12/31/06

大晦日(光陰は百代の過客)3

江戸時代当時、庶民が旅に出ると言うことは、従来の生活を断ち切って出かけるので、本当に「今生の別れ」と言う感じだったのでしょう。
旅に出かけると言っても、治安はよかったので別に命懸けと言うわけではなく、同じ場所に帰らないのが普通だったからです。
現在の転勤に伴う引越しのような意識だったのでしょうか。
転勤の場合には、行き先が決まっていますが、それでも近所の人との付き合いは、殆どの場合断ち切られて終わります。
(転居先の住所を知っていても、わざわざ尋ねて行く人は、滅多にいないでしょう。)
公務その他の出張の場合は別として、当時の旅と言うのは、それまでの仕事・生業(生活手段)を断ち切って別世界に飛び出すことを意味したのです。
田舎から江戸や大坂へ出たからと言って、生活の保障があるわけではなく、当てのないことが多かったでしょう。
勿論幕末の浪士のように脱藩すれば、命の保障もありませんし、公務出張以外は、漂泊の境涯である点は、俳人と同じです。
芭蕉だけでなく、その当時の庶民は故郷であれ、江戸であれ、ひとたび出たら次はどこに居を定めるか、全く決まっていない(建前だけ?)漂泊の旅路だったのです。
そういう歴史があって、旅に出ると言えば、餞別と言う習慣が生まれたのでしょう。
どうせ1週間あるいは一定期間で同じところに必ず帰ってくるならば、「今生の別れ」のような御餞別の習慣は生まれなかったでしょう。
渡り鳥などは、同じところに行ったりきたりしているだけですから、その度に送別の宴などをする必要がないのでしょう。
ちなみに餞別とは、もともと小規模な宴会・・送別会を意味する言葉ですが、結婚祝い同様に簡略化して来て、もう何十年も前からお金を包むことを、御餞別と言うのが普通になっています。
今では、近所づきあいが希薄化してきて、それもなくなったような気がします。
話がまたもやそれていきそうですが、大晦日は、行く年・・2度と帰らぬ日を送る「とき」でもあります。
つくづく考えてみるに、過ぎ去った過去は、どこへ行ってしまったのでしょうか?
古代からどこの国でも発達している日記(今では写真・・録画など)の習慣は、逃げ去っていく過去を確保する手段だったのでしょう。
大晦日の夜に除夜の鐘を鳴らし・・これを聞きながら、酒肴を添えて、簡単な儀式をして来たのは、過ぎ去っていく「時」に対する送別の宴として意味があることかもしれません。
さあ、皆さん!今日は今年の最後・・・過去になりつつある「とき」をゆっくりと味わい、来る歳を元気に迎えましょう!



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