12/30/06
日本の競馬の歴史3(地方競馬1)
これに対して地方競馬は、中央競馬とは違った歴史を辿っていますので、初めから別個のものだったのですが、現行の競馬法で一緒に規制されることになったものです。
中央競馬は、西洋式競馬の流れを汲むのに対して、地方競馬はもともと神事として奉納される競馬の流れを汲むものでした。
ですから、元々は馬券の発行などは予定されておらず、認められていなかったのですが、徐々に発行されていくようになり、公認でなく黙認状態が続きました。
明治43年(1910年)に、地方競馬の実施が認められたのが最初らしいですが、この時の主催者は地方長官の許可を得た産牛馬組合(のちに畜産組合)でした。
前回紹介したように、大正12年(1923年)に日本で初めての(旧)競馬法が制定されたものの、地方競馬は、その性質が違うのですからこの法律の対象になっていなかったのです。
(主催者は、前記のとおり11組合だけでした。)
昭和2年(1927年)の「地方競馬規則」で初めて地方競馬という名称が公式に認められ、畜産組合、畜産組合連合会がこれを主催することになっていました。
昭和14年(1939年)に軍馬資源保護法の制定により、軍用保護馬の鍛錬を行うための鍛錬馬競走として、このときに初めて地方競馬でも馬券発売を正式に許可されるようになります。
北海道のばんえい競馬などは、逞しい限りですが、この鍛錬馬競走の系譜を引くからでしょう。
同時に道府県畜産組合連合会等が主催者に変わりましたが、戦争激化のため昭和19年には開催停止となってしまいました。
戦後直ぐに闇で地方競馬が再開れていましたが、昭和21年11月に「地方競馬法」が制定され、都道府県の馬匹組合連合会等が主催者となります。
日本競馬会も昭和21年秋には競馬を再開しましたが、GHQは昭和22年制定の独占禁止法違反であるとして、日本競馬会と地方競馬主宰者を、閉鎖機関に指定したので、自主解散し、国、公営にして競馬を残すことにしたそうです。
(国、公営なら独占禁止法の対象にならないからです)
この結果、現行競馬法が制定され、新たに中央競馬と地方競馬の2本立てとなって現在にいたっているのですが、この結局民営競馬は皆無になってしまったのです。
ただし、その後中央競馬も地方競馬も、国や公共団体の直営ではなく特殊法人になっているそうです。
ところで、私が個人的に関与した事件では、昭和50年代に、中山何とか競馬倶楽部と言う団体相手の事件がありました。
当然そこの理事などはとっくの昔にいなくなっていましたので、私がその特別代理人に選任されて、何かの事件処理をしたことがあります。
もう内容を忘れましたが、多分不動産か何かの名義が残っていて、その処理のために理事が必要になった事件でした。
多分独占禁止法違反で22年ころ解散した倶楽部だったのでしょう。
解散しっぱなしですから、当然そのころの理事は死亡したりしていて誰も残っていなかったので、私が、その特別代理人に就任したというわけです。
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