12/07/06
外圧と戦時中の改正
農地開放についても、戦前から地味に計画が進んでいたのですが、抵抗勢力が強くて実現できなかっただけでした。
敗戦を機会に抵抗勢力を圧倒して、農地解放が実現できたものでしたが、これは庶民・小作農にとって実益が有ったので、
「アメリカによる押し付け政策だから、元の小作人に戻りたい」
と言う政治運動は、さすがに起こりませんでした。
こうした庶民の意識と社会実態の乖離(農地解放のように分かり良い実益があれば別です。)については、11月19日・・・・・1「庶民意識1(現実直視能力)と陋習」前後でこれまでも書いてきました。
農地解放や妻の権利の向上も戦前から、日本国内でしこしこと準備していたことですが、抵抗勢力が強すぎて成功しなかっただけの話です。
実は戦時中に妻の権利をかなり向上する改正があったのは、独身者だけでは足りず、妻帯者の徴兵も始ったので、留守を守る妻の地位が不安定では、兵の士気にかかわると言う現実問題があって、狂信的な時代であったにも拘わらず、妻=女性の法的地位が向上したのです。
そう言えば、借地法や借家法は、今の携帯電話等が最初大都市だけで限定的に通話出来て次第に通話可能地域が全国に広まるようになったのと同じで、限定的に大都市だけで施行されていたことを紹介したことがあります。
借地関係については、02/18/06「借地法と借家法2(地代、家賃増減変更請求権1)」前後の連載で借地借家法について紹介しています。
これらが、全国施行されたのも、日米か戦前夜の昭和16年ですが、これも似たような理由でしょう。
この間にいきなり、借地や借家が地方に広がった訳ではないでしょうが、出征兵士の留守中に借家を追い出される心配がないように配慮せざるを得なくなって、地主層の利害よりもこうした手当てをせざるを得なくなっていたのでしょう。
このように反動的時代にも庶民の立場を認めざるを得ないほど、社会矛盾が激化していたとも言えるでしょう。
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