12/31/06
大晦日(光陰は百代の過客)2
話がパーティにそれてしまいますが、この李白の詞文を翻案した松尾芭蕉は、奥の細道の序文で、以下のように書いています。
いわく
「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。」
と書き出して、以前から気に掛けていた歌枕で有名な松島の月を求めて?みちのくへと旅立って行くのです。
それにしても自宅・・江上破屋と表現されている深川の芭蕉庵を売り飛ばしてから、出かけるなんてキップのいいことです。
今では宇宙遊泳に出る人でも、自宅を売り払ってから出かける人はいないでしょう。
とは言うものの、当時は田舎の土地持の農家、あるいは、江戸の町でも自分の店を構えるほどの人では、その店の経営を任せて行くので、家を売り払って行くことは有りません。
しかし、そうした恒産を持たない江戸の町に住む町方(町人と言えるほどの商店主まで行かない人の意味です。)では、たまたま旅に出ることになると、家財道具一式を売り払って出かけるのが普通だったでしょう。
ちょっとした家を持つようになった人でも、よほどの大金持ち以外は留守居を置けないので、旅に出るときは家のある人は家を売り飛ばしてキレイさっぱりして出かけるのが、普通だったのかもしれません。
東海道道中膝栗毛(弥次北道中記)の始まりも、家財道具一式を売り飛ばす場面から始まります。
今読むと、芭蕉庵・いおりと聞くと俳人だから、質素にしていたのかと善意に解釈してしまいます。
(実際は家族もちが購入して住んだようですから、ワンルームではなかったでしょう。)
当時の家は、俳人に限らず、庶民は家財道具らしいものが殆どなく、家と言っても粗末な掘建て小屋に、毛の生えたようなものが普通だったのですから、帰ってくるまで空家にして(そのままにして)おくようなものではなかったでしょう。
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