12/29/07
不在地主復活の亡霊4(地主発生の基礎4)
ところが、農業に関しては何らの技術・経営革新もないのに、明治政府の弱小農業者の篩い落とし政策で落ちこぼれが先に発生したので、義侠心でその受け皿になっただけでした。
この救済策として、農家の中の余裕のある人が、近隣のお金に困った小農から救済的に農地を買ってやるという形式になって結果的に地主層が発生したのです。
このように、明治以降敗戦までの農地集積の実質は、技術・・経営革新を基礎にした生産性競争に打ち勝ったからではなく、金貸しではないのに結果的には金貸し資本的な土地取得でしかなかったので、買い集めた農地を自分で耕作する余力がありません。
その上に、買い取ってやれるのは地続きの農地を持っているとか、近隣の経済余力のある人しかなかったのです・・・・徒歩での移動中心の時代ですから遠くの人が金にあかせて買っても耕作できなかったのです。
他方で農地の売主から「行くところがないので従来どおり耕作させてください」と泣き付かれるのですから、隣近所で可哀想だからと救済的に買ってやった方としては、農地を取り上げるわけには行かず、窮乏した農民から買い取ってやって、従来どおり耕作させてやる・・・農地の取り上げをしなかったのです。
今でも家が競売などになると、親戚の人に入札して貰って、そのまま住み続けたいという人が多いのですが、その農地版です。
今の場合、親戚でもこう言う虫のよい救済に応じる人はいませんから、応じるのは本当の肉親・・親子くらいですから、事実上ただでそのまま住まわせるわけですが、明治の農地売買は肉親間の救済を超えて近隣の他人にまで救済を求めるほどの広がりを持ったのが大違いです。
ここで救済と書いているのは、本当の金貸しは貸し金回収が焦げ付くと農地を担保処分して、換金処分に走りますので、(農業を自分でやりたい人は後述のとおり皆無です)従来の農民は路頭に迷うのですが、これを上記に紹介したように身寄りや地元有力者に頼んで何とか買い取ってもらい、その金で一旦金貸しに借金を返すという方法だったのです。
他人の場合は、救済とは言え、全くただで、そのままというわけに行かないので、金利の代わりに小作料を貰う形式・・不労所得制度が結果的に固定し拡大して行ったのです。
この場合、経済的に見れば、借金のカタに農地を取られて、一生懸命利息を払っているのと結果的同じ・・・担保流れを防いだだけですから、地主と言っても、特に不在地主の場合には、農業経営者ではなく、経済実質的には金貸しが金利を取っているようなものでした。
無限に金利相当の地代を払ってさえいれば、元金の返済を求められない・・担保流れがないというだけのことです。
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