10/04/08

量刑基準の公開10(刑法117)

平成16年の刑法改正はムード的効果を狙ったものだろうと前回書いた意味は、この改正形式では、たとえば傷害事件で見ると、10年以上の刑を宣告する必要のある場合が存在すると言うのが、国会の意思表示だとまでは分かります。

しかし、1か月以上と言う下限が従来から上がっていないことと、罰金刑も選択できますので、従来の5ヶ月にしていた刑を7,5ヶ月、10ヶ月の刑を15ヶ月にすると言うように全般的に1,5倍にするという意思表示を国会でしたことにはならないからです。

ところで、ここまで問題にしている、法定刑の幅が広すぎる問題意識で16年改正法を見ると、たとえば、傷害罪はそれまで懲役10年以下だったのが、懲役15年以下に延ばされ、却って、裁判所による量刑、裁量の幅が1,5倍に広がったのです。

罰金の金額も上がりましたので、罰金の範囲内の幅も広がったのです。

あるいは、長期20年以下になった法定刑の事件を加重するときには、30年以下になるのですから、とてつもないほど裁量の幅が広がりました。

法定刑の幅を狭くすべきだ言う私の意見から言えば、16年法は逆方向への改正(悪)です。

30年以下と言う懲役刑・・実際にこの最長期の刑を想定すると、年齢によって(たとえば40歳の被告人の場合)は、その人のほぼ一生位に匹敵する期間になるのですが、死刑の場合でも、刑務所に行かない執行猶予まであることになって、裁判所の裁量次第・・幅が広すぎるのです。

実際に凶悪犯では1年、2年の懲役刑など考えられないから、「実際の裁量の幅はごく狭いので心配するな」と言うことですが、(それはプロだけが分かることです)それならそのように「類型化した法定刑を決めればいいでしょう」というのが、私の意見です。

量刑基準表が公開されていると、裁判実務はこの基準に該当するかどうか、およびその隙間の細かい事情の有無とその事情をどう評価するかに絞られて来るので、刑事公判実務は活性化するでしょう。

現在は量刑の幅が広すぎるので、公判では事実の主張よりは、お涙頂戴式の裁判官に憐れみを請う方式が主流になりがちです。

(繰り返しますが、この漠然とした法定刑が変に細かいことの違いを言い立てて争うよりは、裁判官の心証を良くしたいと言う被告人が多いので、冤罪を生む土壌でもあるのです。)

刑の細分化が公判を活性化するという考え方については、05/18/07「法定刑の細分化11と公判の活性化(求刑と判決)」前後でも書きました。

今回は、国会と専門家の役割の違いと言う視点での再論です。

また細かな事実を争点とすることによって、さらにその間の細かい事例に対する基準表も出来てくる・・次第に細かくなる一方ですが、それはそれでより裡合理化されていいのではないでしょうか?

ルールが細かくなればなるほど、関係者のサジ加減・裁量権の幅が減ってしまい、ちょっとしたミスでも文句を言ってきて面倒だ、つまらないと思うでしょうが、手続きや結果の透明性こそ民主国家の基礎なのです。

そして基準表が公開され、そのとおりに原則的に刑罰が決まる(もちろん基準にぴったり当てはまらない事例が殆どですから、その点は裁判実務の認定によりますが・・)となってくるとなれば、その基準を決めるのは、まさに刑罰の法定ですから、学者や裁判官だけの議論によるのではなく、最終的には国会での議決・・法律にすべきだとなるのではないでしょうか?

 



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