12/04/06
社会矛盾の解決と外圧利用5(司直の摘発2)
選挙制度は政権交替の道具であるとすれば、55年体制下で、社会党が保守系議員や知事の汚職摘発に頼って来たことを考えて見ましょう。
野党と言うのは政策で争って、政権交代を目指すことが選挙制度の理念上求められているのですが、汚職摘発に頼るだけでは、政権交代は望めません。
内乱による政権転覆に代わる選挙制度ではなく、政権内の権力者交代・・せいぜいクーデターに変わる機能しかない事になるでしょう。
そういう意味では、政権内の反主流と言う程度の立場でしかなかったでしょう。
このような敵失に頼るだけの野党であった社会党は、55年体制の共同受益者であったこととその行動は符合するでしょう。
55年体制下で、汚職・・大疑獄事件が起きて、内閣総辞職になっても自民党内の権力者交代(政権のたらい回しと批判されましたが・・)にしかならなかったのは、当然です。
総辞職する以上は、野党第1党に政権を渡すのが、憲政の常道であると言う主張が当時多かったのですが、総辞職の原因が、政策で敗れたのではなく、単なる汚職・・あるいは疑惑でしかない以上は、野党と政権交代する理由がなかったのです。
(ちなみに田中角栄元総理の退陣当時は、ロッキード「疑惑」に発展したかしないかと言う段階に過ぎず、まだ刑事事件にはなっていませんでした・・刑事事件になったのは三木内閣になってからです。)
野党の政治運動が、与党の政策に代わる新規の政策の宣伝ではなく、敵失の追及しかないのでは、何時までたっても、大規模汚職の直後だけ知事選で勝ったり、議会議員がちょっと増加するだけで、次の選挙では元の木阿弥と言う繰り返しでしかないのです。
体制支持の装置である検察(地検特捜部)や警察の摘発に便乗するしかないのでは、政権交替のための対置装置としては情けない話です。
今でも野党はその傾向がありますが、これでは、選挙制度が近代以前の内乱に代わって政策で競う・政策変更のための制度として、生まれた意味がないでしょう。
公明党の支持母体は言うまでもなく、創価学会・・・共産党支持者となる底辺層と重なる・・・・組織労働者にもなれない更に恵まれない階層ですから、その代弁者となるべきですが、何故か具体的な政策主張がはっきりしません。
汚職・腐敗の連続にうんざりしている国民心理の時代に、勢力を伸張したセイかどうか知りませんが、公明・・清潔と言うだけであって政策目的が党名になっていないのです。
底辺層の政治的立場の主張は、労働者・零細事業者の権利擁護すなわち共産主義的主張しか当時考えられなかったからでしょうか?
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