アメリカの自治体4(自然発生的集落の未発達→内政経験未熟1)

日本の場合、例えば青森の三内丸山遺跡はhttp://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/about/によれば、
「今から約5500年前~4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていました。」
「膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石なども出土しています。
ヒョウタン、ゴボウ、マメなどの栽培植物が出土し、DNA分析によりクリの栽培が明らかになるなど、数多くの発見が縄文文化のイメージを大きく変えました。」
とあるように、これだけ大規模な集落が営まれていた上に、遠隔地でしか取れないヒスイや黒曜石を交易によって入手していたことから見ても(石しか残っていないだけでその他の物品も当然交換していたでしょう)ということは当時すでに周辺諸集落どころか遠隔地とも円滑に交流していたと見るべきでしょう。
原始的集団同士の協調・折り合いさえつけられない・・アメリカではまだうまく解決する知恵がない状態が最近顕在化しています。
各人が言いたいことを言い、協調できない社会・・これを許せないと喧嘩(戦争)していられないから言いっ放しにしておく程度の知恵・・言論の自由論ですが、(アメリカの場合広大な原野にそれぞれ入植し近い集落でも数十キロ以上離れていれば、意見の違いを調整する必要性がなかったし、都市部では隣と付き合う必要がないから近所の人の意見など気にしないで済む面があります)これを多様性を許す社会と言い換えているように見えます。
アメリカが世界をまとめ切れないどころか、国内の近隣自治体間の協調さえできていません。
外敵のために作った国家でしかないから、星条旗(戦争)のために団結できるだけの関係です。
広域自治体ができないで失敗している状況を12日のコラムで引用紹介しましたが、もう一度一その部分だけ引用しますと以下の通りです。
http://www.clair.or.jp/j/forum/series/pdf/h18-1.pdf1

カリフォルニア州の地方自治体について
東海大学政治経済学部政治学科教授牧田 義輝氏
6 カウンティ政府と広域行政
・・・カリフォルニア州同様、アメリカには連合型の広域政府が一例としてない。1960・70 年代に犯罪、福祉、暴動、環境、人種差別問題が大都市問題として噴出したときこれらの問題を解決するために大都市圏総合広域政府の創設の提案が、全米で 100 例以上提案された。
しかし、この種の広域政府は実現していない。」

このようにカナダなどでは多数作られている連合型広域政府でさえ作られない理由は、地方自治体の自治権が強力であることに尽きる。カナダなどの場合、たとえば「トロント大都市圏自治体」の設置のように上位政府である州政府の議決で創設できるのに対し、アメリカの場合は大都市圏広域政府を作る場合に近郊自治体と中心大都市自治体の利害が不一致である場合(人種、経済格差、文化、環境などほとんどが利害対立しているが)住民投票において近郊の多数、中心都市の多数をそれぞれ要件とすることなどによってすべてが挫折したのである。

自然発生的集落から周辺との協調を経て発展してきた社会の場合には、周辺自治体との交流を経て生活習慣が似てくれば、価値観が似ているので必要に応じた話し合い解決の土壌があり、合併・広域化に違和感がありません。
また協調行動も容易ですが、何もない原野の先まで馬で走っていって、そこに国旗を立ててくればそこまで自分の領域と宣言し、まずは周辺を囲ってから内部に習慣の違う民族の移民を進めて集落を作り埋めていくやり方社会との違いです。
内政充実の結果周辺に信用が広がり自然に生活領域が広がって行く・・商売で言えば本店の人材・実力を蓄えてからの周辺支店網拡大の場合安定的です。
あるいは徐々に従業員を増やして行くと従業員が仮りに数千人になっても企業カラーが一体化しますが、大きな企業をM&Aで買収すると社風が10〜20年たっても違ったままになるのと同じです。
外延的伸長に対する関心で急膨張し縄張りだけの急拡大・・1時的に鳴り物入り進出・派手な宣伝で売り上げをあげても、地についていないと何かあると脆いものです。
内部充実を待たずに武力や資金力だけで領域を広げてきた結果、内部住民の福利に対する関心は2の次3の次の社会(自前文化が生まれない外延社会)のもろさがアメリカで出てきたのが治安悪化だと思われます。
アメリカの共和党は軍事力を背景にした外交だけあり、民主党は内政に関心があるがバラまきしか知らないと一般に言われています。
民主党が内政重視と言っても利害調整をしない豊富な資金力を背景したフードスタンプ配布条件の底上げや福祉中心ではまともな国政とは言えません。
今でも後進の地域大国では簡単に外敵に焦点を当てる政治に偏り勝ちなのは、民度が低くて内政充実能力が欠如しているのに対して、周辺國威圧による対外的成果を求める方が簡単だからです。
ロシアもピョートル大帝(領土拡張を重視する人にとっては素晴らしい帝王でしょうが)逆から見れば、国民生活充実・内的発展に使うべきエネルギー(民度が低くてこれにエネルギーを注いでもうまく行かないので)を外延拡張に使ってしまった君主とも言えます。
ロシアは正面の西と南へ(対トルコ)の進出では英仏に阻まれたので誰もいない裏のシベリアに向かうしかなかったのですが、シベリアの大規模な囲い込みに成功した結果、国民の生活向上に使うべき資源を巨大な領土経営資源としてどんどんつぎ込み、内部空洞化→ロシア革命になったものですから、見方によればもともと遅れていたロシア社会後進性維持の元凶になったような人物と評価できます。
今でも広すぎる領土を守るために中露国境だけでも何千キロとあって膨大な国境守備隊が張り付いていると言われます。
ロシア革命で民衆が本来求めていたのは、国土領域拡大や外国に対する主導権を持つことよりは国民の貧しさの克服(・その不満の蓄積)であり、いわばイワン雷帝以来歴代帝政が続けてきた外延的拡張政策の内政重視政策へ方針変更であるべきでした。
イワン雷帝の治績はhttps://jp.rbth.com/arts/2016/10/14/638545によれば以下の通りです。

2、最初のツァーリ(皇帝)になった。
イワンは1547年、成人に達した日に戴冠した。イワン以前にはモスクワ・ルーシの支配者はすべて大公の称号を持っていたが、彼は初めて、ローマ皇帝「カエサル」の名に由来するツァーリ(皇帝)を名乗った。これは西欧の「皇帝」と同じく、その権力が直接、神に起源をもつとされている。
「5、戦争を行った。
イワン雷帝は、国土を拡大しようとして、治世の全期間にわたって戦争した。一方で彼はカザン、アストラハン・ハン国を粉砕して両国をロシアに併合した。彼の時代にヴォルガ川沿岸地方と沿ウラル地方がロシア国家に併合され、広大なシベリア各地の開発が始まった」

ロシア革命に戻りますと、実際に革命当初まず第一にやったのは対ドイツ戦からの離脱であり平和国家を目指したものでしたが、内政に手を出してみるとすぐにどうして良いか分からなくなってしまった印象です。
・・実は利害の錯綜する内政はスローガンだけでは何も進みません・・・実務経験のない革新系政治運動家→運動家であっても、批判してきただけで政治運営の経験がないのでどのように利害をさばいて良いか分からないので無理です・・。
日本の民主党や敗戦直後の片山内閣だけの責任ではありません。
建武の親政を断行した後醍醐天皇が失敗したのも同じことです。
日本の民主党や片山内閣が能力不足を隠すための粛清に走らなかったし、走らせなかった点が我が国の民度の高さです。

秩序崩壊と騒乱3(フラストレーション度1)

新興国の粗暴競争・・わがままの噴出を見ると、そこには正義の観念がない・・地道な経済政策等の王道で勝負する能力がないので、国内支持を得るためのパフォーマンス中心でマトモな議論にならない時代が目の前に迫っていることが分ります。
この辺はトランプ氏の主張も同じです。
マスコミはこう言う政治家が出ると「偏狭な愛国主義者・民族主義者・排外主義者・オポチュニスト」と言うレッテル張りで満足していますが、レッテル張りで解決出来る問題ではありません。
内政能力に自信のない者が政権を握ると対外パフォーマンスや国内弱者圧迫のパフォーマンスに頼りがちになります。
内政能力のない代わりに対外的に勇ましいことを主張するモノが選挙あるいは各種内部工作で勝ち抜いて選出されること自体、国民のフラストレーションの大きさを現しています。
フラストレーションを放置しておいて、ヘイトスピーチや排外主義が行けないとマスコミが宣伝しても、フラストレーションの溜まった多くの国民は聞く耳を持たないでしょう。
プーチンは当初資源価格急上昇によるボーナスで地位を盤石にしましたが、中国経済の勢いが止まった結果国際的資源下落が始まると経済低迷・政治的苦境が始まりました。
この辺はブラジル、ベネズエラ、みな資源高騰によって大きな顔をしていた新興国の指導者が追いつめられて、次々と政権崩壊が進んでいますが、彼らは地域軍事大国ではないので海外挑発によるパフォーマンスによる延命を図れないからです。
「アラブの春は、アラブ諸国による原油独占が揺るぎ始めたことが原因だ」と言う意見を数年前に書いたことがあります。
原油輸出国でなかった国の混乱も産油国からの潤沢な援助に頼っていた国が混乱に陥っている関係です。
ロシアは地域大国兼世界軍事大国ですから、資源下落による自滅を待つよりは・・と言うことで、目くらましのためにクリミヤ併合を行なった結果、国内的にはものすごく支持率が上がっています。
政治困難の本質が経済苦境にあるのですから、経済が回復しない限り本来の解決にはならない・・ウクライナに軍事侵攻し、クリミヤ併合しても経済が良くなる訳がない・・併合に伴う軍事費や占領地の治安対策比・現地迎合的出費や治安経費が却って増える一方です。
その上、世界中から経済制裁を受けてさらに国内経済が苦しくなる一方ですから、今度はシリア空爆(戦闘機・爆撃機1機あたり日々ものすごい出費です)を始め、国内の目を外にそらすのに余念がありません。
http://masteru.seesaa.net/article/428247380.html
シリア介入のコストは400万ドル/日

 こちらに よると、ロシアのシリア空爆コストは400万ドル/日である。IHS Jane’sの試算によると、空爆、供給、インフラと整備要員、巡航ミサイル発射のコストは、9月30日の空爆開始以来、8000万-1億1500万ドル に達している。ロシアの国防予算500億ドルと比べると、微々たる額であるが、コストとロシアの関与の度合いは膨れ上がるとクレムリンはみている。シリア 紛争は数年続き、兵士が死ねば、ロシアの関与は劇的にエスカレートすると専門家は警告している。
 36攻撃機、20攻撃ヘリがシリア内の基地から 一日あり40回出撃しており、これが三週間続いている。地上要員は1500-2000人と伝えられており、黒海やイラン、イラク領空経由で送り込まれた。 攻撃機は飛行時間あたり12000ドル、攻撃ヘリは3000ドル要する。攻撃機の平均飛行時間を一日あり90分、ヘリ1時間とすと、24時間あたり71万 ドル。毎日、75万ドル相当の弾頭を投下している。要員のコストは一日あたり44万ドル、地中海に艦艇を張り付けるにはプラス20万ドルを要する。また、 ロジスティック、情報収集等のコストも25万ドル/日かかる。すなわち、最小で一日あたり240万ドルかかるが、実際のコストは2倍に達すると見積もられ ている。巡航ミサイルは一発120万ドルであり、26発発射分で3600万ドルとなる。

確かに中東でのロシアの存在感をアップし,アメリカの凋落を印象づけましたが、それがロシア経済・・すなわち国民にとってどの程度のメリットがあるのか分りません・・出費が増えているだけでしょう。
介入が成功した場合、政権には貸しを作れますが、荒廃しているシリアの復興援助のてをカ空かない・・却って出費が膨らむのが目に見えています。
これをいやがって日本等に押し付けると戦後復興需要が日本等に奪われてしまいます。
イメージアップや業界団体での名誉や地位確保は自分の商売がうまく行っている場合の余技であるべきですから順序が逆です。
業界団体の会長等では出身企業の運営で失敗すると、自発的に身を引くものですが、政治の世界では内政がうまく行かないと外部での名誉を得ようと逆に頑張るのが現状です・・業界組織と違って政治構成員は非合理基準(フラストレーションで)で行動する人の方が多いコトが分ります。
シリア介入後ロシア軍機がトルコ軍に撃墜されるトルコへの制裁と称してトルコからの野菜輸入禁止を決めました。
実はクリミヤ併合に対するEUからの制裁で野菜類の輸出が禁止されて野菜不足で困っているのは、ロシアの方でした。
国民が困るかどうかより対外パフォーマンス・・自己保身の方が優先ですが、それでも国民が喝采し、支持率が上がるのですから排外主義がどうなるかは民度次第とも言えます。
冒頭に書いたように排外主義等の感情に訴える政策効果度がフラストレーション度に比例するとすれば、既に資源下落に追い討ち的に経済制裁されているロシアの方がフラストレーション度が上がっている・・比例してナショナリズムに訴える効果が高くなっています。
北朝鮮で言えば、経済制裁等で追いつめると却ってナショナリズムが高まる→対外挑発行為成功?が支持率アップになる関係ですから、国際政治家は逆効果を狙っていることになります。
その裏の意図は別の機会に書きたいと思っています。

        

朴外交と内政能力

以前どこかで書いたと思いますが、韓国の政治改革は教科書どおり?欧米の要求どおり極端に行なう傾向があり・・この点で実情にあわせてモタモタしながら進む日本より進んだ制度になっている箇所が多くなっています。
90年ころまでは民法その他基本法は戦前の日本制度の模倣のままだと言われていましたが、以後急激に日本離れが進み欧米の指導どおり?これが良いとなればドンドン取り入れて?抜本的に入れ替える改正が進んでいます。
いつか紹介したと思いますが、戸籍制度も完全にやめてしまいました。
FTAが良いとなれば国内利害調整など無視して突っ走ります。
(私たちの世界で言えば、刑事事件での身柄拘束率が極端に減少し、日本より形式上は進んでいます。)
韓国政体は実質期間限定の独裁制であると書いてきましたが、この性質上反対派を蹴散らして強行採決→法案成立させる国でしたから、これが良いという指導を受ければ国内の実情無視して、法制度的(実際の運用はどうであれ)には強権突破でどうにでもなるのでしょう。
中国などで知財等法制度だけ近代化しますが、その運用面では外国人や政敵だけ独禁法や賄賂で取り締まるなどがあるのと同じです。
複雑な利害調整なしで強行採決するばかりならば、中国のように始めっから民意を問わない制度の方が国民もそんなものだと納得し易いかも知れません。
日本には不都合な真実が伝わって来ないですが、社会の実態がついて行かないのに、法律だけが超近代的な制度になっている無理があちこちにあると思われます。
昨日名前だけ紹介しましたが、あまりに強行採決続きで社会の制度疲労が出て来たので、李前大統領末期だったかに?国会先進化法と言うものが出来て、議長による職権上程が禁止されてしまったらしいのです。
職権上程が出来ないと野党との合意がない限り審議の対象に出せないと言うことで、強行採決出来なくなってしまったと報じられています。
議長の職権上程禁止だけならば、与党が委員会の多数を占めれば委員会で強行採決すれば本会議上程出来そうですが、この辺の韓国での具体的手順を知らないので、野党の合意がないと何故上程できなくなったのか今のところ分りません。
その他に人事承認案件もあって簡単に承認されず、過去のスキャンダル暴きになって候補者が尻込みするようになっていると言われています。
(少しは大人の話し合いが出来る社会に近づいたから強行採決が不要になったと言うよりは、弊害が大きくなり過ぎたからか仕方なしに修正したと思われます。)
この結果、朴政権は政権発足後何日も閣僚の任命さえ出来なかったことや最近でもセウール号沈没事件の責任を取って、首相が辞任表明後後任首相候補が次々と辞退に追い込まれて、結局辞任表明した首相の留任なってしまうていたらくです。
内政に関しては、何もかも野党の協力がないと法案が通らなくなって朴政権は立ち往生状態と言われています。
朴政権の内政能力のないことの言い訳に国会先進化法の責任にして、日本のマスコミが解説しているのかも知れませんが・・。
それもあって、国内政治能力欠如を誤摩化すために外交は国内利害調整なしに勝手にやれるので、反日宣伝外交に飛び回っていると言うことでしょうか?
実際には外交交渉はその成果によって、内政に直接反映します。
TPPに限らず全て実のある外交交渉であれば、その効果が直接国民の利害に関係し新たな法の制定が必須ですので、内政以上に利害調整能力が要求されます。
重要な外交案件は相手国の安定政権を相手にしないとまとまらないと言われているように、重要案件ほど国内利害の対立が起きますので、国内利害調整能力がないと、何も決められない筈です。
朴外交は日本を誹謗中傷をするのみで、内政に利害が起きるような対外取り決めをしないで内容のないことに精出しているから、好き勝手にやれているのかも知れません。
(外国に反日記念館や慰安婦像を建てる程度では国内関連法の整備・・利害調整不要・・反対派がなくて気楽です。)
反日宣伝をしても利害調整の必要な国内法制定は不要ですが、日本の悪口を言いふらした対日マイナス効果は、日本との冷却化を招いて長期的に国民が大きなマイナス負担することになりますが、直ちに関連国内法を議論する必要がないと言う目先の逃げ道にしているだけかもしれません。
勿論中国を何回訪問しようとも、国内法案成立(即ち利害調整)を必要としていません。

対外権限と内政能力4(アメリカの場合1)

アメリカの大統領制は、国内政治の利害調整は(法案成立までの調整は)議会でやり、(法成立後は)裁判所(どんなことでも裁判で決着を付ける国ですから行政裁量の余地が我が国よりも小さい)が行ない、大統領はその結果を執行することと対外戦争をすることが中心です。
ですから議院内閣制のように利害調整の経験がない・・利害調整に長じた人材が、大統領になる制度ではありません。
言わば創業・・対外的大統領選に勝ち進むだけ・・戦国時代で言えば、天下統一に勝ち進むのに特化した能力で足ります。
大統領には、言わば複雑な内政利害調整能力が求められていません。
大統領に当選するのに求められる能力は、利害調整能力ではなく対抗馬に勝ち進む戦略の優劣だけ・・演出家の振り付けにしたがって演技する能力だけで足ります。
December 3, 2012「選出母体の支持獲得3と政治資金1」で紹介したように、大統領選の結果は資金力にほぼ比例すると言われていますので、資金集め能力が重要ですが、これも選挙参謀・演出家の演出に従って挨拶回りやパーテイをこなせば良いことで候補者自身の能力は不要です。
大統領選向けの戦略は別の専門家が立ててくれるし、当選するまでの選挙活動・・これも演出に従って振り付けどおりうまく演説したり、ガッツポーズしたりする能力があれば足ります。
対外的に勝ち進みさえすれば良いように見える、わが国戦国武将でも、家臣団の利害調整能力が不可欠でした。
以前上杉謙信の例で書いたことがありますが,戦国大名の多くはその地域内小豪族の連合体ですから、家臣団同士の境界争いその他利害対立が無数にあってその調整に失敗すると不満な方は離反してしまいます・・。
石橋山の旗揚げに破れた頼朝が房総半島に逃げて再起出来たのは、千葉氏の力添えによるものでしたが、千葉氏は元々平氏でしたが、相馬御厨の所領争いで平家がうまく調整してくれなかったので、平氏を見限って源氏についてしまったことを、09/19/04「源平争乱の意義4(貴種と立憲君主政治3)」で紹介しました。
上記コラムでも書きましたが、戦闘集団である武士であっても利害調整能力がないと権力を維持出来なかったのです。
アメリカで大統領になるには、大統領選挙に勝ち進めば良いことであって,利害対立する双方を納得させる複雑な内政能力は全く必要がありません。
当選後は(行政執行は完備した行政庁の官僚が実際にやるので)大統領の主な仕事は対外戦争をするか否かを決めることというのですから、いつも戦争予定の敵がいないと大統領の仕事がない国です。
これを法的に見ておきましょう。
行政府の長としての権限は議会の決めた法律の執行でしかないので、言わば下請けでしかありません。
行政には一定の裁量の幅がありますが、その実務は官僚機構が実施するのとアメリカの場合,何でも裁判で決める社会ですから、行政の裁量権も狭いし,大統領が具体的に口出し出来ることが多くはありません。
日本では内閣の法案提出権が重要ですが,アメリカ大統領にはこの権限が一切なく,(日本とは違って議員立法しか認められていません)議会に出席する権利さえありません。
大統領の年頭教書演説が有名ですが、議会からの招待があって初めて行なえるだけです。
大統領が議会に何かを命じたり議案を出せることではなく,言わば「今年の抱負をみんなの前で言っていいよ」というだけです。
戦争権限は憲法上は議会の決定事項ですが、戦争兵器の近代化が進んで議会で議論している暇がないので,大統領が専権で開始出来るようになっていました。
(核兵器発射ボタンを考えれば分るでしょう)
これがベトナム戦争など無制限に戦争が広がったことに対する反発から,戦争権限法が相次いで制定されて1014年2月8日現在のウイキペデイアによれば,以下のとおりとなっています。

1973年戦争権限法(War Powers Resolution)[編集]
1973年に成立した両院合同決議であり、アメリカ大統領の指揮権に制約を課すものである。この法律はニクソン大統領の拒否権を覆して(両院の三分の二以上の賛成による再可決)により成立した。
事前の議会への説明の努力、事後48時間以内の議会への報告の義務、60日以内の議会からの承認の必要などを定めている

対外能力と内政能力3(御三家の資質差)

家康の多くの子孫・・越前宰相家など・内政能力不足で次々と失脚しているのに比べて、最も複雑系に優れた頼宣(彼は何と10男です)を、戦略上重要な紀伊半島の初代領主にしたのかも知れません。
紀伊半島は一朝コトあるときには、いつも反政府ゲリラの根拠地になって来た難しい場所でした。
古くは壬申の乱の大海人皇子が根拠地にしたことに始まり、中世には南朝の根拠地、真田幸村父子のよった九度山など(幕末には十津川を中心に天誅組が蜂起しました)しかも京都に近いし、ココを占領されると本州が二分されるので戦略上重要な地域でした。
アメリカ軍も本土上陸作戦として南紀・潮岬からの上陸ルートを策定していたと記憶しています。
紀伊家に対して尾張65万石は濃尾平野中心で,言わば単純経済構造で単純内政が可能ですから,単純な主張で突き進むには勢いが良いのですが、紀伊徳川家のようにクジラ漁もなければ林業もないし、伊勢湾の漁業も関係がありません。
紀伊家では徳川期にみかんに始まって南高梅で知られる梅の銘柄や備長炭やクジラ漁その他かなりの特産品/新産業を生み出しています。
金山寺ミソに始まる醤油醸造も紀州発で全国に広まりました。
現在のキッコーマンや銚子周辺の醤油工場は紀州からの移住で発展したものです。
関東に進出した醤油製造は大規模化して行きましたので,その延長で世界企業になっていますが、今でも紀州本場に残っている醤油製造は古来からの製法を守って高級料亭などに卸してると言われます。
九十九里浜の底引き網漁も紀州からの技術導入でした。
江戸時代に日本全国の農業や木綿や果樹園芸等の生産性向上に大きく寄与したホシカも紀州から来た豪族が開発した銚子漁港を根拠地にしたイワシ漁の成果によるものです。
明治以降で見ても現在に連なる三越(三井グループ)や松坂屋,イオングループは全て紀伊徳川家領域であった伊勢の出身ですし,真珠養殖で日本の有力産業にしたのも伊勢の人です。
一般には何故か紀州家と言われていますが、紀伊徳川家は伊勢の国のかなりの部分を領地にしていたので紀伊家と言うべきでしょう。
尾張徳川家では単調な領土のために内部調整訓練が少なかったことから複雑系人材が育たなかったことが、内部利害調整能力を必要としてた将軍継嗣争いに敗れた原因ではないかと思われます。
(信長,秀吉も単なる個性の問題ではなく,この環境から逃れられませんでした)
吉宗は将軍就任後現在に連なる官僚制の基礎を作り、判例集の整備を行なうなど内政・・利害調整に力を注いだことは偶然ではありません。
判例集・・公事方御定書については、12/16/03「公事方御定書1(刑法4)(江戸時代の裁判機構1)」以下02/17/04「罪刑法定主義と公事方御定書7(知らしむべからず)」〜10/03/06「公事方御定書の刑罰8(追放刑はどうなったか)」まで飛び飛びに連載しました。
判例に従って政治をするということは、一種の法治国家思想が彼によって宣言されたことなります。
尾張徳川家はずっと冷や飯食い・・野党的存在に徹して何かと楯突くことしか出来ないまま徳川時代をに過ごして来て、幕末徳川家が賊軍になってから漸く出番が来て反徳川=単純な勤王論の結果,官軍の征討総督代理か何かの重職についています。
しかし、(江戸城無血開城は西郷隆盛が決めたように)格式が高いから薩長に担がれていただけで,維新がなってからの明治政府〜現在まで人材が出ていません。
御三家の盛衰を見ると水戸家は家業とも言える勤王思想の中核でしたが、幕末に慶喜を将軍に出してしまったことから賊軍の将の実家として明治政府から見れば優遇する訳に行かない冷遇状態に置かれてしまいました。
勤王思想の震源地であり,桜田門外の変から始まって天狗党など維新の地殻変動・起爆剤として最大の功労のある水戸家が棄てコマにされてしまったことになります。
長い間の内紛等で人材が枯渇したとも言えますが、濃尾平野同様に単純経済構造であることから,(300年間に水戸偕楽園に梅林を作ったくらいが自慢では・・)人材層が薄かったのではないかとも言えます。
御三家では水戸と尾張が冷遇されて来た反発から野党的抵抗勢力・批判勢力の中核になっていたに過ぎず、イザ勤王の時代が来ると人材が薄かったので重きをなすことが出来なかったのです。
最後の将軍慶喜は一橋家に養子に入りましたので,形式上は紀州家の係累になりますが実家は水戸家出身です。
慶喜自身有能ではあったでしょうが、利害調整能力が低かったこと・・人望がなかったことが、大政奉還で主導権を握るつもりが逆に小御所会議でのクーデーターに連なったと見るべきでしょう。
現在連載中のアメリカの指導力低下と人材のテーマと重なりますが、慶喜は山内容堂の献策を入れて大政奉還しても自分が諸候会議で主導権を握れると思っていたのです。
彼の交渉能力は幕府の大権をバックにしていたに過ぎず、大権を返上して諸候中の有力者程度に格下げになると,モロに個人人格・交渉能力次第になってしまいました。
権力のゲタを履かない本来の政治交渉能力欠如が諸候の人望を失って行った結果があって,小御所会議でのクーデター(幕府領地返上命令決定)に繋がったと見るべきです。
俊秀と言われ利害調整能力の低い(幕閣内でも人望がなかった)慶喜が将軍職を継いだことが、徳川政権滅亡を早めたことになります。
民主党は高学歴者が多いのですが、政権を取ってみると利害調整能力欠如が致命傷になったのと同じです。
尾張と水戸の人材の薄さは地域の産業構造にあったと見るべきです。
紀伊家は直前に将軍家茂を出しましたから、まさか江戸城攻撃の官軍の総大将にはなれませんでしたが、賊軍になるのを免れて言わばうまく動乱期の危機を切り抜けました。
明治に入って紀伊家からは 陸 奥 宗 光(1844~1897のような外交巧者が出ているのは、偶然ではないでしょう。
日本では古代から(大和朝廷の始まりから,諸豪族の連合体であったというのが私の推測です)平安期も朝議は合議で行なわれて来たことを何回も書いて来ましたし、戦時を除いて安定期には・・ボトムアップ社会ですから、利害調整能力が最重視されてきました。
(戦時でも,長篠合戦直前の織田徳川連合軍で信長が主催した軍議が有名なように、政権創業期の対外能力の有無が価値観の基準になっていた軍事作戦決定のときでさえ、諸将合議で決める習わしでした)

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