格差29と所得再分配2(新自由主義3)

蓄積(海外投資収益))の有無にかかわらず各企業に対して「月額40万円前後を払え」となると海外投資収益で補填出来ない企業では、そんな高額賃金を前提に製品価格を設定したのでは国際競争から脱落して行くしかありません。
本来2〜3万円で出来る製品に(中国で車や家電製品を組み立てるのと日本で組み立てるのとでそんなに品質差がないでしょう・・)40万円のコストをかけていることになります。
3月9日に書いたラーメン屋の例で言えば、従業員の息子が学費を払えるように時給を1200円から1万円に上げて、その経費を賄うためにラーメン一杯5000円くらいに値上げするとした場合・・やって行けないでしょう。
格差問題と新自由主義経済学のテーマに戻りますと経済のグローバル化によって、それまでの高所得を維持出来なくなった汎用品向け国内人材に対する所得保障の必要から生じていることが明らかです。
政府は金利や財政出動や補助金等で一時的にいろいろな経済現象を補正出来るとしても長期的には市場原理に原則として従うしかないと唱える・・新自由主義経済学・・は至極当然のことであり、この学問によって格差が生じているのではなく、格差修正はその後の政策選択の問題です。
経済学者の考え方で経済の原理がどうなるのものではなく、経済学に限らずむしろすべての分野で学者はその時代精神を表す学説を作り出して一世を風靡しているに過ぎません。
レッセフェールであれケインズ革命であれ、あるいは系列の違うマルクス経済学であれその時代の社会構造の変化を正当化する理論として見ることが可能ですし、各種芸術も後から見ればその時代精神を表現したものであることと同じで、彼らがその時代を作ったものではありません。
新自由主義経済論を批判している勢力は、何か難しいことを言えば素人には分らないだろう式の意見(私もよく理解していませんが・・)と、従来の共産主義的意見・・・個人に責任がなく環境が悪いという意見の焼き直しの組み合わせではないでしょうか?
新自由主義を批判している意見の殆どは、政治に経済の流れを変える役割を求めているように見えます。
経済学者間では違った学説・意見がいくつもあって違った立場から批判するのは当然で、ここで言う批判者とは経済学者間の学問的批判ではなく、政治利用している勢力のことです。
政治は経済の流れを前提に政策展開して行くしかないのであって、政治がグローバル化という経済現象を止めることは出来ません。
政治の力でグローバル化に参加しないでいられるのは、今では国民の苦しみを気にしない北朝鮮くらいでしょう。

グローバル化と格差28(所得再分配1)

中国での工場労働者の賃金との差額(約400万円超)は、高度技術者(研究者やソフト関連・金融所得その他汎用品製造以外をまとめてこのコラムでは書いています)の働きによる収入を召し上げて再分配していることになります。
1つの企業で言えば、海外の儲けを本国還流することによって、本国の労働者は自分の働きに関係ない収入分配を受けていることになります。
これを国単位で見れば法人税その他公的負担で集めた資金で各種インフラを整備し社会保障を充実させて再分配していることになります。
月収40万円の内数万円補助ならばまだやって行けるでしょうが、中国では月収数万円できる仕事を日本国内でしている人に対して38万円前後も補助して40万円も払って行くのでは国際競争上無理があります。
地域的に見れば地方交付金で所得の低い地方への資金再分配を通じて地方での公共工事を地方の経済実力以上で高額発注させているのは、地方の公共工事関連者の高度な生活保障をしていることになります。
地域で経済が完結している場合、産業のない地方の役人や裁判官、教員等は近代産業の少ない後進国並みの給与水準・・月額数万円で良い筈ですが、それが全国一律高賃金(だから地方ほど役人の就職人気が高いのです)になっていること自体が、補助金の結果です。
本来地方に仕事がなければ需要供給の関係で公共工事の単価も安くなる筈なのに都会並みの高い相場になるのはこのメカニズムによるものです。
所得再分配用に召し上げる資金が多いとその分、公租公課負担が諸外国よりも高すぎる結果になるのは当然です。
これが企業・稼げる人の負担増(国際的に見て累進税率や高過ぎる法人税等の高負担社会)となり、高負担を逃れるために富裕層や企業本社の海外移転を促進していることにもなります。
所得再分配は民族同質性・・一体意識による助け合い精神の発露であってそれ自体尊いことですが、行き過ぎると労働意欲を殺ぐだけではなく閉鎖社会ではない現在では、国際競争力にも関係するので1国内だけで完結する時代の道徳をそのまま良しとするのは間違いです。
どの程度の格差修正が妥当かについては、グロ−バル化の進んでいる現在では国際競争力との比較で決めて行くのが合理的でしょう。
格差修正は国力次第であるのは、一般家庭でも同じことです。
失業した息子夫婦あるいは貧窮で困っている親戚がある場合、その一家・親戚全体の収入の範囲内で助け合うしかないのは当然です。
過去の蓄積の範囲で援助する場合は競争力には関係しませんが、日々の収入に上乗せして援助しようとすると、国際競争力に目を配らざるを得ません。
(ラーメン屋が親戚を援助したり息子の学費捻出のために過去の貯蓄から出すなら問題がありませんが、ラーメンの単価を上げて対処するとしたら・・近隣の単価を無視出来ません。)
現在の日本は、3月8日に紹介した平均賃金の例で言えば、工場労働者の賃金を月額2〜3万円が国際水準であるとしたら40万円との差額約37〜38万円を過去の貯蓄・・投資収益から援助するならば問題がないでしょうが、これを製品単価に反映すると問題が起きます。

労働分配率1(韓国民の悲劇)

前回労働分配率を少し書きましたが、ここで労働分配率や所得分配について少し触れておきます。
労働分配率が高い・低いと一口で言っても大方の傾向を見ることが出来るだけであって、経済学者の意見を読むと付加価値=何を母数にするか(金融収支も加えるかなど)の意見も違う上に、他方でそのときの雇用数は年々変わる・・失業者数や求職を諦めている人の数等による面もあって、たとえば景気が良くなって少し遅れて労働分配率が上がってもその多くは雇用数の増加によるものであって、個人個人で見れば給与が上がっている訳ではないなど複雑です。
労働分配率の議論は企業の経常利益総計とそこに従事する労働者総数の統計によるので、一人当たり賃金とは関係がないのです。
我が国では戦後労働分配率は一貫して上がり続けるトレンドで、最近は大方7割前後らしいですが(石油ショック直後とリーマンショック直後は例外)韓国の統計を見ると5割前後で推移していて、それが98年の通貨危機以降IMFの指導下で人件費比率の引き下げを断行して来たことから、1割くらい下がったままになっている様子です。
(一般的には、非正規雇用や下請けの悲惨さが報じられていますが・・私の知識では韓国のことは正確にはまだよく分ってません)
ただし、個人金融資産の内株式等有価証券の保有率が仮に高ければ、株主としての分配もあるので労働分配率だけが国民所得の分配の指標にはならないし、(最近の我が国では所得階層5分類の内下位から第2位の階層の株保有率が上位2番目に浮上しているそうですから、金持ちだけが株をやる時代ではありません)税による再配分や高齢化社会では年金制度の充実度(若年層から高齢層への所得移転)にも絡んで来るので、国民総所得の分配としては労働分配率だけで議論しても意味がはっきりしない印象です。
ちなみに韓国では以下の通りになっているので、労働分配率が下がっている外に、資本利益の半数が外国に持って行かれると国民は???となって不満がたまりはけ口としての日本攻撃や国外脱出熱が盛んになる訳です。
韓国ではウオンの急激な下落で通貨危機の再来が心配されるようになったので、今頃いきなり慰安婦問題を韓国が持ち出して来たこともこうした背景があるのでしょう。
以下は、るいネットに掲載されている吉国幹雄 ( 53 鹿児島 講師 )氏によるデータです。
4大銀行の外人持ち株比率は以下の通り。
1 国民銀行     78%
2 ハナ銀行     72%
3 外換銀行     72%
4 新韓銀行     63%
さらに、韓国の主要上場企業の外人持ち株比率は以下の通り。
1 サムスン     54%
2 現代自動車    49%
3 LG       37%
4 SK       49%
5 KT       49%
6 ポスコ      67%

ちなみに日本ではトヨタや東芝などの外国人株主比率は2006年頃には25〜26%だったらしいですが、最新の統計がないのですが一般的には約3割前後ではないかと言われているらしいです。
外国の年金その他がその名で買うのではなく、日本の◯◯トラストを通じて買うので、外国人比率は株主名簿だけでは正確には分りません。

交付金の分配

6月17日に書いたように国民全部から貰った資金・交付金を一人一人にきちんと配ってくれたら、何時あるか分らないことのために一時避難や二重生活に備えた生活を延々と繰り返すよりは、恒久的に仕事ができるように仙台や東京などにその資金を持って出て行ってしまいたい人がかなりいたでしょう。
一人当たり1000万円の場合、赤ちゃんまで含めた3人家族で3000万円貰えますし、親子3世代で一緒に移転すれば、かなりまとまったお金になります。
仮に原発立地の4町の住民だけを前提にすれば、これが当初人口が今(約4万人)の3分の2=約25000〜26000人であれば、一人当たり1000万円配っても2500〜2600億円に過ぎないので、この程度の資金は前もって配っておいて自分で好きな別荘地でも(首都圏の郊外マンションでも)購入しておいてもらっても良かったのです。
(一人とは赤ちゃんや超高齢者を含めてですから、3世代で転居となれば大変な金額です)
残りのお金で役場その他の機能移転・バックアップを考えたり、避難行動の応援や連絡調整などに使っても資金は有り余っていたでしょう。
お金だけでは故郷を捨てられないと言う心情論が出てくるでしょうが、故郷を捨てられない人はお金をもらうのをやめて自治体で用意した避難用地に別荘を建てるか、危機が来るまで座して待つのも勝手ですが、最後まで残っていた人が避難するにしてもみんなで予め用意した場所に一緒に移転すれば今のようにいきなり体育館に避難して雑魚寝をするよりはマシです。
本当に共同体維持に熱意を持っている人は一緒に移転する・・別荘地に自分用の避難用建物を建てるでしょうし、そんな何時あるか分らない危険におびえながら二重生活するくらいなら、まとまったお金をもらってムラから出て行ってしまった(無関係なところで仕事を探して)方がマシだと言う人は別のところに行ってしまうでしょう。
ともかく本人の好きに任せれば良いことです。
ムラの人はお金なんか欲しくない筈だ・今の生活を守りたいだけだと訴える人が幅を利かして来た感じですが、それを本気で思っているならば、交付金をもらって原発立地に賛成したり交付金欲しさに原発誘致決議などしなければいいでしょう。
危険・・具体化すれば逃げるしかないこととの引き換えに、予め交付金をほしがるのは、ふる里の維持よりはお金の方が良いと言う意味・意思表示ではないのでしょうか?
ムラのみんなあるいは大多数が共同体維持希望者であるとする主張に自信があれば、・・お金を配って見ても、ほんのちょっとした落ちこぼれが出るだけで心配が要りません。
実際にはお金を配ればムラ社会を出て行ってしまう人が多いことを本音では知っていて、分配に反対していることになります。
夫婦別姓論・・選択制に反対する論者は、選択制にすると別姓選択が多くなる・・そういう国民の方が多くいることを自白しているようなものであると、04/16/05「夫婦別姓28(完・・・夫婦別氏の選択性)多様な婚姻制度6」で書いたことがありますが、住民への分配も同じで、本当にお金よりも共同体維持を望む人が多いと言う自信があるならば、配るからどうしますかと提案してみたら良いいのです。
配ってみて住民がどう言う行動をとるかは住民の意思に任せるべきであって、政治家が勝手に住民の意思は「お金より共同体維持であると決めつけるのは僭越です。
お金を住民に配るのには反対にも拘らず、巨額交付金を欲しいと動いていた人たちは、そのお金を何に使いたくて危険な原発誘致運動をしていたのでしょうか?
住民個人にはびた一文使わせないが、自治体と言う団体で使いたくて、(イザと言うときのために資金を管理していなかったようですからら・・・)交付金獲得にしのぎを削って来たことになります。
結局は危険を被る住民をダシにして貰った交付金を、政治家が自由(結果的に・・主に土木建築工事に使い切っているのですが・・・)に使おうとする魂胆だったのでしょうか?
他人がとやかく言うのではなく、お金を配って当事者がどちらを選ぶか任せれば住民の本心が明らかとなります。
事前にお金を配ってもらって町を出る人とお金をもらわないで町に残る人が決まれば、高齢者等どうしても土地を離れたくないなどで、危険な町に残った人の分だけ避難用地を用意すれば良いので取得用地の規模も事前に確定出来ます。

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