10/01/09

規格化8と罪刑法定主義2

我が国の刑法は、殺人・傷害、窃盗,強盗など罪名を名付けるだけで、その程度も問題にしないし、その結果(それも結果の軽重がないのです)だけを定めたものに過ぎないことが一目で分かるでしょう。
結果の軽重から見れば、窃盗と言っても鉛筆一本盗んだ程度から億単位の窃盗までものすごい差があるし、瀬藤の態様も置き引きから万引きその他ここに書ききれない程バラエテイがあるのです。
これらが全く区別されないで、みんな同じ10年以下の懲役刑になっていて、窃盗罪に該当するかどうかだけが法の適用であって、後は裁判官のさじ加減・・量刑によるのですから、これでは、罪刑法定主義が泣くでしょう。
勿論傷害罪と言っても擦り傷だけのものから、瀕死の重傷までみんな同じで、傷害罪に当たるかどうかだけが法の適用対象で、けんかなど原因や経緯などによる刑の軽重は法に書いていないのです。
本来刑罰を科すには、どう言う経緯でけんか(殺人)になったのかの動機原因も重要な要素ですし,行為態様も結果の程度も重要です。
こうした要素をすべて捨象した抽象的な結果・・殺人とか傷害、窃盗などだけしか書いていないのは、我が国近代の初めはまだ結果だけでその他の事情を無視して画一処罰する時代でもあったとすれば合理的だったのでしょう。
しかし時代の進展によって、事情如何に関わらず結果だけで画一処罰する乱暴な裁判が出来なくなったのですから、刑法も、時代に合わせてもっときめ細かく書き換えるべきだったのです。
話が変わりますが、民法典の大改正・・刑法同様に抽象的文言が中心で専門家でないと分からないのを改めてその10倍前後の条文にして細かく書いて行こうとする改正作業と言うか研究会が活動中ですが、私と同じような視点に立っているのでしょう。
刑法改正を怠ったまま,裁判所が個別事情による量刑裁判をしているから、裁判の結果が素人には予測不可能になっているのです。
数やっているプロの経験知に頼り、こう言う経緯で、こう言う行為態様とこの結果なら懲役何年くらいだろうと教えてくれるプロの介在が必要になっているのです。
どの要素が量刑に重要な要素となるのかについて法に書いていないので、裁判で何を主張して争っていいか分からないので、プロの出番となります。
「悪いことをすれば悪い報いがある」と言う程度では、宗教家の説教の域を出ませんし、国民の行動指針としての法律にはならないでしょう。
わが国の刑法は量刑の幅が広すぎる弊害があることを繰り返し書いてきましたが、この後に「情実」または「実情」の漢字の意味に関連して再び量刑の事情を法文化すべきだとの主張を書く予定ですが、ここで結論だけ書くと量刑の事情と言う曖昧な基準ではなく、犯行態様別に刑罰も法文に明記してこそ罪刑法定主義と言えるのです。



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