01/11/04

幕府の婚姻禁止の範囲3(同姓娶らず4)

わが国では、儒教の浸透に拘わらず、また、前回のコラムで紹介した幕府の禁近親婚にかかわらず兄が死ぬと、その妻が、後を継いだ弟の嫁になるのは普通でした。
最近の有名な例では、俳人の鈴木真砂女(1〜2年前になくなりました)をモデルにした瀬戸内寂聴の小説「いよいよ華やぐ」には、長女(マサ女の姉)がなくなったので、その婿さんと次女マサ女が婚姻せざるを得なくなった悲劇が物語の発端として描かれています。
他方、中国式思考で凝り固まっていた朝鮮では、日本統治下約40年間に一件も婿養子(異姓養わずに反しますので)はなかったらしいですから、婚姻の考え方は、国家権力でどうなるものではない強固なものがあると分りますね。
朝鮮の原理では、前回紹介しましたように、同姓娶らずの類縁として「異姓養わず」と言う原理があり、養子は同本同姓の男子に限られることになります。
ところが「同姓娶らず」の原理から、娘と同姓の男を結婚させられませんから、自分の娘を嫁に出して、親と同姓の親戚の男を養子にとって、その嫁さんも何処かから入れるというややこしいことになります。
簡単に言えば、何のためにそんな原理が有るのか分りません。
日本のように、気楽に婿養子は出来ないのです。
また司馬遼太郎のどの本にあったか忘れましたが、朝鮮人に人望のあった日本人の校長先生が、妻を亡くして、その妹と再婚したときに、村民が家を取り巻いて無言でじりじりと詰め寄った記述があります。
朝鮮人にとっては、許しがたい非道徳なことだったのでしょう。
漢の時代に、烏孫国に嫁した武帝の叔父の娘、烏孫公主の嘆き節を昨年11月10日の「相続税法8」のコラムで紹介しましたが、中国世界では匈奴や日本の風習はとんでもない野蛮なものと思われていたようです。
朝鮮は、庶民に至るまで儒教道徳に入れ込んでいたのですから、儒教道徳の行き渡らない日本より優越意識が強かったようです。
ここで日本の名誉の為に言い訳しますと、同姓娶らずと言う原理は、中国では親族間の性道徳の乱れから生じたものに過ぎないと言うのが私の考えです。
秦の商おう(法家)の改革で「同じ建物に、兄弟が居住してはいけない」というのがあり、儒教の基本道徳として「嫂叔は親授せず」(弟は、直接兄嫁ともののやり取りをしてはいけない・接触禁止)があり、三国志で有名な曹操の言葉に、「兄嫁と密通する男でも有能であればいい」と言うのも有るくらいで、中国史では、しょっちゅう、親子兄弟間で、妻妾との密通事件が取り上げられていることなどから、兄嫁との姦通などがかなり一般化していたことが分ります。
今と違って、親族関係の交流が多かったと言うよりも、女性にはそれしかなかった時代には、他人間よりも親族間の男女関係が発生し易いことは、誰でもわかることでしょう。


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