あいちトリエンナーレ不自由展に関する専門家意見と民意乖離4(表現の自由市場論13と世論軽視論の矛盾5)

左翼系でも一定の論理思考できる人は、「政治主張を公的補助して良いか」の議論になると結論が見えていて不利だから感情論や表現の自由を守れ式の抽象論だけいう人に発言を委ねて知らんプりしているのでしょうか?
こういう視点で見ると東大名誉教授が歴史修正主義者と言うレッテル貼りで得意になっているとは?どういう専門の教授か?と思ってウイキペデイアで経歴を見ると会計学専攻で、政治や法の専門でない人が東大名誉教授の肩書きで政治発言していることがわかります。
どういう専門家かをウィキペデイアで見ると以下の通りです。

醍醐 聰(だいご さとし、1946年 – )は、日本の会計学者。専門分野は財務会計
研究テーマ[編集]
金融機関や公共部門における会計基準・会計情報の役割に関する研究。
NTTの接続料等を扱う総務省情報通信審議会の「新たな料金制度の運用等の在り方に関する研究会」座長代理を務めたが、2003年1月の任期切れのさいに、慣例に反して委員に再任されなかった

会計の専門家という以外に情報がありませんが、専門と関係ない分野での意見のようですから、東大名誉教授の肩書きが邪魔している感じです。
だれが政治発言してもいいのですが、申入書発行などの行動するようになっていると影響力が違います。
この後で表現の自由・・自己実現のためにどこかに勝手に投稿したり、同好の士が集まりどこかの部屋を借り切って奇抜な格好を競うのは自由勝手ですが、一般人に同調を求める・・積極的表現の自由の行使になるとその影響力というか相手の立場も必要です。
日露開戦論を煽り、講和会議反対の音頭を取った帝大7博士の代表的人物・戸水寛人氏の経歴を見ると、西欧留学(3〜4年かな?)でラテン語を習得した特技(草分け)でローマ法の権威?として帝大教授になった人材で世間(実務)を何も知らないのに、帝大教授という肩書きで意見発表して世間を煽った始まりを想起します。
抽象論中心の人らに限って学会や芸術界の自主判断だと専門性を強調する傾向が強いのでしょう。
彼らは民意が・・・というのが常套文句ですが、一方で自由市場の評価や選挙結果を認めたくないようです。
表現の自由市場論がいろんな学者の共通主張ですが、一方で「審査員に委ねろ!」と、民意など問題にしないスタンスにこだわる点も共通です。
不自由展擁護論者は前提として国民が慰安婦=性奴隷論を支持しているという思い込みがある人が含まれているようです。
国民多くが慰安婦像や昭和天皇の拡大写真らしき造形作品を焼いて踏みにじる行為を見られないのが不自由と言うのでしょうか?
検閲がないので公費を使わなければ、どこで展示しようと販売しようと勝手で何の不自由もありません。
客の方も欲しいならば絵画や雑誌が売れているように相応の対価を払って観たり、買えば良いことです。
これが自由市場論ではないでしょうか?
彼のいう不自由とは、そうではなく、そのような表現したいのに表現するとパッシングを受けるのが不自由というようです。
表現の自由とは自己実現の自由であるという憲法学者の意見をだいぶ前に紹介したことがありますが、自己実現の自由とはいっても国家が検閲し処罰しないだけのことであって、相手の立場を無視して言いたいことをそのまま言えば・・それに対して不快に思う人の不興を買う・・自己責任を取る覚悟がいるでしょう。
天皇の写真模造品?を燃やしたいからと燃やすのは、火事の危険ない限り自由ですが、他人に見られるとその集落で変人と思われるのが不利か有利と思うかは別の問題です。
都会の方が他人に関心を持たないので奇抜な洋服を着る自由があるとよく言われますが、他人に見てほしい欲求があるから奇抜な格好をするのであって、都会の場合でも自宅周辺(自宅から駅までの限定空間)で「あそこのお嬢さんは・」と噂されるのが嫌だが、電車に乗り原宿に着くと匿名性があり格好いいと思う・・空間移動の差を言っているだけでしょう。
ゲイのクラブに限らず、いろんな同好の士が特定の趣味のクラブに集うのもその格好で街中を歩いたり勤務先にはいけないが、特定グループ間ではより格好いい極端な格好を競って自慢しあうのもその仲間です。
40年ほど前に弁護士同期の飲み会後の二次会で行った先が変わっていて、軍歌ばかりのカラオケバーでそのうち、友人らが旧日本軍軍服や軍帽子を被って歩きながら歌いまくるのに驚いたことがあります。
さすが、天下の銀座ですのでいろんな店があるものです。
今になるとどの辺の地下に入ったか全く記憶していませんが、その店に誘ってくれた友人はすでに故人になりました。
見ると軍服や鉄兜や銃のようなものがいっぱい置いてあって、自由に着込んだりして遊ぶ仕組みでした。
居合わせたクラスメートの話では、彼は右翼ケイにハマっているとのことでした。
このように誰かに自慢したいが軍服などを着て街を歩く勇気がない人もいます。

あいちトリエンナーレ不自由展に関する専門家意見と民意乖離3
  (表現の自由市場論12と世論軽視論の矛盾4)

日米共に大手メデイア情報が実態に合っていない(意図的虚偽情報流布が混じっても誰も暴けない・・個別虚偽性を国内で暴くだけでも大変なエネルギーが必要です。
まして世界に拡大してしまった虚偽情報を覆すことはほとんどできない・国内世論の力で朝日の虚偽報道暴露に成功してもアメリカまで出かけて行ってニューヨークタイムズなどを暴くほどの運動力を日本は持っていません。
これを利用して左翼系は国際社会では「性奴隷説が通説だ」のに日本国内では本当のことが言えない→言論不自由な國と新たな日本批判道具に今でも使っている事実がこれを如実に物語っています。
国内選挙でしか証明できないということでしたが、トランプ氏当選によって、アメリカでも大手メデイアの信用が崩れたのは、日本とって画期的なことでした。
大手メデイア一致の談合情報が、選挙結果を左右する影響力を持っていた時代には、この不一致、あるいは仕組んだ虚偽報道を谷那ですら誰も証明できなかったことになります。
慰安婦騒動の時に「日本は手遅れだ、既に国際常識になってしまったので国際常識を否定する日本の図式になっている」というが韓国側の勝利確信の主張スタイルでした。
これを覆したのが安倍政権の日米友好確立政策で、その効果が出て戦時中資料を管理している米国が、国家的調査を行った結果「軍の強制を示す証拠は何も発見できなかった」という声明を出すに至ったのです。
これで参ってしまった韓国政府が日韓合意するしかなくなった経緯です。
証拠もないのに多くのメデイアが一定方向へ「いくら大量報道しても嘘は嘘」と言う日本にとって決勝点ですが、それでも国際メデイア界では根拠ない報道を訂正せずにそのままです。
日本はアメリカの大手メデイアを叩くほどの力を持っていないから米国大手メデイアは甘く見ているし、左翼系運動家や日本メデイアが「国外では・・・」という偏頗な意見を持ち込む誘惑に駆られるのでしょう。
これが、ナチスドイツのゲッペルス宣伝相の発案でしょうか?
16年米国大統領選挙ではトランプ氏優勢を前もって伝えていた・大手メデイアの報道と現地熱気は違うというのが個人的ネット情報でしたので、俄然その人の発言力・ネット視聴者が増えました。
日本でトランプ人気が高いのは、メデイアの横暴を暴く点に共感する人が多いからではないでしょうか?
ある報道機関が報じた虚偽報道をキャッチボールしているだけの大手メデイアより個人的にその国に足を運び小まめに情報発信するユーチューバーの影響力が高まってきました。
ユーチューバーは一定分野の専門知識・経験を持つ人が多く、ひとりあるいは小人数体制ですが、その代わり一点特化情報ですので焦点を絞って掘り下げた独自視点での調査報道できる優位点があります。
多くの人のチェックが入らないので個々人の偏りがありますが、それを前提に読み、聞き、見れば良いことです。
大手の場合、総花的情報が必要なために人員配置も総花的になり、専門家が少なく結果的に2次〜3次〜4次情報中心になるのとの違いです。
ニッポン保守支持層ではオバマ政権の初期冷淡(反日)対応に対する印象が強く残っている関係で今だにオバマ・ヒラリー政権〜民主党政権に対する反感が残っている点は左翼系がいまだに歴史修正主義者とレッテル貼りさえすれば済むと思っているのと似たような状況です。
民主党政権になれば「再び反日親中」になるとは限らないでしょうが、メデイア親和性の高さが日本にとっての注意点です。
日本人は長年列島内で融合してきたので、嘘は長い間にはバレるので焦る必要がない・いつか正しいほうが勝つという生き方ですし、その結果を知っているのでおいそれと嘘っぽい話に同調するとリスクが高いと用心するのが普通ですが、世界相手ではそうも行きません。
その場のウソでもその時に相手を蹴落とせれば(一族皆殺しになるので)相手は二度と浮上してこないので10年後ウソがバレてもどうってことがないという歴史経験で生きてき民族が世界では多いのです。
風水害対策同様に虚偽情報対策も必要な時代です。
不自由展擁護論・歴史修正主義者論に戻ります。
左翼系運動家は何か反対する場合に法案の内容に具体的に触れずに「安倍政権による〇〇は許さない」とか「近代法の法理違反」「平和憲法違反」などいうのが普通のスローガンでしたが、今回も「歴史修正主義者」とか検閲そのものではないと言いながらも憲「法の精神」を持ち出す憲法論や表現の自由を守れとか、抽象論がほとんどです。
今回のテーマである公費補助のあり方を具体的に論じない人の意見ばかりが紹介されている様子が見えます。
米国基準の安倍政権=歴史修正主義者のレッテル貼りが成功し、安倍政権発足当初米国報道界評価→米政界での安倍政権評価を下げるこのに成功したので、今もそのレッテル貼りが通用すると思っている人らが歴史学会でのさばっているとは・驚くばかりですが・名称が日本史研究会というのでなお驚きです。
メデイアの世界では、一見プロらしい団体を作りその肩書きで?スローガンに毛の生えたような意見?具体的議論をする能力のない人の発言力が強そうです。
だれでも研究会を名乗ればそうなるのでしょうが・・。
まだシリーズ途中ですが、シールズの奥田愛基氏が次々と新組織を立ち上げて行った手法もその一種でしょうか?

あいちトリエンナーレ不自由展に関する専門家意見と民意乖離2
  (表現の自由市場論11と世論軽視論の矛盾3)

ウイキペデイア引用続きです。

あいちトリエンナーレでも芸術監督の津田大介が『平和の少女像』を「日本政府の歴史認識を超えた歴史観を僕たちに押しつけるものではなく、そのような過去を反省し、未来に向けて立派に生きていくことを誓った僕たち日本人を貶めるものではないと考えます」として展示を決定し[96。
解説を担当した岡本有佳は「(日本国内で朝鮮半島に対する)植民地支配に向き合おうとする人たちに希望をつないでほしい」と述べ[52]、英語の解説は慰安婦問題日韓合意で使用が禁じられた「性奴隷(victims of the Japanese military sexual slavery)」という単語[97] を用いて行われた[98]

以上によれば慰安婦=性奴隷か否かについて日韓で激しく争っている政治テーマについて韓国の政治立場主張のための展示であることは明らかです。
野党やメデイア系の多くは安倍政権が悪いのであって国民は慰安婦=性奴隷論に怒っていないと言うスタンスが前提でしょうか?
ウイキペデイアには、米国は戦後永続的日本支配道具にしていたに過ぎない歴史修正主義者非難論に便乗した「歴史修正主義者」と言う古色蒼然たる?批判論も紹介されていますが、このレッテル貼りさえすればメデイア界で抹殺できる古びた手法が大学名誉教授によって主張されています。
擁護論の一つですのでまとめて後に引用するつもりでしたが、ここで書いておきたいので抜き出して一部紹介します。

荻野富士夫小樽商科大学名誉教授や醍醐聰東京大学名誉教授らが加わって「歴史修正主義とのたたかいでもある」と決起した[119]。また、日本史研究会も2019年度の大会で「歴史の学術研究の成果を無視し、隣国への差別意識を助長する歴史修正主義及び排外主義に反対するとともに、昨今の事態に深い憂慮を表明し、表現・言論・学問の自由の重要性を強く社会に訴えるものである。」と声明を発表した[120]。

歴史修正主義者論のレッテル貼りは、米国の日米戦争ひいては原爆投下の正当化論であり、敗者日本の反論を許さないために行われてきた自由な言論禁止道具です。
米国にとって、日米戦争は悪の帝国日本対正義の国米国の戦いであった図式に対する挑戦を許さない基本方針があり、この現実的表現が歴史修正主義者と言うレッテル貼りでした。
欧米諸国ではナチスの研究すら許されれない・・刑事罰があると言われています。
革新系は本来旧中ソ陣営と敵対する総本山・米国を天敵視しているのですが、さしあたり保守系政治家が米国とうまく行かない方が良いに決まっているので、米国の基本方針を利用して靖国神社参拝=戦犯・極東軍事裁判の正当性を認めないかの踏み絵を迫る→「この人らは歴史修正主義者です」と米国に事実上通報する機能を果たしてきました。
日本政府と(安倍政権)米国関係を離間する策を当面の基本方針とし、米国メデイアに対して米国が最も嫌い警戒する方向性・・日米戦の日本正当化論・歴史修正主義者であるという刷り込みを行っていたのです。
数日前に紹介した革新系が得意とする中国古来から得意とする讒諂面諛の工作活動でした。
メデイア界を牛耳っている中韓系勢力が米国にご注進に及ぶ工作はまんまと成功し、安倍政権発足直後には、反日的下院決議・・根拠のない慰安婦決議など連発していましたが、安倍氏との直接対話が進むに連れてオバマ政権も軌道修正するようになり、ヒラリー氏も中国批判に転じていました。
このようにメデイアの振り付けどおりにならない状態・・広島訪問など日米親密化が進んでいた現実変化・・今更歴史修正主義者のレッテルさえ貼れば終わる時代ではなくなっているのをまだ認めていない学者がいるようです。
外国政府はメデイア報道に頼る面が強い・・各国東京特派員・・多くても4〜5名程度の派遣では(外国人記者クラブでの表向き発表を聞く程度・・政治分野でも総理番、〇〇番などマンツーマンで特定政治家に張り付いて情報収集
する番記者もいないし、企業その他の幅広い独自情報網がない・・結果、総合的な情報分析能力がないので、日本大手メデイアの総合判断のまとめをもらって本国報告するシステムになっている関係は仕方ないところです。
この実態を知っているのにこれを捨象して慰安婦報道に関する朝日新聞の検証委員会が諸外国で朝日新聞の引用が少ない・諸外国独自情報であるという形式論で朝日の主張が海外伝播力が少ないという結論を出したのは、朝日の責任回避目的の内部検証委員会の限界であるとこのコラムで書きました。
また諸外国も現地報道会の共通認識をまとめて本国で報道しているにすぎないにも関わらず、形式上は自社独自情報で報道しているので朝日新聞が訂正しても過去の自社報道の訂正必要がないという姿勢完徹ですので、公式見解・・国際認識としては性奴隷説がそのままのようです。
日本も朝日その他有力紙がニューヨークタイムズなど大手と社員相互交換で駐在させていると言われ、米国外国情報は諸外国大手メデイアの受け売りが入り、それの米国本社チェック部門に日本関連では・日本の情報に通じた米国人社員が担当するが、日本から派遣社員がそのスタッフに入るスタイルが基本です。
米国人からすれば聞きなれない政治家の名前や大学名が出ても日本人ならば、どの派閥の中堅議員で親はこういう人とか、マイナー大学だがこういう特色がるとかの解説がすぐできるのでお互い重宝です・・。
同様の慣行でNHKの場合、中国系報道は新華社派遣社員の目を通してもらう慣行・事実上中国新華社の検閲になっていると右翼系は非難しています。
このような大手メデイア同士の上滑りの情報が世界を駆け巡る仕組みの欠点(馴れ合い体質)が明白化した・マスメデイア情報は全く当てにならないことを世界に示したのが・・トランプ氏の想定外当選でした。

あいちトリエンナーレ不自由展に関する専門家意見と国民意思乖離1(表現の自由市場論11と世論軽視論の矛盾2)

最近では選挙の都度大手メデイアの事前世論調査と大きな乖離が起きる・しかもいつも一方向の外れである(連日のキャンペインに呼応する世論調査結果と結果が違う)点が、余計信用を落としたように見えます。
世論調査してからキャンペインを張るものではなく、この点を掘り下げれば国民の多くが反応する読みで系統的取材を先行させるものでしょうから、大手メデイアがこのテーマで攻めれば・・と誘導したい方向性が民意(そんなことは国会で議論する問題ではないという意識)とズレていることがはっきりしてきたのではないでしょうか?
もともと大手メデイアの関心が偏っていても、ネットのない時代には誰も声を挙げられないので一人相撲でもなんとか体面を保てていたのではないでしょうか。
民意を無視するな!の大合唱ですが、その前提になる民意をメデイアが決める権利があるかのような宣伝です。
選挙結果を見ればどういう根拠で国民多数が秘密保護法やいわゆる安保法案に反対していると言えるのか不明のまま扇動していたことになります。
放送に関しては電波法で中立を求められていますが、反対派デモがあった事実報道であれば良いことになり賛成派のデモがない限り賛成派の主張は事実上報道されない一方的な関係です。
韓国は日本のメデイア動向が日本世論と誤解する傾向が強い・・中韓では日本メデイア界への影響力浸透に精出して、出来レース的世論をつくるので却って、日本世論を読み違える傾向があるように思われます。
韓国では大手メデイア誘導のままに民意が動く社会なのでしょうか。
大手メデイアが発表すると支配的意見になる→メデイアさえ支配すれば民は意のままという図式を見ると、韓国系芸能人のアルバム等では、「いいね!」の数を稼ぐために機械的に膨大な「いいね」を稼ぐ仕組みを利用しているので信用できないと言われるようになって久しいですが、あるいは、国際的な数学や知能テストなどがあるとその問題集を練習させて受験させるとも言われています。
共産圏で国策のためにオリンピック選手だけ特殊英才教育していたなどのマネでしょう。
こういう国では国際統一テストが上位になっていても、国民平均レベルの基準にはなりません。
民意もマスメデイアさえ押さえれば済むというあんちょこな発想になっているから、朝日新聞等の意見が日本世論と誤解してしまい、日本人の怒りが理解できないのではないでしょうか?
あいちトリエンナーレ「不自由展」騒動に対する専門家?主張と国民意思の関連を見ておきます。
以下平均的紹介記事と思われるウイキペデイアの8月22日現在の記事を紹介しながら逐次私の意見を書いて行きます。
ウイキペデイアでは公平に編集しているつもりでしょうが、あれだけ不満が渦巻いているのにまともな批判意見は産経の主張だけで、あとは批判「的」であるものの基本は擁護意見(表現の自由を重視した上で、説明不足とか運営ミスをいう程度です。)あり、その他膨大な引用記事は擁護論や批判に対する批判で埋め尽くされています。
ウイキペデイア引用始めます。

展示までの経緯
2012年、日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会が東京都美術館で開催した「第18回JAALA国際交流展」に『平和の少女像』のミニチュアが出展されたが、東京都美術館から「(政治的表現物であるため美術館の)運営要綱に抵触する」として撤去された。その経緯から「主催者の抗議にもかかわらずいつの間にか展示会場から消えた少女像は、日本の歴史認識と表現をめぐる『不自由な状況』を暴露するもの」(韓国美術研究家の古川美佳)として、2015年の「表現の不自由展」に『平和の少女像』の複製が展示物として採用された[95]

上記経緯を見ると、東京都のように特定政治主張が強い展示は行政の中立性の要請から会場使用許可しない基準があったので、それに抵触する展示ができなかったという経緯のようですが、愛知県の場合具体的使用基準がなかったからフリーパスになったのでしょうか。
具体的基準明記ない自治体でも中立性の要請から露骨な政敵批判集会利用許可しないのが原則的運用・暗黙の価値基準だったのではないでしょうか?
仮にそのような許可すれば、逆に一方勢力肩入れの違法の疑いさえ起きそうですから、東京都で条件付き許可になった団体が憲法違反訴訟や政治運動を起こしたというニュースをみかけません。
発表禁止ではなく公共施設を低価格で利用させたり補助金を出さないと言う消極姿勢にすぎず、左右どちらの勢力にも・ともかく積極的政治主張のための展示には許可しないのであれば公平です。
発表禁止と補助金交付や施設利用不許可は同じではありませんが、以下の議論を見て行くと優遇基準該当性チェックと事前検閲と同視したいようなすり替え議論・・・再軍備=戦争国家という飛躍論法と同じ手法が多い印象です。

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