12/29/05

畑作物(小麦)と水稲相違漢楚興亡2)

12/12/05「漢民族の広がり・・南北統一2」前後のコラムで、淮河以北、秦嶺山脈以北の中原では、いつも飢餓に悩まされていたことも書きましたが、北部では、食料が足りないだけでなく、畑作地帯は種類も貧しいのです。
畑作物を主食にする社会ですから、(勿論、当時は、ジャガ芋もサツマ芋もないのです)今の副食供給地としての近郊農業の豊かな蔬菜を想像すると間違います。
小麦は、メソポタミヤ地方でBC5000年ころに栽培が始められ、黄河流域にはBC2000年ころに伝わっていたようです。
実は人類にも、原人とかホモサピエンスだのいろいろあるように、小麦にもいろんな原始的種類が当然いくつもあって、その段階からの利用となれば、もしかしたら1万年前からかもしれませんが、ここは大雑把な話です。
漢楚の興亡のころには、当然小麦生産はあったでしょうし、これが主食だったでしょうが、品種改良を重ねて来た現在でも、小麦はそのまま食べるには適さないことからも分かるように、そのまま食べておいしい水稲米とは格段にうまさが違うのです。
ちなみに小麦は、そのまま食べられないので世界各地で古代からナンやパン類になっているのが普通です。
(古代メソポタミヤでは、上記原始的品種の小麦粉かも知れませんが、8000年程前のナン製造の窯が見つかっているとも言われます。)
小麦粉が、箸を使う麺類になっていくのは、後世小麦粉を持った中国人が南方の水の豊富な地域に居住するようになってから、進化したに過ぎません。
メソポタミヤから西漸して、イタリアのパスタになるのも同じ事情でしょう。
黄河流域に住んでいるころには、水を豊富に使う・うどんなどの麺類としての使用は、考えつきもしなかったでしょう。
逆にまた水の豊富な日本では、小麦粉を固まりにするパンやナンなどの食べ方は、(当然その食べ方の方が先ですから)中国から一緒に伝わっている筈ですが、初めっから無視されていたらしく、(団子くらいで)小麦粉と言えば、麺類しか考えられない歴史でずっときたのです。
江戸時代以降は、砂糖の利用が始まりますので、小麦粉を利用した菓子類が発達しますが、それまで、砂糖類のない時代の小麦粉の固まりなどは、うどんやそうめん、その他麺類としてしかとても食べられたものではなかったでしょう。
今でも、砂糖の入ってない食パンなど、食べられたものではないですよ!
私は、もう20年近くも毎日のように食パンを造っていますが、・・・・砂糖の入れないパンは考えられません。
まして世上出回っている菓子パン類に至っては、推して知るべきです。
お米の味は少しは改良されたでしょうが、本質的(改良がなくとも)には、何の味付けもせずにおいしく食べられるものですが、小麦の場合、砂糖やその他の材料がなければ、まるで米の味と比ぶベくもないのが明らかです



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