10/08/08
議会と国会の違い2(明治憲法下の府県会)
以下明治から戦後までの地方制度のおさらいです。
明治憲法では、以下のように帝国議会と称しています。
大日本帝国憲法(明治22年2月11日公布、明治23年11月29日施行)
第3章 帝国議会
第33条 帝国議会ハ貴族院衆議院ノ両院ヲ以テ成立ス
第4章 国 会
第41条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
第42条 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。
明治初年ころの地方組織関係については、07/24/05「明治4年ころからの地方組織3(群馬県の場合)」前後で連載しましたが、上記連載で紹介したように逐次太政官布告のような単発の布告で整備されていったようです。
版籍奉還による府藩県三治制では全国に3府262藩26県が設置されていたのですが、廃藩置県で3府302県が設置された後、1871年には3府72県、1888年には現在とほぼ同じ1道3府43県が設置されました。
1878年、内務省法律顧問の独人モッセの意見を参考として郡区町村編制法・府県会規則・地方税規則から構成される地方行政三新法を定められ、統一的地方制度がほぼ完成するのです。
このうちの郡区町村制度の法律の一部を紹介しましょう。
郡区町村編制法
明治11年太政官布告 第17号 1878(明治11)年7月22日付
郡区町村編制法左ノ通被定候条此旨布告候事
第1条 地方ヲ画シテ府県ノ下郡区町村トス
第2条 郡町村ノ区域名称ハ総テ旧ニ依ル
いわゆる三新法体制の下で行政改革を断行したのですが、この府県会規則(1878年7月22日に太政官布告第18号)制定により、日本の歴史上初めて公式の会議制度が法定されたのです。
それまでは、知事が任意に有力者を集めて意見を聞くことがあったようですが、これを制度化したのは日本では初めてです。
この戦前の県会が戦後、県議会になり、帝国議会が国会になった違いを考えて見ると、明治憲法制定時にはヨーロッパの制度研究から始まったので、行政府と対立する被統治者の(抵抗)団体組織として議会を措定し、任命制の賛機構あるいは諮問会議的性格の場合、県会と称していたことが分かります。
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