12/24/07
クリスマス イヴ2(行事の種類2)
稲作農業・・主として女性労働力中心の産業社会で来たわが国では、平安時代末から、騒乱続きだった闘争・・武士の時代が終わって、平和な社会になると男のエネルギー発散の仕組みが不可欠となります。
武士に対しては、武芸の奨励で体力消耗を導けますが、庶民には発散するべきスポーツがありませんでした。
庶民大衆の地位が上がり、そのエネルギー制御が政治テーマの中心になった江戸時代以降に発達した各地のお祭り・・行事といえば、おみこしを担いだり山車を引き回したりのエネルギー発散目的・・歌舞伎用語で言えば荒事が中心になってきたのです。
あるいは、寒中に神輿を海中で担ぐとかいろんな勇壮?石段を駆け上がるなどの元気印行事がはやるようになったのもそのころからです。
こうした時々の体力発散だけではもの足りない地域・・例えば、関東で言えば、養蚕の盛んな上州や、いわし加工など女性の稼ぎ中心で来た千葉などの地域では、博徒などが発達しました。
(赤城村の国定忠治や銚子近くの飯岡の助五郎など)
他方で、京の葵祭りは、パレード・・見物が中心であるのは、源氏物語でも出て来る有名な場面ですが、都ではそのころから、みやびなパレードを見物するのが庶民の楽しみの時代に発達したものだからです。
信長なども、しきりに軍事パレードを京で催していますが、まだ権威の誇示を中心とする時代だったからでしょう。
もちろん信長は、戦国時代真っ最中ですから、みんな体力を充分使い尽くしているので、参加型である必要がなかったのです。
江戸時代でも初めの内は、どこでも天守閣など権威誇示型の建設ラッシュでしたし、その後も新田開発が続きましたので、まだまだ庶民は土方工事などで結構体力を使ったのです。
建設ラッシュや新田開発が終わり、他方で社会秩序が安定してくると、天守閣が燃えてもそのままに放置してきた江戸城の例でも分かるように、権威誇示は不要な時代になってきたのです。
その代わり、安定=窮屈な時代ですから、エネルギー発散型の祭りとスポーツとしての町道場(剣道)が発達したのです。
(吉原など遊郭の公認などもその一種です)
剣道や柔術で頑張るには、平均以上の運動能力と根性がなければ続きませんので、これに対応できるのは一部エリートだけでしたが、お祭りは神田の祭りでも浅草三社祭りでも、ただ乱暴な体力さえあれば一過性でいいのですから、庶民大衆向きです。
こうして江戸時代には、お神輿を担いでさわいだり、山車を引き回したりする体力を発揮するお祭りが各地で広がったのです。
京の祇園祭自体は古くからあるのですが、山鉾などの出し物に限ると江戸時代中期ころから発達したものです。
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