10/09/08
議会と行政府の分離3(議論の活性化)
中央でも、最近はいわゆる党人派が伸ばしてきましたが、平成になるころまでは総理の殆どが官僚上がりでした。
戦後の総理だけで見ても、外務官僚で有名な吉田茂に始まり、岸信介(商工省)、池田勇人、(大蔵省)佐藤栄作(運輸省)、福田赳夫(大蔵省)、大平正芳(大蔵省)、中曽根(内務省)、宮沢喜一(大蔵省)・・ちょっと思い出すだけでも殆どがそうです。
先進国の真似だけでは、やっていけなくなって、秀才型の官僚の無能さが露呈してきた昭和の終わりころから、官僚上がりの政治家は振るわなくなってきたことが分かります。
その後は党人派の時代が続いています。
宮沢氏が官僚出身者最後の総理となっているのは、彼の政治家としての資質がお粗末だったことも、相俟って、これにとどめをさしたと思われます。
言うならば、昭和末ころまでは、行政府の人材が中央省庁のにらみを利かせて選挙に出れば簡単に当選し、その結果議員という肩書きを手に入れて、行政府の意向を代弁するようになっていたのです。
戦前で言えば、軍人の中堅が軍部の意向を代弁するために議員に転進していたようなものです。
議員内閣制に話を戻しますと、アメリカのように、新大統領が大勢の職員を引き連れて乗り込む形式にすれば、少しでもこれを緩和できるでしょうが、それでもその程度の話です。
政府トップが議会や国民の代表になっても、あくまで議会は行政府と対立する関係を維持し、時の政権が自分たち与党が推したものであっても、敵方に自分たちの首領を婿にやったようなものですから、政府法案に対しては、こちら・議会側の立場・・国民の目線で議論する姿勢が必要なのではないでしょうか?
議員が行政府入りすると行政府寄りになるのは、古代から行政府の長になるのは出世の極みのような印象があって、大臣の任期中にしくじりたくない・・その後はその省のOBとして大事にされたいという意向が働くからです。
その結果、殆どの大臣経験者は、その省庁の応援団・族議員として国会で活動する大事な役割を担っているのです。
世上族議員とは利権に群がる構造のかのように誤解している向きが多いでしょうが、実は明治政府の藩屏同様に、各省の応援団を国会に確保しているという意味です。
そこで、それなりの餌・・ウマミを与えるために行政府は彼らの意向を組み入れて補助金や公共工事の箇所付けで便宜を図るという持ちつ持たれつの関係を築いていくのです。
このように議院内閣制は、議会が行政府を占領しているというよりは、官僚に牛耳られているだけですから、決して健全な制度ではありません。
行政府首長・総理の直接公選制が、行政府と議会との緊張感を高めるためにも必要だと思いますが、そのためには憲法改正が必要です。
憲法を改正せずに今の制度のままでも、議論を活性化する方策として考えて見ると、法案の具体化が現実的ではないでしょうか?
先進国の真似ばかりの時代には、左右の対立その他観念的な議論で国会の機能は間に合っていて、官僚はその間しこしこと先進国へ留学して実務の習得にいそしみ、具体的な部分を担っていたのです。
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