02/17/04

罪刑法定主義と公事方御定書7(知らしむべからず)

話を元に戻しますと、その後の社会の発展は、前回紹介した図式的な強者弱者の分化ないし、大衆社会化によって、教養のない人が契約社会に登場するだけにとどまらなかったのです。
個人的強者も、消費者になった途端生産者や供給側に対しては弱者になる、或いは同じく車所有者でも、車から下りて歩行者になると車運転者に比較して弱者になる、と言う具合に同じ人格者間で頻繁に立場が入れ替わる時代がやってきたのです。
こうした変化については、平成14年11月26日と14年12月25日の「民法の限界1〜2」と平成14年12月26日から平成15年1月24日までの連載シリーズ「憲法の限界1〜8」のコラムでも紹介しました
こうして昭和50年代以降は、消費者法に象徴されるように、自由に自己判断が出来ない市民を想定する時代になっています。
外見だけ観ると歴史は繰り返すようですが、江戸時代のように「国民は何もわからないから、知らせなくてよいのだ」という考えに戻ったのではありません。
国民を信頼して、その上で、分野別に能力に欠ける国民を別に保護しようとしているだけのことであって、国民全般を馬鹿にしているのではないのです。
ある意味、ある場面では立派な学者や技術者でも、他の場面では、能力に欠ける状況が頻繁に起こる社会になったのです。
ある分野の専門家も、他社の製品については素人ですから消費者として保護する必要があるのですから、今は抽象的な人格者かどうかではなく、場面ごとに一人前か半人前か決めて行く必要のある時代です。
江戸時代には、「国民に知らせるべきだ」という考えは全くなくて、
   「凡(およそ)法ヲ立ル二ハ、法ノ奥ヲ民二知ラセズ,此法ヲ犯サバイカナル刑二処セラレント           危ブミ懼レサスルヲ善トス」
と言う思想に基づき、民をして「依ラシムべシ、知ラシムべカラズ」が当時の為政者の共通認識であったのです。
むしろ、何も教えないでただ、恐ろしい刑罰のみを公開して「危ぶみ懼レサスル」だけでした。
「何をしたらどうなる」までは、国民には教えない方が良いとされていたのです。
そういうわけで、慶安のお触れ書きに始まって、次々と出るお触れや、各種諸法度では、贅沢をしてはいけない、何々をしてはいけないとか、禁止を言うばかりで、違反したらどういう処罰が有るのかが書いていないのです。
平成16年1月29日に紹介した「生類憐れみの令」を見直してみてください。
違反したらどういう処罰になるかについては、一部に遠流の規定がありますが殆どは、禁止や命令ばかりで、違反したらどうなるのかさっぱり書いていないのです。
このためお上の意向を忖度して、家来が犬を叩いてしまったら、解雇してしまうなど過剰な反応が一杯出てきたのです。
また、「公事方御定書」は、民に知らせないどころか、公式に利用できたのは、将軍、老中、評定所一座ないし3奉行、京都所司代、大阪城代など幕府上層部に限定されていたと言われます。
ただし、裁判実務に携わる評定所溜役、町奉行所与力などはお定めの内容が分からなくては、取締りが出来ませんので、借用が許されており、実際には、私的に作成された写本が広く流布されていたようです。
そうは言っても、実務の必要性のない者で、写本を入手してまで勉強するのは、特殊な学者などに限られていますので、もっとも知らしめるべき犯罪予備軍の階層には縁のないことだったでしょう。(今でもそうかな?)


今日の読み物間連:




関連ページリンク

Powered by msearch
稲垣法律事務所:コラム:検索

検索ベースはこちらから

稲垣法律事務所コラム内:憲法に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:司法に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:行政に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:民事に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:民法に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:商法に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:先進国に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:徳川に関するコラム
稲垣法律事務所コラム内:幕府 に関するコラム


コラムTOP

リンクを当コラムにはられる方はお読み下さい

©2002 - 2010 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design / Maintained by Pear Computing LLC