5000万円であり金額を巡る思惑の違いによって交渉は暗礁に乗り上げた[5]。」
沖縄だけではなく日本中で日本民族のためになるかどうかではなく、自分の手に入れる「お金お金」の恥ずかしい社会にしてしまったのは、アメリカの占領政策・・遺産の大成功事例です。
これまで書いているように国策遂行には全て地元同意が必要な憲法制度になっている結果、政府としては何でも反対の地方に対して大義に訴えても解決出来ない結果、原発立地でも何でも利益誘導しかなくなってしまった・・その結果政治家は利益誘導出来る能力で再選が決まる悪循環になっていることも大きな原因です。
田中角栄的政治家があちこちに出来上がったのは、アメリカの遺産・・強固な地方分権制度が制度的裏付けだったのです。
戦前だとお国の役に立てば・・と言うのが基本であって(無償ではないのですが、保障額は次の問題であった)お金の多寡を正面テーマにするなんて恥ずかしいことでした。
いろんな付き合いを決めるのに、先に「お金がいくら?」と言うのではなく、相応の提案がされる前提で「喜んで参加します」と決めるものです。
与那国島ではお金だけが目当て・・「お金が少ないなら守ってくれなくても良い」と言う論争になっていたのですから不思議です。
(原発誘致であれ復興であれ何であれ・・石原氏が「結局は金目でしょ!」と言うのは正鵠を得ていたので、マスコミに批判されましたが・・マスコミは正しいこと言うと「失言」と批判する不思議な媒体です)
東大教授を頂点としマスコミに流布する自虐史観はネットの発達によって効力がはげ落ちつつありますが、庶民に行き渡ってしまった・・本来恥ずかしい筈のエゴ主張の風潮は簡単に修正出来ないと思われます。
生活保護の不正受給や乱診乱療問題に始まる便乗型権利主張が社会問題になって来たように、今やエゴ主張の弊害が庶民に行き渡っています・・庶民だけではなく部長クラスでも母親の世帯分離をして安い特養に入居させるなどの行為は日常茶飯事ですから、言わば身体中に毒が回ってしまったような状態です。

地方自治制度の悪用2(国家意思の不貫徹)

昨日与那国島の例を紹介しました。
自治制の弊害を最大限悪用しているように見えますが、この悪用のために今でもいわゆるプロ市民(もしかして日本人だけではないのか?)が沖縄に住民票を移して基地反対運動に励んでいると言われています。
憲法の勉強をしていると地方自治の重要性の記述が多いのですが、どの論文にも民主制の基礎と言うばかりで何故重要かの具体的説明がありません。
日本が将来国力回復しても一枚岩で行動出来ないための妨害装置としての遺産・・アメリカの重要な置き土産だから非武装主義同様に論理的議論を許さない・・宗教のようにあがめるしかないと言うことでしょうか?
全国に波及する基準は全国統一の方が良い・自治体ごとに自主性がある・・基準が違う必要がないばかりか自治体ごとに基準が違うのでは有害です。
TPPの基本は加盟国では1つのルールにしましょうと言う精神の国際版です。
全国統一基準必要な分野で地方自主性があると却って混乱します。
電化製品やクルマの部品が地方ごとに違う基準では、全国的サプライチェーンでの製造が出来ません。
客観的な物品規格統一だけではなく、人間交流や物流の発展によって、国内では価値観均一化も進んでいます。
私の高校時代には、あちこち一人で旅行すると地域ごとに違う家の形や風景の違いを見るのが楽しみでしたが、今ではどこへ行っても似たような家の建て方ばかり・着ているものも職業生活も食べ物(千葉で九州の野菜など普通に食べているように)まで皆同じです。
ホテルも全国似たようななサービスがあり事前予測可能・もしもホテルごとに歯ブラシやタオル持参などの必要性が違うと準備するのに困ります。
こう言う時代になると自治体行政は身近な(全国共通基準が望ましいが経済力に応じた)サービスをやれば良いのであって,国家戦略的分野について特定地域だけが特別な権利を持つ理由がありません。
ヤマ1つ越えると何もかも言葉まで違う・・いろんな生活習慣の違う時代に出来上がった自治体ごとの基準の違い・・・「これを尊重しましょう」と言う価値観を今でも強調するのは何百年も使っていない死法をイキナリ持ち出して処罰するようなものです。
アメリカは今、沖縄基地反対運動に困っていますが、元はと言えば将来日本が国力回復したときに統一国家としての行動が出来ないように、妨害するために無茶な自治制度を作っておいたことが自分に跳ね返ってきたのです。
中国の反米・反基地闘争に利用されて基地利用に困っているのは、アメリカが遺産として残した平和憲法に縛られて日本に軍事協力させる足かせになっているのと同じ構図です。
大きな河川や海岸は本来国家管理が原則ですが、埋め立て等の現状変更には、地元漁民等の利害があるので、これに精通している自治体の許認可にかからしめている程度のことであって、(道路交通法規は全戸国一律ですが、追い越し禁止や徐行区域などの設定はカーブその他の状況を良く知っている地方に任せた方が良いと言うだけのことです)その決定基準自体が国家基準と違って良いと言うものではありません。
現憲法家では、何かちょっとした国家的政策を実現しようとするとほぼ100%地元同意が必要ですが、こんな無茶な制度を持っている「統一国家」があるでしょうか?
自国が侵略されて国民が虐殺されても抵抗する権利・・自営する権利もない憲法って、国民主権原理からして無効じゃないかと書いてきましたが、現行の地方自治制度・・地方の同意がないと国家が出来ないシステム自体が、国家権力そのものの否定・・日本を1つの統一体として認めない意味での国家権力の否定です。
昨日与那国島の住民同意の例や裁判例を紹介しましたが、国境に所在する軍事基地が戦闘の危険が迫ると撤去を求められる・・存在してはいけないかのような裁判所の判断が普通に出て来るのをみれば、国家のあり方に対する思考までも狂ってしまっているとしか良いようがありません。
統一体・・クルマで言えば、バンパーがあって本体の安全性を高めますが、ぶつかる危険を引き受けるばかりでは不公平だ、そんな部品をなくせと言うのは矛盾です。
国境地域だけが防衛負担するのはイヤだとい出して、国境から100kmまで守備隊下げておくと、その防御地点が最初の被攻撃地点になるのでその周辺が不満を言い、200k地点に下げると今度は200k地点が最初に攻撃されるのは不公平と言い出します。
これを繰り返して行くと最後は首都で最初に引き受けろとなりますが、そうなると首都住民外の国民を見捨てるしかなくなります。
辺境の地が国家全体のために防衛を引き受ける義務がないと言えるのだったら、国家防衛は成り立ちません。
アメリカが占領支配下の日本民族に対して自前の軍隊保持を禁じただけではなく、国家意思よりも地方の意思・・決定が結果的に優先するシステムを憲法に組み込んだのはは、仮に将来再軍備したとしても国家防衛のための基地を政府が思うように作れないシステムを残して行ったことが分ります。
国土内に国家意思の貫徹出来ない場所を憲法で設置した結果、日本列島を都道府県数だけの小国に分解することを米軍が強制したことになります。
まして我が国は異民族が連合して作った国家ではありません。
連邦性国家でも(ロシアやアメリカで)国家防衛のための軍事基地の設置に地元市町村の同意が要るとは考えられません。
護憲論者は現実無視・空理空論の集まりと言われるのは、独立国家としてありえない制度を議論抜きにして憲法を守れと後生大事にするところにあります。
国家意思が貫徹出来ない制度は統一国家として自己矛盾ですから、戦後日本は法的には分裂状態に置かれて来たことになります。
自治体の無茶な主張を引き出そうとする勢力は、この法的分裂状態を強化し保持しようとする勢力です。
法制度論は別としても、上記のとおり地域独自性がなくなって行く一方なのにこれを強調するのは無理がある実態を無視出来ないからか、翁長知事はこの無理(全国利害のテーマを地元の同意にかからしめる主張)を通すために「沖縄の人は日本の先住民族?少数民族なのに民族自決権が侵害されている」と言う趣旨の翁長知事の国連やアメリカでの演説になって来るのでしょう。
日本全体の支持を受けるための政治活動をするのが本来国内政治家の仕事ですが、海外発信に努力するのは、いわゆる文化人同様に国内支持の足りない分を国連などの介入・・例の国連報告書や対日勧告を取り付けるための行動でしょうか?
翁長氏が国連で演説してもアメリカ軍基地妨害目的が見え見えですので慰安婦問題のようにアメリカが応援する筈がないですから、翁長知事としては、中国の支持だけでもうけた方が良いと言う立場に切り替えたのでしょうか?
日本から沖縄切り離しを狙っている・・と言うよりは尖閣を譲らないと沖縄まで狙うぞ!と言う脅しでしょう・・・中国のあと押しを期待しているのでしょうか?
中国としては、着々と布石を打っているつもりでしょうが、逆効果のように思えます。

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