11/07/04
教育刑の思想と死刑廃止論1
今回は、拷問出来るのは、証拠があるのに
「合理的説得によって自白を得られないときに限られる」
と言う滑稽な(取調官の無能を理由とするのです)拷問許可理由からの連想です。
「人間、教育さえすれば、不可能なことはない」と言う・変な平等思想がはびこっていることを、10/21/04 「刑罰と教育の民営化のすすめ1 」のコラムで紹介しました。
10/16/04 「刑罰の目的1(応報刑と、教育刑)刑法14」以下のコラムで、教育刑の思想を書いてきましたが、死刑にすると言うのは、教育ではどうにもならない被告人が存在することを、国家が認めることに外なりません。
「人は皆平等・教育して治らない者はない」という能天気な教育論を教育刑に当てはめると、・・・・死刑=教育不能と言うことは、被告人が悪いのではなく、教育者(国家)の矯正能力不足と言うことになります。
ちなみに、法務省には懲役局というものはなくて、刑務所を管轄しているのは矯正局と言い、そのトップは、矯正局長と言うわけです。
私は、死刑廃止論者でもなければ、存続論者でもなく、詳しくは分りませんが(要するに素人です)、これが、死刑廃止論の大きな論拠にもなっているのかもしれません。
(勿論冤罪のリスクをどうする?という意見、その他いろいろ論拠はありますが、ここは、教育刑からのアプローチです。)
いわく、
国家が自分の無能力(教育技術の拙劣さ?)を棚に上げて、
「改善の見込みがないから」と、
「死刑にするのは背理である。」
というものでしょう。
「自分の子供なら、簡単に匙を投げて殺してしまうだろうか?」
「駄目だ駄目だと言いながらも、最後まで何とかしようとするものだ。」
と言うわけです。
但し、私はそういう能力平等論はとりませんし、教育万能論を取らないことは前記10月21日のコラムで書きました。
それに、教育刑の思想があるからと言って、教育刑1色ではなく、懲罰的要素が必要なことも、10/28/04「刑罰の目的4(自然犯と法定犯4)刑法19」以下の連載で、少し書きました。
また、殺人事件などでは、遺族の応報感情(何らかの仕返しをしたい感情です。)を完全には無視できません。
死刑廃止論は、歴史的なしがらみもあって難しい問題です。
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