12/01/06
先行き不安と少子化5(ベビーブーマー3)(引揚者1)
無条件降伏から米ソの密約まで、空想が大きく膨らみ話がまたそれましたが、ベビーブームの原因に話を戻しましょう。
敗戦時には無条件降伏による不安があっただけでなく、戦時中でも食うに困っていたのに、満州から、あるいは海外から復員の兵隊さんたちが何百万人も続々と帰ってきたのですから、いよいよ食うに困った時代でした。
その上、ご存知のように、大都会は概ね焼け野が原で、栄養失調プラス衛生状態も最悪でした。
今でも地震その他の災害があると、その災害自体の被害よりも、衛生状態の悪化による2次災害がその後の大問題になるのと同じです。
このようにみていけば、戦後の最大食糧難・・これから日本はどうなるのか?
いわゆる民族抹殺で、日本人男子はみんな殺されてしまうのか?
と言う不安におびえた時代に、種族維持本能によって無茶苦茶に子供を産んだ結果が、ベビーブームだったと分かるでしょう。
(平和の到来を喜んで子供を生んだのでは、あり得ません)
正確では有りませんが、当時海外にいた日本軍は約355万人で、主要な戦場であった満州には約67万人が、中国本土には112万人がいたとされ、ソ連に抑留されたのは約60万人と言われています。
(その他に台湾や朝鮮半島、満州開拓団など戦前の海外領土や占領地には、軍人以外の政府関係者・海外居住者が勿論多数いました。)
海外遠征中の陸海軍軍人や、海外在留日本人の食料を内地から送っていたのではなく、(台湾は台湾で、朝鮮駐留軍は朝鮮で・・それぞれまかなっていたのです)現地調達でしたから、この人たちが帰って来た分だけ食糧難が激化したわけです。
その上東京など大都会では、局地的な問題もありました。
戦争を逃れて地方に疎開していた学童その他の大勢が、続々と大都会に戻って来たのです。
これによって、東京などでは、多くの戦災孤児が町にあふれ・極端に食糧難・住宅難(もちろん水不足その他いろいろな問題が生じます)になったのです。
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