12/30/05

漢楚の興亡

余計な話が入りましたが、南方の楚人(そひと)にとっては、黄河流域を占領してみたものの、気候は寒いは食べ物はまずいしで、良いことは何もなかったでしょう。
勿論、漢中には、長江流域のように豊富な魚類は考えるべくもなかったでしょうし、魚料理も殆どなかったと思われます。(当然上海蟹はありませんよ〜。)
「乾燥地から湿潤地へ」のコラムで紹介しましたが、湿潤地に住み着いた集団、生活者の方がそれだけの進んだ適応力に基づいて移住したのですから、老舗的文化力がないものの、その分、生産技術・文化・考え方・生活水準が進んでいたのです。
老舗の大層なネームバリュゥに惹かれて、項羽が長安を占領してみたものの実際は、干からびた時代遅れの町だったのでしょう。
100年前から経営している古ぼけたレストランよりも、新興のレストランの方が設備万端進んでいるのと同じで、古い店がつぶれたからといっても、競争に勝った方がつぶれた店の古い設備を使いたいことはありません。
先進地から後進地への移民・占領は、食べ物一つとっても夢がないのです。
項羽など南方から来た占領軍は、故郷へ早く帰りたくなるのは、当然ですから黄河流域を良しとする旧体制側の作った文書では、項羽の考えを理解出来ず、馬鹿にしただけのことでしょう。
芸術と言うか、生活の美意識でも格段に黄河流域は遅れていたのです。
このように豊かな生活水準を知っている南方から来た軍が、貧しい北部を長期間占領するのは、無理があるのですが、逆に同じ畑作農耕形態であって、黄河流域よりも貧しい北方民族が(満州族)少し南の先進農耕地に住み着くのは、憧れ・・夢だったでしょう。
ですから、五胡16国に始まり女真族や満州族は占領すると必死になって漢化に励むのです。



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