12/25/06
クリスマスの楽しみ方・・記憶の美化4と恨(はん)
恨みに話を戻しますと、中国や韓国が日本軍の被害を受けた国民感情を無視できないと言う形で、戦争被害を持ち出すのは、政治利用のために・・公式発言・・新聞論調などででてくるのであって、本当に経験した個人が内面で恨んでいるとは限りません。
実際に韓国民は、大量に日本に足しげく往来していますし、日本文化の輸入を解禁すると日本文化にせっけんされると言うことで、長年禁止されてきたのです。
本当に国民各人がそんなに恨んでいたら、日本文化の輸入を許可しても誰も読まないし見ないでしょうから、個々人は、実はそんなに恨んでいないことの証拠でしょう。
このように、記憶は本来美しいものであって、個人にとっては、過去に苦しい事があってもそれほど恨みなどは感じていないものです。
それなのに、我が国の怨霊・幽霊に始まり、どこの国でも、恨みを大げさに言うのは政府が政治的に利用するためにでっち上げ、奨励しているものでしかないと言うのが、私の意見です。
我が国のノー・モア広島も、政治的に利用することなく、人類の反省材料としてだけ活用すべきなのでしょう。
クリスマスに関する意見を書こうと思って始めましたが、いろんな脱線をしている内に、クリスマス・イブが終わって、今日は、クリスマスです。
この1連の行事は、キリストの誕生を祝うものでしょうが、これなども本人よりは外野が祝っているだけの話です。
クリスマスの外に復活祭と言うのもありますが、これもキリストの誕生を冬至にあわせ、復活が春分の日直後にあわせられているなど、本人よりも、周りの願望が結実した習俗でしょう。
もしかしたら、キリスト自身は、
「あの時は手に釘を打たれて痛かったなあ!」
「最後の晩餐は楽しかったなあ!」
と懐かしがっているだけかも知れません。
キリスト自身が、復活したかったかどうかの気持ちとは関係なく、現世の人の願望で復活したのでしょう。
ま、兎も角、仮にキリスト教徒でもキリストの気持ちに関係なく、現世の人が勝手に御祭りしているだけだとすれば、キリスト教徒でもない日本人が一緒に行事化しても何ら構わないでしょう。
日本人は、日本人としての流儀で(商売人は商売人の思惑で)冬至のころの祭典として、楽しめばいいのです。
と言う訳で、仏教徒である我が家でも、子供の小さいころから欠かさずクリスマスを楽しんできました。
今年のクリスマス・イヴは、中央競馬・有馬記念・・デイープインパクトの話題で盛り上がっていた家庭が多いでしょう。
これも、一つのクリスマス光景と言うところです。
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