12/08/06
相続税法31(借地法と戦後の持ち家政策)
話が大分遠回りしてしまいましたが、ここで11/05/06「相続税法30(跡取り優遇制度10)」の続きに戻ります。
前回書いたように税制自体は一見中立なのですが、自由な選択に任せたらどうなるか?と言う当時の社会意識を書いている内に横道に入った次第です。
昭和33年相続税法(現行法です)は、条文上は、長男の単独相続を規定せず、弟妹でも非嫡出子でも配偶者でも誰でも同じ控除を受けられる建前でした。
しかし、これまで書いて来たように、多くの庶民は、新たに家督相続制の恩恵を受ける支持者になったのですから、均分相続制に対して、敵意を抱いていました。
(庶民の中で遺産と言えるものを持っているのは、殆どが小作人から自作農になったばかりの人々です。)
都会の家は、アメリカの焼夷弾攻撃で殆どみんな燃えてしまって、都会人は資産らしいものを持っていませんでした。
戦後は持ち家政策で、自己所有が基本ですからみなさんが誤解すると思うのですが、当時と言うか昭和30年代後半ころまでは家を建てる場合、借地が普通でした。
持ち家政策と言いますが、これは政策と言うよりは、地主が借地法の強化により土地を貸さなくなった結果、必要に迫れて政策を転換しただけです。
それまでの都市住民の家は、借地が普通だったのです。
高度成長期以降、土地需要が発生し、地主が土地明け渡しを求める事例が増えたのですが、借地法や借家法の明渡し要件が厳格運用されるようになり、昭和30年代後半ころから、地主側敗訴の事例が相次ぎました。
今ではよほどのことがないと、地主側が勝てないと言うのが常識でしょう。
この結果、借地権と言う一種の権利が発生し、立退き料の相場が時価の6割前後に集中するようになったのですが、明け渡しを求める高騰した後の時価の6割では、これまで何十年も貰った時代の合計よりもはるかに大きくなってしまい、これからは貸したら損だと言う風潮になってしまったのです。
弁護士は、戦後全く食えない職業だったのですが、昭和30年代は借地法と借家法の頻発する裁判でで食えるようになり、昭和40年代は交通事故と公害、日照権で潤ったと言われるゆえんです。
関連ページリンク
©2002,
2003, 2004, 2005, 2006, 2007, 2008 稲垣法律事務所 ©弁護士 稲垣総一郎
Design
/ Maintained by Pear Computing LLC
