サイレントマジョリティ17(投票率6)

各種売れに売れている大ヒット商品についても、大ヒットテレビ放送等でも国民の過半数が視聴したり買っていることは滅多にありません。
映画も野球もベストセラーも全て国民の過半数が見に行ったり買ったりしないと、国民がその映画や本が嫌われている・・失敗作とは言わないでしょう・・国民の一割でも見たり、買ったりすれば大成功ではないでしょうか?
特定のチョコレートを国民の1割も買うようになればヒットどころかホームランです。
国民の9割が否定しているのではなく、何万と言う似たような商品がそれぞれ0、00何%しか支持されていないのに対して、その商品だけが10%もの人から支持されていると言う見方をするのが普通です。
ある店で作ったお菓子が10個しか売れないのに、別の店で作ったお菓子が100個売れれば、多く売れた方が成功していると評価出来る・・人口比何%しか買っていないかではなく、比較多数に価値基準をおくのが人類共通の基準です。
上智大学教養学部教授中野晃一氏(政治学)の意見では、政党別の得票率を言うだけであって個々の候補者の得票率は有権者の半分以下でも良いんだと言うのかも知れません。
しかし、政党は選挙区で当選した・信任を受けた代議士の集合体として国政に影響力を持っているのであって、政党と言う抽象的なものは、制度上直接(比例代表制によって顔を出している程度ですし、これも個々の代議士の小選挙区での得票率・・惜敗率によることになっています。)予定されていません。
また政党別得票率と言われているものも、多分各選挙区の得票合計=各候補者の得票数によっている筈です。
政党の力は、個々の代議士が選挙区で国民の信任をどれだけ受けているかの集積ですから、選挙制度論は、個々の代議士の当落に関係させる議論でないと意味がありません。
あるいは政権批判しているだけで、野党の得票の場合には、こんなに批判票があったと、得票数だけを取り出すのが正しいとすれば、御都合主義過ぎてこれもおかしな議論です。
安保法制反対デモでは、人口一億数千万のうち(主催者発表で)数万人も参加したと大いばりですが・・・。
この学者の意見だとデモに参加しないその他国民全員が、安保法制反対運動を支持していないことになるのでしょうか?
投票率に話を戻しますと、選挙の都度、有権者の過半数を得た場合だけが信任されている→当選とした場合、昨日紹介したように石原氏でさえ僅か3割の得票率にしかなりませんので、適格者が全国でゼロ名〜7〜8名しかいない可能性が大ですが、そうすると日本全国殆どの選挙区では地元選出代議士がいない状態になります。
それでは困るので共倒れ防止のために選挙前の談合がはやって、実際には各選挙区では一人しか立候補しないようになるのでしょうか?
事実上の絞り込みの結果、選挙が事実上なくなって地方ボスの話し合いで村長さんを選んでいた時代に逆戻りになりそうです。
実際に千葉県弁護士会は未だにそう言う状態で、選挙らしい選挙したことがないことをこのシリーズで紹介しました。
気心の知れた少人数組織でしかも元々政治的な意見対立課題がない・・日常的同業組合的事務処理が中心だった時代・・例えば総称手続運営についての裁判所や検察庁との話し合いなどでは、プロの委員会主導で検討して、会長そのとおり発言して行けば良い・・適当な年功でなって行く・・言わば政治的立場は誰でも良かった・・日教組との政治対立のないときの小中学校の校長先生が名誉職だったのと同じです。
現在のように弁護士会が政治意見をしょっ中発表し行動するようになって来ると、(従来型お任せ意識の会員にとっては話が違うじゃん・・潜在的な会内意見対立・・)不満が蓄積して行きます。
運動体的な各種委員会はこの動きを早めに制して、従来名誉職的地域代表だった常議員会に委員会推薦立候補をさせるようになって来ていることを以前のコラムで書きました。
この結果「政治運動まで任せていないよ!」と不満が出るようになると、直ちに「正当な会内手続を踏んでいる」と言う反論が出て来ます。
こう言う正当化論が中国の全人代(地方から順次上がって来た民主的意見によって運営していると言う独裁正当化論)が民主的であると言う論理の基礎です。
弁護士会の場合、一人しか立候補しないと選挙すら実施しないのですが、立候補者が一人の場合こそ、信任・不信任の投票をしたら本当にみんなの意思で候補を絞ったのかの判定が明らかとなります。
公職選挙法の場合はどうなるのでしょうか?
候補者を一人に絞っても選挙・・信任投票を実施するとした場合、有権者の5割以上の投票率がないとこの理屈では不信任になります。
22日に紹介した上智大学教授の意見はこの段階を言うのかも知れません。
この場合でも棄権者を不信任に数えるといつまでも決まりせんから、(競争相手のない選挙・・信任だけの投票になると投票率が5割を超えるのは難しいでしょう)信任・不信任のどちらかの投票が出来るようにしておいて、有効投票の比較多数だけで決めるのが現実的でしょう。
結局棄権者を不信任と評価する考えはこの段階で破綻します。

サイレントマジョリティ16(投票率5)

棄権者の心理を、信任・不信任に区分して議論する不毛さは、棄権者を不信任に数える場合の現実弊害を考えればすぐに分ることです。
戦後ずうっと中選挙区(2人区)ないし大選挙区(3〜5〜6人区)でしたから、投票者の過半数獲得者でさえ、滅多になかったし、ましてや選挙区全有権者の過半数獲得などは夢物語の世界です。
過去の中選挙区制や、現在の比例代表制の場合、これらの制度自体が選挙区の有権者の過半数の得票を得た候補者のみが当選者とすることを予定していません。
政党単位で見ても与野党が併存する仕組み・・民主制の基本ですが、これ自体が過半数支持を得ていない政党の存在を前提にしています。
過半数支持を得た代議士しか存在出来ない前提の議論は・・これを政党段階に押し進めると・・中野教授の意見では全有権者の5割以上の支持を得ていないと何も決められないことになるので、結果的には一党独裁制・・中国等の政体を理想・前提にした議論になります。
左翼系学者派はこれが好きなことは繰り返し書いて行きました。
日本の中〜大選挙区制は、1つの地域では、Aの政治姿勢に対する支持者が4割で、Bの支持者が3割、Cの支持者が2割その他・・諸派の場合、Aだけが地域の声を代表するのではなく、地域少数意見もその比率で中央に出て行って意思表示出来ると言う意味で優れた制度です。
我が国古代から八百万の神・・多神教世界の合議制社会・・多様な声を吸い上げる伝統に則った優れた制度だったと思われます。
豊かな社会とは売れ筋商品しかおいていない画一社会よりは、100〜200人に一人しか買わないような特殊な商品(サービス)も提供されている社会ではないでしょうか?
思想の自由も同様で過半数支持を受けた思想の代表しか存在出来ないような社会では、思想の自由が事実上抑制されてしまいます。
多数説一色しかないよりは、百家争鳴状態の方が思想の自由があるのです。
上智大学教養学部教授中野晃一氏(政治学)の意見が、仮に棄権者全員が不信任者であるとした場合、(同人の論文を直接読んでいない・・・・参加者の報告だけなので正確には分っていません・・何回も書いているようにこのコラムは専門誌ではなく、自宅でちょっとした時間に思いつきで書いているコラムですから、それ以上調査する気持ちはありません) 戦後何十年も行なって来た中〜大選挙区制や、現行比例代表制度を国民主権の理念に反している・・・実質憲法違反だと言うのでしょうか?
過半数を得ていない少数者も当選する比例代表制がある御陰で、少数政党=野党の存在が理論的に可能になっている現実を無視しています。
同教授の意見によれば、野党は皆無・・一党独裁性になるのが理念的に正しくなると思われれます。
現在の小選挙区制では、有権者の過半数の得票者だけ当選と言う場合も理論的には成立可能ですが、仮に7割の投票率の場合、投票者の7割の票を獲得しても有権者の49%でしかないので、過半数に足りません。
対立候補者・次点の2倍以上の票を獲得しても落選することになります。
この基準で当選出来た人が過去に何人いたか?と言うことです。
こんな非現実的制度が正しいことを前提とする意見?国民主権の理想に合致していて正しいと誰が考えるのでしょうか?
平成26年12月の総選挙に関する総務省のデータに入ると都道府県別有権者数が出ていますが、選挙区別有権者数が出ていませんので有名代議士の有権者に対する得票率を探せませんが、多分殆どの選挙区で有権者の過半数を得た人はいないのではないでしょうか?
石原元都知事のように選挙に強かった人でも、東京都有権者の過半数の得票を得ていたかとなると、疑問があるように思われます。
ウイキペデイアによると以下のとおりです。

2003年東京都知事選挙(2003ねんとうきょうとちじせんきょ)は、2003年(平成15年)4月13日に執行された東京都知事選挙。第15回統一地方選挙の一環で実施された。
選挙前から現職の石原慎太郎の圧勝が予想され、対立候補の擁立は難航した。
この都知事選では、事前に石原の圧勝が予想されていたためか、中松以外の常連泡沫候補は一様に出馬を見送り、候補者が乱立する東京都知事選挙では珍しい、少人数の争いであった。
投票率は44.94%で、前回1999年の57.87%を大きく下回った、当日の有権者数は988万4071人で投票総数は444万2195票となった[1]。
当選 1 ■石原慎太郎 無所属 現 3,087,190 70.21%

上記のとおり、圧勝の予想されていた石原氏は投票者の100%を獲得しても有権者の44、9%しか得票出来なかったことになります。
・・・実際の獲得票数は、3,087,190で得票率としては、70.21%でしたが、有権者に対する比率で言えば、44、9x70=約30%にしかなっていません。
中野教授やこの意見を有り難がっている特定グループの意見によれば、石原氏は都民の7割から不信任されていたのに都知事をやっていた・・違法な存在と言うコメントになるのでしょうか。
総務省が政党別得票率などデータ化しているのに、個々の候補者の有権者に対する獲得票率・・・選挙区別有権者数の数値をデータ化して公表していない・・上記都知事線に関するウイキペデイアでも有権者に対する得票率を出していないと言うことは、このデータ需要がない・・特定候補者の有権者に対する得票率について、多くの国民が全く価値を認めていないことが明らかです。

サイレントマジョリティ15(投票率4)

与党支持者がこれだけしかいないと言う意見を言うよりは、野党の得票がこれしかないと言う逆の見方も出来ますが、投票者心理の詳細調査が正確に出来ないと言う謙抑論が合理的・公平です。
投票心理の調査は客観性に欠ける点から、今の調査レベルでは、「与党寄り、あるいは野党寄り」の水掛け論・非難合戦になり兼ねません・・・・どちらの不信任と言う意見を言わない・・結局は得票結果だけで比較論評するのが公平です。
投票しない人の心理分析によって国論を決める意見によれば、結果的に投票者の表明した意見を無視するか、軽視する(投票しない多数の意見によるとなれば・・)方向に行くことになります。
結果的に権力者(日本ではマスコミ?)等が「国民心理がこれだ」と決めれば良いことになってしまい民主主義が崩壊します。
マスコミや文化人がしょっ中「国民意思に反している」と宣伝していて、これを既に実行しています。
この既成事実化している状況に対して、法律学者がお墨付きを与えようとしているのでしょうか?
本来のサイレントマジョリティ重視論は、反中韓暴動をしなくとも、黙って中韓へ旅行に行かない、製品を買わない・・集会等で面と向かって反対し難い人を重視する・・その意思をどうやって知るかと言えば、秘密投票や実際の購買行動・・市場の動き等によって見るべきと言うものであって、投票しない人を重視するのではなく逆から言えば投票結果重視論です。
投票しない人の意思を推測して自己判断を押し付ける論とは逆です。
この意味では、市場経済論は民主主義実現手段であり、一体的に必要な思想です。
デモや公聴会等で激しく言い募る人が集まって、投票に参加した人を軽視することになる棄権者=不信任論を聞いて感激しているのは、形を変えたサイレントマジョリティ軽視論ではないでしょうか?
日本国民は目に見えた反中国・反韓国暴動や不買運動をしませんが、最近韓流が絶滅状態で、サムソン製品であることを隠さないと売れないほどになっている中国韓国への旅行が激減しているのは、日本国民のサイレントマジョリテイーを表していると見るのが普通でしょう。
投票しない人を不信任票に数える10月21日に紹介した上智大学教養学部教授中野晃一氏(政治学)の論理によれば、仮に投票率が6割で投票した人の得票率8割の場合、投票数の得票率で数える現行制度では与党になりますが、有権者に対する得票率で言えば、48%の票しか得てないから不信任となります。
政党に対する直接投票制度はありませんから、政党得票率は各代議士個人が獲得した得票の集積です。
有権者の5割未満得票では・・各選挙区の候補者が不信任・当選出来ないとすれば、・・5割未満の得票率で当選した代議士が総理大臣選任に参加し、多数決で法律を作ることが憲法で定める民主主義に反しても無効だとなり、現実社会はどうなるでしょうか?
上智大学教養学部教授中野晃一氏(政治学)は「当選が無効」などと言っていないと言うことでしょうが、当選有効を認めるしかないとすれば、現実政治では現行制度である投票した票に対する得票数の多い人が当選する制度が妥当と認めることになります。
「ほんらいは不信任だが現実妥協のために当選者にしているだけ」と言う意味とすれば一貫しますが、上記のとおり、現行制度は棄権者の真意を誰も決めることが出来ないと言う自己抑制論によるとすれば、「本来は」不信任票だとは決めつけられない筈ですから、この意見は、自己抑制をしない・・「棄権者は全員政権反対者である」と言う自分の判断だけが正しい前提にした意見になります。
少人数の場合は別として一定組織規模以上になると、出席者の過半数や特別多数などで決めて行くのが世界中の組織決定基準になっています。
投票しない人を不信任・信任どちらに数えることも無理があると言う世界の常識が現行制度・・選挙制度に限らず株主総会や各種総会の決議要件になっているのではないでしょうか?

サイレントマジョリティ14(投票率3)

中韓の反日行動の激しさに対する嫌悪感が急速に高まったことが、これと言った派閥の支持もなくて当初ダークホースだった安倍氏を自民党総裁選挙で勝たせた原動力ですが、この辺を中国は理解出来ないのです。
民意に反した反動的安倍政権が中国に厳しくあたっていると誤解していていて、その延長上で「安倍政権は実際の支持率が低い」と言う宣伝になっているのですが、そういう発想は言論の自由のない・・民意反映手段のない中国人民には通用するでしょうが、日本に住んでいる左翼系が中国国内の宣伝をそのまま日本で受け売りしているのは滑稽ではないでしょうか?
文化大革命も大躍進政策も左翼系文化人やマスコミは中国政府宣伝どおりにいかに素晴らしいかを宣伝していました。
弁護士会の委員会の実情・・委員会既定方針に反対する人が参加し難い実態を前提にすると、この学者を招聘した委員会は、参加率こそがバロメーターだと納得していたとしてもおかしくありませんが・・。
この学者の意見を気に入ったらしくて講義内容の感想文?を会全員に配布しているのですが、この考え方が正しいと思うならば、自分の主催した勉強会に会員の何%参加したかを先ず発表したらどうでしょうか?
会費を使っているとすれば、その程度の義務があるように思います。
中韓は自分が人民に酷いことをして来た長い歴史を前提に、日本支配時代に日本が同じ残虐行為をしたに違いないと言う思い込み?・・またはそうしないと自国の歴史の正当化が出来ないことから、噓の歴史認識を強制して来ていると書いてきましたが、この学者は「お宅系集会」の性質を分析した基準で日本の投票参加しない人の意識に当てはめているのかも知れません。
ところで、積極的意思表示しない人の意味を考えてみると、弁護士会の委員会や署名活動に参加しない人の意見(・・積極的に求められて署名拒否しているのですから、支持していない可能性の高い分類)と自由投票出来る場合の棄権と同じに見るのは間違いではないでしょうか?
私に対してもいろんな人から署名要請がきていましたが、これを断る事自体勇気のいることです・・今では私の立場を理解しているらしく最近ではきませんが・・実際には匿名性がない状態です。
自由で匿名の投票が保障されている民主国家においては、投票に参加しない人の多くはその決定がどうなろうと自分はその場で決まった決定で良い・・お任せと言う人が参加しないのが原則です。
あるいは「自分が欠席しても結果は変わらないよね」と言う場合もあります。
投票に行かない人にもいろいろあります。
民主国家の選挙の場合、反対票投じたかったのに、よんどころない事情で行けなかった人もいるでしょうし、行楽や買い物に出掛ける場合・急病、急用・・子供野球の対抗試合の日と重なっている・結婚式や法事等で故郷に帰っているなどで行かない人がいますし、その人たちの心理には、何万票のうち自分の1票くらい大したことがないと思っている人が殆どではないでしょうか?
例えば、一方候補者の圧勝が予想されている場合、その支持者の方が行かなくなるリスクがあって、選挙戦の早い段階で当確予報が出ると自分への投票者が減ってしまうので、陣営が危ない危ない「・・後一息です」と訴えるのが一般的です。
公職選挙では、当落ギリギリの人が最後に追い上げてトップ当選することが珍しくなく、安全圏と思われると支持者が安心して行楽に出掛けてしまうので危機ラインになってしまうのが普通の投票行動です。
一般的に知られている上記選挙関係者の行動様式から言えることは、棄権者の多くが不信任を意味していないことが明らかです。
接戦であるかどうかも投票率を大きく左右するのであって、否定的意味の「棄権」(ボイコット)ではなく不参加の内容について実態に応じた緻密な調査をしないで、行かない人を全部批判・不信任票と言う前提の論理は乱暴過ぎます。
集団自衛権行使反対の意思を示すために積極的投票行動を呼びかけていた場合、野党得票数自体が、逆に反対派がかき集められる限界票を表しているのではないかと見る人もいるでしょう。

サイレントマジョリティ13(投票率2)

町内会で政治論を戦わすのは後の気まずさなどを考えると黙っている人でも、国政選挙になれば匿名性があるので自分の信ずるとろに従って投票出来ます。
立候補の許されない香港等の選挙での投票率低下は、不自由な選挙・・・・投票箱さえあれば民主主義政治と言い張る傲岸不遜な政治に対する抗議の意思が含められます。
自由に立候補出来る日本で、選挙民が天気がよければ行楽に行ってしまうのを不信任と言う意味・・同列に論じられるでしょうか?
鼓腹撃壌の故事にあるように、善良な市民にとっては行楽に出掛けていても政治は「大過がない」と信頼している・・行楽を取りやめて頑張らねばならないほどの現状変革を望む切迫感がない表れではないでしょうか?
共産党や公明党などの組織票は雨が降ろうがあまり投票率が変わらないので、悪天候や行楽日和で全体の投票率が下がると得票率がアップすると言われています。
10月21日に紹介した上智大學教授の講演によると、全有権者の5〜6割の投票率で全有権者の17%前後の支持で安倍政権が成立しているから政権は(集団自衛権解釈変更は)少数者の支持しか得ていない・・。
実質的には信任されていない・「選挙独裁」であると言う聞き慣れない言葉を使って民主主義の危機であるかのような印象の講演をしたようです。
後援会テーマの題名から見ると、昨年夏の集団自衛権解釈変更はその後に行なわれた昨年の総選挙で支持された訳ではないと言いたいのでしょう。
講演会〜勉強会は主宰者の意見に合う意見の人が呼ばれることが多いので、主催者がこのような意見を期待して招聘したと見るのが普通です。
この論法によれば、デモ等に会員の何割しか参加していない弁護士会の各種活動は、どう言うことになるの?と言う疑問が出て来ます。
弁護士会やこう言う集会に会員の何割参加しているかの出席数の発表がありませんが、もしも会員過半数の参加がなかった場合、参加しているグループ自体が、会員の信任を得ないことを自覚して行動している論法になりませんか?
地方選や国政選挙の投票に行かない人を、この学者は実質独裁国家かの選挙並みに不信任にカウントして日本の選挙による政治を「選挙独裁」と定義しているようですが、そんなことって正しいの?と言う疑問に答えることが先決でしょう。
ちょうど統一地方選の投票率低下問題がマスコミで大きく報道されていましたので、この機会に考えて行きましょう。
(この辺は今春の選挙の頃に書いていた原稿が基礎です)
マスコミも中野教授同様に、投票率低下で信任率が下がっていることを前提にした議論誘導「国民多数の意思に反した・・・」とかが基本です。
中国支配下の香港のように中国政府の推薦した人しか立候補出来ない・・民主的選挙運営でない例外的場合に、抗議するための積極的棄権・ボイコットすることもたまにはあるでしょう。
香港その他独裁国家で民主的空間が保障されていない場合のボイコット運動や、仮に弁護士会の委員会ではいろんな意見を言い難い雰囲気であり事実上反対意見を言えない閉鎖空間である場合、まさに自由な意見表明が事実上出来ないので本当の参加率がメルクマールになるべきです。
我が国選挙の場合、投票の秘密が保障されているので、自由に意見表明出来る空間ですから、言論の不自由な中国や香港で妥当する論理を日本に適用する意見はおかしなものです。
10月1日ころに中韓の棄民政策を日本に当てはめようとするのはおかしいと書きましたが、非民主国家の論理を何でも日本に当てはめて議論しているおかしさの一例をここでも加えるものです。
中国や韓国は自国のフィクションの歴史を前提に日本に対して「正しい歴史を学べ」と主張したり、自国の浅ましい価値基準を前提に、日本批判することが普通です。
この学者は、抑圧された中国人民の実態を日本に当てはめて、不参加こそ国民の抵抗の意思表示だと言うことを論じているのでしょうか?
中韓の主張を聞いていると、自国の恥ずかしい実態や汚いことを日本もやっているだろうと言う前提で日本批判をしていることが多くて、あっけに取られますが、「何だ!自分のことを言っているのか」:と理解すれば、合点が行くようになります。
左翼文化人は、民意を無視した中国政治の実態を日本に持って来てこれが世界標準だと思い込んでいるので、投票率こそが政府信任になると思い込んでいるのでしょう。
・・マサに中国では民意など聞きませんから人民の不服従・・実際の服従率こそがバロメーターです。
人民は友好的だが政府・右翼の安倍政権だけが悪いと言うお決まりの宣伝文句も同じで、中国的に見れば政府と人民は敵対関係ですからそう思うのでしょう。

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