08/13/10

身売りの偶発性

家庭破壊防止目的の法律として機能させるにはどうすべきか、妻帯者との恋愛禁止については、売春管理(管理売春の逆ばり発想で)のテーマで売防法の条文紹介の後に書きます。
歴史的に見ると貧しい人が、泣く泣く娘を身売りする話が前提にあって、そのような前受金で縛ることを防止するのがこの法律の主たる目的です。
悲惨な身売りは、大正末から昭和初期にいっぱいあったらその前・・江戸時代そのまた前まからずっとあったかのように誤解している人が多いのですが,本当は大正期からの農村の窮乏化・・政治の失敗(人口膨張政策の咎め)によって(大正末から戦後すぐまで・・長いようですが、歴史的に見ればホンの一時期です)急激に増えたに過ぎません。
明治初年からの人口膨張政策を明治中後期から大正期になっても継続し続けたことが、満州進出〜第二次世界大戦に連なって行った真の原因であるとする私の意見は、11/10/06「人口政策と第2次大戦3(弁護士人口5)」前後のコラムで連載しました。
この時代背景が有名なおシンの舞台になるのですし、困窮農民による娘の身売りの横行にもなって行ったのです。
身売りの横行はこのように一時的な政策ミスによるものであって、江戸時代の昔から普通にあった状況ではありません。
今の人は明治に始まったいろんな価値観や風習をそのずっと前からの慣習法的存在だったと誤解し易いのは、歴史年表のように横から眺めずに明治あるいはちょっと前の社会経験を通して縦に過去を見るから全部が直前の色で染まって見えるからでしょう。
江戸時代には計画的出産あるいは間引きの時代であったことを、04/25/10「近代国家と人口政策3」前後のコラムで連載しましたが、跡取りとそれに対応出来る娘以外は間引いていたので、明治以降のようにやみくもに生み育てていなかったので、育ってからあわてて身売りするしかないようなことは余程の例外であって、育った子供を原則として身売りするしかないようなとんまな時代ではありませんでした。
仮に凶作であっても跡取り娘や自分の妻を売春婦に売り飛ばすようなことはあり得ないのに対し、明治以降の生めよ増やせよの時代には都市労働者として送り出す前提で子を4〜5人生んでいるので、経済不況の結果都市での受容能力が落ちると送り出す予定で生産してしまった商品・・娘や息子の行き先に困ったのです。
キャベツや牛や豚の出荷時に需要減退してしまって、処分に困っているようなものです。
キャベツの場合はブルドーザで潰すこともありますが、人間はそうもいかないので、若者夫婦を編成して満蒙開拓団などとして一定数を送り出してしまい、残った男子は軍国主義化の推進で兵役で大量に吸収して行ったのが昭和初期の状況です。
兵役にとられた分適齢期の結婚する男子が娑婆から引き抜かれる(兵舎住まいです)のと不景気で失業者や残業などが減って男子の結婚能力が下がると、その数だけ結婚出来る女性があぶれますから、女性の方は叩き売り・(兵役としての受け皿がないので)身売りが流行したのに過ぎません。
他方で兵役に取られた若い男性の性のはけ口が必要になって、(特攻出撃の前に一夜売春宿へ赴くような描写が多いことを想起しても良いでしょう)売春系の需要が高まりますから、需要供給の論理としては符合していました。

 



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