03/19/03

直接民主主義と情報公開4(医療情報の開示2)

椎間板ヘルニヤの病名開示についての支配的見解は、以下のとおりです。
「どの病気ならば、患者に知らせていいかどうかと言う議論を突き詰めると、結局境界線の病気の判断をする事になるが、病名を患者に知らせて良いかどうかは、治療に携わる医師の判断を尊重すべきである。」
と言うもので、結果的にヘルニヤと言えども、専門家でない審査会で開示の可否をきめるべきではないと言う理屈になります。
私の根本的な考えは、「原則として自分の事は自分で知ったうえで自己決定出来るようにすべきであって、余程例外的な場合だけ(英米法から発展した表現の自由を制約する「一見明白」の原理がこの場合も妥当するのではないでしょうか?)本人に知らせない事が許される」と言うものです。
私の考えでは、20年〜30年前と比較した最近の国民レベルから考えて、癌であろうが何であろうが、自分の事を知りたいと思う人は知る権利が有ると思っています。
あと1年と言われれば、しておきたい事も有るでしょうし、手術しても治らないならば、手術を拒否したいかも知れません。
素人をバカにしないで自己決定権を尊重する社会になって欲しいものです。
本人に知らせなくて良い場合としては、病名でなく「あと何分と言う臨終のお知らせ」くらいだけかな?と言うのが私の考えです。
それだって私の場合は教えて欲しいですね。
知らせられれば、死に臨んで何か言いたい事があるかも知れません。
皆さんは、担当医師以外は判断してはいけないと言う考え方に賛成でしょうか?
私は、彼等医師の判断が専門家として尊重されるべきは、治療行為そのものであって、その周辺事態の判断権は、むしろ社会一般から選任され、幅広い専門家で構成される審査会等の判断に委ねるべきだと思います。
言い換えれば、自己の病名を知るのが良いかどうかは、治療行為自体からかなり外れているので、医学の問題ではなく社会的に決定されるべき行為であると言う事です。
なお、私は、治療行為そのものの選択さえ、医師だけが判断するべきではないと考えています。
現在存在する治療方法を比較説明して、あとは手術するか否か、薬物、食餌療法等々の選択肢から患者本人が選択出来るようにすべきですし、緊急事態でその暇がない時には、治療が落ち着いてから、本人に説明すべきです。
また過去の治療の適否についても、適正な医療の知識補充を前提に、(専門家を構成員に加えたり、鑑定や参考人として意見を求めるなど)して、社会的に判断すべきだと考えています。
現に裁判所はそのようにして判断しています。
専門家以外は口を出してはいけないと言う考え方は、民主主義の敵ではないでしょうか?
公共工事に始って、今回(イラク問題)の外交政策の読み違いなど専門の人に任せられない事が多すぎませんか?


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