12/27/07

不在地主復活の亡霊1(地主小作制発生の基礎1)

現在の農地売却の前提としてよくある貸し借りのパターンとしては、農家自体が出稼ぎやサラリーマン化して、(日曜だけの農業では、)手が回らないので、無許可で隣近所の農家に農地の一部を無償(米一俵程度のお礼)で作ってもらっているようになっていることが多いのです。

これは賃貸でも小作でもない、使用貸借類似の契約です。

これでは、地主制の復活どころか、先祖代々の農地を耕作放棄して・草茫々・荒らさないようにしたいという仕方なしの知恵・・管理を頼んでいる関係です。

近所に迷惑を掛けないようにお礼を払ってまで、耕作をしてもらっている事例すらあります。

今では、都市近郊では・あるいは過疎地や山間僻地だけでなく平野部でも高齢化などで農地保有がお荷物になっている人が多いのです。

これが農地の売り圧力になっているし、他方で、工場用地や宅地転用・ショッピングセンター用地などの新たな需要が発生しているのです。

これに対して明治以降に発達した地主・小作制は、農地以外への転用吸収力もなく、農業改革に適応できない・・もっといい仕事があって農家が農地を手放したのではなく、農業のあり方自体には何の変革もなかったのです。

農業革新や農地以外への需要とは関係のなくイキナリ始まった貨幣経済化と子沢山政策・義務教育化に経済的に順応できず・・・金銭的負担に耐えられない農家・・・主として小農・貧農が農地を泣く泣く手放しただけの話でした。

明治初めから始まった地租改正その他の貨幣経済化についていけない農家が、次々と極貧化していった経過については、04/09/04「地租改正と農地売買の自由化3(大地主の誕生と小作農の出現=窮乏化)」で紹介しました。

子沢山政策によって、農民の一部(次男など)は、都市労働者・炭鉱夫などとして、日本の近代工業化に貢献しましたが、大部分(長男など跡取り一家)はそのまま田舎に残っていたのです。

今でも、まず単身者またはお父さんだけが出稼ぎで都会に出るのであって、イキナリ家族全員での都会転住は簡単ではないからです。

残った彼らは、子供を多く育てた結果その養育費の負担で窮乏化して行き、生活苦で農地を手放す人が続出したのですが、彼らは、耕作以外に生きていく道がなかったので、そのまま手放した農地にしがみつくことから、小作人として耕作を継続することになり、その結果として不労所得の地主が大量に発生したのです。

近代工業を担う労働者は、一時的には、炭鉱夫・製鉄所などで足りなかったのですが、継続的に生めよ増やせよでは吸収する労働市場が無くなってしまったのと、義務教育による教育負担・子育て負担がいよいよ窮乏化を進めたのです。

子育て負担を農村が引き受けてきた点については、11/28/07「農地解放の意義2(子沢山政策と地方の疲弊)」前後で書いたばかりです



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