12/31/06

大晦日(光陰は、百代の過客)1

年末は、クリスマスが来たと思うと次は大晦日で、特別な日が続きます。
クリスマスの例で言えば、大晦日はクリスマスイブみたいなものでしょうか?
今年も終わりかと思うと感無量と言うよりは、月日のたつ早さには、驚くばかりです。
「夫(それ)天地は万物の逆旅(げきりょ)にして、光陰は、百代の過客なり」
とは言うものの、光陰だけでなく人間もホンのかりそめのお客さんという感じがしてきます。
昔は、「旅は恥のかき捨て」といい、今でも旅行客はゴミの散らかし放題で、地元(逆旅)では、その掃除や大量のゴミ処理に大わらわです。
これからは、過ぎ去っていく旅人だからと言って、逆旅を引き継いで行く子孫にゴミを残すのはどうかと言う時代です。
そうは言うものの、実は無責任にジュース缶などゴミを撒き散らして車を疾走させているのは、殆どが若者でしょう。
子孫にゴミ・・悪環境を残すのはどうか、と言う発想は老人のものですが、
年をとると、ゴミであれ何であれ、残すものが気にかかるものらしいのです。
若者は未来しかないので、過去は棄てて行くばかりで、残すものなど気にならないのでしょう。
美しい地球を残そうなどと、最近いきなり騒ぎ始めたのは、世界中で老人が増えたセイかも知れません。
残される予定の若い人は、実は何も気にしていないのでしょう。
李白は、この後
「而して浮生は夢の如し、歓をなすこといくばくぞ、古人燭をとりて夜遊ぶ まことに故あるなり いわんや・・・・」
と続けるのですが、(高校時代に暗記した漢文ですので、細かい間違いがあるかもしれません。)
「どうせ、セコセコしてもどうってことはないのだから、夜を徹して歓を尽くそうじゃあないか」
と言う大酒飲みの李白らしい名セリフです。
長寿時代とは言うものの、人生は、光陰の過ぎるが如く一瞬・・・邯鄲一睡の夢と言うところでしょう。
ましてや、その80〜90分の1くらいでしかない1年となれば、更に短いことになります。
これは、春の夜に桃李に会する詞の冒頭の1節ですが、今で言えばクリスマス・イヴのパーティ開始の挨拶と言うところでしょうか?



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