12/25/06

恨(はん)の文化と日本の幽霊1(ウエットとドライ)

恨みと言えば、同じ漢字を使う朝鮮人の「恨(はん)の文化」を想起する人が、多いでしょう。
我が国同様に中世以降朝鮮半島・・李氏朝鮮でも、統治者の都合で、日本の幽霊の前段階の「恨み(はん)」の思想を発達させたのではないでしょうか。
人によって、「恨(はん)の文化」の解釈が違うのでしょうが、最近では韓国の「恨(はん)」と日本語の「恨」みとは異なるといわれます。
恨みには怨恨と言う2つの漢字がありますが、外に向けて攻撃的な怨恨の怨ではなく、自身の内面に沈めて行く悲しみ・・恨みの文化であると、解説する合理化が流布しています。
こうした解説が出回るようになったのは、1970年代ですから韓国の近代化・・経済成長が進んだころと一致しています。
(日韓条約は1965年です)
近代化が進み国民意識が変ったのか、あるいはこれから変わって行くべきだという先覚者の主張と言うべきでしょう。
そこには、いつまでも、恨みにこだわる変った民族だと言われるのが、恥かしくなった面もあるのかも知れません。
ところで、恨(はん)・・・・じめじめした心情文化は、実は、朝鮮人特有のものではないでしょう。
日本でも私の若いころまでは、日本人の心情はウエットであり、アメリカのようにドライに考えることは出来ない文化であると教えられて育ちました。
それが高度成長期以降、行動様式が合理化されるにつれて、
「今の若者はドライだから・・」
というのが、先輩たちによる私達世代に対する非難言葉となったほど、日本人の行動様式を変えたのです。
(「外国人と話してると思わなきゃ、やっていけない」とも、普通にいわれたものです。)
私達世代が中堅になってから、ウエットかドライかと言う区別や、「外国人みたいだ」と言う話は聞かれなくなり、今では多分死語になっているのではないでしょうか?



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